第41話 突き出した足

 海羽さんが抑えていたという、プールというオプションのある一室。

 その部屋には海羽さんが一人で使うには大きなダブルベッドが鎮座しており、更にそのダブルベッドの上にはお嬢が堂々と腰を下ろしていた。その様子は凛々しさと美しさを兼ね備えた光景には見えたが、俺には猫が他所の猫に対して毛並みを逆立てながら、ふしゃーと威嚇をしているようにも見えるのだから不思議だ。


「やってくれたじゃないのこの泥棒猫が」


「泥棒? ふふふ。泥棒も何も、わたくしはただ友人と海にきただけですが」


「……友人というわりになぜ影人のスマホを没収してるの?」


「没収ではありません。情報漏洩の観点から、業務中はこちらで預からせていただいているだけです」


「アンタ二秒前の発言を思い出しなさいよ。友人と海にきたって言ってたでしょうが。なに都合の良い時だけ業務アルバイトを持ち出してんの」


「アルバイトをしにきた友人と隙間の時間に海で遊ぶことは何らおかしくはないでしょう?」


「……友達と海で遊ぶためにとる部屋じゃない」


「わたくしなりの愛情を込めておりますので」


「あぁぁぁぁぁ~~~~いぃぃぃぃぃ~~~~じょぉぉぉぉぉ~~~~うぅぅぅぅぅ~~~~? そんなもんあなたが家で飼ってる犬にでも込めてなさいよ」


「言われずとも込めておりますし、影人さんに込めている愛情はまた別物です」


「…………こんなにもハッキリと……只者じゃない……!」


 仲が良いなぁ。海羽さんと乙葉さんもあっという間に打ち解けている。

 この盛り上がりよう、何か共通点でもあるんだろうな。


「ところで……お嬢、乙葉さん。お二人はどうしてここに?」


「「偶然ここを通りかかった」」


「地図にない島にあるセレブ御用達の高級リゾート地に偶然通りかかることがあるんですか?」


「「ある」」


 力強く断言されてしまった。なら、あるか。


「ですが、この偶然に感謝すべきなのかもしれませんよ。お嬢と乙葉さんが泳ぎの克服に手伝ってくれるそうですし」


 海羽さんにとっても俺と二人きりより同性の手を借りた方が気が休まるだろう。


「わたくしは影人様と二人だけの方が……」


「五日しか時間がないことを考えると、お嬢と乙葉さんの二人は心強いですよ」


「………………………………ええ。まあ。はい。そうですわね」


 それは海羽さんも分かっているのだろう。

 何よりあまり上手くいっていない兄……嵐山様に対する複雑な感情も持ち合わせているが故か、ぎこちないながらも頷く海羽さん。


「フッ……」


「……勝った」


 なぜ、お嬢と乙葉さんの二人は勝ち誇っているのだろう……。


「ま、そういうわけだから、着替えを済ませてそこのプールに集合ということで。時間も惜しいんでしょう?」


「……こんなこともあろうかと、水着も用意してきた」


「随分と手際がよろしいこと」


「天才と呼び讃えなさい」


「流石は天災」


「誰が災いよ」


「自覚があったようで何よりですわ」


「……天災。いいと思う。星音の普段の振る舞いからは当然」


「私が少し目を離すと明後日を通り越して二万年先みたいな方向に飛んでいく常軌を逸した方向音痴がなんですって?」


「……ふぅ。やれやれ。わたしの方向に対する独特なセンスは、星音にはまだ早かったね」


「は? 誰が? 何が早いですって? 私の天っ才的な頭脳とセンスは未来永劫、神羅万象三千大千世界で崇められ讃えられ語り継がれるに決まってるんですけど? 方向音痴なんかと一緒にしないでくれる?」


「その御大層な頭脳とセンスを無駄遣いしておいてよくもまぁ咆えたものですわね」


「ラッキースケベ誘発装置の開発に使うことのどこが無駄なのよ言ってみなさいよ」


「「そういうとこ(ですわ)」」


 申し訳ないがお嬢の天才的な頭脳が無駄使いされているという点については同意せざるを得ない。


(……お嬢。本当に変わったな)


 乙葉さんという友人ができて、海羽さんとの交流も深めるようになって、最近のお嬢はとてもいきいきとしているように見える。お嬢の成長に、きっと旦那様も奥様も喜ばれることだろう。


 ……いや。変わったのはお嬢だけではない。海羽さんも。そしてきっと、乙葉さんもだ。


 三人はそれぞれ普通からは遠い場所にいる者同士。きっとこうやって気兼ねなくぶつかり合って語り合える友人の存在は貴重なのだろう。もしかすると初めてかもしれない。


 それを思うと、お嬢と乙葉さんが来てくれたのは本当に大きいな。

 海羽さんにとっては心強い味方のはずだし、こうやってお嬢達とじゃれることで嵐山様との一件で傷ついた心も癒されていることだろう。これなら良い滑り出しが期待できるはずだ。


「では、そろそろ着替えをして、練習を始めましょうか」


 このままお嬢達の親交が深まるのを見守っていたいという気持ちはあるものの、残念ながら時間は有限だ。先ほどまで海にいた俺と海羽さんは着替えというほどのものはなく、そのまま上に羽織っていたものを脱ぐだけだ。


「お嬢と乙葉さんが着替えをしている間に始めてしまいましょうか」


「よろしくお願いしますわ」


 怪我をしないように入念に準備運動も済ませたところで、練習スタートだ。


「海羽さんは泳ぎが苦手とのことでしたが、水に対する抵抗感の方は?」


「そうですわね。水に触れたり、足がつく場所なら水に入ったりすることにも抵抗感はありません。足のつかない場所に対する恐怖心はありますが……まあ、浮き輪をつかっていれば大丈夫だと思います」


「なるほど……では水に対する恐怖心は人並み程度で、泳ぎに影響を及ぼすほどでもないと」


 そうなってくると、泳げないのは技術的な面が影響しているのだろうか。いや、そう決めつけるのもまだ早い。


「では、とりあえず水の中に入って泳いでみましょう。ここは足がつきますし、傍で俺も見てますから」


「わかりましたわ」


 特に抵抗感を示すわけでもなく海羽さんは頷く。

 とりあえずどこまでできるのか、何ができないのかを見るためにも一度泳いでもらうことは必要だとは思っていたが、同時に抵抗感や不安感を示すのではないかという危惧もしていたのだけど。


「では……参ります!」


 海羽さんは呼吸を整えると、決意を漲らせた瞳をカッと見開き、空気を肺いっぱいに取り込んでから――――勢いよく水の中に飛び込んだ!


 ざぶん、と水が激しく揺れ、海羽さんの美しい肢体はプールの奥底へと突き刺さるように潜行していく! そう、プールの奥底へと突き刺さるように――――


「がぼごぼぼぼぼぼぼぼぼ」


「海羽さん!?」


 陸で地に足付けて佇めば、それはもう麗しい水の妖精を彷彿とさせるご令嬢の海羽さんだが、なんということだ。


 足の着くプールの中に飛びこんだかと思うと……これ、あれだ。お嬢と一緒に見た昔の映画に出てくる、湖から足が突き出した死体だ。その上、空に向かってバタバタと足が蠢いている。あれはバタ足だろうか。なんて無意味なんだろう。


 驚きながらも水中で逆立ち状態になっている海羽さんを手早く救出する。


「ふぅ……いかがでしたか?」


「犬●家でした……」


 そうとしか表現のしようがない。


「ふふふ……実はわたくし、泳ぎは得意ではありませんが、フォームだけは自信がありますのよ。歴史的な名画にも匹敵する美しさだと自負しております」


「歴史的な映画であることは間違いありませんね」


 厳密には元は小説なのだけれども……いや、それは今はいい。そういう問題じゃない。


「……正直に申し上げてもいいのですよ?」


「海羽さん……」


「麗しき白鳥のようだった、と」


「その場合、バタ足しか見えない白鳥になりますが……」


 優雅な白鳥は水の中でバタ足をしているというけれど、海羽さんの場合は足の部分しか見えていない。


(これは……時間がかかりそうだなぁ……)



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