第40話 挑発
「お前が海羽の友人に相応しいか、私が見定めるだと? くだらん。子供の遊びに付き合っている暇はない」
「よろしいのですね?」
まずは言葉で挑発。嵐山様の視線が移動するまでの刹那、海羽さんの指に俺の指を絡め、彼女の身体を引き寄せる。強引に引っ張らないように、力の流れを利用して、繊細に丁重に。
「俺が、海羽さんの傍にいても」
「………………………………」
嵐山さんは言葉を何も発さない。しかし、視線は確かにこちらに向いている。
「あ、あの……影人さま……」
「では行きましょうか海羽さん。今日は一緒にプールで遊ぶ予定ですし」
そのまま背を向けて歩き出そうとしたその時。
「……待て」
嵐山様の制止が、俺の歩を止めた。
「……いいだろう。その安い挑発に乗ってやる。たかる虫の排除は四元院家の品格を保つために必要なことだからな」
あからさまな安い挑発に乗ってきた。やっぱりこの人は……。
「では貴様は、何を以て証明する? 己が海羽の友人に相応しいと」
「何を為すかは、そちらが提案しても構いません」
「……私が無理難題を押し付けると思わないのか?」
「押し付けられたとしても乗り越えてみせましょう」
「…………」
嵐山様の鋭い眼差しから発せられる威圧感は、この場一帯の重力が何倍にも膨れ上がったような錯覚を抱かせる。一瞬だけ高重力下での訓練のことを思い出してしまった。
資料によると四元院家次期当主の嵐山様は武道の心得もあるとのことだが、かなりの手練れであることは間違いない。
「…………泳げるようにしろ」
数秒ほど続いた無言の圧は、ほどなくして途切れた。
「海羽を泳げるようにしろ。期限は今日を含めて五日間だ」
嵐山様の口から出てきたのは、その威圧感に似合わぬ穏やかなお題。
「分かりました。五日間ですね」
「……五日後、時間を作っておく。その時に成果を見せろ。期待した成果が出なかった場合、お前はクビだ。二度と海羽には近づくな。くだらんお友達ごっこもやめてもらう」
以上だ、という言葉で最後を締めくくり、告げるべきことだけを告げたと言わんばかりに嵐山様は俺達に背を向けて去っていった。
「……相も変わらず、一分一秒を惜しんだ次期当主らしい行動ですこと」
言葉を交わす隙も見せずに去っていく嵐山様の背中。
それを眺めることしかできなかった海羽さんは、皮肉気な一言を零すだけだった。
「……申し訳ありません。影人様。わたくしの兄が不躾なことを」
「いえ。気にしてませんし、むしろ次期当主の在り方として感心していたところです。……というより、謝るのは俺の方です。海羽さんを巻き込むような形となってしまいました」
「それはこちらのセリフですわ。……まったく。わたくしを泳げるようにしろ、などと。あの人はわたくしが昔から泳ぎが大の苦手だということをよぉぉぉ~~~~~~~~くご存知ですから。勝てる賭けだと思ったのでしょう」
「それにカワイイ妹のことを心配しているんですよ」
「カワイイ妹、ですか。それは勘違いですわ。お兄様の頭の中にあるのは常に家のこと。四元院家のことだけ。わたくしのことなど、不出来な妹としか認識しておりませんもの」
「そんなことは」
「あるんです。あの人は、わたくしのことなど……」
俺の言葉に被せてくるように反論してくる海羽さん。
普段は深窓の令嬢といった感じの人だけど、今は拗ねた幼い子供のようだ。
「……思い返せば思い返すほど、考えれば考えるほど、やはり腹が立ってきますわ。何よりやり口が陰湿です。たった五日で泳げるようになれなど……」
「では、諦めますか?」
「…………嫌です」
嵐山様に対する愚痴をこぼしていた海羽さんだったが、諦めるという選択肢に対しては、きっぱりと拒否を示した。
「どうせ逃げたところで、お兄様を増長させるだけ。ならば五日で泳げるようになって、あのいけすかない能面に吠え面をかかせてやりますわ!」
瞳に闘志の炎を燃え上がらせ、海羽さんは力強く宣言する。
海羽さんは一つ一つの実績や所作から、とても多くの努力を重ねている人であることがうかがえる。こうした淑女らしい見た目の内に隠された強気や負けず嫌いなところが、海羽さんの努力の源になっているのだろう。
「……っ。し、失礼いたしましたわ。つい、はしたない言葉を……」
「確かに今のはあまりご令嬢らしいとは言えない言葉遣いでしたが……でも、俺はそういう海羽さんも素敵だと思います」
努力を積み重ねられる人、目の前の壁に対して立ち向かえる人。
そういう人は、俺の目にはとても魅力的に見える。
「そ、そうですか?」
「はい。とても素敵ですよ。海羽さん」
「――――っ……あ、ありがとうございます」
褒められ慣れていないのだろうか。海羽さんは照れたように頬を微かに染めながらも、可愛らしくはにかむ。
「……さて。とはいえ、時間は今日を含めて五日。早急に練習にとりかかりましょう」
「ええ。お兄様ではありませんが、一分一秒が惜しい時です。……ただ、わたくしはこれまでも何度か、苦手な泳ぎを克服しようとしたことがあるのですが……思うように結果は出なくて……」
「うーん……とりあえず見てみないことには何とも言えませんが、何かしらの方法は考える必要はあるでしょうね」
天堂家の使用人で『泳げない』ということが許されるわけがない。遠泳十キロは最低条件で、俺も昔は猛特訓に励んだものだ。懐かしい……真冬の日本海に叩き込まれたこともあったっけ。だが天堂家の使用人にむけたメニューを海羽さんにやってもらうわけにもいかない。
「……考えてもはじまりません。とりあえず、まずはわたくしの部屋に行きましょう」
「え。本当に行くんですか……?」
「当然です。気兼ねなく使えるプールが必要でしょう? 何より時間が惜しい今では、集中できる環境も必要でしょうし」
「……それもそうですね」
「ふふふ。五日間、影人様を独り占め……手取り足取り、教えてくださいね?」
と、海羽さんが俺の腕に自分の腕を絡ませ、そのまま抑えてあるという部屋に向かって歩き出したその時だった。
「――――話は訊かせてもらったわ」
「…………わたしたちも協力する」
聞き覚えのある声に、柱の陰から現れた二つのシルエット。
「お嬢!? 乙葉さん!?」
まるでこの真夏の中、全力ダッシュで駆け込んできたかのように汗だく状態のお嬢と乙葉さんの二人が俺達の前に現れた。
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