第66話 お嬢、宣言する
――――お嬢の使用人に復帰してから、しばらくが経って。
記憶と共に失っていた俺の日常が戻ってきた。
普通とは程遠いかもしれない、俺の日常。
世界で一番特別で幸福な日常だ。
「……この紅茶、美味しいね。ぽかぽかして、ほっとする味」
「流石は影人様ですね。茶葉の味を十二分に引き出していますわ」
「恐れ入ります」
感性の鋭い乙葉さんや、四元院家のご令嬢である海羽さんに褒められると自信がつくな。勿論、普段からお嬢に出している紅茶だから、下手なものを淹れているつもりはなかったけれど。
「はあ……本当に素晴らしい腕前ですわ。影人様、いっそ四元院家に仕えませんか?」
「こら泥棒猫。何私の前で堂々と影人を引き抜こうとしてるのよ」
「あら。何か問題でも?」
「大ありよ!」
「……だめだよ、海羽。影人を引き抜こうとしたら」
「そうよ。言ってやりなさい乙葉。この非常識なお嬢様に、常識というものを教えてやるの」
「……影人はわたしのマネージャーになるって決まってるから」
「常識のない泥棒猫が二匹!」
「常識のある泥棒猫とは何なのか、考えさせられますわね」
「……というか、泥棒猫のつもりはないけど」
「そうですわね。そもそも、泥棒も何も星音さんのものじゃないですし」
「くっ……! さっきから好き放題……! むざむざ招き入れるんじゃなかったわ!」
「あらあら。そんなことを言っていいんですの?」
「……今日のわたしたちは、星音にお呼ばれされたゲストなのに」
そう。今日は乙葉さんと海羽さんの二人を、天堂家のお屋敷に招いてお茶会をしているのだ。主催はお嬢。何でも『お礼』をするためだそうだ。何のお礼かは、具体的に知らされていなかったけど。
「ぐぬぬぬぬ……!」
「影人様、お代わりを。真心こめてお願いいたします」
「……影人、わたしも。愛情たっぷりめでお願い」
「かしこまりました」
「ぐっ……! ぐぎぎぎぎ……!」
さっきからお嬢が、物申したそうにしながら何かを堪えている。
対照的に、乙葉さんと海羽さんはとても機嫌が良さそうだ。
きっと俺には分からない、彼女たち友人同士の三人の間にしか分からない、友情の形があるのだろう。
そんな光景をこうやって傍らで眺めていられるのは、何にも代えがたい幸福だ。
「はァ……はァ……優雅にお茶を啜ってるけど、乙葉。あなた、時間は大丈夫なの?」
「確かに。活動を復帰して、とても忙しくされているのでしょう?」
乙葉さんは先日、正式に活動の再開を発表した。
発表直後はSNSがその話題で一色になり、仕事のオファーも殺到しているとか。
「……マネージャーがスケジュールを調整してくれているから」
きっとマネージャーである
先日の生配信で、『羽搏乙葉』の歌声は健在であることを示した。
いや。活動休止前から更に進化したことを知らしめた。
そんな乙葉さんのアーティストとしての才能や実力を信頼し、復帰直後の焦燥に振り回されることなく冷静にスケジュールを調整している。
活動復帰直後、そして活動休止の経緯を踏まえると、まだあまり無理はさせられないということもあるのだろう。
「……でも、学校に通える頻度は少し落ちると思う。それは残念」
「わたくしなんて、学園が別々なんですから。頻度が少し落ちるぐらいで、丁度いいと思いますわよ」
「……学園の中どころか四六時中一緒にいる、ずるい人もいるけど」
「そのずるい特権を手放そうとしたお嬢様が、いらっしゃるらしいですわね」
「あー、はいはい! その説はどうもありがとうございました感謝しておりますー!」
状況はよく分からないが、どうやらお嬢はまだ『お礼』の真っ最中であり、二人には頭が上がらない立場にいるらしい。
……この三人はとても仲が良くて、お互いに良い友人であるようで、その時間を邪魔するつもりはないのだけれども。
ただ俺の知らない話題を話している時が一番盛り上がっているので、寂しいと思わなくはない。
「うふふ。いっそ、今度は星音様に紅茶を淹れていただこうかしら?」
「……メイド服も着てもらう?」
「上等よ! ほっぺたも落ちる極上の紅茶を淹れてやろうじゃないの!」
「それ、物理的に落としたりしませんわよね?」
「……ありえるかも。星音って発想が斜め上だから」
「方向に対する発想が斜め上のあんたにだけは言われたくない!」
そんな風に、珍しくお嬢が一方的に二人からいじられる形で、『お礼』を兼ねたお茶会は幕を閉じた。
「つっっっっっかれたぁ……」
お茶会を終えた後、お嬢はベッドに寝転がって、体の中から疲労感を根こそぎ吸い取ったような息を吐いた。
「過去最大級に疲れたわ……もう二度と泥棒猫は招いてやらない……」
「そうですか。では、次に備えて乙葉さんと海羽さんの好みに合いそうな茶葉を見繕っておきましょう」
「私の話、聞いてた!?」
「聞いてましたよ。それに、今日のお茶会も傍で見ていましたから。楽しそうに二人とお話をしているお嬢の様子を」
「あれは楽しそうにっていうか…………」
と、誤魔化そうとしていたお嬢だけど、すぐに不本意そうに頷く。
「まあ……そうね。また次も招いてやってもいいと、思うぐらいには……うん。楽しい時間、だったわ」
「存じております」
「……何よ。何よ何よっ。その微笑ましいって感じの顔!」
「微笑ましいと感じていますから。あと、戻ってきてよかったな、とも」
この光景を。お嬢の顔を、傍で眺められる。
これだけで戻ってきた価値があった。
「…………そういえば。もうすぐ、だったかしら。あなたの家族が、海外に行ってしまうのは」
「そうですね。もうほとんど、準備も済んでいるそうです」
ちなみに今でも光里や母さんたちとは連絡を取り合っているので、近況も把握している。
「当日は、見送りに行くの?」
「はい。なので、その日はお休みをいただこうと思っております」
「ああ、うん。とりなさい。影人って普段から働いてばかりなんだから」
「苦ではありませんよ。好きでやっていることですので」
お嬢の傍に仕えることを、苦痛に思ったことは一度もない。
だからむしろ、休日の方が違和感を抱くほどだ。
それぐらい俺の生活は、お嬢のためにあるのが自然なのだ。
「……ねぇ、影人。どうして戻ってきたの?」
「え?」
「寂しいって、言ってたけど……本当にそれだけ?」
お嬢はベッドから起き上がり、そして一歩、近づく。
「他に、理由があるんじゃないの……?」
「お嬢?」
「たとえば、そうね」
一歩。また、一歩。
お嬢の歩みは止まらない。
「私のことが好きだから……戻ってきた、とか?」
壁際まで追い詰められて。
お嬢の白くて細い、ガラス細工のような指がするりと、俺の手を絡めとる。
「ねぇ。教えて? 影人……あなたの、気持ち」
お嬢の顔が近い。今にも吐息がかかりそうなほど。
いつかの電車の時のように、成長なされた体を密着させて押し付けて。
お嬢の潤んだ瞳が、俺を捕えて逃さない。
「…………本心を言えば、寂しいだけじゃありませんよ」
「寂しいだけじゃないなら、何?」
「それは――――……」
雪道と話をして、俺は自分の心に気付くことが出来た。
寂しい。お嬢と離れることが、寂しくてたまらない。
そう気づいてしまえば、自分の心は簡単に定まって、すぐに光里や母さんと話をした。
『ごめん。光里、母さん。俺は、お嬢のところに戻るよ』
ハッキリと、意志を強く決めて口にした。
戻りたい。じゃない。戻る、と。
『自分勝手でごめん。でも、もう決めたから』
『……兄さん。理由を、訊いてもいい?』
『それは――――……』
あの時、光里と母さんに言ったこと。
それがきっと、俺が戻ってきた一番の理由。
「それは――――俺の人生は、お嬢に捧げると誓いましたから」
結局、これだ。これが俺にとっての、一番の理由。
今回の一件でますます強くなった、俺の本心。
「そ、れって……ひゃっ!?」
俺の手を絡めとった、お嬢の手からするりと抜け出して。
舞踏会で踊るダンスのように回転し、お嬢と俺の体の位置を入れ替える。
今度は、お嬢が壁際に追い詰められた形だ。
「え、影人……?」
「お嬢のいない人生なんて、もう考えられません。お嬢はもう俺にとって、家族よりも何よりも大切な存在なんですから。……それを、よく思い知りました」
誰にも汚されたくない、彼女の手の甲に。
恐れ多くも唇で触れる。
「改めて誓います。俺の人生、全てをお嬢に捧げると。もう離れたりはしません」
「――――っ……!」
お嬢は顔を真っ赤にして。ずるり、と壁に背中を擦らせながらしゃがみこんだ。
「お嬢? どうされましたか?」
「また負けた……」
「はい?」
「反則よ、こんなの……影人はいつもそうよ。こっちが攻めたと思ったら、いつも返り討ちにしてきて……!」
どういうことか分からないけれど、お嬢は負けたらしい。
何に負けたのかはさっぱりだが。
「こうなったら、私も誓ってやるわ!」
かと思ったら、お嬢は顔を上げて勢いよく立ち上がった。
「私の人生を賭けて、絶対絶対ぜ~~~~ったいに!
「え? 勝つ? 俺とお嬢って、勝負してたんですか?」
「そうよ! 勝負よ! これは勝負なの! 泥棒猫共と、そしてあなたとのね!」
一体何の勝負をしているというのか。
それを問う隙もなく、お嬢は高らかと宣言する。
「見てなさい! 天堂星音様は誰にも負けない! 絶対に勝ってみせるから!」
――――――――――――――――――――
『俺が告白されてから、お嬢の様子がおかしい。』
これにて一区切りとなります……!
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
書籍版第3巻、制作決定しております!
コミカライズ版はガンガンONLINE様にて連載中です!
俺が告白されてから、お嬢の様子がおかしい。 左リュウ @left_ryu
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