第65話 星の涙を拭う者

 私と影人の出会いは、今でも覚えている。

 あの雪の日。世界が真っ白になっていた日。

 特別な場所じゃなかった。ありふれた公園だった。


 ありふれた場所だったけれど、あの出会いは何よりも特別だった。


 そう。特別。私にとって、私の人生において、最も特別な瞬間。

 それを。それを、あの泥棒猫……!


「なぁああああああにが甘い恋物語で上書きよ! そんな悪逆非道、神如きが許そうとこの天堂星音様が許すわけないでしょうが――――――――!!」


 あんの邪知暴虐の泥棒猫! よくもまあこの私に向かっていけしゃあしゃあと負け猫呼ばわりを! しかも! よりにもよって私の特別な思い出に土足でストレートインした挙句に好き放題タップダンスを踊ってくれやがったわね!?


「及川! すぐに車をかっ飛ばしなさい!」


「もう既にかっ飛ばしてますよ」


 さっきまで色々と考えていたり心の中で渦巻いていたもやもやのようなものが、一気に霧散してしまった。

 それ以上の怒りと、怒り以上の焦りが私の中で暴れまくっていたからだ。


 焦り。焦っている。私は。今。

 だって。だってだってだって!

 海羽と乙葉が影人に告白するのだから!


(あの二人がどれだけ可愛くて、魅力的な子なのかぐらい……私は、よく知ってる)


 乙葉も海羽も。この私が特級泥棒猫と認定してやってるぐらいには、認めている。


 乙葉は他人を思いやれる子だ。自分の心に気づけなくなるぐらいに、他人を思いやれる。無表情で感情の起伏に乏しいように見えるかもしれないけれど、気づける人が見ればあの子ほど心が豊かな子はいないし、その心が生み出す歌声は世界をも魅了している。そして影人は、あの子の豊かな心には最初から気づいていた。


 海羽は努力家で負けず嫌い。色々な人が私と競うことから離れて行った。誰もが舞台から降りる中、海羽だけはかじりついて私に食らいついてきた。何年も何年も。ずっと諦めず努力を重ねて、傷ついても泣いても立ち上がる。思わず支えたくなるような魅力があって、そんな海羽を、影人もずっと見てきたのだ。


 あの二人なら影人をとられてもおかしくはないと考えてしまう。

 そしてもし、仮に、本当に、天地がひっくり返ってそんなことになった時。


 私は…………この二人ならと、諦めがついてしまう。

 あの二人のどちらかなら、納得してしまう自分が想像できる。


 胸が苦しくなって、張り裂けそうになって、涙をぼろぼろ流して、泣いて泣いて泣いて。それでも最後には「おめでとう」って言えてしまう。


 だから、焦っている。過去最大級に。


 あの二人は私にとっては…………大切な、友達で。

 そして誰よりも手ごわい、泥棒猫ライバルなんだから。


「…………っ……!」


 乙葉と海羽なら。あの二人なら、仕方がない。

 影人が告白を受け入れても納得できてしまう。

 できてしまう、けれど。


(……とられたく、ない)


 心の中でしていた蓋を押しのけて、溢れ出る。


(影人を……とられたくない……!)


 乙葉にも。海羽にも。そして――――影人の家族にさえ。

 影人のことが好きだから? 愛しているから?

 そうよ。私は影人のことが好き。だけど、影人をとられたくないのは、それだけじゃない。


(そうよ。寂しいのよ)


 私が寂しいからだ。

 影人がいなくなると、たまらなく寂しい。

 それだけだ。たったそれだけの理由だ。


「ここでいいわ!」


 車を停めてもらった後、決して忘れられるはずがない場所へと走る。


「はっ……はっ……はっ……!」


 あの日、雪が降り積もっていた道をひた走る。

 何もかもをかなぐり捨てて、走る。

 走って走って――――あの公園に、飛び込んで。


「――――影人っ!」


「……っ。お嬢? どうされたのですか?」


「うっ……!」


 しまった。改めて問われて、自分が考えなしにここまで来てしまったことに気付いた。

 そうだ。海羽と乙葉は、影人に告白する。

 だけど私がそれを邪魔する権利がどこにあるのだろう。

 海羽の言い回しに、つい感情が大暴走してここまで車をかっ飛ばしてしまったけれど…………って、あれ?


「え、影人? 今、私のこと……『お嬢』って、呼んでなかった?」


「はい。呼びましたよ」


「じゃあ……あなた、記憶が…………」


「……戻りました。というか、戻ってました」


 そう言って、影人は頭を下げた。

 洗練されたお辞儀じゃない。影人にしてはどこか精彩に欠けた所作で。


「申し訳ありません」


「どうしたの? なんで、頭を下げて……」


「俺はお嬢に、嘘をついていました」


「実は少し前に記憶が戻っていて、それを黙っていた、とか。そういう感じ?」


「ご存じだったのですか?」


「いいえ。話の流れで何となく……いつ記憶が戻ってたの?」


「光里と会った日です」


 あの時にはもう戻ってたんだ……あれ?

 でも、だったら……。


「どうして、黙ってたの?」


「……俺は。ずっと、お嬢を利用していました」


 影人の声は。ほんの少し、震えていた。

 あの日のように雪が降っているわけでもないのに。


「俺がお嬢に仕えていたのは、独りになりたくなかったからです。あの空っぽの家に帰りたくなくて、お嬢に仕えていました。独りになりたくなくて、あなたの傍にいた」


「………………」


「口では忠誠や尊敬を謡っておきながら、本心では利用していた。自分の心の安寧のために、あなたの存在を利用していたんです」


 知らなかった。

 影人がずっと、そんなことを考えていたなんて。


「そんな自分がずっと、後ろめたかった。卑怯で浅ましい自分が、疎ましかった。……だから。記憶喪失から戻った時、チャンスだと考えたんです。このまま記憶が戻ったことを黙っていれば……俺は真っ白な状態から始められると」


 知らなかった。

 影人がずっと、そんなことを思っていたなんて。


「真っ白な自分になれば、何の後ろめたさも抱えることなく、お嬢に仕えることが出来る」


 そんなことを抱えながら、私の傍にいた。

 これが、夜霧影人という人なんだ。


「……なによ、それ」


「……申し訳ありません」


「それって、つまり影人は…………私のこと……」


「……はい。俺は、お嬢のことを騙していました。許していただく必要はございません。どんな処分も受け入れ――――」


「……私のことが、だ~~~~い好きってことじゃない!?」


「……え?」


 なによそれ! それってつまり、私のことをずっと思ってくれていたってことでしょ!? いや知ってたけどね!? 影人の忠誠心が高いのは! でもここまでとは思わなかったわ!


「あの、お嬢? 俺の話、聞いてました?」


「聞いてたけど?」


「俺は、お嬢のことを騙してたんですよ?」


「そりゃ記憶が戻っていたのに黙っていたのは、ほんのちょっと……1ピコジュールぐらい怒ったけど!」


「寛容ですね……いや、それだけじゃなくて……俺はお嬢を利用して……」


「どぉおおおおおおおおおおおおおおおでもいいのよそこら辺の話は!」


「どうでもいい!? 俺、これでもかなり葛藤したんですよ!?」


「あのねぇ! 誰だって独りになるのは嫌に決まってるでしょ!? そんなの当然なの! 第一、あなたの場合は家族が蒸発したんだから、必要以上に独りになることに怯えるのはもっともっと当然だし! そのために私の傍にいたことに後ろめたい思いをすることなんてないの! これっっっっぽっっっっっっちもね!」


 あ、息苦しくなってきた。ちょっと息継ぎしよう。

 すー……はー……すー……はー…………よし。


「そもそもね、誰だって打算や計算なんてしてるもんなの! ていうか私とか乙葉とか海羽とか見てみなさいよ! もう打算塗れの計算塗れよ! オールシーズンエブリデイで打算三昧計算三昧策略策謀のパラダイスよ!」


 私や乙葉や海羽が、どれだけ策略を練って影人にアプローチしてきたか!

 それこそ打算計算の塊だ。もう完璧で緻密な作戦で練られた火花がバッチバチに散っている。

 影人は知らないだろうけれど(知らないからこんなことになってるんだけど)、影人の日常は既に私たちの打算で埋め尽くされちゃっているのよ!


「あ、はい。雪道にも似たようなことは言われましたが……」


 くっ……! あいつ! なんでこの私のセリフを先取りしてやがるの!?

 間違いない。近頃の風見は確実に正妻面してる……!

 これは名誉特級泥棒猫に認定しなければならない……!


「そんな話せば二秒で解決する葛藤なんかよりも重要なことがあるでしょ!?」


「俺の葛藤……二秒……」


「いいから! そこはスルーしなさい!」


 もどかしい! どうして気づいてないのかしら影人は!?


「影人は、そこまで私のことを……いっぱい考えてくれてたってことでしょ? 影人の心の中が、私のことでいっぱいになってるってことでしょ? そんなの、私のことが好きすぎるってことじゃない!」


「まあ……そう、なります、かね……? 恐れ多いですが」


 勝った! これは実質勝利したようなものだわ!

 影人の心の中が私のことでいっぱいなら、泥棒猫が入り込む隙間なんてないってことじゃない!

 これなら乙葉や海羽が告白するとしても……しても?


「……あら? そういえば、海羽がいないわね……あなた、一緒にいたんじゃなかったの?」


「ええ。まあ。俺は海羽さんに連れられて、ここに来たので。その後は、どこかへと行かれてしまわれました」


 ……途中から何となく、薄々とは感じていたけれど。

 やっぱり海羽や乙葉が告白するというのは、フェイクだったらしい。


「俺は海羽さんから、お嬢から話があるそうだからここで待っているようにと言われたのですが……」


「わ、私!?」


 話。確かに、あるけど。

 ……影人と話していたせいかしら。と、飛び出してきた時の勢いがすっかり落ち着いてしまったわ……!


「お嬢?」


 でも……でもっ。このまま何も言い出せずに終わることは、嫌だ。

 影人は記憶が戻ったけれど、彼がもう家族のところに戻っていることに変わりはない。私が命令してしまったことは、何も変わらない。

 このままだと影人は海外に行ってしまう。だから……私は……!


「戻ってきてっ!」


 前置きも何もかもをすっ飛ばして、がむしゃらに叫ぶ。


「私、嘘ついてたの! 家族のところに戻りなさいって言ったけど、本当は戻ってほしくなかったの!」


 みっともない。なんてみっともない叫びなのだろう。

 嘘をついてやせ我慢していたことを告白するなんて。


「影人の口から、聞きたくなかったの。私よりも家族を選ぶって。だから、自分が傷つく前に遠ざけたの!」


 天堂星音らしくない。

 私はいつの間にか、こんなみっともない私になってたのね。


「本当は……間違ってるってわかってても……ひどいワガママだとしても……それでも私、本当は……本当の本当は……――――」


 これを言うべきなのかどうか今、この瞬間でも分からない。

 酷いことだ。あまりにも身勝手で、言うべきじゃないことかもしれない。

 それでも。


「影人には家族より、私を選んでほしいって言いたかったの!」


 夜空が無ければ星は輝けない。


「ごめん。今更だっていうのも分かってるの。身勝手なことも。酷いことを言っている自覚もある。それでも……私、寂しいの……」


 私の人生にはもう、夜霧影人という人間が必要なんだから。


「影人が傍にいないと……寂しい、から……」


「……申し訳ありません」


「…………っ」


 分かってる。私に傷つく資格なんてない。

 覚悟はしていたことだ。ただ……自分の気持ちを押し留めたままにはしておきたくなかったから、言っただけで。


(そう……よね。うん……いいの。影人が選んだなら、それで……別に海外に行ったって、私がその気になれば会いに行けるし……)


「実はもう、家族にはお別れを告げてきたんです」


「そう……家族にお別れを告げてきたの…………家族にお別れを告げてきた!?」


「はい」


 あっけらかんとしながら頷く影人。


「え? は? な、なにがどうなってこうなってるの!?」


「俺も寂しかったからです」


「寂し……かったの? 影人も?」


「はい。寂しかったんです。俺も。だから……戻ることにしたんです」


「家族は……光里さんは?」


「ちょっと、悲しんでましたけどね。でも分かってくれました」


 知らなかった。影人が、そんなことをしてたなんて。

 私が言う前から動いてたなんて。


「……意外ですか?」


「そう、ね……だって、家族と居ることは、元は私が命じたことだもの。なのに、それを破るなんて……記憶が戻ってたのなら、猶更驚いたわ」


「ですね。天堂家の使用人として、お嬢の命令は絶対です。だから俺が自分から家族の元から離れることは命令違反になります。今までの俺なら、考えられませんでした。お嬢の命令に背くなんてことは」


 今まで影人が私の命令に背くようなことは滅多になかった。

 あったとして、それは私のことを思っての行動だったりしたり。

 だから……今回みたいに、影人の私情だけで命令を違反するなんてことは、初めてかもしれない。


「でも俺は、記憶喪失ですからね」


「あ…………」


「『天堂家使用人・夜霧影人』じゃなくて『記憶喪失の高校生・夜霧影人』なら、お嬢の命令は関係ありませんから」


 影人は、ちょっとした悪戯をした子供のように笑ってみせる。

 その仕草に、表情に、不覚にも胸が高鳴ってしまう。

 記憶を取り戻している影人。私の知っている影人なのに、いつもとは違う顔を見せてくれたみたいで。


「そんな建前なんてなくても、好きに破ればよかったじゃない……私の身勝手な、間違いだらけの命令なんて……」


「ダメですよ。建前すらない状態で、お嬢の命令は破れません」


「どうして?」


「うーん……使用人としての矜持ってやつ、ですかね?」


「なによそれぇ……」


 ああっ。もうっ。だめ。

 安心しすぎて……泣きそう。ていうか泣いてる。

 今はもう、顔を見られないようにするのが精いっぱいだ。


「お嬢? どうしました?」


「なんでもないっ!」


「なんでもなくはないようですが……」


「なんでもないったらないの!」


 だって言えないじゃない。

 影人がこれからも私の傍にいてくれるってわかって、安心して。

 張りつめていた心の糸みたいなのがふにゃふにゃに溶けちゃって。

 泣いてるし。絶対に今、みっともない顔してるし!

 安心しすぎて泣いちゃったなんてかっこ悪いこと、影人に知られたくないじゃない!


「今は顔を見ないで! これは命令よ!」


「命令、ですか」


「そうよ! 影人は、私の命令には従うんでしょ! だから見ないで! 今の私の顔! ぜったいにブッサイクだから!」


「…………」


 好きな人に見てもらうなら、かわいい顔とか、かっこいい顔を見て欲しいもの。

 ぐっしゃぐしゃの泣き顔なんて絶対に嫌!


「……今の俺はまだ、ただの夜霧影人です」


「え……?」


「天堂家に正式に復帰したわけじゃありません」


「あの……ちょっと……」


「だから……お嬢の命令をきかなくても、問題ないですよね?」


 くすり、と笑う影人には独特の色気があって。

 顔を見られまいとする私の手を優しく包み込んで、溶かすように解いていく。


「俺は見たいですよ。お嬢の泣き顔」


「な、なんで見たいのよ、そんなの!」


「絶対に可愛らしいからです」


 いじわる! いじわる影人だ!


「と、言うのは冗談です。半分ほど」


 それって半分は本気ってこと……!?


「じゃあ、なによぉ……」


「そんなの、決まってるじゃないですか」


 優しく繊細な指が、瞼に溢れた雫を拾う。


「俺が、お嬢の涙を拭いたいからです。あなたの涙を止めるなら、俺がいい。他の誰にも譲りたくないんです」


「――――――――っ……!」


 ずるい。


 そんなの……ずるい。


(私、これからずっと、影人に勝てないのかも……)


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2024年12月30日 07:02 毎週 月曜日 07:02

俺が告白されてから、お嬢の様子がおかしい。 左リュウ @left_ryu

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