第64話 星の光に手を伸ばす

 人が産声を上げた時。

 人が墓の下で眠る時。

 いつだって、星は天で輝いている。


 四元院海羽という人間とって、天堂星音という存在は生まれてから死ぬまで頭上で輝き続ける星だ。


 歳も同じ。家の格も近い。

 望むと望むまいと、わたくしが天堂星音と比較されることは、生まれた時からの必然だった。


 女神の如き気品を兼ね備えた容姿。叡智を秘めた頭脳に、天賦の身体能力。

 世界を変えるほどの才能を生まれ持ちながら、努力も怠らない。

 欠点という欠点が見当たらない、完璧完全という概念の化身。


 人の身では決して届かない、天の星。

 それが天堂星音。


 かくいうわたくしも、天堂星音を見上げる者だった。

 見上げては手を伸ばし、その手は虚しく空を切る。

 そしてまた見上げて、わたくしは手を伸ばし続けた。


 虚空を掻きむしる度に、嘲笑の声が聞こえた気がした。

 誰かが憐む音がした。無理をするなと、諭される声がした。

 それを振りほどき、手を伸ばし、そしてまた何度も敗れ続け、幾度も敗北し、敗北感を抱いて。星の光が放つ熱に、嫉妬と劣等感に身を焦がして。


 絶望したこともあった。

 彼女には何をしても勝てない。

 届かない。諦めてしまいたいと。


 そもそも、わたくしが一方的に挑戦しているだけで。

 諦めたところで誰も責めやしない。むしろ褒めてくれるだろう。

 よく頑張ったと、労ってくれるだろう。


 それでも――――星の光は、あまりにも美しく。

 妬む以上に憧れて。手を伸ばさずにはいられなかった。


 目元に雫を滲ませながら、疎ましい星の輝きを睨みつけて。

 なけなしの才能を抱きかかえながら、惜しまぬ努力を後生大事に抱えて。

 何度も何度も虚空を掻きむしりながら、手を伸ばすことをやめられない。


 それぐらい、天堂星音という人間からは目を離せない。

 わたくしの人生から、離れてくれない。


 そして――――わたくしは知った。


 天堂星音が、完璧ではないことを。

 完璧なんてものはただの一側面でしかなく、ただの不完全な少女だったことを。


 恋に右往左往する姿に、勝手に肩ひじを張って対抗しようとしていた自分がバカバカしくなって。同時に、気づいた。


 自分自身が、星を遠ざけていたことに。

 星が浮かぶ天は、わたくしが思っている以上に近くにあって。

 手を伸ばしながら、星を遠くに押し出していた。


 完璧完全だけではない。無駄使いの化身が如き不完全。

 オーバースペックを持つだけの、ただの恋する一人の乙女。

 それが天堂星音という、人間なのに。


 きっとわたくしは、いつしか星を見上げることに疲れて傷つき始めていて。


 あれは遠い存在だから仕方がない。

 勝てなくても仕方がない。

 だから傷つく必要はない。


 そうやって相手を彼方へと遠ざけることで、傷つく自分の心を守っていた。


 ――――影人の幸せを考えれば、そうするべきなのよ。


 彼女のその言葉を聞いた時、正直なことを言えば……動揺した。


(何をしているの、天堂星音)


 彼女がしていたことは、かつてのわたくしと同じだ。

 自ら影人様を遠くへと押しやって、自分の心を守ったのだ。

 わたくしと同じ過ちを、天堂星音も犯していた。


(なぜあなたが、そんなことをしていますの?)


 だから、目を背けた。

 これ以上は見ていられなかった。

 ここまでくすんでしまった星の光を、見たくは無かった。


 (わたくしが焦がれた輝きは、そんなものじゃないでしょう?)


 真に彼女を思うなら。わたくしはきっと、その場で声をかけてやるべきだった。

 彼女の手を取り、引っ張り上げて、頬をはたいてやるべきだった。

 目を覚ましないと、言ってやるべきだった。


 でも、そうしなかった。

 わたくしは中途半端な言葉だけを残して、彼女の元から去った。


 肝心なところで一歩が踏み出せなかった。

 踏み出す自信を絞り出せなかった。

 自分にそんな資格があるとは思えなかった。


 ――――自分に、自信が無かった。


 見上げていた星は、いつしか同じ目線の友人となり。

 だけど困ったことに。その不完全さもまた彼女の魅力として映って。

 同じ場所に立っていながらも、わたくしはこれまで以上に、彼女の輝きに心を奪われてしまっていた。

 彼女の輝きが魅力的であればあるほど、自分がその友であることへの自信がなくなっていた。

 だから、踏み出せなかった。肝心なところで、堂々と友としての言葉を投げかけることができなかった。


 自分の心を守るために、再び彼女を遠ざけた。


 それからしばらくした頃――――乙葉さんから連絡を受けた。


 天堂星音を立ち直らせたい。

 そういった内容の相談と、協力の持ちかけだった。


「活動復帰ですか。別にそこまでしなくとも、歌を届けるだけなら他に方法があるのでは?」


「……半端はしたくない。わたしの全てを捧げるぐらい本気にならないと、きっと今の星音には届かないから」


「あなたがそうしたいなら、構いませんが……どうしてそこまでするのです?」


「……だって。海羽も、星音も、わたしの大切な友達だから」


 あまりにも単純で、あまりにも素朴な理由。

 だけど彼女は、胸を張って堂々と、その言葉を口にした。


(友達……)


 天堂星音の友達と言い切れる彼女が、眩しく映った。

 だけどわたくしは未だに、彼女のように『天堂星音の友達』と自信を持って言い切ることが出来なかった。


 世界的にも有名な『歌姫』。トップシンガーのような才能があるわけでもない。

 わたくし自身は、優秀ではあるかもしれないけれど、天才ではない。

 自分で自分の存在を後ろめたくしていた。


「…………っ」


 後ろめたかった。

 自信を持って友達と言い切れない自分が。


「……海羽にとっては、違うの?」


「わたくしは……」


 わたくしは一度、逃げた。天堂星音から目を背けた。

 逃げた、という自覚があった。そして今、予感があった。


 またここで逃げ出してしまえば、わたくしはきっと――――二人のことを友達と呼べなくなると。


「わたくしはっ……!」


 二人のことを友達と呼べなくなった自分を想像して。

 それがたまらなく、嫌だった――――。




『……乙葉の復帰を早められたのは、裏であなたの家が関与してたおかげかしら? 海羽』


「ええ。まあ。ここ最近のあなたの顔が、見るに堪えないほど腑抜けていたので」


『好き放題、言ってくれるじゃない』


 腑抜けていた自覚はあるのだろう。珍しく、彼女の歯切れは悪い。


「先ほどの歌を聴けば、語らずとも分かるでしょう?」


『…………』


 スマホ越しの天堂星音は口を閉ざしている。

 それでも『分からない』と、はぐらかすことだけはしなかった。

 世界の歌姫が、たった一人に捧げた絶唱。

 心に深く刺さり抉った歌に対し、嘘だけはつかない。

 いくらでも嘘をついてはぐらかせることだけど、それだけはしない。


 天堂星音は、そういう人だ。

 わたくしがよく分かっている。

 誰よりも天堂星音に焦がれ憧れたわたくしは、知っている。


「星音さん。あなたは、寂しいのでしょう? 影人様に、行ってほしくは無かったのでしょう?」


『……………………』


 天堂星音は答えない。

 口を開けば、溢れ出してしまうと自分でも分かっているからだろう。

 それをこじ開けるのが、わたくしの役目だ。


「……あなたは、自分を守ろうとしたのでしょう?」


 痛いところを突いてやる。

 それを突かれたくないことは、わたくしが一番よく知っている。

 あなたよりも深く、知っている。


「影人様の口から、家族を選ぶ言葉を聞きたくなかったから」


 今の彼女は、わたくしと同じだ。


「天堂星音よりも家族を選ぶと、影人様の口から聞きたくなかっただけでしょう?」


 わたくしは天堂星音の才能に傷つくことを恐れて、自ら彼女を遠ざけた。

 遠いものだと決めつけて、心を避難させた。

 遠くに押しやった方が、傷つかずに済むから。


「自分が傷つく前に、自分の心を守ろうとした。だから、影人様の気持ちを聞く前に、自分から手放した。そうでしょう?」


『――――っ……それが、何よ』


 しばらくの間を置いて。ゆるりと、声を震わせる。


『実際、その方がいいじゃない。生き別れの妹と再会して、一緒に暮らせるなら。そっちの方が、いいに決まってるでしょ?』


 きっと、今の彼女はこう考えている。


 影人様の幸せを奪いたくない。

 影人様から選択肢を取り上げたくない。

 自分が、原因になりたくない。影人様の足を引っ張りたくない。


 ……ええ。理解できますとも。

 わたくしだって、そうでしたから。


 あなたの友人であることに自信が持てず、自分自身の存在が後ろめたいと思っていた、わたくしには、分かります。


『寂しいから私の傍にいてって言えばいいの? それこそただのワガママよ。私はワガママ言って、影人の幸せを奪いたくないの』


「そのワガママを言いなさい」


『……っ。はっ……なに、を』


「ワガママを貫くのが、いつものあなたでしょう」


 わたくしの知る天堂星音は、自分の存在を後ろめたいなんて思わない。

 自分の心を守るために、自ら大切な人を手放したりはしない。

 それはわたくしがやるようなことで。

 あなたはわたくしよりもずっと、美しい輝きを放つ人。


「しっかりなさい、天堂星音!」


『――――っ……!』


「そんな腑抜けたあなたでいることは、このわたくしが許しません!」


『な、なんであんたの許可が必要なのよ!?』


「当然です! あなたがそうさせたのですから!」


『なんの話!?』


 散々、わたくしの人生で輝き続けておきながら。

 わたくしの眼を、心を、奪っておきながら。

 わたくしの憧れになっていながら。


「影人様を拾ったのは、あなたでしょう。影人様の主となったのは、あなたでしょう。だったら、きちんと主としての責任を取りなさい」


 そんな腑抜けでいることは許さない。


「それで傷つくことになるとしても、真正面から傷つきなさい。そうでなければ……影人様が、あまりにも気の毒です」


『――――っ……!』


 今は記憶を失くしていても。

 影人様はずっと、天堂星音に忠実だった。

 彼女のことを心から尊敬し、尽くしていた。


 それなのに。こんな別れ方では、あんまりじゃないか。


『……そんなこと、言ったって。影人は、もう…………』


「そうですか。まだそんな腑抜けたことを言いますか。でしたら、わたくしにも考えがあります」


『考え?』


 結局のところ。

 天堂星音に一番効くのはやはり、これだろう。


「わたくし、影人様に告白しようと思います」


『は?』


「ちなみに今、影人様を呼び出しておりますし、すぐに乙葉さんも合流して彼女も告白するそうです」


『は??』


「あなたが初めて影人様を拾った場所です。ここで影人様に告白して、あなたとの思い出を、わたくしとの甘い恋物語に上書きしてあげましょう」


『はァ!?』


「それではさようなら。負け犬あらため、負け猫さん」


『はぁああああああああああああああああああ!?』


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