第8話 建築されていくフラグ

 看板だったり大型ビジョンだったり、街のあちこちに羽搏乙葉はばたきおとはの顔が映っている。

 その歌姫様本人が今こうして隣を歩いているというのも不思議な感覚だ。


「本当に歌姫さんなんですね」


「……疑ってたの?」


「ははは。すみません。いくらなんでも屋上から歌姫様が落ちてくるとは思いませんでしたから」


 空から降ってきた女の子を受け止めることはたまにあるけど、歌姫が降ってきたのは初めてのパターンだった。


「ところで、羽搏さんはなぜ家出されているのでしょう?」


「…………反抗期?」


「なぜ疑問形に……」


「……自分でも分からないから」


 そういうものなのだろうか。俺は親に捨てられてからは反抗期というものになり損ねたので、反抗期についてはよく分からない。


「なるほど。ところで羽搏さん」


「なに?」


「さきほどから同じところをぐるぐると回ってることにお気づきですか?」


「……………………」


 どうやら気づいてなかったらしい。

 今俺たちがいるこの噴水のある広場は、十分ほど前に通りかかったばかりだ。


「もしかして方向音痴ですか?」


「……ちがう。方向に対する感覚が少し個性的なだけ」


「なるほど。つまり方向音痴なのですね」


「……ちがう」


 表情の変化に乏しいから分かりづらいが、拗ねてるな。

 というかこの歌姫様、家出には致命的に向いてないぞ。


「自分で言うのもなんですが、同行して正解でしたね。危なっかしくてとても一人にはできません。面倒を見ている人の苦労が分かりますよ」


「…………君、意外と容赦ないね」


「そうでしょうか?」


 お嬢が他者に対してハッキリと物を申される方だから、それがうつったのかもしれない。


「手加減がお望みなら、そうしますが」


「……別にいい。わたしに対してハッキリ言う人って、あまりいないから。ちょっと新鮮」


「そうなんですか?」


「……うん。わたしが歌わないと困るから、機嫌をとったり、顔色を窺ったりする人ばかりなの……同じぐらい陰口も聞くけどね。『何を考えているのか分からない』とか、『笑わなくて不気味だ』とか。そういうの」


「なんだ。それは周りの人が鈍いだけですよ」


「えっ……?」


 俺の発した一言に、羽搏さんは帽子の下で目を丸くする。


「確かに表面的にはクールな方ですが、羽搏さんは意外と分かりやすいですよ。……少なくとも、幼い頃のお嬢よりはよっぽど分かりやすいです」


 幼い頃のお嬢は、ワガママでお転婆なように見えても、本当の気持ちを奥底に押し留めるところがあった。誕生日に旦那様と奥様が急な仕事で帰ってこれなかった時も、周りには平気そうに振る舞っていたのに、一人で泣きじゃくっていたりもして。

 あの頃のお嬢に比べれば、羽搏さんはまだ分かりやすい。


「……そうなの?」


「ええ。普通に驚いたり、笑ったり、拗ねたり。俺からすれば、とても素直な方ですよ」


「……そんなこと、はじめて言われた」


「今までよほど鈍い人ばかり周りにいたんですね」


「……ふふっ。そうかも」


 その起伏の乏しい表情に、微かに笑みが零れる。


「ほら、今も笑ってる」


「…………あ」


 自分でも驚いているのか、羽搏さんは、はっとしたような反応を見せる。


「不思議……普段は、あまり笑わないのに……」


「広告に映ってるクールな表情も素敵ですが、その雪の華のように儚くも柔らかい笑みも魅力的ですよ。……もしかすると、普段からそういう顔をもっと周りの人に見せてあげればいいのかもしれませんね。そうすればきっと、陰口なんかすぐに消えてしまいますよ」


「……………………」


 なぜかまじまじと俺の眼を見つめてくる羽搏さん。

 ……何か気に障ることでも言ってしまったのだろうか。


「……そういえば君、名前は?」


「申し遅れました。夜霧影人やぎりえいとと申します」


「……影人えいとって呼んでいい?」


「構いませんよ」


 どうやら気に障ることを言ってしまったわけではないらしい。

 内心でほっとしていると、


「わたしのことも、乙葉おとはでいい」


「分かりました。では、乙葉おとはさんで」


「……うん。それでいい」


 乙葉さんはどこか満足げに頷くと、俺の手を掴む。


「……いこ。影人えいと。家出の続き」


「また同じところをぐるぐると回り続けるのは勘弁してほしいのですが」


「じゃあ、影人えいとがわたしを連れていって。その方が楽しそう」


「休日を持て余していた身なので、楽しませてあげられるか自信はありませんが……分かりました。俺なりに頑張ってみます」


「……期待してる」


     ☆


 街中を車で見て回っているが、一向に影人えいとの姿が見当たらない。

 冷静になって考えてみれば当たり前だ。がむしゃらに探したところでこの広大な街にいるたった一人の人間を見つけ出すことなんて難しいに決まっている。


 何か手掛かりが欲しいところだけど……残念ながらそれもない。スマホは電源を切っているのか繋がらないし。


 ……いや。まだ諦めるのは早い。

 手がかりがないなら仮説を立てればいい。


 あの影人えいとと連絡がつかないなんてことは滅多にない。天堂家絡みの仕事で連絡が繋がらなくなる時は事前に教えてくれるし。

 だとすれば、予期せぬトラブルに巻き込まれたのだとしよう。

 そのトラブルとは何か?

 荒事の可能性は低い。街をざっと見回ってるけどその兆候はないからだ。

 だとすれば…………考えたくはないけど一番可能性があるとしたら、女の子絡みね。これに関しては私の勘だけど、私の勘が外れたことはない。

 手がかりがない以上、勘という不確かなものに頼るのはこの際、仕方がない。


 仮に女の子絡みのトラブルだとして……やっぱりあの歌姫様だろう。考えたくはなかったけど。


 これまでの前例パターンと私の勘を組み合わせた推測を立てるとしたら、『上から降ってきた羽搏乙葉を影人えいとが受け止めたことをきっかけに一緒に行動することになった』といったところだろうか。


 これまでも何回かあったしね……影人えいとが、上から降ってきた女の子を受け止めたこと。


 嫌な予感を抱いていると、スマホに連絡が入った。風見からだ。


『うぃーっす。ウチと天堂のツテを使って調べてみましたよ、羽搏乙葉はばたきおとはのこと』


「どうだったの?」


『ここだけの話、泊ってるホテルから脱走したらしいっすね』


「…………それ、いつの話?」


『今朝の話』


「………………………………」


 思わず頭を抱えた。


『しかも聞いたところによると、逃げ込んだ先のビルの屋上からロープを伝って降りようとした形跡があって……』


「そのロープ、古いやつでしょ。それで、途中で千切れてたりしてるんじゃない?」


『えっ。なんで分かったんスか?』


「…………何となくね。そんな気がしたのよ。経験ってやつね」


 私の勘が当たってしまった。今回ばかりは当たってほしくなかったけど。


「その千切れたロープのあったビル、どこか分かる? まずは現場に行って痕跡を辿りたいの」


『分かりますけど……なんか、めちゃくちゃ焦ってません?』


「当たり前でしょ。こうしている間にも、フラグが建築されてるに決まってるんだから……!」


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