第7話 歌姫との邂逅
「暇だ…………」
俺はお嬢から貰うものはなんでも嬉しいが、唯一貰って困るものがある。
それが休日だ。
自分の時間を持ちたいと思ったことはあまりない。可能なら常日頃からお嬢の傍に仕えていたいとすら思っているのだが、そのお嬢本人はなぜか普通に休みを与えたがる。
きっと、俺が普通に休みとをとらないと他の使用人たちが休みにくいということを考慮なさっているのだろう。お嬢の深いお考えは分からないでもないが、俺としては休日を持て余しがちというのが現実だ。
屋敷の中にいると仕事をしてしまうので、ついには車に叩き込まれたあと街まで放り出されてしまった。
「にゃあお」
あてもなく街をふらついていると、愛らしい鳴き声が耳に入ってきた。
見てみると、建物の隙間から見える薄暗い路地裏で一匹の猫が丸まっている。
「なんだ。構ってほしいのか?」
「にゃおん」
猫はあくびをすると、そのままトテトテと路地裏の奥へと去っていく。
……この気まぐれのような部分を見ていると、どことなくお嬢を思い出すな。
どうせあてもなければやることもない。あの猫を追いかけてみよう。
「にゃん」
「あっ」
猫は軽やかに駆けてゆくと、狭い隙間へするりと身体を滑りこませてしまった。
さすがにあそこまでは追えないな。残念だ。
「…………で、ここどこだ」
猫を追いかけていたら、路地裏の奥の奥まで入り込んでしまったらしい。
まあいいか。てきとうにぶらついてればいつか外に出れるだろう。
「――――っ……! どいて……!」
「えっ?」
声がしたのは真上から。人型のシルエットが文字通り落ちてくる。
俺は、ほぼ反射的に腕を差し出し、落下してくる謎のシルエットを受け止めた。
「わぷっ……!」
一瞬、頭を過ぎったのは先日の『人生ゲーム(仮)』。お嬢をお姫様だっこした時の記憶だ。
あの時と同じように、俺の両腕には驚くほど軽い少女が収まっている。
帽子をかぶっているので素顔は分からないが……見たところ、俺と同い年ぐらいだろうか。
「っと……大丈夫ですか?」
ひとまず両腕で抱きかかえていた少女を床に下ろす。
少女は僅かにふらつきながらも、なんとか両の足を床につけて立つことが出来た。
「……だいじょうぶ」
少女の無事を確認した後で見上げてみると、屋上から垂れ下がったロープが見える。恐らく手すりか何かに結んで、それを伝って降りてこようとしたのだろう。
「……そっちこそ、だいじょうぶ? 腕は…………」
「お気になさらず。衝撃は全て地面に逃がしましたから」
「……そんなことできるの?」
「お嬢に仕える者としてこれぐらい出来て当然です」
「…………」
目の前の帽子の少女の
「……ふふっ」
だがすぐに吹き出し、そのまま僅かにではあるが笑いが零れていく。
「……なにそれ。ふふっ」
「笑われるような話をした覚えはないのですが……」
「……ごめん。ちょっと、面白かっただけ」
「まあ、構いませんが……ところで、あなたは一体何者なんです?」
「…………」
彼女が言の葉を紡ぐよりも先に、強烈な突風が吹きすさぶ。突然の風に帽子がふわりと宙を舞い、零れる髪と共に少女の素顔が露わになった。
背中にかかるほどの長い髪。どこか新雪を彷彿とさせる白い肌。
儚げでクールな印象を抱く顔と、その華奢な身体はどこか雪の花を連想させた。
そしてその素顔は、宙を舞う帽子の先に映る巨大な看板――――『歌姫』として名高い少女のものと瓜二つ。いや、まったく同じだ。
「その顔……確か名前は…………」
「……
その口ぶりはどこか観念したようでもあって、同時に彼女が本物の『歌姫』である証拠でもあった。
「……よろしく」
「はあ……よろしくお願いします」
思わず挨拶してしまった。対して少女……『歌姫』こと羽搏乙葉は落ちた帽子を拾うと、また目深に被った。
「羽搏さん。あなたはどうしてあんな屋上から降ってきたんですか?」
「……今は、逃走中だから」
イマイチ要領を得ないな。恐らくホテルかどこかから脱走して、スタッフか何かに追いかけられている……といったところだろうか。
「そうですか。じゃあ、早く戻った方がいいですよ。また落下する前に」
「……それは出来ない」
「なぜですか?」
「……わたし、家出中だから」
「家出中ですか」
だったらますます帰った方がいいだろうに。
「……助けてくれてありがとう」
「どこに行かれるんですか」
「……分からない。とにかく、逃げるだけ」
そのままスタスタと何事もなかったかのように歩いていく羽搏乙葉。
ここでその後ろ姿を見送るのは簡単だ。けれど逃げる為に屋上からあんな頼りないロープを伝って降りようとする……言ってしまえば、無茶をやらかす娘だ。
それを見て、知って、出会ってしまって。
心配や懸念を抱いたまま見てみぬふりをするなんて……お嬢に仕える者として正しい振る舞いではないだろう。
俺のような捨て子がお嬢の傍に居る為には、やはり相応の人間として振る舞わねば。
「お待ちください」
「……なに?」
「心配なのでお供させてください。あなたが無事、お家に帰るまで」
「……あなた、物好きだね」
「そんなことありません。俺はただ、お嬢に仕える者として相応しい振る舞いをするように心がけてるだけですから」
「…………」
羽搏乙葉は少しの間だけ沈黙すると、
「……わかった。いいよ」
頷きと共に、家出に同行してくれることを許可した。
――――♪♪♪
ポケットの中のスマホから着信音が鳴り響く。
画面を見てみると、お嬢からのものであることが示されているものの、
「……だめ」
羽搏乙葉は俺のスマホを取り上げるや否や、すぐに着信を切る。
「あっ」
「……一緒に来るのはいいけど、他の人に連絡をとるのはだめ」
「随分と警戒してるんですね」
「……面倒事は避けたいから」
俺が色々と喋るとでも思ったのだろうか。それとも彼女を追いかけてくる何者かのことを考慮してか。……仕方がない。あんな頼りないロープで屋上から降りようとする危なっかしい『歌姫様』を放置しておくのも問題だし、ここは従っておこう。
(申し訳ありません、お嬢。あとで説明します)
心の中でお嬢に詫びると、俺はスマホの電源を切ってポケットの中にしまう。
「これでいいですか」
「……ん」
満足げに頷いた羽搏乙葉は、そのままスタスタと淀みない足取りで路地裏を後にすべく歩き出し、俺はその後をついていくのだった。
☆
「……ねぇ。
『いや、オレからもかけてみましたけどダメっスね。電源切ってるみたいです』
「うぅ~……! なんか物凄く、ものすごーく嫌な予感がするんだけど……!」
『天堂さんの勘は当たりますからねぇ……』
今回ばかりはその勘は外れてほしい。
だけど同時に、的中していることも何となく分かってしまう。
「ああ、もうっ。
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