第10話 羽搏乙葉
わたし――――
多くの思い出を作る前に亡くなってしまったからなのだけれど、それでも綺麗な歌声だけは覚えていて、いつも難しい顔をしている堅物のお父さんの顔も緩ませる……わたしにとってお母さんの歌は、魔法の歌だった。
ただしそれもお母さんが亡くなるまでの話で、あの頃のお父さんは泣いてばかりだった気がする。
わたしが歌ったのは、そんなお父さんの悲しみを癒したかったから。
お母さんみたいな魔法の歌をうたえるようになりたかったからだ。
歌は手段であり道具でしかなく、それ以上でもそれ以下でもないもの。『歌姫』なんて呼ばれるようになったのも、お母さんみたいな魔法の歌を追求していくうちにたまたまそうなっただけのことだ。別に望んだわけでもない。
お父さんが元気になってくれるのなら、わたしのことなんてどうでもいい。
「ったく……あの歌姫様、何を考えているのかぜんぜん分からねぇよ。機嫌をとらされてるこっちの身にもなれよな……」
――――だから、陰で何を言われても平気。
「ちっとも笑わないし、不気味だよなぁ……まるで、お歌のロボットじゃないか」
――――だから、独りになっても平気。
「お前はもう歌うな」
――――だけど、お父さんはわたしの歌を否定した。
「お前の歌など聞きたくもない」
お父さんは、わたしに背中を向けたまま、目を一切合わせることなくわたしの歌を否定し、拒絶した。
その時は何とも思わなかった。いや、何とも思わないふりをしていた。
普通に仕事に行って、普通に歌おうとして。
「――――っ……ぁ……?」
わたしは歌えなくなった。
普通に会話は出来る。喋ることも出来る。歌おうとすると声が出ない。
医者からは精神的なものだと言われたけれど原因なんて思い浮かばなくて。
でも歌うことは出来ないから、活動は休止することになった。
今思うと……ショックだったんだと思う。お父さんから否定されたことがショックでたまらなかったんだと思う。
家出なんてしたのも、最初は衝動的なものだけど、今ならお父さんに見てほしかったからだと分かる。一切目を合わせず、背中を向けたままわたしのお父さんに、ちゃんとわたしを見てほしいと思った。
それを見抜いて、教えてくれたのは……
偶然出会った彼は不思議な男の子だ。
わたしを『歌姫』としてではなく『
遠慮が無くて、ご機嫌取りなんてこともしなくて、わたしの中にある気持ちに気づかせてくれた。自分でも気づかなかった気持ちを優しく形にしてくれた。
「…………お父さん」
家出から戻って、こうしてお父さんと向き合うことが出来たのも……
「わたしは、歌が好き。歌うことが好き。……だからこれからも歌いたい。お父さんのためだけじゃなくて、自分のためにも」
家出から戻ってきたわたしの言葉を、お父さんは黙って聞いていて。
「…………お前が歌うのは、過去に囚われているからだと思っていた。お前にとって歌とは、過去の象徴だと思っていた」
だけど。
「私が不甲斐ないばかりに、お前を過去に縛り付けてしまった。お前を孤独にしてしまったのだと……もう『歌』という『過去』には縛られず、未来に進んでほしいと……そう思っていたのだがな……」
今度のお父さんは、わたしの目をちゃんと見てくれて。
「…………どうやら過去に囚われていたのは、私の方だったようだ。お前はとっくに、未来へと目を向けていたのにな……すまない。お前を無駄に追い詰めてしまった」
「……大丈夫。今なら分かるから。お父さんの気持ちが」
歌うなと言ったのは、わたしに未来へと進んでほしいというお父さんなりの願いの現れだった。あの時、背を向けていたのはきっと……お父さんも辛かったんだ。
(…………ありがとう。
心の中で、ある男の子の姿を思い浮かべながら。
わたしは胸の中に生まれていた温かい気持ちを、そっと抱きしめた。
☆
「休み明けだっていうのに、あんまり休んだ気がしないわね……」
休日に勃発した歌姫様の騒動も無事に解決し、無事に平日を迎えることが出来た。
だけど私の心は休み前よりも疲れている……ような気がする。
「お嬢。体調がすぐれないようでしたら、今からでもお休みなられては……車ならすぐに手配いたしますが」
「大丈夫よ。どちらかというと、身体より心の問題だから」
「?」
当の
何しろ相手は活動休止中とはいえ有名な『歌姫』様だ。
ただただ「遅かった……!」という気持ちだけが今も胸中に渦巻いている。むしろあの時あの場で膝をつかなかっただけ、私は偉いとすら思う。
……でも、歌姫様はもう家に帰った。確かに歌姫様は
「とにかく、私は大丈夫だから」
「そうですか。……でも、無理はしないでくださいね」
「ええ。ありがとう」
ホームルームを知らせるチャイムが鳴り、みんなが慌ただしく席に着こうと動き出したタイミングで教室に先生が入ってきた。
「ほらほら、みんなさっさと席につけー。今日は転入生を紹介するからなー」
その先生の一言で、教室が俄かに活気づく。
転入生というのは学園生活においてレアなイベントだ。騒がしくなるのも無理はない…………だけど私は、とても嫌な予感していた。そして私の場合、予感は的中する方だ。
「入っていいぞー」
先生の呼びかけに従うように教室のドアが開かれ、入ってきた一人の少女に教室中の生徒が激しくざわめき始める。
揺れる長い銀色の髪。雪の華を思わせるクールな横顔。
テレビやSNS、広告などで今や彼女を見ない日はない。
「……羽搏乙葉です。よろしくお願いします」
(そんなのあり!?)
私が思わず机に突っ伏したのは、もはや言うまでもない。
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