第48話 真っ白

 嵐山様とのわだかまりも解け、海羽さんは無事にトラウマを克服した。

 精神的な問題が解決した海羽さんはあっという間に泳げるようになり、五日以内に海羽さんを泳げるようにするという嵐山様からのお題もクリアすることができた。


「認めよう」


 その日の夜。俺を海辺に呼び出した嵐山様は、そう言って話題を切り出した。


「夜霧影人。君は海羽の友人として相応しい」


「ありがとうございます。……ですが、よろしいのですか? 俺は海羽さんのお役には立てませんでした。むしろ友人として認められなくても仕方がないかと思います」


「いや。君はよくやってくれた。……それどころか感謝しているぐらいだとも。認めよう、という言い方は傲慢だがな。一応、私は君に課題を出していた立場だ。許してくれ」


「一度口に出した言葉はそう簡単に変えてはなりません。四元院家の次期当主ならば猶更です」


「そう言ってくれると助かる」


 うちのお嬢は一度口に出した言葉を簡単に変えまくってる気がしなくもないけど、考えないようにしよう。そういう破天荒なところがあの方の魅力だ。


「ここからは四元院家次期当主ではなく、四元院嵐山個人として話す」


 夜の海を眺める嵐山様の顔は、とても穏やかなものになっていた。


「すまなかった。君には無礼な態度をとってしまっていたな」


「気にしていませんよ。むしろ可愛い妹に近づく男がいれば、仕方のないことです」


 嵐山様は、海羽さんを妹として大切にされているお方だ。

 内心では穏やかではなかっただろう。だからこそ、あんなあからさまな安い挑発にも乗ってきたんだ。


「君には本当に感謝している。君がいなければ、私はずっと間違え続けていた」


「確かに、少し間違えていた部分があったのかもしれませんが、俺はあなたの全てが間違っていたとは思っていません」


「なぜそうと言い切れる?」


「海羽さんの笑顔を見れば分かります」


 もしも嵐山様が本当に全てを間違えていたのなら、海羽さんは笑えていなかったはずだ。

 わだかまりが解けることもなかった。憎しみの渦に溺れていたって不思議ではない。兄妹が手を取り、泳ぎの練習に励むなんてこともできなかっただろう。


 だけど海羽さんは手を差し伸べ、兄妹は互いの手を掴んだ。今度こそ決して手放さなかった。そうなったのは、海羽さんが嵐山様のことを心から憎んではいなかったからだ。


「……敵わないな。君には」


「もったいなきお言葉です」


 月明かりに照らされた海はとても幻想的で、今にも消えてしまいそうで。そんな儚さに思わず目が引き寄せられる。

 静かな波の音が場を満たした後、嵐山様は手を差し出してきた。今、この場にいるのは『四元院家次期当主』ではなく、『四元院嵐山』という一人の人間。彼から差し出された手に応え、握手を交わす。


「夜霧影人。私は君への感謝を生涯忘れない。これから先、何かあれば君の力となることを約束しよう」


「海羽さんの一件は俺だけの力じゃありません。雪道、お嬢、乙葉さん。そして海羽さん本人の努力と心が為したものです」


 そう返すと、嵐山様は苦笑した。


「分かった、そのことも胸の内に刻んでおこう」


「ありがとうございます」


 俺だけの手柄と思われてしまうのは避けたかった。むしろ俺だけでは何もできなかっただろう。


「まったく……謙虚というか、欲がないというか……心配になるぞ」


「そうですか?」


「ああ。守ってやりたくなる」


 心なしか、言葉に熱がこもっているような……。

 海羽さんのこともそうだけど、嵐山様って根が過保護な方なのかな。


「俺はどちらかというと、守る側なのですが……」


「守る側が守られる側になることもあるだろう」


 ……嬉しいな。嵐山様ほどの方にこうやって目をかけてもらえるのは。

 これまで積み重ねてきた努力が間違ってはいなかったのだと思える。


「どうだ、いっそ海羽と結婚して四元院家の婿にならないか。私も歓迎する。君が義弟になるならばこれ以上の喜びはない」


「嬉しいお誘いですが、俺の命はその一片、塵の一つに至るまで、お嬢のために使うと決めています。……それに何よりも、海羽さんは俺にはもったいないほど魅力的な人ですし、彼女の気持ちもありますから」


 嵐山様からここまで言ってもらえるのは嬉しいが、俺は海羽さんの友人でもある。

 海羽さんには、彼女が心から好いている人と結ばれてほしい。無論、四元院家ほどの名家ともなれば恋愛結婚が必ずできるという保証はないが、それでも友人として幸せを願うぐらいは許されてもいいだろう。


「海羽の気持ちは問題ないと思うのだが…………だが、まあ、そうだな。天堂家の番犬を引き抜いたとあっては私が天堂星音に恨まれてしまう。気が急いてしまったな」


 そう言うと、嵐山様は腕時計に視線を落とした。


「……すまない。そろそろ時間だ」


「次の予定ですか」


「ああ。名残惜しいがな。特に、これから妹と言葉を交わす時間を作らねばならん。そのためのスケジュール調整をするには、どうしても必要だ」


 これなら、きっともう大丈夫だ。海羽さんも、嵐山様も。


「さらばだ、夜霧影人。また会おう」


「ええ。また会いましょう。いってらっしゃいませ、嵐山様」


 去り行く次期当主の背中を見送って――――リゾート地での日々は幕を閉じた。


     ☆


「――――で、めでたしめでたし、と。ふーん? まあ、よかったじゃん? 丸く収まって」


 俺の報告をカフェで訊いていた雪道は、退屈そうに話をまとめた。

 リゾート地から帰ってきた後、今回の一件に協力してくれた雪道への報告とお礼を兼ねて遊びに誘ったのだが、肝心の報告を訊いても反応が薄い。


「なんだ、興味なさそうだな」


「そりゃそうだ。だいたい予想通りだったからな」


「予想通り? どこからどこまでが?」


「お前が協力してくれって連絡をよこしてきた時、だいたいの事情は聞いたろ。その時から丸く収まることはなんとなくわかってた」


「分かってた? なんでだよ。あの時点ではまだ、どう転ぶかは分からなかっただろ」


「理屈じゃない。言ってしまえば勘だね。お前なら何とかするって確信があったんだよ。オレの親友、夜霧影人ってのはそういうやつだ」


「…………そっか」


 うん。嬉しい。親友からそう言ってもらえるのは……格別に嬉しいな。


「しっかしまぁ、普通の高校生らしい生活がしたくてわざわざ一人暮らしまで始めたってのに、何の成果も得られてなくないか?」


「そこなんだよな……正直、焦ってるよ。経験を糧にして、自分を磨いて、お嬢に仕える者として更なる研鑽を……って思ってたのに」


 なんだかんだとお嬢離れが出来なかったな。

 このままだと俺はいつまでも進歩がないままだ。


「まァ、あれだな。普通の高校生なんてなろうと思ってなるもんじゃないしな。それにお前の場合、どうあがいたってなれっこなさそうだし」


「どうあがいたって、ってのは言いすぎじゃないか?」


「そうか? でも、全部まっ白にして一から始めるぐらいしないと無理だと思うけどなぁ」


「全部真っ白にして一からって、それこそどうやるんだよ」


 難しい。普通の高校生らしいことを求めて色々やってみたけど、結局どれもしっくりこなかった。


「普通……普通かぁ……普通って、どうすればなれるんだろうな」


 夏休み中、常に俺の頭を悩ませていた、未解決の課題。

 それが解決できぬまま日々が過ぎ去っていったが――――まさかあんな方法で、解決することになるとは。


 この時の俺は、想像もしていなかった。


     ☆


 心臓が冷たい。鼓動が早い。

 今まで生きてきて、ここまで必死に走った瞬間はないかもしれない。

 一秒でも一歩でも早く、ただ早く、前に進む。


 ――――天堂家の任務中に影人が負傷した。


 天堂家の使用人である及川真紀おいかわまきからその連絡を受けた私は、すぐに屋敷の医務室へと駆け込んでいた。

 死んではいない。だから大丈夫。大丈夫と自分に言い聞かせる。


「影人っ!」


 医務室の扉を叩きつけるように開き、中に入る。


「…………………………………………」


 頭に包帯を巻いていた影人は上半身を起こした状態でベッドにいて、ぼーっと窓の外を眺めていた。その姿に安堵する。


「よか、ったぁ……」


 生きてた。頭に包帯を巻いているようだけど、それでも……生きてた。


「無事なのね。ああ、本当によかった……」


「見た目は大げさですが、怪我の方は大したことはないようです。命に別状もありません」


 真紀が淡々と説明してくれる。だけどどこか、ぎこちない感じ。何か隠してる?


「任務中に負傷したって話よね? 何があったの? どんな任務だったの?」


「天堂家を狙う某組織が開発した、新型無人兵器を研究施設ごと壊滅させる任務です。乗り込んだ時にはその試作機が完成していたらしく……」


「ま、まさかそこで新型無人兵器とやらに……?」


「それ自体は二秒でスクラップにしてました」


「二秒でスクラップ」


 どんなデタラメなことしてるのよ。真紀の反応を見るにそれが普通って顔してるけど、うちの使用人たちどう考えてもおかしくない?


「施設も完全に破壊し、データもオリジナルを含め全て消去することに成功したようです」


「そ、そう? 色々とツッコミ所はあるけど、任務自体は成功してるのね……じゃあ、どうして怪我を?」


「その後に、落ちていたバナナの皮に足を滑らせて頭を打ちました」


「そんな古典的なやつだったの!?」


 私の心配を返してほしい。いや、頭を打ったんだから大事なのは確かなんだけど。

 そもそも直前にしていたこととスケールが合ってなさすぎじゃない……?


「ただ、まあ……そのせいで厄介なことが起きてしまいまして……」


 言い淀む真紀。どうやら問題そのものは別に起きているらしい。


「厄介なことって?」


「それは、その……」


 視線を感じたのだろうか。窓の外を見ていた影人は、私の方を見て――――。


(……あれ?)


 小さな違和感。私が来たのに。こうやって目の前で話してるのに。

 影人はどうして、今になるまで一度も私を見なかったんだろう。

 そんな、抱いた小さな違和感の答えは、すぐに影人の方から示された。


「……もしかして、あなたが俺のご主人様だったりします?」


 ――――――――――――――――――――。


「あ、あれ? もしかして、違った……?」


 言葉が出なかった。そうやって固まっている私を見て、真紀は言いづらそうに真実を告げる。


「頭を打った時の衝撃が原因で……影人は、記憶喪失になってしまったようです」




――――――――――――――――――――――――――――――――――――

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