第5話 返り討ち

「次は『五』ね。五マス目は……【隣の人を十秒間抱きしめる】」


「あの……お嬢」


影人えいとの隣は……私ね」


「お嬢?」


「さ。私のことを抱きしめてちょうだい」


 お嬢はニコニコとした笑顔を浮かべ、両手を広げて抱きしめられる気満々だ。


「それは構わないのですが……」


「どうしたの?」


「やっぱりこの『人生ゲーム(仮)』、おかしくないですか……?」


「そうかしら。全然、まったく、これっぽっちもおかしくないと思うけど」


 まさに鉄壁の笑顔。俺の疑念などまったくのお構いなしだ。


「はやく、抱きしめて?」


「し、承知しました……」


 おかしい。やっぱりこの人生ゲーム、何かがおかしいぞ……!

 ゲームが始まってからしばらく経ったが、さっきから指令がこういうのばかりだ。

 今も校舎の外周から期間を果たしていない雪道ゆきみちを恨めしく思うも、その当の本人はここにはいない。……もうそれなりに時間が経ったと思うけど、一向に戻ってくる気配がない。


「では、失礼します」


「ん」


 両手を広げるお嬢をそのまま抱き寄せる。その華奢な身体はガラス細工のように美しくも繊細で、躊躇いが生まれてしまう。だが当のお嬢本人はそんな俺の躊躇いを見抜いているのだろうか。背中に手を回しながら、しっかりと抱きついている。


「……影人えいとも、昔に比べて逞しくなったのね」


「これでも鍛えてますからね」


「ふふっ。そうね。男の子らしくて……うん。素敵よ」


 果たして俺がお嬢を抱きしめてもいいのだろうかと思いつつも、本人はとても満足げだ。


「身長だってもうずいぶんと差をつけられちゃったわ」


「そりゃそうですよ。俺だってもう小さな子供じゃないんですから」


「ええ。そうね。小さな子供じゃないわね。お互いに・・・・


 ……今、心なしか『お互いに』という部分をやけに強調されたような。


「ねぇ、影人えいと。私だって成長してるのよ?」


「ええ。存じておりますよ」


「本当に意味が分かってる?」


「? はい」


影人えいとが身長とか、体格とか、色々と成長したみたいに、私だって成長してるの……影人は、どこだと思う? 私が成長したところ」


 もう十秒経った気がするんだけどな……。

 でも、お嬢は中々離れようとしてくれない。それどころか更に強く抱きしめて、全身を余すことなく押し付けてこようとしているような……?


「お嬢は日々成長されてますから、数え上げればキリがありませんが……」


「複雑に悩む必要はないわ。……感じたことを素直に口にすればいいの」


 ……感じたことを素直に、か。


「そうですね。やっぱり……」


「……やっぱり?」


 上目遣いになっているお嬢。その目は期待感に満ちており、キラキラと輝いている。


「他人に甘えられるようになったところですかね」


「……………………………………………………」


 お嬢の目から一瞬で光が消えた。


 ……あれ。俺の言いたいことがハッキリと伝わってないのだろうか。

 これは改めて、ちゃんと説明した方がいいな。


「お嬢は昔から確かに多才で努力家でしたが、その分、他人を素直に頼ることは不得手だと感じておりました。ですが今は、きちんと他者の手を借り、誰かに甘えることが出来ることになったと思います。……それは立派な成長だと、俺は思いますよ」


「そうじゃないでしょ!?」


「そうじゃないんですか!?」


 俺としてはお嬢が立派に成長した点を挙げてみたつもりなんだが、どうやら本人からすると不服極まりないらしい。


「ねぇ、影人えいと。あなたは今、私を抱きしめてるわよね?」


「そうですね。恐れ多いとは思っておりますが……」


「私をぎゅって抱きしめて、そこで素直に感じたことがあるでしょう?」


「ありますね」


「言ってみなさい」


「他人に甘えられるようになったなぁ、と」


「そこじゃない」


「そこじゃないんですか」


 分からない……俺にはもう何も分からない……!


「そういう精神的な話はしてないの。もっと即物的な話をしてるの」


「むしろお嬢はそれでいいのですか?」


「あなたがそれを言うの?」


 お嬢の笑顔に凄まじい圧を感じる。とりあえず俺が悪いということだけは分かる。


「精神的な部分がどうしようもないから即物的なところで攻めてるの」


「で、では……申し訳ありませんが、お嬢が成長した部分をご教授いただいても……?」


「おっぱいが大きくなったわ」


「お嬢!?」


 いや、確かに言われてみればとても豊満で柔らかい二つの感触はあるけど……!


「この前だってまた窮屈になって大変なんだから」


 ふふん、と誇らしげに胸をはるお嬢。一体何が窮屈になったのかは、敢えて聞かないでおこう。


「……はぁ。ダメですよ、お嬢。そういうことをみだりに口にしては。天堂家のご令嬢としての自覚を持ってください」


「そういう常識は要らないんだけど」


「いや、常識は必要でしょ……」


 ひとまず既に十秒は確実に経過しているので、お嬢を離す。

 雪道ゆきみちめ。お前が妙なゲームを作るから、お嬢がその場のノリにあてられて妙なことを口走るようになってしまったじゃないか。


「次はお嬢の番ですよ」


 とにかく、さっさとこのゲームを終わらせよう。幸いにもゲームは終盤に差し掛かっている。終わるまでそう時間はかからないだろう。色々とおかしな指令があるけど、バリエーションを出すにも苦労しているのかそんなにマス目が多くはないし。

 お嬢は不服そうにしながらもサイコロを転がし、八の目を出した。


「八マス目は……」


 これまで色々な指令を出されてきたが、流石にもうネタ切れだろう。

 恐らく雪道ゆきみちのやつもここらへんで集中力も尽きて軽いものを仕込んでいるはず……。


「【次の自分の番まで、使用人は主をお姫様抱っこする】」


「使用人は主をお姫様抱っこする!?」


 思わず我が目を疑ったものの、マス目にはハッキリしっかりと【次の自分の番まで、使用人は主をお姫様抱っこする】と書いてある。


「お嬢! 流石にこれはおかしいですよ!」


「どこが?」


「いや、だってこれ名指しじゃないですか!」


「気のせいよ」


「いったいどこが……?」


「だって、名前が書いてないでしょ」


「そ、それはそうですが……!」


 お嬢の顔は平静そのものだ。

 ……俺が……俺がおかしいのか…………!?


     ☆


 ……むぅ。やっぱり影人えいとは手強い。

 色々な指令を試してみたけれど、なかなか意識してくれない。

 成長した身体を押し付けてみたけれどそれすらも決定打にならない。……けっこう自信あったのに。


 でも、ゲームだってもう終盤。

 ここから一気に畳みかけて攻略してやるんだから……!


影人えいと。だっこして」


「……分かりました。実質名指しなのが気になりますが、これぐらいなら、まあ」


 しぶしぶといったていで、影人えいとは私を両腕で抱えてくれる。

 私の身体を軽々と持ち上げてしまうあたり力持ちだ。

 ……うん。さっきの話じゃないけど、影人えいとも成長してるんだ。

 さっき抱きしめてもらった時も筋肉のついた身体に内心だとドキドキしちゃったし、今だって、凛々しい顔つきとか、優しい手つきとか……。


(だ、だめだよ。今はだめ。今は、私が攻略する側なんだから)


 逆に私がドキドキしてたら本末転倒だ。


「お嬢、軽いですね」


「あら。お世辞が上手だこと」


「本心です。……軽すぎて、ちょっと不安なぐらいなんですから」


「じゃあ、飛んでいかないようにしっかりと抱きしめていなさい」


 口ではお世辞だと言ってみたものの……影人えいとから軽いと言われて嬉しくなっている自分がいる。しかも影人えいとだからこそ、お世辞じゃなくて本心だというのが嘘じゃないことも分かるだけに。


「あの、お嬢。これだと両手が塞がっててサイコロが振れないので、代わりに振ってくれませんか?」


「え、ええ。そうね」


 影人えいとの代わりにサイコロを振って出た目は『一』だ。

 一マス分だけ進めて、シールを剥がす。


「【隣の人の好きなところを十個挙げる】……つまり、お嬢の好きなところを十個挙げればいいんですよね?」


「そうみたいね。影人えいとに出来るかしら?」


「簡単ですよ」


「ふーん。じゃあ、言ってみなさい?」


「『努力家なところ』」


 私が促すと、影人えいとは一切の淀みなく言葉を紡ぎ始めた。


「『自分に素直なところ』」


 …………。


「『他人に甘えられるようになったところ』」


 ……………………待って。


「『他人の想いを大切に出来るところ』」


「あ、あの、影人えいと


「『自分に自信を持ってるところ』」


「ま、待ちなさい。ストップ。ちょっとストップ!」


「お嬢? どうされました?」


「いや……その…………」


 お姫様抱っこされてる状態だと、さっき抱きしめられた時よりもお互いの顔の距離が近い。体勢的に影人えいとに耳元で囁きかけられているようで……その状態で、こんなにもスラスラと好きなところを挙げられるのは………………想像以上に破壊力が高い。


「まだ五つ残ってますよ?」


「えっと…………も、もうちょっと他のことはないの?」


「他のこと?」


「そういう内面的な話じゃなくて、もっとこう……そう。即物的な、見た目の話よ」


「お嬢の魅力な見た目だけではありませんが……」


「こっちがもたないの。いいから、内面的な話は禁止。ここからは見た目だけにして」


「構いませんが……」


 見た目だけなら、普段から色んな人に言われ慣れてるし。

 表面的な話であれば、このお姫様抱っこ状態であっても破壊力を抑えられるだろう。


「金色の髪が綺麗です」


「そう。ありがと」


 ……うん。影人えいとに褒められるとやっぱり嬉しい。他の人から言われるのとは比べ物にならない。けれど、普段から言われ慣れてる分、なんとか最後まで耐えられそうだ。


「絹のように滑らかな手触りも素晴らしいですが、太陽の光が反射した時の美しさは幾度見惚れても足りません。朝食の際には差し込む朝日に照らされたお嬢の姿は、妖精……いや。女神の如き美しさだと――――」


「待ちなさい」


「お嬢? なぜ顔を手で覆っていらっしゃるのですか?」


「いいからちょっと待ちなさい」


 だめ。こんな顔、見せられない。だって、きっと……夕焼けでもごまかせないぐらい真っ赤になってると思うから。


「…………今の、なに?」


「見た目に限定して、お嬢の好きなところを挙げたつもりですが」


「…………お世辞は要らないわ」


「嘘偽りない、俺の本心です」


「…………そう」


 ああ、だめだ。分かってしまう。この純粋な微笑みが、何の嘘も偽りも述べていないことが。それだけに……質が悪い。


「髪のことはいいから……別のにして」


「では次にですが、その碧い瞳ですね。空のように透き通り、澄み渡る蒼は何度見ても、いつまで見ても飽きません。永久に眺めることも叶いましょう。眩い輝きを放つ海のようであり、宝石のような美しさでもあり、その価値は計り知れません。いや、値段を定めることすら無粋でしょう。世界中の宝石を全て集めたとしても、お嬢の瞳の美しさには決して敵うことはなく――――」


「私の負けよ」


 だめだ。こんなことをお姫様抱っこされた状態で、しかも耳元で囁かれ続けてたら、とても心臓がもたない。


(…………攻略するつもりが、返り討ちにあっちゃった)


 それから私はしばらくの間、まともに影人えいとの顔を見ることが出来なかった。


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