第22話 後攻・天堂星音②

「申し訳ありません。完売いたしました」


 お嬢が目星をつけていたというサンドイッチは、残念ながら売り切れてしまっていた。


「この屋台って他の場所にもありますよね? そこに売っていたりは……」


「そうですねぇ……ドラマの影響で勢いが凄くて、ここ最近は午前中のうちにどこも完売しているんですよ」


 そしてこのサンドイッチはエリア限定のものらしいので、今日のところは手に入れるのも難しいそうだ。


「残念でしたね。お嬢、ここは別のものを……」


「……………………………………………………」


 またお嬢の目から光が消えていた。


 しかもさっきに比べて絶望感のようなものが足されている気がする。

 おかしいな。この屋台に来るまでは勝利を確信したような機嫌の良さだったのに(何の勝利を確信していたのかは定かではないが)。


「私の……完璧な計画が…………」


 ただサンドイッチが買えなかったにしてはやけに落ち込んでいるな……そんなにも楽しみだったのかな。

 そういえばお嬢、このサンドイッチが出てきたあのドラマを熱心に見てたっけ。元から恋愛ドラマはノートにメモを書き込むほど熱心に見ているお方だったからな。それだけ今回のサンドイッチは楽しみにしていたし、買えなかったからこそショックも大きいのだろう。


「あ、あの、お嬢? サンドイッチなら、また俺が買ってきますから……」


「それじゃ意味ないのよ……」


 意味がない? どういうことだ?


 俺もあのドラマを見ていたが……サンドイッチそのものは普通のものだ。コンビニなどで売られているものよりは材料や味にもこだわって味も良いが、だからといって特別といえるほど特別でもない。


 ……何か見落としがあった? お嬢ほど熱心に見てはいなかったからな。不甲斐ない。帰ったら見返してみるか。


「…………いえ。まだ。まだよ!」


 どうやらショック状態から抜け出したらしいお嬢は目に力強い輝きを宿しながら、気を取り戻した。


影人えいと、移動するわよ」


「承知しました。お食事の方は……」


「移動しながら食べればいいわ。そのへんで何か買いましょう」


「お言葉ですが、歩きながら物を食べるというのは、天堂家の令嬢として如何なものかと……」


「天堂家? 令嬢? そんな何の役にも立たない肩書き、犬にでも食わせておきなさい」


「お嬢!?」


 流石にダメだろう。ドッグフードにしては高すぎる。逆に犬だって困るだろうし。


「いい、影人えいと。この世にはね、そんなどうでもいいことより、もっと大切なことがあるの」


「天堂家の名はどうでもよくはないと思うのですが……して、大切なこととは?」


「ドラマのロケ地よ」


「お嬢???」


 確かにドラマのロケ地も重要……だろう。実際、あのドラマの影響でいくつかのロケ地が盛り上がっていると聞く。うん。重要だ。


 しかし。しかし、だ。


(天堂の名より……重要…………なの、か……?)


 あまりにも堂々と仰られるから逆に混乱してきたぞ。

 おかしいな……いや。お嬢がここまで堂々としているのだから、俺がおかしいのか? あれ?


 混乱しながらもお嬢の後をついていく。


「お嬢、昼食を買ってきますので、少々お待ちください。何かご希望はありますか?」


「お腹が膨れればこの際なんでもいいわ。移動の方が先決だし」


「し、承知しました……」


 お腹が膨れればなんでもいいはご令嬢にしてはワイルド過ぎないか、と思いつつ手近なところにあった屋台でホットドッグとドリンクを購入する。チュロスにするか悩みはしたが、サンドイッチに近そうなホットドッグを選んだ。


「お待たせしました」


「ありがと。さ、早く行きましょう」


 お嬢はホットドッグとドリンクを手にそのまま速足で先へと進む。

 何かの目的に燃えた目は前を向いたまま、ホットドッグには目もくれず、歩きながらその小さなお口でパンにかぶりついていて……意外と様になってるな。


 このテーマパークは様々な『物語』を題材にしている幾つかのエリアに分かれている。ドラマではその物語を題材にしたエリアと登場人物の心情にリンクさせていたっけ。


 そうそう。ドラマの名シーンとして特に有名なのが、ウサギと懐中時計をモチーフにしたオブジェの傍にあるベンチでヒーローとヒロインがデートをしていてサンドイッチを食べていたところだっけ。


 ……おっ。見えてきた。ウサギの懐中時計をモチーフにしたオブジェ。あそこにあるベンチで……。


「……満員…………ですって……!?」


 お嬢が愕然としていた。


 件のベンチの周りには恋人たちがこれでもかというほど群がっていて、いちゃいちゃとしながら写真を撮ったりしてデートを楽しんでいた。

 ……なるほど。あれがサンドイッチが売り切れた理由か。

 けどこう言ってしまっては何だが……ドラマのような雰囲気はないな。むしろ人で賑わっている分、甘い雰囲気をぶち壊しにしてしまっている感じがする。まあ、あの恋人カップルたちにとってはデートが出来ればそれでいいし、もっと言えば写真さえ撮れればいいのだろうから、特に問題はないのだろうけど。


「お嬢、いかがなされますか? 順番を待つという手もありますが……」


「…………いえ。やめておきましょう。雰囲気も出なさそうだし……」


 あぁ……なんということだ。お嬢が落胆されている。よほどドラマのロケ地巡りを楽しみにされていたのだろう。


     ☆


 完全に計算外だった。というか、初手から何もかもが上手くいっていない。


 勝利という名の栄光に続く階段を駆け上がっていくはずだったのに、石につまずいてそのままあれよあれよという間に転がり落ちている気分だ。


 いえ。諦めるのはまだ早いわ、天堂星音。

 己というものは窮地にこそ試されるもの。

 失くしたものばかりを数えて落胆していたって、いつまでも状況はよくならないわ。


 よく探しなさい。今の私に出来る何かを。この状況を打開する手がかりを……!


 周囲をよく観察してみると、私が使うはずだったベンチでは恋人カップルが購入したチュロスを互いに食べさせ合っていた。

 片方はプレーン。もう片方はチョコだろうか。「チョコ美味しー♪ そっちのプレーンも食べてみたいかも。ちょっと味見させてくれる?」「いいよ。はい、あーん」「あーん……んー♪ 美味しいねっ。チョコの味見、してみる?」「するする。あーん」とか言って、相手が持っているチュロスを一口ずつ食べさせ合っている……こ、これだわ! そうよ、これなら場所に縛られず実行できる! しかも……か、間接キスまで出来ちゃうわ。とても自然な流れで……! 今度こそなんて完璧な作戦なのかしら!


「ね、ねぇ、影人えいと。ちょっと味見させてくれないかしら? 私のもあげるから」


「お嬢。味見も何も、同じホットドッグですが……」


 し、しまった…………! なぜ私はホットドッグでよしとしてしまったの……!?


 これじゃあ味見ができないじゃない! せめてチュロスなら……チュロスなら味見と称して食べさせ合いとかできたのに!

 いえ。まだ諦めるには早いわ。てきとーに理由をつけて絶対に味見を……。


「ごちそうさまでした」


 完食……ですって…………!?


「ず、ずいぶんと食べ終わるのが早いのね?」


「俺の場合、仕事の合間に食べることが多いので」


 言われてみればそうだ。色々と腑に落ちる。

 だけど待ってほしい。

 影人えいと。あなたまだ高校生でしょ? ちょっと働かせすぎじゃない? 食事ぐらいもっとゆっくりしてもいいんじゃないの? これはパパに文句を……じゃなかった。抗議をする必要があるみたいね……。


「それだとお腹が膨れないでしょう? 私のも分けてあげるわ」


「おかげさまで、お嬢の食事に手を出すほど飢えてはいません。お気遣い、感謝いたします」


「もっと食べなさいよ! 育ち盛りの男子高校生なんだから!」


「なぜそこまで必死に!?」


 そりゃ必死にもなるでしょうよ! ここまで何もかも上手くいってないんだから!

 私が考えた完璧な作戦が尽く瓦解しているのだから!


「俺のことは構わず、お嬢はゆっくりと食事なさってください」


「(もぐもぐもぐもぐもぐごくん)影人えいと。食後に甘いものが欲しくないかしら?」


「早っ……!? お、お嬢!?」


「甘いもの、欲しいわよね?」


「あ、はい……」


(こんなことで諦めないわ……! せめて『あーん』ぐらいはしてみせるんだから……!)


 問題は何を食べるかね。先ほどのホットドッグのようなミスを繰り返してはいけない。脳内で素早く考えを巡らせつつ、最短最速で最善の一手を導き出さねばならない。難問だ……学園のテストで全教科満点で一位をとるよりも難しい。むしろ答えが存在するテストの方が生易しいぐらいだ。いっそ、誰かが対策問題集を作ってくれないかしら。言い値で払うわ。いや。考えが逸れた。今の問題は何を食べるか。チュロスはダメ。いや、悪くはないけれど、食べ歩きはまた影人えいとから注意されちゃうかもしれないし、屋台系は失敗したばかり。同じ失敗を繰り返すことは出来ない。だとすれば店内がいいわ。確か近くにレストランがあったはず。そこにあるデザートを注文すればいい。それに店内なら影人えいとも注意してこないだろうし、ゆっくり食べることが出来る。決まりね。テーマパーク内のマップは隅から隅まで記憶しているし自分の現在位置も座標単位で把握している。レストランまでの最短ルートも構築完了。よし。本当の本当に今度こそ完璧だわ!(ここまで0.002秒)


「今、お嬢の優秀な頭脳がとても無駄なことに使われた気がします」


「そんなことないわ。むしろ、今までで一番フル活用してると言ってもいいわね」


 学園のテストの方がよっぽど浪費だ。あんなもの五分もあれば解答欄は全て埋まるし、それ以外の時間は身動きが取れなくなる。仕方がないから影人えいとを落とすための時間に残りのテスト時間をすべて使っている。まあ、そうやって考えた作戦が尽く失敗してきたのだから、やっぱりテストという時間は浪費だ。


影人えいと。デザートはレストランで食べましょう」


 というわけで、私たちは一緒にレストランへと向かった。

 時間帯的に混雑していたので待ち時間が生じてしまったが、こればかりは仕方がない。最初の取り決め通りに乙葉が戻ってくる時間を考えるとロスになってしまうが、許容範囲内だ。いや、無理やり許容するしかない。許容してみせる。許容するのよ、私。


 その店は世界観設定的にレストラン、と銘打ってはいるが、実際の形式はフードコードが近い。カウンターでメニューを注文して、空いている席を探して座る。メニューが出来上がったらそれをカウンターまで受け取りに行く。


 私は目当てのデザート(ちゃんと別々の味を買った)を注文してから、空いている席に座った。何だかんだここまで歩いてばかりだったから、ゆっくり座ることが出来るのはありがたい。……ああ、お冷が体に染みる。まるで何もかも上手くいかない私を労い、慰めてくれているみたいだ。


「お水って、こんなにも美味しかったのね……」


「普段からお屋敷で口にされている水の方が、比べることすら烏滸がましいレベルで質が高いはずですが」


 確かに価格の面ではそうなのかもしれないけれど、お屋敷の水は私を慰めてくれないし。


「……っと、注文したデザートが出来上がったようですね」


 カウンターで渡された端末が振動しながら、料理の完成を知らせる電子音アラームを鳴らしている。それを取った影人えいとはすぐに立ち上がった。


「すぐにお持ちしますので、少々お待ちください」


 一緒についていこうとしたけれど、すぐに思いとどまる。

 どっちにしたって席を確保しておかなければならない。


「じゃあ、お願いね。すぐに戻ってきてね」


「承知いたしました」


 最後に見ているだけでドキッとしちゃうような笑顔を残して、するりと影人えいとはデザートを取りに行ってくれた。

 このまま影人えいとの姿を見ていたかったけれど、すぐに人ごみに紛れて見えなくなってしまった。


 影人えいとが戻ってくるまで手持無沙汰になっていた私は、目を閉じて耳を澄ませる。別に面白いものを期待しているわけじゃない。これも研究の一環。恋人カップルとか家族連れとかの会話に耳を澄ませて、影人えいと攻略の参考にするためだ。……今のところ、実を結んだことはないけれど。


 自慢じゃないけれど、私はこれでも耳が良い。よく聞こえるだけじゃなくて聞き分けだって出来る。今だって赤ちゃんの泣き声も、それにかき消されそうになっている周りの会話もつぶさに聞き分けられているし。何ならこの泣き声だけで、赤ちゃんの性別だって当てることだって出来る。


 というか、耳に限らず目もいいし鼻もきくし舌もいい。ついでにいえばスタイルだっていい。抜群のプロポーション、とはまさに私のことだろう。たいていの男の子から好かれる見た目であることは自覚している。


 むしろ私が優秀過ぎるから負い目を感じてしまうかもしれないわ。その点に関しては困りものかもしれないけれど、私は天堂星音だもの。仕方がないわよね。


 …………まあ、そんな私の好意にま――――――(省略)――――――ったく気づかないのが影人えいとなんだけど。


「―――うるっせぇんだよさっきから!」


 一人ため息をついていると、近くの席からそんな不愉快な怒鳴り声が聞こえてきた。


「ぎゃーぎゃー泣きやがってよぉ! 耳障りなんだよ!」


「すみません……すみません……!」


 どうやらトラブルらしい。

 泣き止まない赤ちゃんに苛ついているのは、近くの席に座っていた大学生ぐらいの男性たちだ。人数は二人……いや、三人。体格も良い。身長も一番低い人で百八十三センチ(目算だし向こうは座っていたから数ミリ単位の誤差はあるかも)ある。


「こんなところにガキなんざ連れてくんなよ! 人様に迷惑かけやがって!」


「すぐに出て行きますから……すみません……」


 父親の方は元から気弱な人なのだろう。既に三十を超えているであろうその人は、自分よりも年下の若者たちを相手にペコペコと頭を下げている。

 それを見て大学生たちはニタニタと優越感に浸るような笑みを浮かべているが、私からすればあの父親の方が立派だ。

 本当に大切なものを護るために屈辱を耐えることが出来るのだから。


「みっともねーなぁ、おい。オッサンよ、お前だって男だろ?」

「そんなペコペコしちゃってさぁ、恥ずかしくないわけ?」

「おい、ガキ。将来はお前のパパみたいにみっともねぇ男になるんじゃねーぞ? ははは!」


 それは明らかに彼の子供に向けたものであり、卑怯でしかない発言だ。


「耳障りだからそろそろ口を閉じてくれないかしら」


 しん、とその場が静まり返ったような気がした。いや、実際に静寂が満ちた。

 偶然だろうか。赤ちゃんも泣き止んでいる。

 まあ、わざわざ自分の席を離れてまで立ち寄って顔を見てあげた私に、感動のあまり泣き止んだのかもしれないわね。


「……は?」

「なぁ。それ、オレらに言ってんの?」


「あなたたち以外にいるわけがないでしょう? まったく、薄汚い人間は脳が腐っているのかしら」


「へぇー。言うじゃねぇか」


 大学生の三人が席を立って、私の前にぬらりと聳え立つ。

 それは自分たちの体格ぶきをよく理解している者の振る舞いだった。


「なに? お前、俺らに文句あるわけ?」


「当然でしょう。赤ちゃんは泣くのが仕事みたいなものよ。他人のあなたたちがうるさいと感じてしまうのは仕方のないことだけど、わざわざ恫喝するなんて大人げないわね」


「テメェ……調子に乗ってんじゃねーぞ」


「あら。あなたほどじゃないけど?」


 お酒臭いし、見たところ相当酔ってるわね。ここでアルコール類は販売してないはずだけど……こっそり持ち込んだのかしら。持ち込み検査をもっと厳重にするように言いつけておかないと。


「女だからって殴られねーとでも思ったか!」


 大きな拳が迫る。だけど、私に届くことはなかった。

 それよりも先に――――影人えいとの手が、拳を振るう腕を万力のような力で掴み、締め付けたからだ。


「お待ちくださいと申し上げたはずですが」


「待ってたわよ。だからこうしてるんでしょう?」


「お転婆も結構ですが、俺をアテにした行動をされるのも困ります」


「それは無理ね。あなたのことはいつだってアテにしてるもの。それより……そいつ、大丈夫なの?」


 影人えいとに腕を掴まれた男は、ぱくぱくと口を開きながら顔を青ざめさせている。

 痛い、なんてものじゃないわね。下手したら腕の感覚とかなくなってるんじゃないかしら。


「正当防衛です」


 にこっと爽やかな笑みを浮かべているけれど……これは怒ってるわね。


「な、なんだテメェ!」

「ふざけやがって!」


 残りの二人が影人えいとに殴りかかる。こんな大衆の面前で暴力を振るうなんて、まったく周りが見えていない証拠だ。

 そんな暴漢と化した二人を相手に、影人えいとは涼しい顔をしながら一人を地面に転がし、もう一人の肩の関節を外してみせた。あまりにも鮮やか過ぎて、周りの人たちからは暴漢二人が勝手に地面に転んでしまったようにしか見えないだろう。


「では、俺はこの方たちと店の外でお話をしてきますね」


「お願いね」


「ご心配なく。家の名に傷がつかぬよう、秘密裏に処理しますから」


 影人えいとはニコニコとした爽やかな笑みを浮かべると、大学生三人を軽々と掴み、抱えたまま店の外へと出て行った。


「あ、あの……ありがとうございました」


 残された家族連れの父親は、わざわざご丁寧に私にぺこりと頭を下げてくれて。


「楽しい思い出を作ってくださいね」


 私は必要な言葉だけを残して、影人えいとの後を追って店を出て行った。

 結果的にデザートは食べられなかったわけだけど、まあそれも仕方がない。あんなものを知らぬふりをして見過ごすことなんて、私が私を許せなかったし。


 私が外に出ると、既に処理・・を終えた影人えいとが待ってくれていた。


影人えいと。今度こそデザートを食べに行きましょう」


 少し予定が変わってしまったけれど、やることは変わらない。

 まだ時間はあるし、デザートは次のお店で食べればいい。そして今度こそ『あーん』をするの。


 そう思っていたのに…………。


「本当に……いけないお方ですね、お嬢は」


「あぅ…………」


 三十分後。


 私は近くにあるホテルの一室で、影人えいとから壁際に追い込まれていた。



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