第21話 後攻・天堂星音①

「やり過ぎた…………」


 ホラーアトラクションを終えた後、俺は一人自己嫌悪に陥っていた。


 今朝のこともあって、薄暗い空間で急にいなくなってしまった乙葉さんを心配した。いや、今思えば心配し過ぎてしまったのかもしれないけれど。


 心配して、駆け付けて、無事だと安堵して。

 だけど乙葉さんに嘘をつかれて。悪気があったわけじゃないことは分かる。別に怒ったわけでもないけれど、ただちょっと抑えていたはずの悪戯心が甘く疼いてしまった。

 瞳を潤ませた乙葉さんを見ていたらどんどんタガが外れてきて。


 どうしてこんなことになったのか。こんな自分になってしまったのか。

 ……やっぱり何度思い返しても、きっかけはお嬢への『ご褒美』だろう。

 あの時から、俺の中で『いじわるな自分』が顔を出すようになってしまった。正直、自分でも驚いている。こんな自分がいたことに。


「今度こそ、自分を抑えないと……」


「……影人えいと


 一人決意を固めていると、乙葉さんが袖を引っ張ってきた。

 その顔は閉鎖空間であった洋館のホラーハウスを出たばかりだからか、赤く染まっている。


「……わたし、ちょっと用事ができた」


「用事でしたら俺も付き合いますけど」


 先ほどはついやり過ぎてしまったという自覚があるので、助けになれるならなりたい。

 だけど乙葉さんは首を横に振る。


「……ううん。だいじょうぶ。すぐに星音がくるから、一緒に回ってあげて」


 それだけを言い残して、俺が引き留める前に乙葉さんは足早に去っていく。


「まるでお嬢が来るタイミングを知っているような言い方だったな……」


 乙葉さんの発言に首を傾げていると、


影人えいと


「お嬢」


 入れ違いのようにこの場に現れたお嬢に思わず目を丸くする。乙葉さんの言葉はまるで予言だな。


「申し訳ありません、お嬢。乙葉さんは用事が出来たらしく……」


「知ってるわ」


 事前に連絡でも取りあっていたのだろうか。だとしたら、乙葉さんの発言にも納得だ。


「だって、私が後攻だもの」


「後攻?」


「こっちの話。とにかく、乙葉のことは大丈夫。そのうち戻ってくるから、それまで私と一緒に遊びましょう」


「承知いたしました」


 二人の間で了承がとれているのなら、まあいいか。

 どうせなら俺にも教えておいてほしかったなという、寂しさのようなものも感じなくはないけれど、それ以上に今は二人の仲が深まっていることの方が何倍も嬉しい。


「お嬢、どのアトラクションにいたしますか?」


「そうね……このままあなたと一緒にアトラクションに行くのもそれはそれで素敵だけれど、その前にお昼を済ませてもいいんじゃないかしら」


「お昼ですか?」


 確かに時間的にも頃合いだ。乙葉さんは用事があると言っていたけれど、ちゃんとお昼は摂れるのだろうか。


影人えいと


 先ほど立ち去って行ったばかりの乙葉ことを考えていると、途端にお嬢が不機嫌そうに頬を膨らませはじめた。……まずい。何か、お嬢の気に障るようなことをしてしまったのだろうか。でもまったく心当たりがないぞ……!?


「な、なんでしょう……」


「……今、他の女の子のことを考えてたでしょ」


「へっ?」


 お嬢から飛び出してきた言葉は、俺にとっては予想外のもので。

 同時に的中してもいたので、やましいことなど何もないはずなのに「ドキッ」としてしまった。

 …………なぜ俺は今、こんなにも後ろめたく思ってしまっているのだろうか。


「他の女の子のこと、というか……乙葉さんはお昼を済ませられているのかどうか、少しばかり気になりまして」


「大丈夫よ。お昼なら済ませるはずだから」


 恐らく、そのあたりのことも二人で連絡を取り合っているのだろう。


「だから、今だけは私を見ていなさい」


 お嬢らしい物言いに思わず顔が綻んでしまう。

 俺が乙葉さんにとられると思って、ちょっと拗ねてるのかな。


「大丈夫ですよ。俺は、ずっとお嬢にお仕えしますから」


「…………そういう意味じゃないのだけれど」


 とても微妙な顔をされてしまった。俺なりの意志表明をしたつもりだったのだが。


「とにかく。お昼を食べましょう。いいわね?」


「承知しました」


「ん。じゃあ、さっそく行きましょう。……あのね? 実は目星をつけてあるの。SNSで恋人カップルたちに人気なんだけど――――」


「では、すぐに施設の外に出ましょうか。外に天堂家の料理人と食材や機材の積んだトラックを待機させておりますので」


「………………………………」


 お嬢の目から光が消えた。


「お、お嬢……?」


「……………………なんで?」


「えっ?」


「……………………なんでそんなものが待機してるのかしら?」


「いえ……その……お嬢に相応しい食事を提供することを考えれば、こうなるかと…………」


 あれ。おかしいな。お嬢の見せる笑顔はいつも素敵なはずなのに……なぜか今はちょっと怖い。


「……そう。ちなみに外で待機してるっていう料理人たちと連絡はとれるかしら?」


「それは……はい。勿論……」


「……少し話したいことがあるから、電話してくれる?」


 一体何をお話されるのでしょうか、とはたずねることができず、ひとまず電話を繋げてそのままお嬢にスマホを手渡す。


 それから少しして、


「料理人たちは、急な用事が入ったからすぐに帰るそうよ」


「えっ。いや、俺はそんなこと聞いてな……」


「ごはんは施設内にあるお店でとってほしいそうよ」


「あ、はい……」


 まさに有無を言わせぬ迫力がそこにはあった。

 しかし、どういうことだ。今回は天堂家お抱えの料理人を連れてきた。それでこそ、幼い頃から毎日お嬢の食事を作り続けている方だ。味の好みだって把握しているし、栄養バランスにだって気を遣ってくれる。俺だって、その腕と実績と信頼を以て選定し、わざわざ待機してもらっていたのに……何が気に入らなかったのだろうか……。


     ☆


 場所がテーマパークと聞けば、きっと誰もがアトラクションを調べることだろう。

 それは間違っていない。テーマパークに来たからにはアトラクションに乗らないことなどありえない。むしろ、アトラクションに乗らずして何をするというのだろう。


 …………だけど。それはあくまでも遊ぶ場合の話。


 デートともなれば(影人むこうにそのつもりはないのだろうけれど)、視野を広げる必要がある。その点で語るならば、乙葉は視野が狭いと言わざるを得ない。

 天堂家の者にカメラを持たせてモニタリングさせてもらったけれど、ホラーアトラクションに入っていく二人を見て、乙葉の狙いにピンときた。


 恐らくはホラーアトラクションにかこつけて影人えいとに引っ付き放題抱きしめ放題を目論んだのでしょうけど、甘いわね。そんな正攻法で落ちてるなら、とっくの昔に影人えいとは私に落ちている。


 そんなまともな手が通用すると思ったのが、そもそもの間違いだ。


 いや、そもそもアトラクションにしか目がいってない時点で、乙葉は失敗していたのだ。


(テーマパークといえば、アトラクションだけじゃないのよ)


 私があえて後攻をとった狙いはそこだ。

 交代するタイミングはちょうどお昼。つまり影人えいとと一緒に昼食をとることができる。しかも、ただの昼食じゃない。


 それ自体はパーク内の屋台で買えるサンドイッチだけど、大人気恋愛ドラマがきっかけで人気に火が付いた。

 ドラマの撮影に利用されたあるエリアのベンチに座り、ドラマと同じメニューのサンドイッチを恋人同士で食べる……というのがSNSで流行っている。


 そう……私の狙いはこれだ。これを影人えいととやる。影人えいとも気づくだろう。「あっ、これドラマと同じやつだ」と……そして私にドキドキしちゃったりするのだ。

 やれやれ。なんて完璧な作戦なのかしら。あまりにも隙が無さ過ぎて我ながら恐ろしいわね。


 もっと言うなら、敢えて後攻を選んだ私の判断が光る。

 後攻ならば昼食というアドバンテージを存分に使うことが出来るのだから。


(悪いわね乙葉……今回ばかりは勝ってしまったわ)


 影人えいとを食事に誘えば勝利は目前。


 私の完璧な作戦に一部の隙も無いのだから!


「ん。じゃあ、さっそく行きましょう。……あのね? 実は目星をつけてあるの。SNSで恋人カップルたちに人気なんだけど――――」


「では、すぐに施設の外に出ましょうか。外に天堂家の料理人と食材や機材の積んだトラックを待機させておりますので」


「………………………………」


 初手で作戦が砕け散った。


「お、お嬢……?」


「……………………なんで?」


「えっ?」


「……………………なんでそんなものが待機してるのかしら?」


「いえ……その……お嬢に相応しい食事を提供することを考えれば、こうなるかと…………」


 それはそうだけど……!


 無駄に有能……! 私の使用人が、無駄に有能過ぎる……!


 ……いえ。まだ諦めるのは早いわ。天堂星音。

 この窮地をどう凌ぐか。天堂家の娘としての素養が試されているのではなくて?


「……そう。ちなみに外で待機してるっていう料理人たちと連絡はとれるかしら?」


「それは……はい。勿論……」


「……少し話したいことがあるから、電話してくれる?」


 ひとまず影人えいとのスマホを受け取り、件の料理人と繋げる。


「もしもし。私だけど」


『申し訳ありませんでした、お嬢様……!』


 私が生まれる前から天堂家に仕えている料理人の声は、これまで聞いたことないぐらいに申し訳なさそうだった。


「……どうして謝ってるの?」


影人えいとは否定しておりましたが……今日はデートのご予定でしたよね?』


 なんて察しの良い料理人なのだろう。


「そうね……私はそのつもりだけど」


『私もそう思い、全力で遠慮しようと試みたのですが……なにぶん、お嬢様の健康や相応しい食事を提供する意義を五時間ほどかけて説かれてしまうと、天堂家に仕える者としては流石に断り切れず……』


「私の影人えいとがごめんなさいね……」


 まさか五時間も演説をするとは思っていなかった。その情熱を少しでもいいから鈍感さを削ぐ方向に向けてほしい。


「待機させちゃってごめんなさい。もう帰ってもいいわよ。今月の給与には色を付けておくように、パパとママに伝えておくから」


『いえいえ。お気になさらず。それよりもデートの方が上手くいくことを陰ながら祈っておりますので』


 なんて気遣いの出来る料理人なのだろう。


 料理とは関係のないところでも有能過ぎる。パパとママに彼の給与を上げておくよう交渉しておこう。臨時のボーナスも出してもらった方がいいかもしれない。


「料理人たちは、急な用事が入ったからすぐに帰るそうよ」


「えっ。いや、俺はそんなこと聞いてな……」


「ごはんは施設内にあるお店でとってほしいそうよ」


「あ、はい……」


 ふぅ。多少の躓きはあったけれど、これでよし。


 最初さえクリアしてしまえば、あとはもう大丈夫。


 私の完璧な作戦は、ここから始まるのだから!


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る