第23話 後攻・天堂星音③

 あのお店での騒動の後、私は今度の今度こそデザートを食べようとした。

 だってまだ『あーん』もしていないし。甘い雰囲気にもなっていないし。


「お嬢」


「えっ。な、なに……?」


 だけど影人えいとはいきなり私の手を繋いできて、そのままどこかに連れて行く。


「ど、どこに行こうとしているの……?」


「………………」


 質問しても答えてはくれなかった。そうしているうちに、私たちはいつの間にかテーマパークの外に出ていて、それでも影人えいとは止まらなくて。どこに行くのかと思って黙ってついていると……。


(ほ、ホテル……!?)


 影人えいとは迷うこともなくテーマパークと提携しているホテルの中に、私を連れて入っていった。そのまま飛び込みで入れる中でも一番ランクの高い部屋をすぐに借りると、私を問答無用で連れて行く。


「あの……影人えいと……? なんで、ホテルに……」


「………………」


 エレベーターの中で質問をしてみたけれど、やっぱり答えは返ってこない。

 こうなってくると私も黙り込むしかない。というか、影人えいとの強引さにドキドキしてしまって、それどころじゃない。


 ……ホテル。ホテルって、あれよね。宿泊施設よね。部屋を借りて、寝泊まりするところ。

 でも男女が同じ部屋に泊るって……そういうことよね。大丈夫よ。こんなことになるとは思っていなかったけれど、いつだって準備は万端。私はいつだって中の服だってちゃんとしてるもの。


(…………いや。待って)


 落ち着こう。そわそわしちゃったけれど、よく考えてみるのよ。

 今までのパターンを思い返してみて。こうやって浮かれて、一体何度迎撃されてしまったことか。

 私は天堂星音。何度も同じ失敗を繰り返したりはしない。

 ……まあ? ちょっとだけ。ええ。ほんのちょっとだけ、同じ失敗をしたことがあるかもしれないわ。でもそれは過去の話よ。


(きっとまた私の勘違いね。……でも、影人えいとはどうして私をホテルに連れ込んだのかしら)


 頭の中で考えを巡らせて、思い当たることを並べていく。


 仮説その一。歩き回って疲れた私を休ませるため。


 ……うん。ありえない話じゃない。でも、わざわざホテルまで連れ込むかしら? そのあたりのベンチで休むだけでも十分だ。さっきのレストランは使えないにしても、別の店にすればいい。この仮説は却下ね。


 仮説その二。ごはんを食べるため。


 ……これもありえない話じゃない。このホテルの中にはレストランもあるし。でも、だったら説明ぐらいしてくれるんじゃないかしら。わざわざこうして強引にホテルまで連れ込む必要はないし……今だって、エレベーターも飲食店のあるフロアを通り越してしまった。この仮説も却下。


 仮説その三。私とベッドの上で男女ですることをすること。


 ……絶対にないわね。あり得ない。自分で言ってて泣けてきた。


 結局、何も心当たりのないままエレベーターは止まり、影人えいとは私をホテルの最上階にある一室に連れ込んだ。

 連れ込まれたけれど、私はどこか手持無沙汰だ。正確には緊張して何もできないだけなのだけれども。


 だって、こんなのいつもと違う。


 お屋敷の部屋で二人きりになっているのとはわけが違う。……いや。寝巻き姿で同じベッドの上で寝ていたのは相当な出来事だったけれど。それは置いておきましょう。何もなかったし。


 ホテルの同じ部屋に連れ込まれてしまうのは、今までにないことだった。

 ……あっ。だめ。冷静になったら一気に緊張してきた。


「お嬢」


「な、なに……?」


「脱いでください」


「えっ……?」


 聞こえてきた言葉がとても信じられなくて、思わず聞き返してしまった。


「え、影人えいと? なにを……?」


「ですから、脱いでください」


「服……じゃないわよね?」


「服です」


「ふきゅっ!?」


 噛んだ。噛むのは当然だ。噛んでも仕方がない。


「ふ、ふふふふふ服を脱ぐの!?」


「そうです」


「ど、どうして!?」


「どうしてもこうしてもありません。とにかく脱いでください」


「あうあう……」


 もうだめだ。頭が上手くまわらない。こんなのありえない。だって、あの影人えいとがホテルに私を連れ込んで服を脱げだなんて……きっと夢だ。これは夢に決まってる。だって、あまりにも私に都合が良すぎるし……!


「いつまでその服を着てるんですか」


 影人えいとが一歩、近づいてくる。

 それに合わせて私も一歩、下がる。

 だけど影人えいとは止まってくれない。私はどんどん壁際に追い詰められてしまって……。


「本当に……いけないお方ですね、お嬢は」


「あぅ…………」


 私が逃げられないようにするためか、影人えいとは壁に手を突いてきた。

 だめ。逃げられない。……ううん。むしろ逃げてもいいの? 逃げちゃダメでしょう。ああ、でもちょっと緊張する。準備は万端だけど、まさかこんなにも急に本番が来るなんて思ってなかったし。


「俺は、早くお嬢にその服を脱いでほしいです。出来ることならこの手ではぎ取りたいぐらいなのに」


「……わ、分かった、けど…………でも……」


「でも?」


「あ、足が震えちゃって……自分で歩けないの……」


 今にも腰が抜けそうだ。怖いとかじゃなくて、あまりにもドキドキし過ぎて。

 心臓の鼓動だってもしかしたら影人えいとに聞かれちゃってるかもしれない。

 顔もきっと真っ赤だ。だって、こんなにも熱いし。

 自分の足でベッドまで行くことなんて、とてもじゃないけど出来ない。


「いいですよ」


 そんな私に、影人えいとは微笑みながら、耳元で囁いてくれた。


「でも、服は自分で脱いでくださいね」


「…………影人えいとが脱がせてくれないの?」


「流石にそんなことしませんよ。ご自分で脱いでください」


 自分で。つまり、私が恥ずかしがりながら自分で服を脱いでいるところをじっくり観察したいのだろうか。


「そ、そういうのが趣味なんだ……」


「趣味?」


 影人えいとは首を傾げているけれど、それもそういう嗜好なのかな。

 シチュエーションとかに拘るタイプなのかも。


「では、お運びいたしますね」


「ぁっ…………」


 告げると同時。影人えいとは私を軽々と抱き上げてみせると、そのまま歩いていく。


「…………っ」


 思わず私は両の目を閉じた。緊張して、恥ずかしくて、影人えいとの顔が直視できなくて。されるがままだ。でも、いい。それでいい。

 まさか今日になるとは思わなかったけれど。覚悟はできてる。大丈夫。きっと大丈夫よ。


「目を開けてください、お嬢」


「ん…………」


 目を開ける。照明の光が目に入ってきて、室内が露わになって……。


「…………バスルーム?」


 私がお姫様抱っこで連れてこられたのはベッドの上ではなく、バスルームだった。

 戸惑っていると、影人えいとは私を優しく下ろしてくれた。


「あ、あの……影人えいと?」


「服を脱いだら、この袋に入れてください」


「えっ…………」


「着替えはそこにバスローブがありますから」


「は、はい…………」


 それだけを言い残して、影人えいとはバスルームから出て行った。


 …………なんでバスルーム?


 一人取り残された私には疑問符が浮かぶ。が、すぐにピンときた。


「そ、そっか……まずは先にシャワー、浴びないと……」


 きっと影人えいとは順序というものを大切にしているのだろう。私としても、先に身体を綺麗に出来るのはありがたい。今日はたくさん歩いたから汗もかいてるし。


 そのまま私はシャワーを浴びた後、震える手でバスローブに着替え、そのままベッドに腰かけている影人えいとのもとへと歩み寄る。


「あ、あの……影人えいと……先にシャワー、もらったわ……」


「そうですか」


 ベッドから立ち上がった影人えいとは、その足で私ところまで近づいてきて――――


「…………っ……」


 思わず目を閉じる。……ああ、このまま私、ベッドまで運ばれちゃうんだ。その後、影人えいとに押し倒されて、好き放題にされちゃって、大人の階段を駆け上がるし、子供は五人。男の子が二人で女の子が三人。きっと男の子は影人えいとに似てかっこよくなるし、きっと女の子たちからも好かれるだろうし、女の子の方は私に似て自信家になりそう。休みの日にはみんなでお出かけもしたいし、惚気話だって聞かせてあげたい。あっ、でもその前に恋人としてのデートもしなくちゃ。その後は結婚式……あれ? 順序が逆な気が……ううん。もうこの際、順序なんてどうでもいいと思うの。まずは事実。事実さえあればいいの。あとはどうとでもなるわ。なんといっても私は天堂星音。天堂家の娘。お金なんて唸るほどあるし。圧倒的財力で邪魔するものは全部蹴散らせばいいの。


「お嬢」


「あっ。え、影人えいとっ。私、まずは男の子から欲しくて――――」


「こちらの服はすぐに処分して、新しいのを手配しますね」


「えっ?」


「大丈夫です。こちらの服も、あとでまったく同じものを用意させますから」


「あの、影人えいと?」


「なんですか?」


「…………それだけ?」


「それだけとは?」


「だから……その…………」


「……ああ、ご心配なく。代わりの服も、お嬢の持つ美しさと品位を損ねないものを用意しております」


「そういうことじゃなくて」


 話が噛み合ってない気がする。

 ……落ち着こう。こういう時は、最初から紐解いてみるの。

 そもそもなんでこんなことになったんだっけ。えーっと……そう。急にホテルに連れ込まれたところから。


「ねぇ……そもそもどうして、ホテルに連れてきたの?」


「お嬢に着替えていただきたかったからです」


「……着替え? 着替えをするためだけにホテルに連れてきたの?」


「着替えをするためだけにホテルに連れて来ました」


「それ以外のことはなし?」


「それ以外とは?」


「………………………………」


 思わず膝から崩れ落ちた。

 緊張とか、ドキドキとか、そういうのが一気に砂になって崩れ落ちていった。


     ☆


「着替え……着替えだけ…………私は着替えにドキドキしてた変態ってこと……?」


 お嬢の目から光が消えて、膝から崩れ落ちている。

 やっぱり今日は歩いてばかりだったから疲れたのだろうか。結局、お昼だってまだ食べられていない。手配している着替えが届いたら、すぐにホテルのレストランに行こう。少なくともテーマパークのものよりはお嬢に相応しい食事が出るはずだ。


「…………」


 袋の中に入っているお嬢の服に視線を注ぐ。

 脳裏を過ぎるのは、あのテーマパークのレストランの一件。酔っ払いの大学生たちの前に毅然とした態度で堂々と立ちはだかっていたお嬢の姿だ。


 ……正直、近くで腕を掴んでいるだけでもかなりの酒の匂いがした。

 あんな連中がお嬢のすぐ目の前にいたことが許せないし、クズ共の酒の匂いがお嬢の綺麗な髪や服に染みついてしまったかもしれないと思うと、腸が煮えくり返るような思いだ。もう二度とこの服は着てほしくない。


「…………流石に、過保護すぎるかな」


 自分でも分かってる。これは流石に過保護ということぐらい。……いや。違うか。過保護というよりも、独占欲になるのだろうか。


「みっともないなぁ…………」


 どの分際で独占欲を出しているのだろうか。

 お嬢は仕えるべき主であり、俺はただの使用人に過ぎないのに。

 何を勝手に独占欲を抱いているのだろう。お嬢に対しても失礼な話だ。


「…………」


 ふと、考えてしまう。


 このままでいいのだろうか、と。

 俺がこんなにも過保護でいたら、お嬢の邪魔になってしまうのではないのだろうか。

 お嬢の成長や経験を阻害してしまうかもしれない。乙葉さんが現れるまで友人があまりいなかったのも、思えば俺がいつもお嬢の傍にいたからなのかもしれない。俺は主の傍で支えることばかり考えていて、もっと先のことを見据えられていなかったのかもしれない。


「……ちょっと考えた方がいいかもしれないな」


 正直言って、自分がこんなにも独占欲が強いなんて思わなかった。そして、お嬢に対して独占欲を抱いてしまっているとも思ってなかった。最近は自分の知らなかった自分を知ってばかりだけど、果たしてそれがお嬢のためになっているのかどうか……。


「俺もまだまだってことか」


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