第52話 委ねられる解釈

 始業式を終えた後、俺は雪道に学園を案内してもらった。

 食堂の場所や談話室、移動教室の授業で使う教室や体育館など、実際に案内してもらうと、初めて見たような感じはしない。今朝の教室の時と同じだ。

 ちなみに天堂さんも同行する予定だったのだが、何やら友達から呼び出されたとかで今は行動を別にしている。


「――――つーわけで、大まかにはこんな感じだな」


「ありがとう。助かった。おかげで、学園の地理を把握することができたよ」


「記憶が無くなっても、変わんねぇなぁ。お前は」


「え?」


「入学前も、お嬢様が通う学園とその周辺の地理を把握するようにしてたから。それ、ちょっと思い出してた」


 ……言われてみれば。普通に学園生活を送るために校舎を案内してほしい、というつもりだったけど。学園内の地理を正確に把握していないことに対して、落ち着かないという気持ちがあった気がする。


 いざという時のために情報を少しでも多く把握しておきたくて……いざという時のためって?


「……俺って、どんなやつだった?」


「とんでもなく鈍いやつ」


 自動販売機で缶コーヒーを購入する雪道。

 恐らくはブラックだろうか。なぜだか、それが分かった。


「お前、何飲む?」


「水で」


「だと思った」


 自然と、ジュースやコーヒーの類ではなく水と口にしていた。雪道もそれを理解していたらしい。その指は滑らかに水のボタンを押していた。

 どうやら奢ってくれるらしい。礼を言いつつ、シンプルなデザインのペットボトルに詰められた無味無臭の透明な水を口にする。

 天堂家だと、人前で……というか、天堂さんの前で何か物を口にすることを躊躇う瞬間があったけれど、今は雪道しかいないせいだろうか。水で喉を潤すことに抵抗感はなかった。


「周りに対して鈍くて、自分に対しても鈍い。そんなやつ」


「そんな鈍いやつが、よく天堂さんの護衛がやれてたな」


「仕事自体はきっちりやれてたからなぁ。それにお前、人類で二番目に強いらしいし?」


「一番は?」


「天堂さんの父親」


「ははっ。納得」


 あの天堂さんのお父さんだもんな。

 いくら例え話であろうと、すんなりと納得できる。


「焦らずゆっくり思い出していけばいいさ。無理に思い出さんくてもいいし」


「いや、思い出さなきゃだめだろう」


「そうか? 別に生活にも困ってないし、いいんじゃね?」


「いやいや、お世話になりっぱなしなのも申し訳ないし、せめて仕事がちゃんと出来るぐらいには思い出さないと。それに……」


 なんだ。なんだろう。今、ちょっと……。


「それに……忘れられた方も、辛いだろ?」


 ……胸の奥が、ぴりってしたような。


「天堂さんとか、雪道とか、俺に忘れられて悲しんでるだろうと思ってさ」


「ほー。言うじゃねーか、珍しく」


 あれ。なんで俺、今……ふざけて、おどけて、誤魔化したんだろ?


「――――あっ。そうだ。思い出した」


「記憶が戻ったのか?」


「そうじゃなくて……羽搏さん」


 羽搏さんが来るのを待っていたのだが、彼女はついぞ教室に姿を現さなかった。

 始業式にも不在だったので今日は学校そのものを休んでいるのだろうか。


「どうにかして彼女と二人で話がしたかったんだけど……うーん。これは明日かな」


「羽搏さんと二人で何を話すつもりなんだ?」


 ……俺が羽搏さんの『マネージャー』であり『だーりん』である件について、とは言えない。流石に。俺と天堂さんが恋人関係であることは、きっと雪道も知っているだろうし。


「えーっと……俺って、羽搏さんとも知り合いなんだろ? だから、今みたいに、記憶を失う前の俺について訊いてみたくてさ」


 嘘は言っていない。嘘は、言ってない。

 ちょっと疚しいところはあるけれど、嘘だけはついていない。


「羽搏さんねぇ……復帰に向けた準備があるとかで、忙しそうにしてるからなぁ」


「そうか。そうだよな。相手は歌姫って呼ばれてる子だし」


 やっぱりスマホで連絡を入れるべきだろうか。

 通話……も、相手の邪魔になりそうだしな。

 それに相手は活動休止中とはいえアーティストだ。

 下手にメッセージアプリに履歴を残さない方がいいのではないだろうか……って、こんな思考をしてしまうのも、天堂家の護衛としての癖なのだろうか。


「まあ、お前なら大丈夫だろ。多分その辺をうろついてりゃ会える」


「あのなぁ……世界的にも有名な歌姫様と、その辺を歩いてるだけで会えるわけないだろ?」


「そんな常識がお前に適用されるなら、あのお嬢様も苦労してないと思うぜ……」


 どこか遠い目をする雪道。解せない。


「それにお前、あの歌姫様ともその辺を歩いて出会ってるからなぁ」


「ははは。いくら何でも冗談だろ」


 ――――という話をした、僅か数十分後。


 雪道と別れて復習がてら学園の中を散策していると、ふいに屋上へと引き寄せられた。聞こえてきた歌声が、あまりにも綺麗だったから。


「――――……♪」


 屋上へと入ってみると、そこにはテレビやネットの記事で見たことのある顔が――――羽搏乙葉が、歌を口ずさんでいた。


(本当にその辺をうろついてたら会えちゃったよ……)


 偶然だろうけど。

 記憶を失う前もその辺をうろついて羽搏さんと出会ったことを考えると、俺って実はとても運が良いのかもしれない。


「…………影人」


 しばらく聞き入っていたけど、羽搏さんが俺に気付いたことで歌が止んだ。

 ちょっと残念だ。


「あ、どうも……えっと…………」


「……本当に、忘れちゃったんだね」


「……すみません」


「……謝る必要はない。こっちこそ、ごめんね」


 断片とはいえ取り戻した記憶を疑っていたところはあった。

 だってあの歌姫と知り合いだなんて、そう簡単には信じられない。

 俺の妄想か思い違いで、声をかけて「誰ですか」なんて言われたらどうしよう、内心では心配していたぐらいだ。

 でも、そっか……俺って本当に、歌姫と知り合いなんだぁ……!


「じー………………」


「うわっ!?」


 心の中で少し浮かれていると、いつの間にか羽搏さんが目の前にいて、俺の目をじっと見つめていた。


「な、なんですか!?」


「……ん。影人の雰囲気が、ちょっと新鮮だったから。見てた」


 雰囲気が違うっていうのは今朝からみんなから言われるんだよな。

 そんなに記憶を失う前の俺と違うのだろうか。


「は、羽搏さん、今日は学校に来てたんですね」


「……うん。今日は影人に会おうと思って、朝から学校にいた」


「え? でも、教室にはいなかったような……」


「……窓から影人と星音が見えたから、走って会いに行ったの」


 ん? じゃあ、教室までの道で行き違ったとか?

 でも始業式にすら姿を現さなかったのはおかしい。


「……気が付いたら、砂浜で海を眺めていた」


「何でですか!?」


 教室から一階に行くまでに何があったんだ!?


「……影人。気を付けた方がいい。どうやらこの学園は、少し目を離すとどこかに飛んでいってしまう。きっと七不思議の一つ」


 どう考えてもどこかに飛んでいってしまっているのは羽搏さんのような気がしてならない。


「……迷子の学園を見つけ出して戻ってきたのが、ついさっき。始業式も終わってたから、暇を持て余していたところ」


 うーん。記憶を取り戻したわけじゃないけど、不思議と確信があるぞ。

 この人、方向音痴だ。それもとんでもない。


「むしろ朝はどうやって学園まで来たんですか」


「……マネージャーに送ってもらった」


 マネージャーさんのことを思うと泣けてくる。

 ……マネージャー?


(……って、そうだ。羽搏さんにちゃんと確かめておかないと!)


 俺が取り戻した記憶が、果たして真実なのかどうか。


「……影人は、どうしたの? 星音は?」


「天堂さんは、別件で席を外しています。俺は……羽搏さんを探していました」


「……わたしを? どうして?」


 いざ、言うとなったらちょっと……いやかなり、緊張するな。

 相手は世界的にも有名な歌姫。トップクラスのアーティスト。

 しかもこんなにも可愛らしい女の子を前にしてするような質問じゃないことは、重々承知している。

 むしろ記憶を失う前の俺の妄想であることを祈るばかりだ。


「実は俺、記憶を少し取り戻して……それで、羽搏さんに確かめたいことがあるんです」


「……いいよ。なんでも訊いて。影人の力になれるなら、なんでもするよ」


 ここまで言ってくれることに対して感謝をしつつ、ゆっくり深呼吸して……。


「俺が羽搏さんの『マネージャー』というのは、本当ですか?」


「……それは夏休みのアルバイトで、臨時のマネージャーをしていただけ」


「ああ、そうだったんですね」


 よかった。少し、安心した。

 俺が歌姫のマネージャーだなんて荷が重すぎると思っていた。


「……多分、断片的に思い出したせいで、ヘンに誤解してしまっただけだと思う」


「そうですよね! 誤解ですよね! はー……安心したぁ」


「……他には、何か思い出さなかったの?」


「他にもありますよ。でも、こっちも断片的ですからね。さっきのと同じで誤解だと思うんですけど」


「……なんでもいい。言ってみて。誤解だったら、わたしが訂正するから」


「それがですね、俺が羽搏さんに『だーりん』って言われてて――――」


「……それは本当」


「本当なんですか!?」


 マネージャーは誤解だったのに!? 

 だーりんは誤解じゃないのか!?


「ど、どういうことなんですか……? 俺が、羽搏さんの『だーりん』って……」


「……………………………………まあ、うん。そういうこと」


「どういうことですか!?」


「……歌や音楽って、人によって解釈が変わるでしょ?」


「なぜ急に歌の話に……?」


 解釈……。つまり『だーりん』という言葉から読み取れるものがあると?

 羽搏さんからのメッセージということだろうか。

 よし。それなら俺なりに羽搏さんからのメッセージを解釈してみようじゃないか。

 まずは『だーりん』という言葉の意味から確認してみるんだ。


 darling:最愛の人


(とんだクズ野郎じゃないか!)


 天堂さんという恋人ひとがいながら!

 いや待て。これはあくまでも俺の解釈。

 もしかしたら……この解釈が、誤りである可能性はあるじゃないか。

 むしろ間違っていてほしい。


「羽搏さん……つまり、あなたと俺は、最愛の人と呼び合うような仲だった、ということでしょうか……?」


「……解釈は時として、聴いた人に委ねられることもある」


 音楽って難しいなぁ!

 出来れば俺は自分に解釈を委ねたくない。なぜならただのクズ野郎になってしまうからだ。


(この様子だと、天堂さんも羽搏さんも、俺がこんなクズ野郎とは知らない状態なのだろうか?)


 どうやら記憶を失う前の俺は、よほど上手くやっていたらしい。

 怪獣と怪獣の間でタップダンスを踊りながら綱渡りをするかの如き所業である。


 だけど。果たして。本当に、それでいいのだろうか。

 嘘をついて誤魔化して。天堂さんとの仲を黙って……。

 羽搏さんには未来があるはずだ。『歌姫』として約束された未来が。


(黙っているなんて……ダメだ、そんなの)


 甘い誘惑に負けそうになった。

 このまま黙っていれば、天堂さんと羽搏さんという二人の美少女と付き合えると。

 そんな邪な考えをした自分が恥ずかしい。


「……羽搏さん。俺は、あなたの傍にいる資格がない」


「……そうなの?」


「俺は…………最低な男です。あなたを最愛の人だと囁いておきながら、天堂さんとお付き合いをしていたんです!」


「……星音に何を吹き込まれたの?」


 割と決死の自白だったのだが、羽搏さんはノータイムで天堂さんを疑ってきた。

 何なんだろう。この『どうせ天堂さんが何かやらかしたんだろ』みたいな信頼感は。これも友情の形なのだろうか。


「吹き込まれただなんてそんな! 天堂さんは教えてくれたんです! 俺が取り戻した記憶……『天堂さんと半同棲状態であり、ラブラブあまあま夏休みライフを過ごしていたこと』が本当にあった出来事だということを!」


「……それがどうして、恋人に繋がるの? 星音にそう言われたの?」


「半同棲状態でラブラブあまあま夏休みライフを過ごした関係を……口にするのは、野暮というものだと……」


「……影人。星音はあくまでも口にするのは野暮、と言っただけ。恋人とは一言も言っていない」


「…………………………い、言われてみれば!」


 言われてみれば……天堂さんは言っていない!

 俺と天堂さんが恋人同士だとは、一言も!


「じゃあ、俺は……」


「……勝手に勘違いをしてただけ」


「なんてことだ!」


 天堂さんのような美少女と恋人関係になっている。

 そんな勘違いを……自惚れと呼ぶすら生温いほどの勘違いをしていたのか! 俺は!


「あれ? でも、天堂さんも俺の勘違いを否定しなかったような……」


「……星音はあれで恥ずかしがり屋さんだから」


「勘違いを自分から言い出せなかっただけだと」


「……そういうこと」


 そういうことか! くっ……! 天堂さんに悪いことをしてしまった……!


「……つまり、影人がわたしの『だーりん』で問題はない」


「…………っ」


 俺が、羽搏乙葉さんの、だーりん。

 最愛の人。

 こればかりは勘違いじゃないだろう。

 だって、実際に『だーりん』と呼ばれた記憶もある。

 羽搏さんだって肯定したのだから。

 だけど。


「羽搏さん。俺に少し、時間をくれませんか?」


「……どうして?」


「俺にはまだ、確かめなければならないことがあります」


 そう……思い出した三つ目の記憶。

 四元院海羽さんのことだ。彼女との関係を確かめないことには、羽搏さんとも向き合うことは出来ない。

 いや、それどころか記憶喪失前の俺が羽搏さんを騙して弄んでいたという可能性は、まだゼロじゃないのだ。


「それを確かめなければ、俺はあなたの最愛の人にはなれません」


「…………さいあいのひと」


「羽搏さん?」


「……なんでもない。言葉の余韻に浸っていただけ」


 どこか幸せそうに頬を緩める羽搏さん。

 よく分からないけど、幸せなのはいいことだと思う。


「とにかく、行かせてください。あなたの最愛の人だと、胸を張って言えるようになるために」


「…………さいあいのひと。いい……とても……」


 『いい』……言ってもいいってことか?


「ありがとうございます。では、行ってきます!」


 確かめに行くんだ。四元院さんのもとへ!

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