第53話 お嬢、窮地に立つ
私が四元院海羽から呼び出しを受けたのは、始業式を終えた直後だった。
本来なら影人の傍にいて泥棒猫たちの魔の手から守らなくちゃいけない。だからよほどのことがなければ離れたくは無かったのだけれども……他の泥棒猫の動向が気になるというのが正直なところだった。
この特級泥棒猫共が私の見ていないところでとんでもないことを企むのは夏休みの時点で実証されているし、四元院家は天堂家でも無視できないぐらいの名家だ。
私は乙葉に対して権力や資金力という点で勝っているかもしれないが、海羽とは五分と言ったところだろう。逆にアーティストとしての才能――――ひいてはその肩書きとそれが生み出すシチュエーション力において、私と海羽は乙葉には勝てない。
これが、羽搏乙葉と四元院海羽が特級泥棒猫である所以。
他の平均的な泥棒猫たちに対して圧倒的に勝る私の強みが、この二人には通じないのだ!
だから海羽相手に気は抜けない。
連絡一つ呼び出し一つとっても、無視はできない。
本来なら、影人も同席させるところだったけど。
今の影人に会わせるのは、色々と都合が悪い。いや別に条約違反はしていないけれど。そう。条約違反はしてないけれど、あれがあれしてあれなので、まずい。
だから影人は連れてこなかった。下手に連れてくると条約違反がバレる……いや条約違反はしていない。あれがあれしてあれしていることをつつかれても面倒なので。
乙葉の方は、今日はなぜかいなかったし。今は傍に風見もいる。だから大丈夫だ。きっと。
海羽が指定してきたのは、芸能関係者も利用しているという、個室スペース付きの料亭だ。少なくとも女子高生二人が雁首揃えてお話を楽しむような場所ではない。ドラマとかでよくある腹黒政治家二人が汚職について語り合うなら、まだ分かるけど。
「ごきげんよう、星音さん」
その場所で、先んじて店に着いていたであろう海羽は穏やかな笑みを携えて待っていた。制服姿であることを見るに、彼女も学校終わりに直接ここに来たのだろう。
「はいはい、ごきげんよう。……それで? どうして急に呼び出したのかしら」
「それは勿論、影人様の様子をうかがうためですわ。入院されてたんですもの。経過を気にするのは、正妻――――失礼。未来の妻として、当然のことかと」
「なァにが正妻よ未来の妻よ何一つとして訂正してないし正確な情報が一ミリたりとも入っていないじゃないのよ!」
やっぱりか。そんなところだろうと思っていた。
そうでもなければ私を呼び出すなんてことはしないだろう。
だけどこれを見越して影人は連れてこなかったのだ。流石は私。
「影人は元気よ。体の方はぴんぴんしてる。はい以上終わり」
きっと相手は、まだ手探りの状態。私の条約違反……はしていないけれど、影人が私と恋人だと思っていること……あれがあれしてあれな件はまだ掴んでいない。つまり、この呼び出しはフェイク!
「天堂さん。あなた、条約違反しましたわね?」
――――っ……!?
「異議あり! 私が条約違反をしたという証拠も根拠もないでしょう!」
「ふっ……この場に影人様を同席させていないことが、何よりの証拠ですわ」
「な、なんですって……!?」
海羽は勝ち誇ったように笑みを浮かべながら、更に続ける。
「この状況で影人様から不用意に目は離せないはず。学園には羽搏乙葉さんがいる以上は猶更。わたくしに会わせることに多少のリスクはあれど、それでもあなたなら天秤にかけて影人様を同席させるはず。自分が傍にいて監視の目を光らせた方が安心できるでしょうしね。なのに影人様を同席させていないということは……即ち、今の影人様をわたくしに会わせるのは、都合が悪いからではなくて?」
バレてる。
「恐らく影人様は記憶を一部取り戻したのでしょう。記憶喪失になった人の経過を案じているわたくしに対して『体の方はぴんぴんしてる』という言い方……嘘はついていないギリギリのラインを狙ったこの発言で、記憶の方に何らかの進展があったことは読めましたわ」
更にバレてる。
「星音さんのことです。どうせ断片的な思い出し方をして妙な勘違いをした影人様に対して、上手いこと自分を恋人か何かだと勘違いをさせて条約違反したのでは?」
もう全部バレてる。
「ふ、ふっふっふ……面白い推理ね、探偵さん。特級泥棒猫なんてやめて小説家にでもなったらどうかしら?」
「サイン会には招待してさしあげますわ」
ちぃっ……! 流石は特級泥棒猫、手ごわい!
だけど甘いわよ!
「あなたの推理はよく出来ているけれど証拠がないわ。影人がこの場にいないことが証拠になりはしない。私はね、証拠の無いただの妄想に付き合う気はないわよ」
どーよ! 物的な証拠がなければ追及出来ないでしょう!
いくら影人が同席していないとはいえ、それが決定的な証拠にはなりえないのよ!
「でしたら影人様を呼び出しましょう。今すぐに」
「ここは女子会としゃれこまない?」
今だけは現代科学が憎い。
スマホなんてものがあるからミステリーの制約が増えるのよ。
クローズドサークルにする側の苦労を考えてほしいものだわ。
「分かりました。星音さんがどうしてもわたくしと女子会をしたいと懇願するのであれば、そうしましょう」
「は? 懇願? この私が? 泥棒猫に?」
「さて、さっそく音声通話をタップっと……」
「わ、私とぉ……じ、じょしっ、女子会……をぉぉ……! してっ……して、いただけないで、しょう……かぁぁぁ…………!」
「…………自業自得とはいえ、今にも血の涙を流しそうな勢いで言われると、なんだかとても哀れに見えてきましたわ」
屈辱……! なんたる、屈辱……!
しかも何よ自業自得って! そもそも特級泥棒猫に女子会でもしないとか言い出したやつのせいじゃない……!
(…………………………私だったわ……!)
……やっぱなし。うん。全ての元凶は条約を破ったやつよ……!
誰よ、条約を破って特級泥棒猫に付け入られる隙を与えてしまったのは……!
(…………………………それも私だったわ……!)
くぅぅうううう……! 何から何まで私のミス……!
「まあ、いいでしょう……こちらとしても天堂さんを拘束できるのは都合がいいですし。お店を貸し切ったかいがあったというものですわ」
そうよ。状況的には最悪じゃあないわ。
この特級泥棒猫をこの場に拘束できるのは、私も同じ!
そして! 現代科学の力を使えるのも、同じなのよ!
(私を甘く見たわね四元院海羽……!)
こんなこともあろうかと。
私が独自に開発したスマートウォッチには、ボタン一つで任意のアカウントに、あらかじめ設定したメッセージを送る機能が搭載されているのだ。
そして今の設定は影人のアカウントに『今すぐ家に帰って一歩も出ないで』というメッセージが飛ぶようにしてあるのよ!
「あら星音さん。スマートウォッチをしてるなんて、珍しいですわね」
「最近つけ始めたの。便利よ、これ」
くっ……! 鋭い……!
私がスマートウォッチを操作しようとしたところで、すかさず……!
これではボタン一つ押すことも難しい……!
まるで水のように柔軟で流動的な守りだわ……!
(だけど! 私はこのシチュエーションすらも想定済み!)
このお手製スマートウォッチの隠された機能を発動!
事前に設定していた一定の心拍数を計測した場合、この端末を心拍数で操作できるモードに入る!
そして私は! 影人にドキドキしすぎて近頃は心拍数をある程度なら自分の意志で操作できるようになったのよ!
よって! 私はボタンに触れずとも、心拍数による入力操作でメッセージを送ることが可能となる!
(ふふふ……メッセージの送信は完了……これで少なくとも今日は条約違反の決定的な証拠は押さえられないわ)
この卑怯卑劣な特級泥棒猫の策略にはまった(私のミスは無視するものとする)状況で守りの手を打てた自分に、心の中で喝采を送る。流石は私!
(――――っ……!?)
スマートウォッチに、通知が入ったことを知らせる僅かな振動。
影人からの返信ではなかった。
これは……!
(メッセージの送信に失敗した!? そ、そんなバカな……!)
画面の表示はメッセージの失敗を知らせるもの。
その理由は、ここが圏外になっているからだ。
おかしい。地下でもなければ人が密集しているような場所でもないのに、圏外だなんて……。
(まさか…………電波妨害!?)
それ以外に考えられない。
この店を指定し、更に貸し切りにまでした上に、天堂家にも匹敵しうるだけの資金力を持つ人間が、私の目の前にいるのだから。
「あら星音さん。顔色が悪いのではなくて?」
「電波妨害だなんて味な真似を……!」
「なんのことでしょう?」
「わざわざ私と影人の連絡手段を絶つために料亭を一つ丸ごと貸し切って電波妨害なんてかますのは、あんたの他にいるわけないでしょうが!」
「わたくし、証拠の無いただの妄想に付き合う気はありませんの」
「よくもまあいけしゃあしゃあと! 少しは常識というものを身につけたらどうなの!?」
「…………失礼。天堂さんから常識を説かれて、少し眩暈が」
「私を何だと思ってるわけ?」
「非常識が服を着てトライアスロンをしているような方だと」
「オーケー。喧嘩を売られてることだけは分かったわ」
くっ。特級泥棒猫はやっぱり手ごわい。非常識な手を使ってくる。
常識的でつつましやかな私とは大違いだわ。
「言っておきますが、退席は条約違反を認めたものとします」
「なん……ですって…………!?」
こ、この特級泥棒猫……!
意地でも私が条約違反をしたと認めさせる気だ……!
なんて卑劣な!
………………………………私が実際に条約違反をしたかどうかは置いておきましょう。私は過去を振り返らない。つまり、やっぱり、これは特級泥棒猫の卑怯卑劣極まりない罠というわけね!
「ふふふ……覚えてますわよね、星音さん。条約違反者へのペナルティーは」
そう。この条約には、違反者へのペナルティーが存在する。
当然だ。ペナルティーを設けなければ、あの場に揃った私を含めた三人は、誰一人として条約なんて守らないから。
「…………三日間、他の泥棒猫のアシスト役に回る」
他の泥棒猫が影人にちょっかいをかけている間、私は指をくわえて見ているだけではあきたらず、アプローチの補助に回らなければならないのだ!
なんて屈辱的なペナルティー! たった三日が永遠にも等しい時間にも感じられるに違いないわ!
「楽しみですわ。星音さんがわたくしのアシスト……ふふふ」
きっと海羽の脳内ではおぞましい地獄の光景が広がっているのだろう。
こうならないためのペナルティーだったのに、あの瞬間、私の頭から完全に吹き飛んでいた。我に返った時にペナルティーの存在を思い出したけれど、私の天才的な頭脳は「バレなきゃ問題ナシ」と結論付けた。結果、このザマよ。
くぅっ! だって仕方がないじゃない! 私が想定もしていなかったイレギュラー(影人がめちゃくちゃ都合の良い思い出し方をしていた)が起きたんだから!
(…………イレギュラー)
そうよ。私のはあくまでも不運な(幸運とも言える)イレギュラー。
計算外。偶然。
「ふっ……ふふふふふ…………」
「あらあら。ついに条約違反を認める気になりましたか?」
「……条約違反。あなたは、していないと?」
「当然でしょう。本当なら今すぐにでも影人様に会いに来たいところですが、こうして堪えておりますもの。健気なわたくしは影人様とお会いできる時を一日千秋の思いで待ち望んで……」
「堪えきれないやつが、あなたの身内にいるとしたら?」
「何を言って………………」
「『泥棒猫不可侵条約』は、抜け駆けを禁止するためのもの。だけど私たちは人を動かすだけの権力や人脈を持っている……よって、身内を使ってのアプローチも禁止されていたはずよね?」
「…………っ!」
どうやら。海羽も、その可能性に気付いたらしい。
「あなたは条約を破っていない。だけど――――影人のことが大好きな、あなたの兄はどうかしらね!?」
「そ、そんなことでわたくしを揺さぶろうとしても無駄ですわ! そんな都合よく、お兄様が動くはずが……!」
「ふっ……甘いわね。特級とはいえ、所詮あなたは新人の泥棒猫」
「どういう意味ですの……!?」
「あの影人が、イレギュラーを引き起こさないとでも!?」
「………………………………ひ、否定できませんわ……!」
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