第51話 いざ学園へ

「あれ…………ここ、どこだ」


 天堂さんと顔を合わせていることが気まずくなって、屋敷を飛び出して。

 ふと、我に返って立ち止まった時には、俺はどこかの公園にいた。

 自分でいうのもなんだが、凄いなこの体。

 スマホで現在位置を調べると、天堂家のお屋敷から五キロ離れていたけれど、汗一つかいていなければ、息一つ乱れていない。

 自分の肉体スペックに若干引きながら、とりあえず近くに会ったベンチに腰を下ろす。


 タイミングが良かったのか。

 公園には俺以外に誰もいなかった。人けのない空っぽの空間は、考えを整理するのに向いている。


 突発的に、自分の記憶を一部取り戻した時に感じたのは、『自分の記憶というものを信用していいものか』だった。

 何しろ素直に信じるにしては、あまりにも……無茶苦茶な記憶だったから。

 だってそうだろう?


 俺は天堂さんと半同棲状態で『ラブラブあまあま夏休みライフ』を過ごしていたなんて、とても信じられない。しかも他に二人の美少女ともかかわりを持っていた。

 信じろという方がおかしい。というか、記憶を失う前の俺に対してツッコミを入れたい。なんでそんなことになっているのかと。


 だから、勇気を出して質問してみることにしたのだ。

 記憶を失う前の俺をよく知る人、天堂星音さんに。


 半同棲状態で『ラブラブあまあま夏休みライフ』を過ごしていたのであれば、それはもう恋人関係なのではないか。そんな恐れ多い推理をした俺は、答え合わせをすることにした。そして返ってきた答えは――――。


「俺と天堂さんは、恋人同士だったのか……」


 まさかの。まさかの、答えだった。

 天堂さんは可愛い。こんな美少女と常日頃から一緒にいたら、心臓が爆弾みたいに爆ぜてどうにかなってしまうんじゃないかと思う。記憶を失う前の俺は、鋼の心臓の持ち主であったことは確実だ。


 だが、俺が本当に天堂さんの恋人だったとしたなら……二つの謎が生まれたことになる。


 ――――俺は歌姫と呼ばれている、あの羽搏乙葉さんのマネージャーで、だーりんであり。

 ――――更に四元院海羽さんとは、ホテルの同じ部屋で寝泊まりする関係だった。


 ………………………………おかしくない?


 マネージャーをやっているだけなら分かる。

 なぜ高校生でしかない俺がマネージャーをやっているのかは分からないし、おかしいとは思うけれど。それよりもっとおかしいことがあるから、とりあえずはよしとしよう……でも、だーりんって何? どういうこと?


 四元院海羽さんの件もそうだ。

 恋人がいる男が、別の女性とホテルの同じ部屋で寝泊まりしていいわけがなくないか? いくらなんでもおかしくないか? これが恋人のいる男のとる行動か?


 この記憶全てが本当なのだとしたら、俺は救いようのないクズ野郎ということになる!


「…………確かめないとな。天堂さんのためにも」


 俺が三人の美少女を誑かしているクズ男だった場合、羽搏乙葉さんと四元院海羽さんとのことも、天堂さんに秘密にしている可能性が高い。

 もし、俺がクズ男だった場合は、恋人である天堂さんに全てを明かすべきだ。

 あなたという最高の恋人がいながら、他の女性を誑かしていたと。


「記憶のことは……まだ、天堂さんには黙っていよう」


 伝えるにしても事実を把握しておこう。

 全てを知った上で、彼女に打ち明け、己の罪を受け入れなければ。


 まずは……会おう。羽搏さんと、四元院さんに。


     ☆


 自分自身の記憶と向き合う決意をした翌日。

 夏休み明けの二学期初日。俺は記憶喪失のまま、天上院学園へと登校することになった。


 どうやら俺と天堂さんは、送迎車による登下校を行っていたらしい。

 ごく稀に徒歩で向かったり、ある時は電車を使ったりしたこともあったそうだけれど、基本的には車による送り迎えだそうだ。


(話に聞いたところによると、羽搏さんは同じクラスらしいからな。どこかで隙を見つけて、話さないと)


 お互いに連絡先は交換していたらしく、スマホでやり取りをすることは出来る。

 だが自分の記憶のことだ。トーク画面でのテキストでのやり取りや通話越しではなく、実際に彼女たちと顔を合わせて話を聞きたかった。

 ……いや。これは言い訳か。

 ただ、怖いんだ。自分が救いようのないクズ男であるという事実を突きつけられるのが。それを少しでも先送りにしようとしているだけ……。


「影人。学園に行く前に、あなたに話しておかなければならないことがあるわ」


「話、ですか?」


 なんだろう。天堂さんも何か秘密を抱えているのかな?


「……あなたは、狙われているの」


 天堂グループは世界的にも有名な大企業だ。

 そして天堂家は古くからの名家でもあるそうで、そこのご令嬢である天堂さんを狙う輩がいたとしても不思議ではない……ん?


「俺が狙われてるんですか?」


「そう。あなたよ。狙われているのは」


 ……天堂さんなら分かるが、俺が狙われる?

 俺はただの使用人だ。無論、こうして天堂さんと学園に通っているのは、護衛を兼ねているという面もあるのだろうが……ハッ。もしかして、そういうことか?

 俺を排除すれば、天堂さんを狙う輩からすればこれ以上ない好機が訪れる。


「……俺は、誰から狙われているんですか?」


「恐ろしい敵よ。たとえるなら、獰猛な肉食獣……」


 軍用犬? いや……生態兵器の類か?

 俺が記憶を失う直前には、天堂家を狙う組織の兵器? か何かを壊してたらしいし。生態兵器も大袈裟ではなく、可能性として考えられる。


「私は――――泥棒猫、と呼んでいるわ」


「泥棒猫」


 ………………………………獰猛な肉食獣?


「それは……いわゆる暗号名コードネームというやつですか? 天堂グループを狙う企業スパイのことを、そう呼んでいるとか?」


「むしろ企業スパイの方が、どれだけよかったか……」


 企業スパイの方がよかったんだ……。

 

「じゃあ、その……泥棒猫? が、俺の命を狙っていると?」


「奴らが狙ってるのは、あなたの命じゃないの」


「では、俺の何を狙って……?」


「貞操よ」


「貞操」


 …………………………………………えっ?


 俺って、泥棒猫から貞操を狙われているの?


「言ったでしょ。奴らは獰猛な肉食獣。一度捕まれば最後、あなたは……くっ! 言葉にするのも恐ろしい目に遭わされるに違いないわ……!」


 本気にしていいのか本気にしない方がいいのか、判断がつきづらい。


「特に羽搏乙葉には気をつけなさい。あと、他の学園にいるけど四元院海羽という泥棒猫にもね」


「はぁ……」


 よりにもよって俺が接触しようとしている二人じゃないか。

 しかも俺の記憶が確かなのであれば、むしろ俺は狙われる側ではなく狙う側だった気がするのだけど……。


「えーっと、じゃあ……俺が記憶喪失であることは、周りには隠した方がいいんですか?」


「影人は隠したいの?」


「いえ。そういうわけでは」


「だったら、別に隠さなくてもいいんじゃない? どちらにせよ隠し切れるものでもないでしょうし……まあ、本当は、付け入る隙は与えたくないというのが本音だけど……」


「そうですか……では、一応周りの人たちには明かしておこうと思います。不便をかけるかもしれませんし」


「あなたがそうしたいなら、そうしない。私としてはむしろ、例の件を隠してもらった方が……」


「例の件……ああ、俺と天堂さんが、その……恋人関係であること、ですよね」


「…………何とは言わないわよ? 何とは言ってない。例の件と言っただけで。ただ、そうね? 隠した方が、いいかもね」


 なるほど。俺達の関係は学園では秘密だったのか。

 秘密の恋人関係。ちょっとそわそわしている自分がいる。


「……条約破りなんて、隠しておくに越したことはないだろうし」


「条約?」


「こっちの話よ」


 そんな話をしているうちに、送迎の車は天上院学園に到着した。

 今日は二学期の始業式ということもあって授業は無いらしい。

 教室に入ると、どこか懐かしいような匂いがする。記憶を失っている俺からすれば初めて訪れた場所なのだが、初めての気がしない。


「あ、影人くんと天堂さんだ」

「おはよー、二人とも。夏休みどうだった?」


 クラスメイトであろう女性たちからの挨拶。

 この人たちと俺はどのような関係だったのだろうか。

 ただのクラスメイト? それとも友達?


「おはよう。まあ、それなりに楽しんだわ」


 天堂さんは涼しい顔をしながら挨拶を返している。

 見た感じでは特別親しい友人、というわけでもなさそうだ。

 普通に挨拶を交わすクラスメイトぐらいの位置づけだろうか。


「おはよう」


 不安なりに精一杯の挨拶を返すと、話しかけてきた女子二人は、呆気にとられたような顔をしている。


「え……うん。おはよう」

「影人くん、なんか……雰囲気が変わった?」


 うっ。何が違ったのか分からないけど、前の俺とは違うのか。

 どうやら違和感はあるらしい。目を丸くしている。


「雰囲気というか……実は……」


 別に隠すつもりもなかったので、その場で記憶喪失になったことを説明した。

 学園の設備や教室の場所もすっかり忘れてしまっているので、しばらく不便をかけるかもしれないとも付け加えておいた。


「えっ、記憶喪失!?」

「怪我したの!?」

「うん。でも、怪我自体は大したことじゃないから……」

「おっ。なになに? 何の話?」

「大変だよ! 影人くんが記憶喪失になっちゃったんだって!」

「記憶喪失!? 本当かよそれ!?」


 その場で話しているうちに、俺の記憶喪失はあっという間に教室中に広がっていった。これなら何度も説明する手間はかからなさそうだ。


「学校に来ても大丈夫なの?」

「医者から許可は貰ってるから。それに、今日は始業式しかないって聞いたから、今のうちに学校の中に慣れておこうと思って。教室の場所とか、雰囲気とか」


 教室に入って『初めて来た場所』という感じはしなかったものの、教室の場所や、どんな設備があるのかまでは覚えていない。明日から始まる授業で周りの人たち……特に天堂さんに迷惑はかけないようにしておかないとな。


「じ、じゃあ……わたし、校舎の中、案内しよっか……?」


「いいの?」


「うんっ。わたし、部活にも入ってなくて時間はあるから……!」

「あ、わたしも! 一緒に案内するっ!」


 ありがたいことに、クラスメイトの人たちが何人も校舎の案内をしたいと申し出てくれた。とりあえず俺はクラスの中では上手くやっていたらしくて安心する。


「ここぞとばかりに、潜伏していた泥棒猫たちが次々と……! え、影人! 学園の案内なら私だって出来るけど!?」


「流石に学校生活まで天堂さんに迷惑をかけるわけにはいかないよ。ただでさえ、身の回りのことは天堂さんの世話になってるしさ」


 記憶喪失になった俺のお守ばっかしてたら、天堂さんだって自分の学校生活を楽しめないだろうしな。


「せめて学校の中ぐらいは、俺のことは気にせず楽しんでよ」


 恋人の方だけに一方的に負担をかけるのはな。

 気持ち的に微妙なところだ。早く学校生活ぐらいは、自分の力だけで送れるようにしないと。


「くぅっ! この私とあろう者が、なんだか墓穴を掘った気がするわ!」


 天堂さんは楽しい人だな。表情がころころ変わって、見ていて本当に飽きない。

 記憶を失う前の俺は毎日が楽しかっただろうな。こんな人の傍にいられて。


(でも……思えば恋人がいるのに、他の女子と一緒に行動するのは……あんまりよくないかも?)


 恋人の天堂さんからすれば面白くないだろう。

 配慮が足りなかったかもしれない。

 

「あ! 今、墓穴が埋まった気がする! 流石は私!」


 学園の案内は男子に頼んだ方がいいかな。

 その人にとっては手間になっちゃうだろうから、心苦しいけど。


「はいはい、みんな落ち着けって。そんな一斉に詰め寄られたら影人も困るだろ~?」


 いつの間にかちょっとした騒ぎになってしまっていた教室を収めてくれたのは、やけに懐かしい感覚のする男子だ。軽薄そうに見えるけれど不快感はない。その軽さを親しみやすさに変えているような……そうだ。俺は知っている……こいつのこと……。


「よぉ、影人。元気そうだな……って、オレのこと、分かるか?」


「…………雪道」


 そいつの顔を見たら、声を聞いたら、不思議と頭の中に名前が浮かんだ。


「風見、雪道……だよな?」


「おっ、正解! なんだよ、オレのこと覚えてたのか?」


「いや……なんでだろうな。お前の顔を見たら、なんとなく……名前がぱっと浮かんだんだ」


 変な感じだ。名前が浮かぶどころか、もう何年も一緒にいる親友みたいな気分だ。


「雪道。俺とお前って、親友……だったりするよな?」


「はははっ! なんだよ、本当に記憶喪失か? お前」


 しっくりくる。こいつとの会話が、物凄く体に馴染む。

 欠けていたピースが嵌ったみたいな。

 まだ記憶は戻らないけど、体が覚えている。


「影人。学園の案内ならオレがしてやるけど?」


「そうか。じゃあ、頼む」


「おうよ! 任せとけ!」


 元気よく胸を張った雪道だが、その視線が俺の背後へと向いた瞬間、なぜか顔が固まった。しかも、汗が滝のように流れている。


「……影人。始業式、行くぞ」


「ん? ああ、分かったけど……後ろに何か――――」


「き、気にするな。何もないから、な? ほら早く行くぞ! ついでに案内もしてやるから!」


 どうしたんだろう、雪道のやつ。

 俺の後ろには天堂さんがいるぐらいで、他には何も無いはずなのに……。


「………………ワタシ ノ トキ ハ カオ ヲ ミテモ ナニモ オモイダサナカッタ ノニ、ドウシテ カザミ ノ トキ ダケ オモイダシテル ノ……?」


 何だろう……背後から、凄く圧のある声が聞こえてきたような気が……。

 まあ、気のせいか。

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