第56話 夜の語らい②
四元院家に宿泊させてもらうことになった俺たち。
天堂さん、羽搏さん、四元院さんの三人は、なぜか三人で一つの広間を使って就寝することにしたらしい。
このお屋敷の広さなら客間の一つや二つぐらいはありそうなものだが。
きっと、三人の仲が良いからこそのものなのだろう。
結局、俺は誰とも恋人関係だったりはしなかったようで、そこはほっとしたけど。
こんな美少女三人と仲良くして――もっといえば女子たちに囲まれて、俺は気まずくは無かったのだろうか……使用人としての心構えみたいなのが備わっていたのかもしれないな。うん。
俺の方はというと、個別の客室を用意してくれるとのことだったがお断りさせてもらった。今は休養中とはいえ、俺は天堂家の使用人らしい。主人である天堂さんを差し置いて個室でくつろぐという提案は、承諾しかねた……いや。正確には、心が拒んだというべきか。
頭ではご厚意に甘えてしまおうと思いつつ、心が先に向こうの提案を拒んでいた。
どうやら記憶を失う前の俺は、かなり忠誠心の厚い使用人だったらしい。
天堂さんから信頼を寄せられるのも納得だ。
「ふむ。一人だけ個室を使うことを気にするのであれば、私の部屋はどうだろうか」
「えっ。それは嵐山さんの邪魔になるのでは……」
「問題ない。むしろ君とは言葉を交わしたりないと思っていたところだ。無論、君さえよければだが」
「では……お言葉に甘えさせていただきます」
むしろ次期当主の部屋で泊まるぐらいなら、大人しく個室を使えばよかったのではないだろうかと思わなくもないのだけれども、記憶を失う前の俺からすればセーフ判定らしい。あと、単純に嵐山さんに圧があったので断りづらかったというのもあるが。
そんな風に自分で自分に対してツッコミを入れつつ、俺は嵐山さんの部屋で寝ることになった。
どうやら嵐山さんはベッドではなく普段から布団を敷いて寝ているらしい。
俺は彼の隣に布団を敷かせてもらい、そこで眠りにつくことにした。
「…………夜霧影人。記憶の方は、何か思い出したか」
「いえ……実は、あまり思い出せておりません」
「そうか。……不安もあるだろうが、大丈夫だ。天堂家の医師がそのうち記憶が戻ると判断した。なら、記憶は戻る。焦らずにな」
「……はい」
良い人だな。嵐山さんは。
思えば俺のことをずっと気にかけてくれているし。
わざわざコラージュした写真を用意してまで、俺を和ませようとしてくれるジョークセンスの持ち主でもある。
こんな良いお兄さんを持てて、四元院さんは幸せ者だろうな。
「…………嵐山さんと四元院さん……あ、妹さんは、仲が良いんですね」
「そう見えるのだとすれば、君のおかげだ」
「え?」
「少し前までの私と海羽は、傍目から見てあまり上手くいっている兄妹ではなかった。過去の私が犯した過ちがきっかけで、私は海羽に対して臆病になってしまっていてな……だが君が作ってくれたきっかけで、仲の良い兄妹に見えるぐらいには、交流を持つことが出来た」
「あんまり実感はないですけど……」
「実感は無かろうと事実だ。私たちが家族でいられるようになったのは、君のおかげだ。感謝している」
「家族……」
その
「どうした?」
「…………俺の家族って、どんな人たちなんだろう」
それは嵐山さんに呼びかけるわけでもなく。
ただ何となく、零れた言葉だった。
「俺は天堂家の使用人として働いていたってことまでは分かってるんです。でも……なんで俺は、俺だけが、天堂家で働いているんだろう……父親とか母親とか、そういう人たちのこと、全然知らなくて」
「…………天堂星音に尋ねなかったのか?」
「一応、訊いてみたりはしたんですけど……はぐらかされました。まだ記憶喪失になったばかりで大変だろうから、落ち着いてから話すと」
「そうか……天堂星音がはぐらかしたのであれば、彼女なりの考えがあってのことだとは思うが」
「……ですよね」
はぐらかすとすれば理由があるはずで。
理由はきっと、あまり良いものではないのだろう……というのは、なんとなく、察することが出来る。
良いことなのであればはぐらかす必要はないわけだし。
「……それでも、気になるのか」
「……はい」
記憶喪失になったことで、俺は過去の出来事を全て忘れてしまった。
思い出した記憶は多少なりともあるけれど、それでも喪失した記憶の方が多い。
足元がおぼつかなくて、ふわふわしているような感覚。
冷たい風が吹きすさぶ空虚な空間を胸の中に抱えているような気がして――――寂しい。
俺の周りには天堂さんたちがいて、いつも明るく楽しいけれど。
胸の中にはいつも隙間風が吹いている。
その隙間が。欠落が。満たすことを許してはくれない。
友達でも最愛の人でも主人でも埋められないもの。
埋めても埋めても埋まらない、奥底にあるもの。
もっと根本的で根源的なもの。
「記憶喪失になって、皆さんに色々とよくしてもらってますけど。それでも、どうしてかな……俺の中にはまだ隙間風が吹いていて、何か欠けている気がして……その欠けているものが『家族』であるなら、知りたいと思ったんです。たとえ……よくない記憶だとしても」
「…………その想いを、天堂星音には伝えないのか?」
「はぐらかしたのも、俺のことを思ってのことだと思うんです。それに反するようなことを、表立ってはしたくない、という気持ちもあって……」
「だとしても、伝えた方がいいと思うがな。私は」
きっぱりと、嵐山さんは言い切った。
やけに確信めいた口ぶりだった。
「後悔するぐらいなら、踏み込んだ方が良い。天堂星音なら、君の真剣な想いを無下にはしないだろう。まあ、仮にそれでもはぐらかされたのだとしたら……」
「したら?」
「……その時は、私が力になろう」
「それは……とても、心強いですけど。どうして、俺にそこまで?」
「さっきも言ったが、私と海羽が今のような『家族』でいられているのは、君のおかげだからな。お節介を返しているまでだ。『家族』のことなら、猶更だ」
「あはは……俺、覚えてないんですけどね」
「助けられた者が覚えていればそれでもいい」
「そういうもんですか」
「そういうものだ。義理や人情は大切にした方が敵も作りにくい。無論、それだけでもいけないがな」
嵐山さんも次期当主として精力的に動かれている方だからな。
既に社会人としての経験をいくらか積んでいるからこその、言葉の重みか。
「……分かりました。明日、もう一度天堂さんに訊いてみます」
「それがいい」
少し、胸のつかえがとれたような気がする。
そう思ったら、瞼が重くなってきて……気づけば、俺は眠りについていた。
☆
翌朝。
俺たちは早くに支度を済ませ、朝食もご馳走になった後、四元院家の送迎によって俺と天堂さん、そして羽搏さんは各々の家に戻った。そのまま準備をしてから、すぐに学園へ登校する。
送迎の車に乗って移動している最中、運転手の人を除けば社内は俺と天堂さんの二人だけ。
(訊いてみるなら、今だよな……)
ゆっくりと落ち着いて話す機会なら屋敷に戻ってもあるだろうけれども。
学園に着いてからは、そうそうないだろうし、学園の中でするような話でもない……気がする。
「…………っ」
いざ、訊こうとすると言葉が喉で詰まる。
口が中途半端に開いたまま、流れてくる空気が揺蕩うだけで。
「……どうしたの?」
「え?」
「さっきから、何か言いたそうだったから」
「ああ、いや……」
上手く質問できない。どうしてだ。
昨日、嵐山さんと話して心の整理をつけたはずなのに。
まるで……まるで、知ることを体が、心が、拒んでいるような。
だけど落ち着かない。胸の中にある欠落が、どうにも。だから……。
「俺の家族のこと、教えてください」
疼く欠落を抑え込み、口から質問を捩じって吐いた。
「知りたいんです。俺の家族が、どんな人だったのか」
一度、吐いてしまえば。あとは簡単に次の言葉が出てきた。
「どうして俺は家族と離れて、天堂家に住んでいるのか」
唇が切れているわけでもないのに。言葉を吐けば吐くほど、血を吐いているような気分になる。生暖かい痛みを、吐き出しているような。
「…………」
俺の問いに対し、天堂さんは珍しく黙り込んだ。
元々はぐらかしていた手前、悩むところがあるのだろう。
それが分かるからこそ、これ以上問いかけることはしなかった。
「……私はね。あなたの家族のこと、あまり知らないの。知っているのは、あなたから聞いた少しの事情だけ。だけどそれは、あなたにとってあまり……良くない、思い出だと思う」
「俺のこと、気遣ってくれたんですね。ありがとうございます」
「……ただ身勝手なだけよ。あなたが思い出したいっていうなら、話すべきだし。ただ、影人は……記憶を失う前のあなたは、自分の家族のことを、あまり話そうとはしなかったの」
天堂さんはいつもの勢いを削ぎ、言葉を選んでいく。
その蒼く美しい瞳が僅かに揺れる。苦悩と不安に揺れ動く。見ていると、申し訳ない気持ちになってくる。心が痛む。あなたにそんな顔をさせてしまっている自分が、不甲斐なく思えてくる。
「あなたが話したがらないことを、私の口から話すことを……躊躇ったの。影人はきっと、それを望まないだろうから……」
天堂さんは結構、めちゃくちゃな人だ。
だけど今みたいな、ふとしたところで見せてくる誠実さが――――
(――――お嬢の魅力の一つだ)
…………ん?
(……あれ? 俺って今、天堂さんのこと……お嬢って、思わなかったか?)
「影人?」
「……っ。あっ……な、なんですか!?」
「あなたの様子が気になったから、話しかけてみたのだけれど……」
「だ、大丈夫、です。少し考え事をしていただけで」
「……そうよね。ごめんなさい、家族のことについて、すぐに答えてあげられなくて」
「そんな、気にしないでください。天堂さんが俺のためを思ってくれてのことだとは、理解していますから」
危ない。覗き込むように身を近づけてきた天堂さんの顔に、一瞬、息が止まった。
……薄々感じてはいたが、天堂さんって物凄く無防備じゃないか?
名家のご令嬢なんだし、もう少し警戒心を持った方がいいと思うのだけれども。
いや……自惚れたことを言うのであれば、それだけ俺を信頼してくれているのだろう。記憶を失う前の俺を。
しかし、本当に、記憶喪失前の俺は凄いやつだなとしみじみ思う。
天堂さん、羽搏さん、四元院さん。あれだけの美少女たちに囲まれて、何も感じなかったのだろうか? 正直俺はみんなの傍にいるだけで、ドキドキしっぱなしだ。
彼女たちのうちの誰かと恋人ではなかったことが分かって、少し……いやかなり、がっかりしなくもないけど。もしかしたら誰か、或いはみんなのことを、内心では好きになっていたり、気になっていてもおかしくはない。
自分の立場を考えて想いを押しとどめていたとか?
使用人という立場で考えてはいけないと。それだけ自分を律することが出来る人間だったら、天堂さんが無防備な信頼感を寄せるのも頷ける。
(いやほんと、記憶喪失前の俺って、我ながら凄いやつだ…………俺ならもしかしたらこの子たちは自分のことを好きなんじゃないか? って考えちゃうもんな)
それだけ距離が近い。勘違いしそうになるぐらいに。
まあ、記憶を失っている今、彼女たちとどうこうなりたいとは思わないけど。
記憶喪失のままだと向こうも遠慮とか気遣いとかあるだろうし。
(それに…………まずは自分のこと、解決しなきゃな)
こんな心の中に穴が開いたような状態で向き合っても、きっと相手を不幸にするだけだ。
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