第5章 夏休み編
第25話 夏休み初日
「これでよし、と……」
額に流れた微かな汗をぬぐう。冷房が効いているとはいえ、ダンボールを開封して荷物を取り出し、独りで部屋に配置していくのは中々に骨が折れた。
「足りないものは後で買い足しとくか。夏休みだけとはいえ、余ったら持ち帰って自分で使えばいいし……」
準備が済んだところで、あらためて部屋を見渡す。
ベッドやテーブル。電子レンジ、冷蔵庫などの最低限の家具や家電以外は特に飾り気のない簡素な部屋。後はテレビを繋げれば一旦は完成だ。テレビ関しては世間に流された表向きの情報をチェックする上で欠かせないので、早急に繋いでしまおう。期間限定で天堂家から離れているとはいえ、何もしないわけにもいかない。
夏休みに入る前、旦那様とお嬢の許可をとり、
曰く、「星音は渡さな……じゃない。お前もこの家の子供のようなものだ。遠慮をするな」ということらしい。
ありがたい話だ。天堂家からすれば余所者でしかない俺のことをここまで思ってくれているのだから。
最初は非常時に備えていつでもお嬢のもとに駆け付けられるよう、天堂家のお屋敷から近い場所にしようと思っていた。だがそれは旦那様から強く止められ、更にはお嬢の後押しもあって、お屋敷から離れた場所になった。
学園を挟んで丁度、真反対の位置になるだろうか。
……心配はあるものの、俺にとってもよかったのかもしれない。
下手にお屋敷に近いと天堂家の環境に甘えてしまうだろうし、それだと本末転倒だ。
そして、夏休み初日。
俺は天堂家から離れ、期間限定の一人暮らしを始めた。
「さて。まずは何をするか」
この一人暮らしの目的は己を磨くことではあるが……一番の目的としては、お嬢の傍から離れることだ。そもそもの発端は、俺が傍に居ることでお嬢の成長を阻害してしまうと思ったことなのだから。
だから具体的に自分で何かをする必要はないといえばない。
「…………とりあえず腕立て伏せでもするか」
とにかくお嬢の傍から離れなければ、という思いが強すぎたために、具体的に何をするのかを決め損ねてしまっていた。我ながら間抜けが過ぎる。
「五百七十八、五百七十九……」
「うーっす。邪魔しに来たぞー……って、何してんだお前」
腕立て伏せをしていたら、急に雪道が部屋に入ってきた。
「いや。特にやることもなかったから」
「それで腕立て伏せってのも分けわからんが……」
「というか、どうやって入ってきたんだよ。鍵はかけてたはずだぞ」
「合鍵だよ、合鍵」
「渡した覚えはないんだけどな」
「ははは。まあ、色々とな、色々」
その『色々』を聞き出したいのだが、こいつに問うてもロクな答えが返ってくるわけがないので黙っておこう。
「ま、よーするにだ。お前、暇なんだな?」
「…………認めるのは癪だが、暇だ」
「せっかくの夏休みだってのに寂しいねぇ」
「そのせっかくの夏休みにこんなところに来てるお前も中々に寂しいやつだと思うけどな」
「舐めんなよ。オレが何の理由もなく夏休み初日に野郎の家に寄ったりするかよ」
こいつが来た時点でそんなことだろうとは思っていたけど。
「……で、結局は何の用件で来たんだ」
「せっかく夏休みになったんだし、お前を遊びにでも誘ってやろうと思ってな。今までは天堂家のあれやこれやで遊ぶ暇なんてなかっただろ」
「当然だ。遊ぶ暇があるならお嬢のために尽くした方がいいからな。むしろそれ以外の時間は要らない」
「けど今は、そのお嬢様からは離れてるわけだ。しかも暇を持て余しているときてやがる」
「…………」
そこを指摘されれば弱い。『お嬢の傍から離れる』という俺の当初の目的は引っ越しが済んだ時点で達成されている。そして暇を持て余して腕立て伏せまで始めてしまったのもまた事実だ。
「確かに暇は持て余している。けど、だからってダラダラと遊んでばかりいては資金を出してくださった旦那様に申し訳が立たない。この夏休みは、己を磨くために使うと決めているんだ」
「その旦那様から頼まれちゃったりするんだなー、これが」
「なん……だと……!?」
まさに驚愕の事実とはこのことだ。冷房が効いた部屋だというのに、思わず眩暈がしたほどだ。
「つまり、お嬢も同じことを仰っているのか……!?」
「…………いや。あのお嬢様は無関係だ。天堂家当主からも内密にするように言われてる」
「そうなのか? けど、なんでわざわざお嬢にも秘密に……」
「そりゃなー。愛しの一人娘をそう簡単には渡したくはないわなー。けど、これがあのお嬢様に知れたらオレの身もやべーわけで……はぁ。まさかこの歳から中間管理職の気持ちが理解出来るとは思わなかったぜ」
「?」
「いや。なんでもない。こっちの話だ」
雪道は仕切り直すように咳払いしつつ、
「いいか、
びしっ、という音が聞こえてきそうな勢いで、雪道は俺を指でさした。
「お前には――――遊びが足りないッ!」
「あ、遊びが足りない……!?」
「そうだ! お前は真面目過ぎるんだよ! もっと遊べ! 遊び呆けろ!」
「待て雪道! お嬢の傍に仕える者としての相応しい振る舞いがある! 遊び呆けていることなんて俺にはできない……!」
「だからお前はいつまで経っても成長できないんだ!」
「成長……できない……!?」
頭をガツンとハンマーでぶん殴られた気分だ。今の俺にとって、それほど『成長できない』という言葉は効いた。
「真面目に勉強だけしているやつよりも、何だかんだで上手く遊んでいる奴の方が、世の中は得するようにできているもんだ!」
「お前が言うと嫌なぐらい説得力があるな……!」
「
こいつの言い分を認めるのも癪だが一理ある。
俺がこれまで狭い世界で生きてきたと指摘されれば頷くしかない。無論、普通の人間では得難い経験はしてきたという自負はある。その反面、所謂『普通の経験』に乏しいのではないだろうか。
「
悔しいが、こいつの話にはどこか引き込まれる魅力がある。お嬢とは違った面で、こいつもまた人を動かす立場の人間なのだろう。
……まあ、お嬢が『カリスマ性』だとすれば、こいつの場合は『詐欺師』と表現した方がしっくりくるのだが。
「……いいだろう。お前の言う『一般的な男子高校生』としての経験を積んでやろうじゃないか」
「分かってくれたか!」
「ああ。……それで、何をして遊べばいいんだ」
「それは……」
「……それは?」
雪道はもったいぶったように一拍置き、
「――――合コンだ!」
「絞め殺すぞ」
しまった。つい本音が出てしまった。
「待て。お前に絞め殺すと言われたら冗談でも冗談じゃなくなる」
「すまん。あまりにもバカみたいな提案が出てきたもんだから……」
「困惑するのも分かる。一般的に、合コンとは大学生以上の、いわゆる大人の方々がするものだからな」
「俺が困惑してるのはお前の頭にだよ」
やっぱりこいつは詐欺師か何かなんじゃないだろうか。
「合コンっていうのはあくまでも言葉の綾ってやつだ。実際は、他校の子たちと集まって一緒にお喋りしたり飯を食ったりしようってだけの、至って健全な集まりなのさ」
「つまり…………他校の生徒と交流を深めようって感じか?」
「そういうこと。しかも今回の交流相手はお嬢様学校として名高い『
「だ、旦那様が合コンのセッティング!?」
「おうよ! つまりこいつは、天堂家当主公認の合コンってわけだ!」
なんということだ。よりにもよって旦那様が合コンのセッティングを……?
これが現実だというのか? ダメだ。俺の中の常識と噛み合わない。
「本当ならこんな滅多にないチャンスにお前を連れて行くことは避けたかったんだが……それが当主の条件だったからな。仕方がなく誘ってやってるってわけよ。あ、断ってくれても全然いいけどな? そうすりゃ初々しい花々を独占される可能性は減るし」
「いや……旦那様が関与したとなれば、出席しないわけにもいかない……泥を塗ることになるから、な……」
しかし分からない。理解が追い付かない。
なぜ旦那様はそこまでして俺を合コンに……?
「しかし、いくら旦那様のツテがあったからとはいえ、あのお嬢様学校の生徒たちを引っ張り込めたな……いや、もしかして、例の件か?」
「
交流会か。なるほど……雪道が大袈裟に言ってただけか。
流石は旦那様だ。恐らく『天堂家に仕える者として学園に貢献しなさい』ということなのだろう。
「分かった。そういうことなら、参加させてもらうよ。その『交流会』」
「合コンな」
「なんでその呼び方に拘るんだよ……」
「んじゃま、詳細は追って伝えるからさ。そのつもりでいろよ~」
ひらひらと手を振って、そのまま雪道は家から出て行った。
どうやら今日はこれを伝えるためだけに来たらしい。……けど、何だかんだで俺の様子も見に来てくれたんだろうな。この件を伝えるだけならメールなりメッセージアプリなりで十分に事足りる。
「合コンか……お嬢に仕えてた頃は、考えもしなかったことだな」
☆
オレは
その相手とは現・天堂家当主――――天堂雄太さんであり、今回の
「あー、オレっス。はい。予定通り、合コンの件は伝えました。参加するようです」
何となく、
今頃あいつは何も知らずにいるのだろう。
「ああ、はい。案の定、何も勘づいてませんでしたよ。まあ、夢にも思っていないでしょうね。今回のこれが『合コン』でも『交流会』でもなくて――――
そう。今回、オレが
なぜこうなったか? 理由は至ってシンプル。
天堂家当主が親バカだからだ。
カワイイ一人娘を嫁に出したくない。しかし、その肝心の娘は
ということで、
……マジでただの親バカだな。その辺は、奥様であるところの天堂陽菜さんにはたしなめられる……というか、怒られることも多いらしいけど。
「分かってますよ。あのお嬢様には内密ってことぐらい。流石にバレたらオレだってヤベーですし、何より雄太さんもヤバいでしょ? 大丈夫です。秘密は守りますよ。ははは」
「――――あらあら。興味深い話が聞こえてきたわね? 乙葉」
「――――……うん。今、『お見合い』という言葉を確かに聞いた」
「はは……は…………」
「
「……初耳」
「……………………」
「しかも、お父様がセッティングしたなんとか」
「……わたしたちに黙って」
「「……本当に、興味深い話」」
「…………………………………………」
まるで空間がどす黒い闇に浸食されているかのような威圧感。
あまりの恐ろしさに身体が震え、振り向くことすらままならない。
というか、今、不用意に振り向きでもすれば……命はないだろう。
「お父様と繋がってるのよね?」
「……そのスマホ、渡して」
「…………………………………………」
口を開くな。
情報を扱う者として、
「ねぇ、風見」
「……聡明なあなたに、一つだけ質問する」
「…………………………………………」
喋るな。喋るな。喋るな。沈黙を貫き通せ……!
「「……海と山、どっちがいい?」」
「どうぞお納めください」
すみません。雄太さん。
海の底に沈められるか、山の中で生き埋めにされるか。そんな二択を突きつけられれば、オレだって従うしかない。だって命が惜しいから。
「さて……ゆっくりお話ししましょうか、お・と・う・さ・ま?」
オレには心なしか、スマホが震えているように見えた。
……よし。この間に逃げよう。なに、スマホの一台ぐらい惜しくはない。命には代えられないのだから。
「……どこに行く気?」
こっそりと逃げようとするオレの肩を、歌姫様の手が掴んで止めた。
知らなかったな……羽搏乙葉って、こんなにも握力が強かったんだ……。まるで万力じゃないか。
「二人とも、そこに正座しなさい」
「……事情を全て吐いてもらう」
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