第37話 お嬢様たちの目論見

 照り付ける夏の日差しを浴び、蒼く輝く海。足元には白い砂浜。

 うん。海。何度見ても海だ。アルバイトをしに来たはずが、どういうわけか俺は海にいる。

 思えば怒涛の流れだったように思う。バイト先である四元院様のお屋敷に到着して、当日説明されると知らされていたバイト内容を説明されるかと思いきや、いきなり海羽さんと車に乗ってお屋敷を出て、その次はプライベートジェット。そして船にも乗って……で、あれよあれよという間に、とあるリゾート地に到着していた。


 しかも海羽さんはどこかに消えてしまったし、俺は四元院家の使用人さんに「すぐこれに着替えて浜辺で待機していてください」と、どう見ても水着としか言いようのないものをもらってしまった。まあ、雇用主から着替えろと言われた以上は黙って従って着替えたけど。


「地図にない島にある、セレブ御用達の高級リゾートか……流石は四元院家だな」


「天堂家に仕えている影人様にそう仰っていただけるなんて光栄ですわ」


「海羽さん」


 砂浜に小さな足跡を記しながら、優雅な足取りでやってきたのは海羽さんだ。

 純白のワンピースに身を包み、頭には青いリボンの麦わら帽子。手には日傘を持っていて、乱暴に降り注ぐ真夏の日差しを上品に断っている。どれも世界的に有名なデザイナーが手掛けた、最高級ブランドのものだったはず。それをただ闇雲に身に着けるのではなく、調和させつつ上品に着こなしている。


「着替えてらしたのですね。月並みな言葉ですが、とても美しいと思います。海羽さんのお好きな青のリボンの帽子も素敵ですね」


「ふふっ。ありがとうございます。……あら? わたくしが青を好んでいるとなぜお分かりに? 影人様とわたくしは家同士の交流の場でしか関わることがなかったと記憶しておりますが……」


「それだけで十分です。周囲の観察、記憶、推測。天堂家に仕える者、お嬢に仕える者として当然の技能ですから。何より青いものを身に着けていらっしゃる時の海羽さんは、いつもより楽しそうなお顔をされてますし」


「あら。影人様には乙女の顔を覗き見るご趣味が?」


「そ、そういうわけでは」


「ふふふ。分かっておりますわ。少しからかってみただけです」


 海羽さんはそう言って笑いつつ、更に歩を進めていく。

 その歩みは止まらず、海羽さんは自らが持つ日傘の下に俺を引き寄せた。この時、日傘は日差しを遮るためではなく、周囲から俺と海羽さんを隠すためだけに使われている。そんな確信がある眼差しを、彼女は向けてきて。


「…………でも、影人様ならいいですよ」


 日傘の下。海羽さんは俺の耳元で、妖精のように甘く囁く。


「わたくしの顔を、好きなだけ御覧になっても」


 吐息が艶やかに耳元をくすぐる。一瞬だけ肩が強張ってしまったのは、海羽さんの唇が頬に触れた感触を思い出してしまったから。


「それも、からかいですか?」


「影人様は、どちらをお望みですか?」


 あんなことがあったせいだろうか。今も頬に残る熱の名残を意識すると、どうしても目の前の唇を追ってしまう。触れようと思えば触れられる距離。海羽さんの唇の動きは、それを誘うかのように蠱惑的だ。


(……しっかりしろ。思い出せ、夜霧影人やぎりえいと。お前はここに何をしにきた? 働きに来たんだろう)


 俺はここにアルバイトをしにきたんだ。報酬を受け取る以上、金額に見合った働きをしなければならない。そうだ。既にアルバイトは始まっている。


 ――――考えろ。脳をフル回転させ、思考の海に溺れろ。


 海羽さんのこの問いかけには何らかの意味があるはずだ。


 まずは状況を整理しよう。ここは高級リゾート地。白い砂浜に青い空、透き通るような海が広がっている。まさに夏が生み出す絶景。そして、この場所は恋人や愛人たちが訪れるスポットらしい。


 そんな場所で海羽さんはわざわざ美しいワンピース姿に着替えて、こうして日傘の下に俺を引き込んで、今にも唇が触れてしまいそうな距離で甘く言葉を囁いている。しかも、わざわざ異性である俺に対して。前回、頬に口づけをした男子に対して。


 以上の情報を集約し、回答を導き出すと……海羽さんは夜霧影人という男性に対して好意を持っており、アプローチをしかけている。


 ――――――――と、普通なら考えるだろう。


 こんな思考では、報酬分の働きはできない。

 雇用主の行動や支持の意図を察し、気遣いのできる世話係バイトにならなければ。

 それこそが、天堂家という宇宙で輝く綺羅星が如きお嬢に仕える者としての矜持。


 何より天堂家の使用人として、メンタル面の訓練も受けているからな。

 特に旦那様からは美人局対策も兼ねて、「星音……じゃない。女性の行動にいちいち勘違いしないように」と熱心に教育も受けた。


 その成果をここでいかんなく発揮するんだ。


 見抜くんだ。海羽さんの発言の真意を。言葉に秘められた本当の意味を!


「…………分かりましたよ。海羽さん。あなたの言葉の意味が」


「影人様……!」


「海羽さんの行動がからかいかどうか。俺はどちらを望むか。この問いかけの真の意味は……海羽さんの世話係としての心構えを、俺に示してくれたわけですね?」


「は?」


「指示待ち人間になるのではなく、自分で考えて行動しろ。……海羽さんは、そう仰りたいんですよね!」


「違います」


「違うんですか」


 海羽さんのこの目が死んだ表情かお知ってる。お嬢がよくするやつだ。

 ……というか、違うのか。おかしいな。渾身の解釈だったんだけど。


「……はぁ。なるほど。これは天堂星音が苦戦するわけです」


「なぜ、ここでお嬢が?」


「まあ、元より簡単だとは思っておりません。まずはじっくりと、同じ時間を過ごすところから始めましょう。……邪魔者は撒いたことですし」


「じゃまもの?」


「こちらの話ですわ。お気になさらず」


     ☆


「――――甘いわね。四元院海羽……いいえ。大型新人泥棒猫第二号」


 天堂星音はタブレットに表示された画像を見て笑みを浮かべる。

 隣できょとん、と小首を傾げているのは世界的にも有名な歌姫、羽搏乙葉だ。

 影人えいとから海羽のもとでのアルバイトを聞かされたことと、今日が休日ということもあって、星音のもとに合流してきたのだ。


「……もしかして、第一号ってわたし?」


「そうよ」


「……泥棒猫もなにも、影人は星音の彼氏じゃないのに」


「だまらっしゃい」


 都合の悪い言葉を全力で無視して、星音はタブレットを操作する。


「私を撒いたことは褒めてあげるけど、詰めが甘かったわね。外に出た時点で、衛星写真で丸見えよ」


「……またハッキング?」


「失敬な。私が作った人工衛星よ。乙葉あなたとの一件があってから宇宙そらに打ち上げておいたの」


「……その熱意を真っ当に使えばいいのに」


「あー、あー、聞こえない聞こえない。泥棒猫の鳴き声なんて何も聞こえないわ。……けど、厄介な場所に逃げ込んだものね。この高級リゾート地、秘匿性が高いだけあって、入るには事前に予約や細かな手続きや審査が必要なのよね。天堂家の力を使ってもいいけど、敵をつくりかねないし……ここは潜水艦を使って上手く潜り込むしか……」


「……わたし、この島に仕事で行ったことがある」


「そうなの? 凄いじゃない。流石は世界の歌姫様ね」


「……その時に色々あって、ここの支配人と友達になって、わたしはこれから顔パスでいいよって言われた」


「ねぇ乙葉。私たちって友達よね?」


「……星音のそういうなりふり構わないところ、けっこう好き」


「ありがとう。誉め言葉として受け取っておくわ」


「……それじゃ、わたしはこれで」


「おいこら待ちなさい」


 そそくさと去ろうとした乙葉の手を掴んで引き留める星音。


「……影人の場所が分かった以上、星音にもう用は無いし」


「清々しいまでの切り捨てっぷりね。けど、いいのかしら? 私を切り捨てて」


「……どういう意味?」


「この島に行く方法は限られてるわ。ましてや時間が惜しいなら、天堂家のプライベートジェットでかっ飛ばした方が速いと思うけど」


「……仕方がない。ここは一時休戦」


「それはこっちのセリフよ」


 ここで大型新人泥棒猫第一号と争っていても互いにメリットはない。

 その見解は一致していた。


「待ってなさい影人。海羽」


「……すぐに行くから」


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