第33話 次のバイトは?
状況を整理しよう。
お嬢はこのところ、どんどん自分の世界を広げている。
そう思った俺は自分の未熟さで足を引っ張らぬよう、旦那様から夏休みをもらって己を高めようと決めた。
以前、雪道から「一人暮らしは人間レベルが上がるぞ」ということを聞いたことがあったのも決め手の一つなのかもしれない。
だが、そういった俺の考えなどお構いなしとでも言わんばかりに、なぜかお嬢が隣の部屋に引っ越してきてしまった。
…………なぜに?
ダメだ。整理してみたが、まったく状況が分からない。
大いなる
俺は混乱する頭でお風呂をいただき、その後はお嬢が用意してくれたカレーを食べた。美味しい。食材は近くのスーパーで買った物らしいけど、まるでプロの料理人が作ったような出来栄えだ。
「おいしい?」
「はい。美味しいです。とても」
「よかった。おかわりはいる?」
「お願いします」
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
「どういたしまして。美味しそうに食べてくれて嬉しいわ」
「それはそうと……なぜ隣の部屋に引っ越してきたんですか?」
「ラブラブあまあま夏休みライフを過ごし…………一人暮らしに興味があったからよ」
なんだ!? 今、お嬢は何を言おうとした!?
「で、でも、わざわざ俺の部屋の隣に引っ越してこなくても……」
「せっかくの夏休みだからここは新しいことに挑戦しようと思ったの決して影人の隣を狙って引っ越してきたわけじゃないしたまたま偶然思いもよらず影人の隣の部屋だっただけで決して風見を締め上げて吐かせたわけじゃないわ」
なんかあらかじめ用意していた文章を読み上げるような流暢さで事情を説明してきた!
「それとも……私が隣で嫌だった?」
「そんなことは天地がひっくり返ってもありえません。お嬢が傍にいること以上の幸せなんて、三千世界を見渡したとて見つかることはないでしょう」
これだけは即答できる。断言できる。即答と断言に迷いも躊躇いもありはしない。
「そ、そう? だったら……うん。安心したわ」
心の底から、ほっと安堵したような様子を見せるお嬢。
雪道や旦那様の呻き声や悲鳴のような幻聴が聞こえてきた気がしたけれど、恐らく気のせいだろう。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」
なんだかんだと、俺はお嬢の作ったカレーをじっくりと堪能した。
お嬢の作る料理はカレーだろうと文句なしに美味しい。三ツ星レストランで出てきても違和感がないぐらいの味だ。カレーが高級料理だと勘違いしそうになる。
「あ、食器なら私が片付けるから大丈夫よ。すぐに洗っちゃいたいし」
「お嬢に皿洗いをさせるわけにはいきません。ここは俺が……」
「だめよ。影人はお仕事で疲れてるでしょう? ゆっくり休んでなさい」
「ですが……」
「影人」
お嬢は片づけをはじめようとした俺の手を優しく抑える。
「今の私たちは天堂家を離れて一人暮らしをしているのでしょう? だったら、夏休みの間、私はあなたの主じゃない。そしてあなたも、私に仕えている影人じゃない。ここにいるのはただの『天堂星音』であり、ただの『夜霧影人』。そうでしょう?」
俺が夏休みの間、自分を磨こうと思ったきっかけは、お嬢が自分の世界を広げているからだ。天堂星音という一人の人間、一人の少女として歩みだしているから。
……そうだ。ここで俺が『主従関係』にこだわっていたら、それこそお嬢の足を引っ張ってしまうことになる。それだけは避けなければならない。
「……そうですね。お嬢の言う通りです」
俺はお皿を片付けようとする手を離す。
「じゃあ、このお皿は私が洗っちゃうわね」
「お願いします」
お嬢は今にも鼻歌をうたいそうな様子で、とても楽しそうに皿洗いをはじめた。
何がそんなに楽しいのかは分からないがお嬢にとっては新鮮なことなのだろう。
皿洗いを終えたお嬢は自分の部屋に戻ってお風呂に入った後、また俺の部屋をたずねてきた。
「一人ってなんだか慣れなくて」
ちょっぴり恥ずかしそうに言うお嬢はとても愛らしくて、普段の生活ではあまり見たことのない姿だった。
まあ、だからといって、特にやることがあるわけではない。
むしろ一人暮らしをはじめてから暇を持て余すようになったぐらいであり、それはお嬢も同じだったようだ。
特に何かをするわけでもなく、のんびりと一緒にテレビを見るだけの時間。
思えばこんな風に隣同士でゆっくりとした時間を過ごすなんてこと、今まであんまりなかったな。
「……♪」
「お嬢、ずいぶん機嫌がよさそうですね」
「そう? ふふっ。影人とこうして、邪魔者もなく二人きりで過ごせてるからかも」
「邪魔者?」
「ええ。手癖の悪い泥棒猫、とも言うわね」
天堂家のお屋敷で猫を飼ってた記憶はないな。
「ねぇ、影人。明日は何が食べたい?」
「明日?」
「そうよ。またごはんを作ってあげる」
「お嬢にそのようなことをさせるわけには……」
「同じことを言わせないの」
「……わかりました」
「よろしい」
ご満悦なお嬢。その笑顔はとても眩しくて、魅力的で、見ているだけで引き込まれそうになる。
「で、何か作ってほしいものはある? 何でも作ってあげるわ」
「とても魅力的なお話なのですが、明日は家で夕食をとれそうにないんです。申し訳ありません」
「どこかに出かけるの?」
「バイト先でいただくことになってまして」
「バイト先って……飲食店か何か?」
「いえ、違います」
「じゃあ、どんなお仕事なの?」
「乙葉さんのマネージャーです」
「は???」
お嬢、かなり驚いてるな。それも当然か。いきなり自分に仕えている人間から友人のマネージャーをやります、なんて言われたら驚くのも当然だ。俺も紛らわしい説明をしてしまったな。反省しないと。
「安心してください、お嬢。マネージャーといっても、マネージャーさんの補佐的なものですから」
「補佐って……たとえば、雑用とか……?」
「ええ。色々な雑用をすることになるそうです」
「そ、そう。だったら安心ね……」
「大丈夫です。天堂……いえ。お嬢の名に泥を塗るような、無様なまねはしません」
「そこはどうでもいいんだけど、まあ、いいわ。影人、お仕事がんばってね。応援しているわ」
「ありがとうございます」
「ところで、雑用って具体的に何をするの?」
「乙葉さんの身の回りのお世話だそうです」
「そんな仕事、すぐに辞めなさい」
「お嬢!? さっき応援してるって言ったじゃないですか!?」
「応援? するわけないでしょ、そんな仕事」
「お嬢!??」
さっきと言ってることがぜんぜん違う!
「乙葉…………やってくれたわね……! こんな方法で襲撃をしかけてくるなんて……!」
なぜかお嬢は一人で悔しがっていた。そういえばお嬢、夏休みにまだ乙葉さんと遊んでないのかな。……そうか。お嬢、乙葉さんに会えなくて寂しがってるのか。俺が乙葉さんと会えるのが悔しいというのもあるのかもしれない。
(お嬢、素直じゃないなぁ)
そういうところがまた可愛らしい。
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