第46話 次期当主と番犬
表向きは『仕事』ということになってはいるが、本来このリゾート地を訪れるような予定は四元院嵐山のスケジュールにはなかった。
秘書、否――――お節介な友人の仕業である。
「自分を磨り潰すような働き方はやめろ。ちったぁ休め休め」
半ばだまし討ちの形で抑えられたスケジュール。
どうやら家の内部の者も協力していたと知ったのは後のことだ。とはいえ、大人しく休暇をとるような嵐山でもなかった。
このリゾート地には様々な権力者が集まる。新たなコネクションを築くには絶好の機会だ。四元院の名を守るだけでは足りない。更に大きくしなければならない。今日もそのために、この島にあるステージで開かれるミニコンサートに観客として参加していた。
地図にない島にあるセレブ御用達の高級リゾート。そのステージへの参加は一つの高み。
この島に招かれるだけで、そのアーティストが世界レベルであることの証明となる。
嵐山にとっても、世界レベルのアーティストに触れられる機会は貴重だ。
教養を錆びつかせぬ意味でも見る価値はある。事実、たった今、歌を終えたシンガーは素晴らしいパフォーマンスを披露していた。己の時間を使う価値があったと手放しで称賛できるほどに。
そして次にステージに上がったのは、資料で見覚えのある少女だった。
名前は、確か――――羽搏乙葉。
美しいドレスに身を包んだ彼女はさながら妖精のようだが、彼女は活動を休止していたはずだ。最近、復帰のための準備を進めているとは聞いていたが、このステージに立つだけの力は戻っているのか。
他の観客たちも同様のことを思ったのだろう。僅かにざわめきはじめている。
彼女は理解しているのだろうか。もしここで無様なパフォーマンスを披露すれば、羽搏乙葉の名は地に落ちる。ここにいる観客はただの観客ではない。
いかに歌姫といえども、アーティスト一人など容易くステージから消してしまえるほどの権力者。いわば彼女にパフォーマンスを依頼する側であり、使う側の者たちだ。
そんな権力者たちを前に、正式に復帰すらしていない小娘が歌うなど無謀としかいいようがない。
「……………………」
されど。ステージ上の歌姫には緊張も恐れもなかった。
ただ凛然と、美しく、その場に佇んでいた。
そんな神秘的とさえ称することのできる彼女を見守っているうちに、観客たちの揺らぎ、ざわめきが消えうせた。
タイミングを見計らったかのように音楽が奏でられ、そして……。
「――――――――……♪」
彼女は、歌った。
たった一言。たった一声。それだけで、揺らぎも不安もざわめきも、全てを無かったことにした。
少し前まで活動を休止し、まだ正式に復帰もしていた者の歌声とはとても信じることが出来ない。それどころか、嵐山の記憶が正しければパフォーマンスのクオリティが以前よりも格段に増している。
その理由が解らない。
確かに彼女は歌姫だ。世界レベルのアーティストだ。しかし、『ここまで』ではなかった。
世界レベルだった彼女をさらに高みへと押し上げた何か。彼女に何が起きたのか。
脳内の資料を漁り、理由を推測する中で、一つの結論に至る。
「…………彼女の才能を押し上げたのはお前か」
そして、その結論は嵐山の隣の席に座る。
「…………夜霧影人」
「俺は何もしてませんよ。乙葉さんの努力の賜物です」
「このステージは入ることが出来る者は限られているはずだが」
「俺は乙葉さんの臨時マネージャーですから」
どうやら
「……なぜ私がここにいると解った」
「お嬢……あー、いえ。少し機械が得意な方に手伝っていただきまして」
「セキュリティの見直しをしておこう。それで、用件は」
「あなたに訊きたいことがあって来ました」
「私がそれに答える義務は?」
「あります」
「根拠は」
「あなたは美羽さんのお兄様ですから」
「――――――――」
己の中に滲み出た僅かな揺らぎ。ソレを見逃すほど『天堂家の番犬』が愚鈍ではないことを四元院嵐山は知っている。
あらゆる分野の歴史に名を刻み、一部では神の光が人の形を成した者とさえ称えられる少女が天堂星音だ。彼女の持つ才能と叡智は誰もが欲し、実際に手を伸ばした者も後を絶たない。されど彼女の日常がそうした脅威に侵されたことなど無い。日常を侵食する異常の魔の手が彼女に触れるその前に、『天堂家の番犬』が全てを抹消してきた。数多の非日常を噛み砕いてきた番犬の鼻は誤魔化せない。
無論、ここで無視を決め込むことは簡単だ。されど心が揺らぐということは、それだけ顔を背け難い
「……いいだろう」
「感謝します」
「感謝ならば、このステージに飛び入りで立てるほどの歌に捧げるんだな」
「捧げていますよ。感謝と信頼と尊敬を」
夜霧影人は今も尚、観客たちの心を奪い続ける歌を損ねないようなボリュームで、しかし言葉は聞き取れるように言葉を紡ぐ。
「美羽さんが泳げないのは精神的な部分が関係していることが分かりました。そして、美羽さん本人から何か心当たりがないのかを問うと……昔、家族で海に出かけたことの話をしてくれました。溺れそうになって、助けを求めるために手を伸ばして、あなたはその手を掴んではくれなかったと」
「……そうだ。美羽はこうも言ったはずだ。兄は自分を見捨てたと」
「ええ。仰っていました」
「そうだ。あの時、私は美羽を見捨てた。それが真実だ」
「なぜでしょう?」
真実を認めて心が弛緩したほんの一瞬を突くように、夜霧影人は質問を差し込んだ。
まるでこちらの呼吸を読まれているようで落ち着かない。
「なぜ、見捨てる必要があったのでしょうか? これはとても頼りになる親友が調べてくれたことですが、当時の時点であなたが次の当主になることは決まっていた。つまり自分が当主になるために妹をワザと見捨てる必要などない。何より、その海に行くまではあなたと美羽さんの仲は良好だったとも聞いています。なのになぜ、唐突に妹を見捨ててしまったのでしょう?」
「私の心が弱かった。それだけだ」
「あなたが言うのならそれは真実なのでしょう。ですが、全てを語ってもいない」
「何が言いたい」
「……この質問は不愉快に思われるかもしれませんので、先に謝罪しておきます」
一呼吸の間をおいて、彼はその想像を口にした。
「嵐山様。あなたと美羽さんの間には……血の繋がりがないのではありませんか?」
「……なぜそう思った?」
「あなたは個人でDNA検査を依頼したことがありますね? 子供が自ら検査を依頼したことで、担当者も記憶に残っていたそうです。……ちなみにこの情報も、とても頼りになる親友が調べてくれました。さすがに検査結果までは手に入れられなかったようですが」
これらの情報にたどり着けるほどの情報収集能力を有した夜霧影人の親友。そんな者は一人しか心当たりがない。
「風見家の子供か。うちの諜報部に欲しい腕だ。紹介してもらえると助かるのだが」
「……風見家の子供かどうか明言は避けますが、親友には話しておきましょう。恐らく、断ると思いますけど」
だろうな、と嵐山は乾いた笑みを零す。あの家の者は揃いも揃って癖が強い。
「……事実だ。私と美羽の間に血の繋がりはない。美羽本人は知らないことだが」
「美羽さんとの間に血の繋がりがないのであれば、やはり俺と同じ……」
「捨て子だ。赤子だった私は路上に捨てられていたそうだ。それを不憫に思った今の当主に拾っていただいたらしい」
「……恐らくは健康診断などの身体記録……血液型あたりでしょうか。きっかけは分かりませんが、美羽さんが溺れてしまうより少し前に、あなたは偶然それを知った」
「血液型だ。どの型か口にするつもりはないがな」
「ご心配なく。四元院家当主ともなれば血液の型一つとっても機密の塊。その禁忌を暴くつもりはありません」
「……それにしても、大したものだ。まるで見てきたようだな」
「お嬢を護るために常日頃から磨いている技術の一つにすぎません」
「これほどまでに『欲しい』と渇望した人間は、お前が初めてだ。無駄とは思うが問わずにはいられん。私に仕える気はないか?」
「光栄ですが、俺の主はお嬢以外にあり得ません」
「だろうな」
道理であの娘の日常を脅かすモノの悉くが殲滅されるわけだと嵐山は心の中で一人頷く。
「……頭の中をよぎったのですね。本物の家族になれると」
「そうだ。このまま美羽が溺れてしまえば、四元院家の子供は私だけになるとな。今思うと…………」
「愚かにしても度が過ぎて、自分の命を絶やしたくなる」
「……驚いたな。天堂家の番犬は読心術も使えるのか?」
「……そのような便利な力はありません。ただ、俺もあなたと同じというだけです。親から捨てられ、偶然にもお嬢に拾っていただいたおかげで、
「おかしな話だ。あの方々は、言葉通り私を家族として迎えてくれた。本当の家族に」
「……現当主には話したのですか? あなたの心の弱さが招いた、美羽さんの心の傷を」
「無論だ。当主は傷つき、私に怒り、そして……私にそんなことをさせてしまった自分自身にも怒りを露わにしていた。『お前を不安にさせて悪かった』『私たちの伝える努力が欠如していた』と謝罪された。謝られた瞬間が、一番堪えた」
「そうでしょうね。俺も同じ立場なら、それが一番堪えたと思います」
ただ怒ってくれた方がよかった。憎んで、いっそ勘当でもされた方がましだった。
謝られた。それが一番堪えた。それが一番堪えると、理解されていたのだ。
「全ては私の心の弱さが招いた結果だ」
「だからあなたは譲ろうとしているのですね? 四元院家当主の座を……美羽さんに」
彼は否定したが、ここまで見抜かれてしまうと読心の異能でも有しているのかと疑わずには居られない。それほどまでに天堂家の番犬が紡ぐ言葉は、正確に中心に近い場所を射抜いている。
「あなたはそのために一分の休暇や休息すら削り、既に盤石な四元院家で更なる土台を作ろうとしている。美羽さんが当主の座についた時、ただ穏やかに、ただ幸福に暮らすことができるように」
「……『譲る』のではなく、『元の場所に戻す』が正しいな」
本来、自分が手にするものではなかった。
ただ愛情深く慈悲深く、血の繋がりがなくとも家族と認めてくれた恩人が、当たり前のように与えてしまったもの。
「……優しさを弱さだと断じるからこそ、美羽さんを突き放しているのですか?」
「弱い心を持つ者に当主の座は務まらん。故に美羽は強くならねばならない」
「過保護で目を曇らせていますね。美羽さんは強いですよ」
自分の知らない義妹の評価に言葉を失っている間に、天堂家の番犬はなおも続ける。
「お嬢は幼少の頃より努力を重ね、才を発揮し、それ故に孤高でありました。その能力に心を折った者も数多く、畏怖と畏敬の壁があったのは事実です。しかし美羽さんだけは、そんな壁などものともせず、お嬢のことを見ていました。心を折られるのではなく、ただ『悔しい』という感情を漲らせて」
「結果より気持ちが重要だと?」
「個人的な意見を申し上げるなら、結果の方が大切です。気持ちがあろうと、お嬢の命が失われる結果が生まれた瞬間、この世界の全てに意味と価値がなくなりますから。……ただ、人の生き死にが関わっていない場所で、気持ちから目を逸らすのはフェアではないかと思います」
今、美羽が溺れているわけではない。今、美羽が命を失いそうになっているわけではない。そう、言っているのだろう。
「たとえ思うような結果が出せずとも、あなたにどれだけ冷たく突き放されても、へこたれず立ち上がってきた美羽さんの気持ちを見てもらえませんか」
「…………」
思えば、最後に美羽の目をまっすぐに見たのはいつだったか。
それすらも忘れてしまった。もはや、まともに目を合わせる資格など自分には無いのだから。
「気持ちとやらを見て何が変わる?」
「何も変わりません。ただ、今もそこにある事実、あなたが今、見えていないものが見えるだけです」
少し、理解ができた。
なぜこの天堂家の番犬……夜霧影人と会った時、苛立ちを覚えたのか。
自分よりも美羽のことを理解しているからだ。そしてこの苛立ちを放置しておくという選択肢は、嵐山の中にはなかった。
「ところで、ですが。次期当主がただの捨て子だと判明すれば、四元院家が築いてきた地盤が揺らぐのでは?」
「……それは脅しか」
「脅しです。ドラマとかでよくある『バラされたくなければ言うとおりにしろ』ってやつです」
「……お前は、この私に何を望む?」
「大した望みではありません」
少年はにこりと笑い、要求を突き付けた。
「美羽さんを泳げるようにしてください」
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