第5話 不本意な勝利

 ほんとうはこんなことしたくないのだ。絵都えとはそう自分に言い聞かせていた。


 ――女だてらに刀など振り回して、ろくな娘になれはしまい。


 幼い頃から、絵都のおらぬところで幾度となく繰り返されてきた陰口は、いつのまにか本人の知るところとなっていた。あれから何年経ってしまったのか、絵都はもう娘ですらない。


 一度は縁づいて、他家の嫁に入りもした。婚家ではいろいろとあって実家に戻ってきたのだけれど、剣術などをたしなむ乱暴な女――と姑から嫌われたのも離縁された理由のひとつである。


 そのことを思い出すたびに「二度と刀など手にするものか」と思ってきたが、今回の道場破り騒動では、男たちの不甲斐なさに痺れが切れた。


 ――男が頼りにならぬのなら、わたしがやる!


 絵都は、百名ちかくの人数に膨れ上がったやじ馬が丸く取り込んだ果し合いの場に足を踏み入れた。そこに待つ、果し合いの相手である藤堂我聞とうどうがもんは、口元に下卑た笑みを張り付かせた大男だった。その浅黒い顔をひと目見てわかった。「この男は嫌なやつだ」と。


「よく来たな、小僧。名はなんという」

いつき……隼人はやとだ」


 覆面をしてきたのは、隼人の名をかたるためだ。斎道場の立ち合い人は女だというのは、道場の今後にとって具合が悪い。それを知るのは、道場破りの藤堂だけではない。ここには百名のやじ馬が集まっている。


「なんだその頭巾は、疱瘡あばたでも病んでいるのか。おもしろい。おれが勝ったらその頭巾。剥ぎ取らせてもらうからな」


 藤堂はひとりそう言って笑った。


 ――下衆!


「いくぞ!」


 藤堂は言い終わると、間髪を入れず木刀を振りかぶって襲い掛かってきた。突風のような打撃が絵都の頭上に落ちかかってくるのを、身体をひねって躱す。相手に十分な準備の機会を与えずに奇襲をかけるのが、藤堂の常套戦術なのだろう。速度、威力共に殺気十分である。試合だからといって、手加減をするつもりは毛頭ないようだった。


 必殺の一撃だったはずの初太刀を外された藤堂は「信じられない」といった表情で絵都をにらみつけた。


「やるな小僧。しかし、躱すだけでは勝てはせんのだ!」


 ――よくしゃべる男。


 絵都は黙殺し、殊更ゆっくりした動作で木刀を青眼に構えた。鼻白む藤堂。知ったことか。仮にも剣士なら――。


「相手を制するに舌を用いず、剣を用いよ!」


 これまで「静」の姿勢を貫いてきた絵都が、「動」へと急変した。横に飛んで、藤堂の視線を外すと次の瞬間には、懐に踏み込んで胴を薙ぎ払った。手応えあり。しかし、藤堂は怯まない。打ち込みが浅かったか?


 ふたりを遠巻きに見守っているやじ馬からどっと歓声が湧いた。みるみるうちに、藤堂の顔色が変わり、身体中にどっと汗が吹き出した。覆面の剣士がもつ技量に並々ならぬものがあると、その一撃で悟ったからだ。木刀ならばこそ平気でいられた。真剣ならば倒されていた、と。


 少し離れたところにいる本間蓮太郎ほんまれんたろうも自分の目が信じられなかった。初めて見る絵都の足さばきと打ち込みは、道場の師範代である自分よりはるかに洗練された動きではないか。ことによると、道場の後継者である隼人よりも速いかしれない。


 絵都を引き剥がすため、藤堂が木刀を横薙ぎに振う。絵都は巧みにそれを避けて藤堂の懐深く食らいつく。背の高い藤堂にとって、間合いが近すぎる相手はやりにくいと知っているからだ。


 藤堂が間合いを取ろうとする。絵都が素早く間合いを潰す。駆け引きが続いた。そして、この根気比べでも、藤堂に絵都がまさった。


「くそっ」


 根負けした藤堂が大きく木刀を振り回す隙を捉えて、絵都が大きく踏み込む。木刀を弾いて、びしりと小手に打ち込むと、堪らず藤堂が木刀を取り落とした。絵都の勝利である。勝負を見守っていたやじ馬から大きな歓声が上がった。小柄で少年のような剣士が、大言壮語を吐き、体格でも勝っている藤堂を破ったのだ。


「道場の看板は……返してもらうぞ」


 そう言い残して木刀を下ろした絵都が、藤堂にくるりと背を向けたその瞬間だった。


「まだまだ!」


 勝負は決まったにも関わらず、木刀を飛びつくようにして拾い上げた藤堂が、背後から絵都に殺到した。やじ馬から悲鳴があがった。


 殺気の込められた一撃が、小柄な剣士の頭上に振り下ろされると見えたそのとき。踏み出した足を軸に絵都が身体を反転させたかと思うと、襲い掛かる木刀を下から掬うように迎え打ち、その勢いのまま振りかぶった木刀を藤堂の脳天めがけて打ち落とした!


 がっくりと膝を折ってその場に倒れ込んだ藤堂は、そのまま泡を吹いて気を失った。やじ馬の悲鳴が、歓声に変わって青海原あおみがはらを渡っていった。今度こそ勝負は決まった。いつき道場が――絵都が、勝ったのだ。


 ほんとうは、こんなこと男にまかせて、わたしはやりたくなったのだ。木刀を一振りして手に下げ直すと、絵都はぐっと頭巾を目深に下ろして歩きはじめた。


 ――まったく。男のふりなんてするもんじゃない。

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