第41話 祟り神の城

 作りに凝った豪奢ごうしゃな建造物だ。

 外見は粗末な作りながら、その実内部は上等の建材と、職人の技巧が凝らされた大名屋敷そのものである。この屋敷の内部は、青海城の奥御殿を精巧に模して作られているらしい。

 は奇妙公の屋敷に召されていた。


 ――恐れられたものだ。


 屋敷の主、奇妙公は現藩主の伯父であり、前藩主の兄に当たる人物である。長子相続の原則に従えば、青海藩主となっていておかしくない血の序列の持ち主だ。前藩主に腹違い兄弟どちらを据えるか、当時の姻戚いんせきに当たる大藩の意向が働いたと言われているが、昔の話のことで真相は分からない。ただ、その意思も能力もある兄を差し置いて弟が青海藩十二万石の当主となった事実と、覆い隠すことのできないが藩内に残された。


 青海山中に建つこの屋敷も、そのから噴出した吹出物ふきでもののひとつである。奇妙公の鬱屈と怒りを慰めるため、家臣や領民たちの一部が建設し、時の藩主と側近たちがそのから見て見ぬ振りをしてきた奇妙公の『城』である。


 ――さながら祟りを成す神様に捧げられた供物くもつだな。


 上方の名のある意匠家によるものと分かる襖絵ふすまえ欄間らんまの造作を見ながら板野は考える。さて、今度はそのがなにを言い出すことやら。


 奥へ続く廊下をゆくと、逆に奥の方からこちらへ向かってくる男と行きあった。見上げるような巨躯と広い肩幅、凶悪そうな顔の左頬に白い刀傷の痕がある。土佐雷蔵とさらいぞうだった。


「土佐」

「板野……」

「橘家老を仕留め損なったそうだな」


 すれ違いざまにそう声をかけると、土佐の顔色が怒りに赤黒く変わり、抜き打ちに斬りつけようと腰の刀に手を伸ばした。板野は身を寄せ、素早くその手を抑えた。


無様ぶざまだな」

「き、貴様!」

「短気を起こすな、こんなところで刀を抜いてみろ。ただではすまんぞ」

「ぐぐっ」


 どういう工夫があるのか、細身の板野が片手で刀の鍔元つばもとを抑えると大男の土佐は、ぴくりともその腕を動かせない。


「お前の旺盛な闘争心はおれも買っている。だが、いまはその時じゃない。そのことは御前にも申し上げておこう。いまはその力、めておくべきときだ」

「……」

「橘家老のこと。同じ失敗は許されん。この次は、おれに断りなく事を起こすことのないようにするんだな」

「だれが貴様のことなど!」

「いまはそれでいい。そのうちに分かる。お前のような単純な男でも、が動き始めればな」


 板野がつかんでいた鍔元を離すと、力を込めていた土佐の身体は大きく前に泳ぎ、膝の内側を掬われると身体は一回転して床に転がされた。刀は用いないがすさまじい技のキレである。土佐が飛び起きたときには、板野はもう数歩先を奥を目指して歩きはじめていた。


「いいか忘れるなよ、おれの指示を待て」


 やがて板野は廊下の奥を曲がり、全身汗みずくになった土佐雷蔵の視界から消えた。


 その部屋に近づくにしたがって、つんと鼻をつく匂いが強くなってきた。これが、ここの主が屋敷にいるときのだった。匂いの元は阿片アヘンである。


「失礼します」


 暗い廊下の突き当り、襖をからりと開けると、阿片の匂いがきつくなって煙が眼に染みた。なかでは脇息にだらしなく身体をもたれかけさせたひとりの老人がいた。紫煙を立ちぼらせる長煙管ながきせるを力なくもった細い手、藤色の長襦袢ながじゅばんの胸元に浮いて見える肋骨、半開きの口元は無精ひげで覆われ、目の色はさながら死んだ魚のようである。この屋敷の主、宝川茂実たからがわもちざね――奇妙公であった。身の回りの世話をする小女がひとりそばに控えている。


「板野新二郎、まかり越しましてございます」

「おお、板野……まっておったぞ」


 白いろうでできたような顔に喜色を浮かべて奇妙公は言った。長煙管を板野へ向かって伸ばし、近くへ寄れと差し招いた。板野は奇妙公のそばに侍っている女を見、それがうなずくのを確認してから恐懼きょうくの態をよそおって数尺にじり寄った。


 ――今日はまだ、頭に毒は回っていないのか。


「板野よ――土佐がしくじりおった! 橘のやつめを討ち漏らしたのよ!」

「御前……」

「図体ばかり大きいだけの能無しが……失敗しおった! 憂国の志士だとか、神道無念流だとかの触れ込みは真っ赤な嘘だったのじゃ! わざわざ京から呼び寄せ――」

「御前!」


 板野の強い口調に呑まれたのか、口角泡を飛ばしてまくしたてていた病んだ老人は、びくりと痙攣して口をつぐんだ。


「畏れながら――御前には橘家老を襲撃せよとお命じになりましたか?」


 眼光鋭く奇妙公を見据えられて、気の毒な老人はその気迫に震え上がった。


「……ち、ちがう。わしは……そのようなこと。土佐が断りなく……」

「左様でございましょう。――安心致しました」


 嘘だ。

 阿片に毒されたとはいえ奇妙公の目利きは正しい。土佐雷蔵とさらいぞうは、多少剣がつかえるといった程度の能無しだ。自ら家老襲撃を計画する意思も能力もない。襲撃は奇妙公の指示だ。


 しかし計画は失敗し、結果的に状況は板野の思惑どおりに進みはじめた。失敗したことで奇妙公を操りやすくなった面が確かにある。この機会を逃すべきではなかった。


「ただ、土佐の暴発は失敗したとはいえ。正義に裏打ちされた行動でございました。彼を責めるべきではありません」


 心にもないことを衷心ちゅうしんから発したかのように話す芸当を身につけない限り、陰謀というものは露見する。板野はその芸当を完璧に実行できる男だった。


「そ、そうか」

「攘夷を実行するための正義の行動であったとはいえ、土佐は時と人を得ることを怠ったように思われます」

「時と、人か……」


 奇妙公は自身が責められていないと分かると平静を取り戻し、板野の言葉に釣り込まれはじめた。


「天の時は、人の手でどうこうできるものではありません――が、人を得ることは叶いましょう。橘家老はかつての剣名高い男。土佐ひとりでは手に余ります。さらに――」

「さらに?」

「今後は橘家老も用心をしてくるはずでございます。藩内の情勢に暗い土佐や私だけでは、その行動を掴むのが難しと思われます」

「どうすれば良いのだ」

「橘家老の周辺に近い藩士を、われわれの陣営に引き込むのです。そして、われわれの間諜に仕立て上げる。可能ならば襲撃の手引きを任せられるような剣の達者が適当でございましょう」

「それは確かにそのとおりだが……、橘の周囲に? そのような者がおるのだろうか」

「私にひとり、心当たりの者がございます」


 板野はもう数尺、畳を奇妙公の方へいざり寄って、二言、三言耳打ちした。何度もうなずく奇妙公の目に、生きる者の輝きが戻ってきはじめた。陰謀はそれを望む者の間でのみ、美しい話として輝くのである。阿片の香りこもる紫煙に閉ざされた部屋での密談は、それから数刻にも及んだ。


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