第64話 罪悪感の見せる幻

「石川屋を襲った怪異に、加持祈祷は役に立たなかった」


 石川屋清右衛門の話を聞き終えた板野喜十郎と鷲尾十兵衛は、長い廊下を案内されて自分達にあてがわれた部屋へ向かっていた。


「偽山伏の行う加持祈祷はニセモノだからな。役に立たないのも当然だろう」


 しかし、その程度の皮肉にたじろぐ鷲尾ではなかった。主家をなくして浪人してきた年月の長さが彼を鈍感にしている。


「わしがひとりでノコノコとこんな島へやってくるわけがなろう。この前は本物の山伏を道連れに来たのだ」


 鷲尾曰く、名前を明かすことはできないが、修験者としては名の知られた男だったという。しかし、本物の修験者の加持祈祷も甲斐はなく、石川屋から怪異が去ることはなかった。


「それどころか、その修験者は『薙刀鳴り』に追われるようにして島を逃げ出したのだ」

「どういうことだ?」

「夢かうつつか、加持祈祷の最中に薙刀を持った鎧武者がやつの前に現れてな。いきなり斬りつけてきたというわけよ」

「それは夢だろう」

「喜十郎。夢を見ている者には、いまのことは自分が夢に見ていることなのか、それとも自分は醒めていて現実のことなのか、しかとは判らぬものだ」


 とにかく、薙刀を持った侍に切り付けられて肝を潰した修験者は、その夜を最後に蔵掛島を出ていってしまったというのだ。


上人しょうにん、上人と奉られておったが、案外人の恨みを買っていたのかも知れんな。石川屋によると『薙刀鳴り』は、それを見る者の心のわだかまり――それは罪悪感のことだろう――が見せるものらしいからな」


 石川屋を去る前に修験者は言った――加持祈祷では「薙刀鳴り」を鎮めることはできない。長持に収められた薙刀を屋敷から遠ざけるか、または夢に現れた薙刀を持つ者を打ち倒すしかないと。


「薙刀を屋敷から遠ざけるよう勧めてみたが、石川屋にはそうするつもりはないらしい。そうであれば、選択肢は一つしかあるまい。彼奴きゃつを打ち倒すのよ」

「おれがか?」


 不服そうに喜十郎が聞き返すと、鷲尾は鼻白んだ。


「無論だ」

「おぬしがやらんのか」


 山伏の姿をしているとはいえ武士である。喜十郎にすがりつく前に、武士なら自分で「薙刀鳴り」に立ち向かおうと意地をみせるものではないのか?


「わしはもう試したさ。しかし、わしの剣の腕はおぬしも知ってのとおりだ。斬り殺されそうになったところをすんでのところで逃げ出すのが精一杯だったわい」


 たしかに、鷲尾の腕前はである。

 しかし意外だ。鷲尾の夢の中にも「薙刀鳴り」が現れたとは。


「おぬしのような図太い神経をもった男にも、わだかまりというものがあったんだな。てっきり『薙刀鳴り』は訪れないものと思っていたぞ」

「ばかにするな。この身が落ちぶれる以前、身請けすると誓って果たせなかった遊里の太夫が、あでやかな打掛を身に纏い、手には薙刀をもって現れたわい」

「……」


 喜十郎が口を開こうとしたそのとき、案内に立って歩いていた若い女の足が止まった。ずいぶんと長い間、屋敷のなかを歩いてきたらしい。ここはどこだろう。今夜の寝所だろうか。促されるまま部屋に足を踏み入れて、ぎくりとした。人の気配を感じたのである。


「失礼いたします」


 見ると続きの間にきちんと手をついて座っていたのは、小さな身体をさらに小さく縮こめた皺だらけの老婆だった。乾ききった木乃伊ミイラのような身体を仕立のよい着物に包んでいる。


「だれだ」

「石川屋の大女将おおおかみと申します。突然このようにお部屋へ伺いまして申し訳ありません。じつは、おふたりにお願いがあって参りました」

「願い?」

「どのような願いかな」


 喜十郎は警戒心も露わにそう尋ねた。さきほど石川屋清右衛門からは「薙刀鳴り」を鎮めてほしいと乞われたばかりである。大女将ということは石川屋の母親と当たるのだろう、この老女が自分たちになんの願いがあるのか、喜十郎には測りかねた。


「お礼は致します。このまま何もせず――島を出て行っていただきたいのでございます」

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