第63話 手に金を、心には蓋を。
石川屋が、喜十郎たちに語って聞かせた内容はこうである――。
死んだ六兵衛は、わが家に三十年近く勤めている一番番頭でして、わたしがもっとも信頼している奉公人のひとりでした。
この六兵衛が、秋口から体調を崩しまして。さいしょは風邪でも引いたのだろうと、気にもかけなかったのですが、どうも様子がおかしい。本人は休ませておいて、あとでよく尋ねなければいけないなと思っていた矢先、「薙刀鳴り」の騒動が持ち上がったのです。
騒動は尾をひきました。暇乞いをする奉公人はさいしょの三人のほかにも何人か出てきまして、船荷が増えた時期とも相まって、雑事が増えました。離れに寝かせている六兵衛のことを気にかける余裕がなくなったのです。それがよくありませんでした。六兵衛に薙刀が取り憑いていることに気づくのが遅れたのです。
はい。わたし共ではそのことを「薙刀が取り憑く」と申しております。「薙刀鳴り」の怪異は、病のように人が変わればその程度が変わるようなのです。夢の中で遠くに薙刀鳴りを聞くだけの者もおれば、薙刀を持った死者に襲われて怖い思いをする者まで、程度はさまざまでした。
六兵衛は口にしないだけで、ひどい「薙刀鳴り」に悩まされておりました。そうとは知らぬわたし共は騒動のあいだ、六兵衛をひとりで離れに寝かせておいたのですが、寝込んでから数日間、食事を取らず水も飲んでいなかったようなのです。気づいた時には、数日のあいだにここまで変わるのか――と驚くばかり、骨と皮だけの恐ろしい姿に成り果てておりました。だれの目にも、六兵衛は長く保たないとはっきり分かるほどの衰弱ぶりだったのです。
その六兵衛も、しきりに「薙刀をもった男がいる」「わたしを殺そうとする」と訴え、「許してくれ」と涙を流すのです。ええ、六兵衛も夢の中で薙刀を持った人間と出会っていたようになのです。わたしは「それは何者だ」と六兵衛に尋ねました。いったい何者がこんなになるまで六兵衛を苦しめているのだろうかと思ったからです。苦しさに耐えかねて、六兵衛は口を割りました、
――兄でございます。
あ、と思いました。
六兵衛には兄がおりました。領内の百姓で、名主から田を借りて小作をしていたと聞いております。六兵衛はそこの二男でした。幼いうちから奉公に出され、若い頃は大坂の商家で手代を勤めたそうです。
商いの才覚に恵まれた男でしたが、悪い癖がありまして。はい、ばくちでございます。大坂にいるうちに賭場へ出入りすることを覚えてしまいました。あっという間にはまり込み、店の金を手を付けたのが運の尽き、主人に露見して六兵衛は青海へ返されたのです。50両の借金と共に。
大坂から戻された六兵衛の身元は、縁があって先代の石川屋が引き取り、借金は実家の兄が引き受けることとなりました。ただ、この借金が六兵衛の兄には辛かったようです。なにしろ、身代は小作の百姓ですからたかが知れております。自身の家族を食わせていかなければならない上に、弟の借金が重なり大変な苦労だったようです。
以後、六兵衛は石川屋で真面目につとめ、手代から番頭へと順調に出世しましたが、田畑で鍬を振い続けた六兵衛の兄は、弟の借金を返し終えた直後、まだ40の若さで亡くなってしまいました。借金の重荷を降ろして、さあこれからという時でした。
六兵衛は無口で、自分の思いを言葉にすることの少ない男でしたが、亡くなった郷里の兄については、
――あの世で兄に合わせる顔がありません。
とよく言っておりましたから、ずっと心の中に兄に背負わせた借金のことがわだかまっていたのでしょう。
騒動が持ち上がってから三日後、枯れ枝のようにやせ細った六兵衛は、床について以来、なにも口にすることのないまま、呆気なく亡くなってしまいました。
――兄さん助けてくれ!
いまわの際に六兵衛が発した言葉は驚くほど大きく、屋敷の中に響き渡ったと聞いております。
納棺のために身体を清めようと、奉公人たちが六兵衛の着物を脱がせたところ、そのやせ細った背中に、たったいま斬りつけられたかのような大きく赤い刀傷が現れ、それが奉公人の前で見る見る消えていったそうでございます。その話を聞いた者は皆、震え上がりました。
今回、六兵衛の夢に薙刀を持った彼の兄が現れたこと。「薙刀鳴り」は心に抱えたわだかまりに形を与える怪異なのだと得心しました。奉公人たちが「薙刀鳴り」を恐れるのも無理はありません。
だれしもひとつやふたつ、心に蓋をしておきたいわだかまりを抱えて生きているものでございますからね――。
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