第27話 奥女中の供述

 異常を察知した喜十郎の行動は素早かった。「御免」と、桜野さくらのに駆け寄ると、彼女の腕を捻り上げると、たまらず手から離した白い包み紙が床に落ちた。


「桜野さま、これは?」

「わたしではありません!」


 包み紙を拾い上げて詰め寄る絵都の詰問を桜野は頭から否定した。彼女としては否定せざるを得なかった。調べた結果、包み紙の中身は、やはり毒だったとわかったからだ。


 屋敷のなかは大騒ぎになった。

 なにしろ奥女中取締おくじょちゅうとりしまり、桜野が主人である尚姫なおひめの控室で毒を手に持っていたのだ。ここにいるのは国許の奥御殿での毒薬騒ぎを知っている者ばかりである。女中たちはみな驚き、ある者は震え上がり、ある者は怒っていた。

 

 知らせを聞いた尚姫は、驚きのあまり気を失いし、屋敷の別部屋で介抱されることになった。


「この女が――」


 吐き捨てるようにそう言ったのは、霞川かすみかわだ。


「先の毒薬騒ぎの下手人にちがいありません。奥方さまに毒を盛ろうとするなど……、恐れ多くて言葉になりません」


 霞川は虫けらを見るような目つきで、悄然と項垂れる桜野を見ていた。


「わ、わたしはなにもしておりません……」


 小柄でやせっぽちの身体に似つかわしい、消えてゆくような細い声でだった。

 

「毒を手に持っていたというのに、盗っ人猛々しいとはこのこと……」


 逆に霞川は胸を反らして鼻息荒く、いまにもそばにいる喜十郎に桜野を縛り上げろと言わんばかりの剣幕である。


 桜野は権高けんだかな女ではない。奥御殿における霞川と桜野の間の緊張感は、一方的に霞川側から発せられていて、新たに青海藩入った桜野は明らかに奥御殿では疎外されていた。同じように奥御殿では新参者の絵都は、桜野に同情する部分もないではないものの、この場の状況は桜野にとって最悪だった。身分に違いのある絵都や喜十郎が口をさしはさむ余地はないように思われた。


「まあまあ、霞川さん。そうやって一方的に決めつけてよいものではないでしょう。まだ、だれが傷つけられたというわけでもないのですし、ここは桜野さんの言い分も聞いてあげなくては」


 そういったのはこの屋敷の主であるグラバーだった。絵都や喜十郎に踏み込んだ質問ができないと気づいての助け舟だった。ただ人当たりのいい男というだけではない。外国人ながら大名家中の人間関係にまで気の回る油断できない男だ。


「毒はあなたのものなのですか?」

「いいえ、あれはわたしのものではありません」

「そんなこと。信用できるものですか」


 桜野が否定しても、霞川は頭から信用しない。


「では、だれのものなんです?」

「あの……、若い女中のものです」

「でたらめよ!」


 部屋にいた人間が驚いたのは、決定的な証拠を突きつけられても認めようとしない桜野の態度ではなく、それを強い調子で非難する霞川の大きな声に対してだった。


「Be quiet,kasumikawa-san」


 グラバーは強い調子で、霞川を制すると桜野に先を促した。励まされるようにして桜野が話し出した。


「午後からグラバーさまにお招いていただいてのお茶会に招待されておりました。姫さまのお支度を用意させていただくのは、赤城あかぎにいた頃からのわたしの勤め。きょうも絵都どのに手伝っていただいてお支度をしようと姫さまの部屋へ伺ったのですが、部屋にはすでに若い女中がおりました」


 桜野は、ところどころ言葉につかえながら話す。絵都がみると霞川はきつく口元を結んだまま、桜野をにらみつけていた。


「それでどうしました」

「声をかけました。『なにをしているのか』と。姫さまの持ち物に触れてよいのは、奥でもわたしだけです。先にはあのような騒ぎもありましたし――。女中は、とても慌てた様子でなにやら謝罪し、部屋を出ていこうとしたのですが、胸元にその……紙片が見えたのです。とっさに怪しいと思いました。あの騒ぎの後ですし、頭にはずっと毒のことがあったのです」


 そのときのことを思い出したのか、話すうちに桜野の顔は蒼白になっていった。それは霞川も同様だった。


「『これはなんです』わたしは女中の胸元から紙片を取り上げました。その包み紙でした。わたし頭が真っ白になってしまって『毒ではあるまいな』と詰問したのです。すると――」

「すると?」

「とつぜん、若い女中が大声をあげならがらわたしに飛びかかってきて、包み紙を奪い取ろうとするのです。信じられないほど強い力でした。着物を掴み、首を絞めてくるのです。『包みを返せ、さもなくば殺す」と。それからのことはよく覚えていません。奪い取られまいと必死でしたから。気がつくと、女中はいなくなっていて。そちらにいる……板野どのがわたしの手をつかんでいて、我にかえりました」


 話疲れたのか桜野は、大きく息を吐いて身体を縮こめた。


「わたしではありません」


 そして、細かく身体を震わせている。

 グラバーが桜野をねぎらった。


「ありがとうございます、桜野さん。つぎは――その若い女中です。彼女は?」


 部屋を見回す――。いない。

 騒ぎを聞きつけて、屋敷中の人間がこの部屋と廊下に集まってきているのに、さっきの若い女中の姿が見当たらない。

 たしか絵都と喜十郎がこの部屋に踏み込んだときにはいた。部屋にいる桜野から背中に彼女を隠すようにして入ってきたはずだった。


「探しましょう――。hurry up!」


 絵都も、喜十郎も駆け出した。

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