第69話 おれたちは変わってゆく

 夢を見ていた。兄の夢だ。夢のなかの兄は、颯爽とした若侍で、いつも大勢の仲間の中心にいた。藩校では抜群の成績を収め、道場で剣を振るえば敵う者のない達人だった。いまも刀を手に道場へ行こうと、笑顔で喜十郎を手まねきしている。父母からの期待も大きく、あこがれの存在だった。


 あの日。江戸からの早飛脚がもたらした知らせを受け取るまでは――「板野新二郎、出奔」


 なぜだ、兄上……!


 喜十郎が伸ばした手は虚しく闇を掻いた。

 すでに夢は醒めていた。


 燭台の灯は消えている。そばでは鷲尾十兵衛が眠りこけており、長持の上に掛けられていた大薙刀は畳の上に落下して、柄の中ほどから真っ二つに折れていた。薙刀のが障子戸を照らす明かりを映して、ぎらぎらと赤く光っている。


 ――障子が赤い?


 その時になって、ようやく喜十郎の意識が夢からうつつへと戻ってきた。耳に、ぱちぱちと木のはぜる音が聞こえる。あわてて裏庭に面した座敷の障子戸を開け放つと、座敷のすぐそば、裏庭に張り出した蔵が炎を吹き上げていた。いま、真っ二つになって転がっている薙刀が収められていた蔵である。炎は夜空を衝いて高く燃え上がり、屋敷の庇を焦がそうとする勢いだった。


「火事だ!」

「裏庭の蔵が燃えているぞ!」


 火事となれば、客も奉公人も関係はない。喜十郎と喜十郎に叩き起こされた鷲尾十兵衛は、石川屋の奉公人と協力し、煤だらけになって蔵の炎が屋敷に燃え移るのを食い止めた。


 喜十郎たちが働いたことも奏功し、夜が明ける頃になって、蔵の火事は消し止められた。蔵の屋根は落ち、壁も崩れて、蔵は跡形もなく焼け落ちた。なかに収められていた物も、すべて灰に変わった。燃えるものは――。


「なんだ、これは?」


 焼け落ちた蔵の中を調べていた鷲尾が見つけたものはおびただしい数の人骨だった。壁土の中に塗り込められていたのだろう。焼けた土のこびりついた髑髏どくろが、虚しい視線を夜明けの空に向けていた。


「数えきれんぞ。それに見ろここを……刀傷だ」


 指差す髑髏の左側面が鋭く断ち割られていた。鷲尾の言うとおり、刀傷と見て間違いない。しかしなぜ、石川屋の蔵に人骨が隠されているのか。




「わが家を悩ませた『薙刀鳴り』を鎮めていただいたお二方には、火事の始末にお手を煩わせた挙句、お見苦しいものをお見せしましたこと、心底からお詫び申し上げます」


 翌日――。火事と蔵の中から現れた人骨の始末に憔悴しきった石川屋が、喜十郎たちふたりの前に平伏している。蔵が燃えてしまったこと。中から現れた人骨のこと。いずれの出来事も『薙刀鳴り』となにか繋がりがあると思われたが、喜十郎が尋ねても、石川屋はただただ困惑するばかりだった。


「なにがなにやら……。あの蔵は百年前にこの屋敷が普請された、ずっと前からこの地にあったと伝えられている蔵でございます。私どももどうして……髑髏か隠されていたのか……分かりかねます」


 そうだ。人骨は明らかに壁土のなかに隠されていた。あれは隠されなければならない死体だったのだ。


「骨に残された傷からみると、何者かに斬り殺されたようだ」

「……わが家の先祖は、辺り一帯を治める海賊の頭領であったと聞いております……ときには血なまぐさいこともあったのかもしれません……」


 それにしても面妖な事件である。もしこれが奉行所の知るところとなれば、なんらかの取り調べが行われることになるだろう。


「中には、明らかに子どもの骨と思われるものも含まれている」

「……考えるだに、恐ろしいことでございます」

  

 石川屋は、「薙刀鳴り」が鎮められた際に、先祖伝来の大薙刀が真っ二つに折れたことにはひと言も触れず、約束の五両にさらに五両上乗せした十両を帛紗に包んで差し出した。蔵から髑髏が現れた件の口止め料のつもりだったのかもしれない。鷲尾は顔色ひとつ変えず、さも当然といった風にその十両を鷲づかみにすると、ぐいと懐にねじ込んだのだった。


 昼過ぎ、喜十郎たちは、石川屋の島御殿を後にした。

 港への道すがら、ふたりが話し合ったことは、やはり「薙刀鳴り」と人骨のことだった。


「結局、『薙刀鳴り』の正体は分からなかったな。おまけに家事の焼け跡から現れた人骨。分からないことだらけだ」

「しかし、おそらくふたつの出来事は深く関係している。現に昨夜から『薙刀鳴り』は収まったのだからな」


 決めつけるように鷲尾は言った。


「『薙刀鳴り』は死者の祟りか」

「むしろ、その逆だろう」

「逆?」 


 不思議そうに聞き返す喜十郎。


「あの屋敷を守っていたのではないかな。石川屋の先祖が過去に働いた悪事を隠蔽し、わしらをはじめ、藩の人間をあの屋敷へ寄り付かせぬようにしていたのだ」

「なんのために」

「それは分からん――が、しいて言えば、海の民の誇り、とでもいうべきものかも知れん」


 藩の直轄地としてこの蔵掛島を差し出せば、島から海の民を統治してきた石川屋の立場も変わる。島の主人から、一介の商人へ、青海藩の船荷の大半を取り扱う非常に大きな身代の商人へと転身する。


「時代の流れとは言え、それが許せぬと考えたのではないかな」

「薙刀が?」

「言っただろう『薙刀鳴り』は人のもつこごったものよ。そう考えたのは、石川屋を取り巻く古い人間たちさ」


 海を見下ろすことのできる丘の上からは、港に船が出入りする様子がよく見えた。今まさに一隻の蒸気船がもくもくと黒い煙を吐きながら港へ入ってくるところだった。青海藩との交易に訪れた外国商船だろう。この蔵掛島を舞台に、外国との交易を推し進めようとする藩と、新港での船荷の取り扱いを独占しようとする石川屋の利害が一致した――その象徴ともいえる光景だ。


「時代が動くときには人が動く、金も動く。古い時代と新しい時代のあいだに軋轢が生まれる。『薙刀鳴り』はいまという時代が招いた怪異かもしれんな」


 姿は山岳行者の格好をして、懐手であごをの無精ひげを撫でている鷲尾十兵衛がそういいながらなにを考えているのか、喜十郎にはよく分からなかった。この食わせ者の浪人もいまの時代と同じでその内に複雑なものを抱えているのかもしれない。




 鷲尾は、石川屋から受け取った十両のうち、喜十郎には三両を寄越した。


「なんだこの三両というのは、石川屋が寄越した金は十両だったぞ。山分けして五両ずつとするのが筋というものだろう」

「なにをいうか。そもそもわしが話を持っていかなければ、この金の一両だっておぬしの手元に行かなかった道理だ。二両の手数料ですら安いくらいだ」

「しかし……『薙刀鳴り』を倒したのは、おれだぞ」

「偽りの板野新二郎に斬られそうになったおぬしの目を覚ましてやったのはだれだと思ってる」

「……」

「文句があるなら、石川屋に掛け合ってこい。わしは知らん!」


 しゃあしゃあとそう言い放つ、神経がわからぬ。とにかく、不満があっても受け取っておかなければ、十両すべてを鷲尾がひとり占めしそうな勢いだったので、喜十郎はそれ以上は言わず三両を受け取った。


「この次におぬしから用心棒がらみの話を聞いたときは、最初に雇い主と金の分け前について決めておくことにするよ」

「ようやくそのことに気づいたようだな――それがいい」


 金のことについては、世間で揉まれている浪人の鷲尾には敵わないと苦笑するしかない喜十郎だった。


 汽笛の音が聞こえた。外国商船はますます港に近づいてきている。ゆっくりゆっくり近づいてくる黒い鋼鉄の船は、この島が、青海藩が変わっていく象徴だ。おれも変なければならないのだろうかと考えると、喜十郎の胸はざわつく。


「喜十郎、島を出て新港へ戻ったら、一杯つきあえ」

「おぬしのおごりか」

「むろん――割り勘でだ」


 からからと笑う鷲尾の声に、蒸気船が港に接岸することを知らせる大きな汽笛の音が重なった。海から吹きつける風は冷たく、今夜は雪になるかもしれない。安酒で身体を温めるのも悪くないな。喜十郎は鷲尾を促すと道を港へと下りはじめた。


 汽笛の音が繰り返し、繰り返し、蔵掛島の海をわたって響いていく。

[用心棒余話 終]

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