幕末野望編

第70話『青海騒動』報告

 これよりここに、青海藩十二万石に勃発した『青海騒動』の顛末てんまつを報告する。


 今回の騒動については、この報告書のほかにもさまざまな流言、噂、憶測のたぐいが京にまで伝わっていると推察するが、ここに記された内容のみが真実起こったこととと心得られたい。


 まず、この報告書では騒動の布石となったいくつかの事件について述べることとする。


 第一に述べるのは、新港における「外国人商館襲撃未遂事件」である。


 この事件は、青海藩内の攘夷派による外国人商館襲撃計画を藩内開国派が事前に察知、襲撃を未然に防いだ事件である。


 襲撃犯人は、開国派の派遣した樅木新平もみきしんぺい板野喜十郎いたのきじゅうろうの二名によって討ち取られ、事件は未遂に終わったが、事件は青海藩内の攘夷派と開国派とによる内紛が激しくなっていることを藩内外に露呈した。


 事件の首謀者は、藩主、宝川義持たからがわよしもちの伯父である宝川茂実たからがわもちざね、奇妙公とあだ名される隠居老人であるが、その参謀役に収まっている男こそ、真の首謀者と思われる。板野新二郎いたのしんじろう、脱藩した元青海藩士である。


 次に述べるのは、長崎で起こった『青海藩正室殺害未遂事件』である。


 この事件は、青海藩主が長崎警備の任務を拝命し、長崎の地に滞在している最中に藩主の正室・尚姫なおひめが数度にわたって何者かに命を狙われた事件である。


 青海藩の奥御殿で正室の飼い犬が服毒死する事件が発生、難を避けるために尚姫が藩主に同行した長崎で事件は起こっている。


 長崎で起こった事件のひとつは外国人商人、グラバーの私邸で開かれた茶会で、尚姫が食べるはずの菓子に毒が盛られていた事件。もうひとつは、同じくグラバー邸から屋敷へ戻る途中、尚姫の乗る駕籠かごが不逞浪士に襲撃された事件である。


 いずれの事件も、当時、尚姫警備の任務についていた板野喜十郎によって、犯人は討ち取られ、未遂に終わっている。


 調査の結果、奥御殿に不審な女を送り込み、不逞浪士を雇い入れて尚姫を襲撃させた首謀者は、藩攘夷派の首魁、奇妙公の参謀、板野新二郎であることが判明している。


 最後に述べる事件は、『家老暗殺未遂事件』である。


 この事件は、藩内開国派の重鎮である橘厳慎たちばなげんしんが、攘夷派に唆された若手藩士に襲撃された事件である。


 襲撃犯人は、馬廻組組頭うままわりぐみくみがしらの子弟、篠崎祐馬しのざきゆうま、篠崎は恒例の月見の会から帰宅する橘家老をその中途で待ち受け、その駕籠を襲撃するも目的を果たせず逃走、領外への逃亡を図るものの、攘夷派によって殺害された。


 開国派とみられていた篠崎祐馬が攘夷派に同調し、橘家老を襲撃した経緯については判然としない部分があるが、攘夷派、板野新二郎による強力な工作があったと推察される。


 以上が、『青海騒動』に先立ち、青海藩内において発生した開国派と攘夷派による抗争の概略である。


 これまで述べてきたとおり、これら事件のすべてで青海藩の元藩士、板野新二郎が藩主の伯父、奇妙公の背後で糸を引いていたことが判明している。奇妙公を影で操り、藩論を二分して藩内を混乱に陥れたその手腕には端倪すべからざるものがある。


 板野新二郎は危険である。

 彼を自由にすることは、日本国の将来を不自由にすることと同義である。その脅威は、あとに述べる『青海騒動』の報告書に譲るが、彼を自由にすべきではない。繰り返す。板野新二郎の野望を自由にすべきではない。


慶應二年◯月◯日 青海にて

新撰組副長助勤 諸士調役監察 山崎丞

同 吉村貫一郎


(つづく)

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