第15話「腕利きを探している」

 改めて座敷で対面した斎兵庫いつきひょうご橘厳慎たちばなげんしんは、ちょうど炭のいこってきた火鉢を挟んで向かい合った。ふたりは同年輩だが、半ば頭の白くなった斎兵庫の方が、その堅苦しい人柄も含めてずっと年長に見える。斎は絵都えとに命じて火鉢に鉄瓶をかけさせた。


「お城はどうだった」

「それは家老のお主の方がよく知っておろう」


 木で鼻をくくったような斎の返事に、橘は気を悪くする様子はない。長年の付き合いで慣れているのだ。


「そうではなくて、隼人はやとどのの家督相続の件だ。お城のお歴々に挨拶あいさつしに出かけたのだろう」

「ふん。上首尾とはいかぬが、まあそこそこであろうよ」


 新当流剣術指南役、斎兵庫の人あしらいの不器用さは、城下で知らぬ者のないほど有名だ。城中というところは、世辞や追従のひとつも言えない不調法者を気持ちよく受け入れてくれる場所ではない。よほど不愉快なことがあったに違いないが、橘はあえて深く聞かない。


「板野というのか――先程道場でみた男」

「うん? ああ、先年、藩を逐電ちくでんした御徒組おかちぐみ板野新二郎いたのしんじろうの末弟で、家督を継いだ喜十郎きじゅうろうだ」

「ああ、あれが」


 数年前、江戸詰の藩士数名が脱藩し、上方に行方をくらますという事件があったが、その当事者のひとりが板野喜十郎の兄、新二郎だった。その責任を取る形で、板野家はその家禄の半分を藩に返上している。


「破門したのか」

「そうではないが、病んだ母親を抱えて家の内証も良くないらしい。内職が忙しく稽古けいこに顔も出せぬというのであれば、道場に顔を出すなといった方がむしろ親切であろう」


 彼一流の理屈だ。それがために喜十郎が後輩たちから軽んじられているとは夢にも思っていない。


「板野と打ち合っていたのは」

馬廻組うままわりぐみ篠崎貴久の末弟、篠崎祐馬しのざきゆうまと馬廻組組頭 大村治左衛門おおむらじざえもんの長子、大村圭介おおむらけいすけだな。どう見た?」

「かなりつかえるな、あのふたり。特に篠崎は剣が大きい。将来が楽しみだな」


 自身も心得のある橘は、若いふたりの剣さばきを思い出して目を細めている。


「……ふむ。まあ、実際あのふたりは隼人よりも強い。そうか、彦右衛門はそう見たか」


 剣術指南役の役目を継ぐべき斎兵庫の一子、隼人は体が弱く病気がちで、剣術修行もおろそかになりがちだった。橘はことあるごとにあと数年、家督相続は伸ばせないかと言ってきたが、斎兵庫は聞き入れてこなかった。


「ところで、今日はなんの用だ。ひとり道場を覗いたりなどして」

「それよ。じつは捕物があってな。腕利きを探している」


 橘があたりを伺い、一段声をひそめた。斎兵庫の声もそれにつれて自然と低くなる。


「町方の管轄だ。わしに頼むとは筋違いだ」

「それが火付けや強盗の類いならばな。そうではない。じつは公儀をはばかる話で早急に手を打たねばならん事態だ。奇妙公きみょうこうの御謀反なのだ」

「まさか!」


 橘のいう奇妙公とは、先代藩主の庶兄にあたる人で、当代藩主にとっては伯父になる。風流の粋人として知られ、藩政には一切関わってこなかったが、弟である藩主が亡くなり、世情が騒然となってきた今になって、「攘夷だ尊王だ」と藩政に口を挟み出した老人である。奇妙公とは俳諧の道における彼の雅号「奇妙斎」からきている。


「おどろくのも無理はないが事実だ。奇妙公は、常々、武力による攘夷を唱え、その必要もないのに攘夷の実行を藩に迫っていたが、ついに自らそれを実行しようと浪人どもを集めてはじめたのだ」

「攘夷?」

公儀肝煎こうぎきもいりで新港に建設している外国人商館があるのだが、これを襲撃するつもりらしい」


 公儀、すなわち幕府の後押しで建設している外国人商館が襲撃されれば、間違いなく幕府の知るところとなり、藩は窮することとなる。よくて藩主の謹慎、悪くすれば藩の取り潰しである。


「そんなことはさせられん」

「無論だ。ことは隠密に、しかも迅速に行われなければならん。しかしそのためには討手がいる。手練れの討手が」


 藩では事情を知る少数の重臣たちで協議し、極秘のうちに討手を集めることになった。目立つことをして公儀の目を引いてはならない。討手は二名。藩の剣術指南役から、これと認める剣士の推挙を得ることと決まった。


「おれがここへきた理由だ。どうだ兵庫、いま藩でいちばん剣を遣える男は?」

樅木新平もみきしんぺい


 斎兵庫は即答した。


「いま尋常の立ち会いで樅木の右に出る者はおらん。図抜けている」

「樅木の名はすでに挙がっている。樅木は柳井道場の高弟だからな。柳井大膳やないたいぜんには、別の重臣を向かわせている。あと一人なのだ」


 あと一人。斎兵庫は首をひねって黙りこんだ。静かになった座敷に、火鉢にかけた鉄瓶がちんちんと音を立てはじめていた。




 半刻後、橘厳慎は斎兵庫の屋敷を辞した。橘を見送った絵都が座敷へ戻ると、まだ斎兵庫は、橘がいたときのまま懐手をして、湯の沸いた鉄瓶を見つめていた。


「絵都」

「はい、お茶のおかわりをお持ちしましょうか」

「聞いておったか? さっきの話」


 盆を手に湯呑みを片付けようとしていた絵都は手を止めて、年の離れた兄に向き直った。


「だんだんと大きな声になるんですもの」

「どう思う。わしの推したあの男は」

「橘さまは驚かれたでしょうね」


 驚いた橘の顔を浮かんでくるようで、絵都は口元をほころばせた。


「やれると思うか」

「あの方以外、どなたに討手が務まるでしょう。ただ――」

「ただ?」

「ただ、あの方は何につけても、じれったい人ですから。橘さまも手こずるのではないかしら」


 それだけいうと絵都は手早く片付けを済ませ、かわりをお持ちしますねといい置いて座敷を去っていくのだった。


 音もなく閉じられた障子の引き戸と差し掛かった午後の日差しを見るともなしに眺めながら、斎兵庫は呟いた。


「じれったい……か。そうかもしれん」

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