第31話 オランダ坂の襲撃者
グラバー邸からの帰途、絵都の足元に伸びる影は長くなり始めていた。
港から離れた高台にある外国人居留地の周囲に人家は少ない。畑のあいだの通された道を長崎の街へ向かって、
少し離れた前を
異変に気づいたのは、先頭を歩いていた小男だった。
影の濃い林に差し掛かったところで急に歩みを止め、絵都がおやと思ううちに踵を返して走りはじめた。小男を追うようにして三人の良からぬ風体の男たちがこちらの方に駆けてくる。その手に抜き身の刀が見えた。
「止めよ!」
考えるより、言葉が先に出た。
駕籠かきが歩みを止めた。
「絵都さま?」
駕籠のうちから尚姫の
「奥方さま、開けてはなりません!」
絵都の叫び声が合図だったかのように、喜十郎が太刀を抜き放った。夕陽にぎらりと刀身が輝いた。
――尚姫さまが襲撃されている!
「絵都さん!」
喜十郎が腰の小太刀を鞘ごと抜くと、絵都に投げて寄越した。受け取った両手にずしりと感じる刀の重み。喜十郎の背負ってきた尚姫警護という責任の重みだ。
「奥方様は任せた!」
まっすぐ男たちへ向けて駆け出す喜十郎にためらいはなかった。
あっという間に男たちとの距離を詰め、光跡一閃、そのうちのひとりが倒れた。目を見張るばかりの早業だった。
間髪入れずに浮足立つ男たちに斬りこんでゆく喜十郎が、激しい怒号と土煙の向こうにかすんでゆく。刀と刀を打ち合わせる金属音が聞こえてきた。
「え、絵都どの」
切羽詰まった桜野の声に我に返ると、駕籠の反対側からさきほどとは別の男が、こちらへ駆けてくるのが目に入った。襲撃者は、三人だけではなかったのだ。
喜十郎は、ふたりの男を相手に戦っている。こちらに戻って来る暇はない。
駕籠の守りに、小男、小女では役に立たない。そうであるならば、ここは……。
――わたしが!
喜十郎から受け取った小太刀を抜き放つ。絵都がここを守るしかないのだ。
男は、絵都が刀を抜いたことで一瞬たじろいだが、相手は小柄な女ひとりと思い直したのだろう。かえって残忍そうな表情を浮かべて襲いかかってきた。
男の初太刀をかわす。太刀筋の定まらない未熟な剣だ。
しかし、ここは道場ではない。稽古着に袴姿であれば難なく打ち倒すことのできる相手であっても、奥女中の身に着ける
――小袖の裾が割れようが、知ったことか!
体勢を低く取ると、勢いばかりで間合いを読み違えた男の刀をかいくぐり、鋭く踏み込む。草履を脱いだ白足袋がぐっと土を噛む。尋常でない絵都の動きに、「信じられない」と驚愕の表情を浮かべた男が飛び
――まだだ。
逃がせない。
尚姫に刃を向ける不届き者をこのまま逃がすわけにはいかない。
振り払うように刀を左右に薙いで引き下がる男を追う。執拗に追い詰める。
敵わないと思ったのか、逆襲に打ちかかってきた男の刀を打ち落とし、その右肩を絵都の小太刀が切り裂いた。十分に斬った。急所を外す余裕をもって。
「絵都さん!」
遠くから喜十郎の叫び声。
振り返ると大きな影が絵都に迫っていた。
最初の男を倒したことに油断した。もう一人いたのだ!
その太刀筋は鋭い。最初の男とはちがって、強い。
小太刀では敵わない。
ひとつ、ふたつ……なんとかかわすが、いつまでも続けられない。持っていた小太刀を叩き落され、手がしびれる。男が大きく刀を振りかぶる――。
「!」
パン、パン、パンと乾いた音が、ほこりっぽい道に響いた。
男が刀を放り出し、もんどりうって地面に転がった。小刻みに震える身体、見る間にその姿が赤く血に染まってゆく。撃たれた? いったいだれが。
腰を抜かした桜野が取りすがって泣く駕籠の向こうから、ゆっくりと大きな男が現れた。手に煙の立ち昇った拳銃をもっている。殺伐としたこの尚姫襲撃の現場にあっても、男の陽気さはさきほどとなんら変わらなかった。
「だから、言ったでしょう。ぶっそうな世の中だって」
「坂本さん……」
「絵都さん、あんた強いんだねえ。わしも惚れちまいそうだぜよ」
そういうと
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