第19話「前へ出なさい」
目付たちが、屋敷を出てゆくと、門内にふたつの人影が倒れているのが見えた。捕物装束の足軽だ。いずれも一太刀で絶命させられている。凄まじい太刀さばきだ。
「油断ならんぞ」
「はい」
喜十郎には、黒々と開け放たれた屋敷の玄関から殺気がほとばしってくるように感じられた。
樅木新平とふたり、気配を探りながら屋敷へ足を踏み入れる。屋敷の中は暗い。目を開けているのか、閉じているのか見当識を失う。警戒心が最高度に高まった。
暗がりのなか微かな気配が動いた。衣擦れがし、一気に殺気が襲いかかってくる。樅木とふたり身を低くしてかわす。一瞬、月光に白刃が閃き、そして闇に消えた。敵は暗がりに潜んでいたのだ。
「右へ。わしは左をゆく」
樅木と二手に分かれて挟み撃ちを試みる。床を蹴る足音がして敵が駆けだした。ふたりが追う。しかし、喜十郎たちは屋敷の造りが分かっていない。暗闇の中、敵を追ううちに、互いに互いのことを見失ってしまった。
「樅木どの!」
返事がない――と、背後から怒号がした。刀を打ち合わす音。一合、二合……。さらにバンッと建具が踏み破られるような音がして気配が消えた。
振り返った喜十郎は駆けた。やがて行き当たったその襖を開く。そこは庭に面した座敷だった。障子が大きく開け放たれ、降り注ぐ月光に照らされた室内。その畳の上にうごめくひとつの人影。
「樅木どの! 大丈夫ですか!」
樅木は深手を負って倒れていた。襷で引き絞った袖が血で黒く濡れている。
「……め」
「は?」
「ばか……め、罠だ!」
樅木が、苦しい息の下から、それだけ口にすると同時に殺気が襲いかかってきた。横っ飛びにかわす喜十郎の着物の裾を、闇から飛び出してきた刀の先端が切り裂いた。
――罠だ。
とどめを刺さずに樅木を座敷に捨て置いたのは。喜十郎をおびき出すための罠だった。
敵が息もつかせぬ勢いで、次々と斬りつけてくるので、喜十郎は刀も抜けない。いや、敵の攻撃が喜十郎に抜かせないのだ。敵はこうした戦いに慣れている!
相手は黒い影のようだった。月明かりに照らされた庭を背負って黒く潰れた表情は読み取れない。逆にこちらの表情は手にとるように読めるのだろう。狡猾な敵だった。
いつのまにか部屋の隅にまで退いていた。どうすればいい。右へ走るべきか、左へ跳ぶべきか。喜十郎は追い詰められ、迷っていた。
――じれったいわね。
絵都さんだ。
斎道場の絵都がいつも言っていたことだ。焦ったいと、喜十郎は決断が遅いのだと。
――しのごの考えてないで、前へ出なさい!
いまこそ、そのときなのだと。
「前へ!」
強く畳を蹴った。ひと飛びで敵との間合いをなくしてしまう喜十郎の踏み込みに、敵がほんのわずかの間怯んだ。暗い座敷に光跡一閃、音もなく抜き放たれた喜十郎の刀が、敵の右手を跳ね飛ばした。
刀を握ったままの右手首が宙を舞い、ドサリと重い音をたてて畳の上に落下する。たまらず相手は失った右手を庇ってうずくまった。
床から落ちた刀を拾い上げると、喜十郎は樅木に駆け寄った。
「樅木ど……」
「板野! 後ろだ!」
はっと後ろを振り返ると、ゆらりとふらつきながら立ち上がる敵の左手に、ちかりと光る黒い回転式拳銃が握られているのが見えた。銃口が真っ直ぐに喜十郎を捉え、次の瞬間、大音響とともに拳銃が火を吹いた――。
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