第6話 さらなる悪評

 12月。青海あおみ藩も参加していた西国連合による長州征討軍は、長州が幕府に対する恭順を示したことを受けて解散となり、動員されていた多数の藩士たちも戦うことなく戦場から帰還した。城下にいつもの光景が戻ってくると時を同じくして、斎隼人いつきはやとの体調も次第に回復していった。


「いずれ父上の知るところとなりますよ。いっときは城下でも大変な評判となっていたらしいですからね」

「それにしたって、わざわざわたしから報告することはないと思うわ」


 いつき道場の主で、藩の剣術指南役である斎兵庫いつきひょうごも戦場から帰還していた。しかし、まだ道場破りの一件は気づかれていない。布団の上に半身を起こし、絵都えとと話している隼人の顔色はずいぶんと良くなった。間もなく起き上がれるようになるだろう。


「本間さんや、隼人の名誉にも関わることだし」

「僕のことはいいんですよ。姉さんのことです」

「わたし?」

「果し合いを見ていたやじ馬の中に、『あれは斎の女天狗じゃないか』って気づいた人がいたみたいですよ」

「……」


 だから、はしたくなかったのだ。当の本人も忘れかけていたむかしの二つ名を持ち出されるなんて忌々しい。婚家から出戻ったことだけでなく、さらなるを加えてしまったらしい。絵都は憮然とした。


「どうしてそれを、隼人が?」


 体調を崩してしばらく屋敷から出ていないのに、なぜ城下の噂が彼の耳に入るのだろう。


「本間さんが教えてくれるんです。姉さんの戦いぶりに感銘を受けたそうで、果たし合いの噂を聞き集めているようですね」

「……あきれた」


 絵都は、道場の師範代の意外に軽はずみな面があることに驚いた。


「ですから。どこかから父上の耳に入る前に、姉さんから話した方がいいです。あのとおり融通の利かない人ですから。僕自身、そうしないといけないと思う。一緒に行きませんか」


 なるほどその通りかもしれない。

 絵都の兄、斎兵庫は剣の腕前は抜群ながら、よく言って厳格、悪く言うと偏屈な人物として城下に知られている。自分の留守中、道場が道場破りにあった一件を知らされずにいることを愉快に思うはずがない。しかし――。


「しまった」

「え」

「いま、橘さまがお見えになったから」


 藩の筆頭家老、橘厳慎たちばなげんしんと兵庫とは、幼い頃から道場で鎬を削った親友同士である。藩の要職を務める橘は耳が早く、何事につけ幼なじみである兵庫に相談するため屋敷へやってくる。今日も朝から屋敷の玄関に現れたので、いま座敷へ通してきたばかりある。


「もう、手遅れかもしれないわね」


 そのとき廊下を踏む足音が座敷の方から聞こえてきた。「絵都。絵都はどこだ」兵庫が妹を呼ぶ声がした。


「行きましょうか」


 苦笑いしながら体を起こそうとする隼人を絵都は押しとどめた。まだ、体調は戻っていない。無理をして隼人の病がぶり返しては大変だ。


「道場破りよりは相手しやすいんだから――姉さんに任せといて」


 今日の相手に助太刀は期待できそうにないな、などと考えると少し可笑しい。絵都が立ちあがって部屋を出ると、意外に外は暖かくて頬が緩んだ。師走の日差しがいっぱいに差し込む廊下を兄が待つ座敷へ急ぐ――。


[秀花峻霜篇 終]

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