第9話 十年浪人
荷駄を背に行き交う馬、ひっきりなし通る荷車、積み上げられた木箱や俵。冬の海から吹き付けてくる風は冷たいが、
物珍しげに立ち止まって眺めていると、幾人もの人夫や商人が会釈もなく
「よせよせ、
喜十郎を押しとどめたのは、同じ
「ここには、これまでの
「たしかに活気に満ちている。人夫や町人たちの顔も、城下とは違って生き生きとしているようだ」
「どうしてだか分かるか、喜十郎」
「……?」
「これだよ。これ」
鷲尾は胸の前で人差し指と親指で丸を作ってみせた。銭ということなのだろう。
「いったいに武士というものは、銭の話を賤しいものとして遠ざけようとするが、銭が地から湧いてくるような
「……」
「難しい顔をしているな。しかし、おぬしがここへやってきた理由もそれ――銭のためであろう? であれば、ここにあるものこそ新しい時代というものかもしれんぞ」
新しい時代か。
もしそうなのだとしたら、僅かな金にあくせくしていることを恥じている自分は時代遅れの男なのだろうなと、ごった返す大通りの人々を眺めながら喜十郎は思った。
☆☆☆
新港へは、三國屋で話を聞いた翌日にはやってきた。喜十郎は家族のない独り者であるし、なんの造作もなかった。寝たきりの母の面倒を見てもらうため、以前働いてもらっていた下女に通ってもらうことにすれば、喜十郎は自由だった。
翼を得た鳥のような気分で、乗り込んだ新港は喜十郎の想像以上に賑わっている町だった。よく言えば活気に溢れ、悪く言えば猥雑な空気にみちていた。三國屋は城下の店とは比べ物にならぬほど大きな店を新港に構えていて、人の出入りの途絶えることがない。
店には喜十郎とは別の用心棒が既にいた。店の番頭から引き合わされたその男が、鷲尾十兵衛だった。年は四十をいくつか過ぎているだろう。浅黒い顔を一面の髭が覆っている強面の浪人は、店にもずいぶんなじんだ様子で、用心棒稼業が板についているように見えた。
「
「鷲尾十兵衛だ。堅苦しい挨拶はせぬ、そういうのは苦手だ」
そう言って、にかっと笑う口元に前歯が欠けている。鷲尾は、見た目こそ強面を装っているものの、隠しようのない愛嬌を持った男だった。店の番頭は、それ以上喜十郎を案内することもなく、そそくさと部屋を出ていった。右も左も分からない喜十郎がまごついていると、心得たとばかりに鷲尾が案内を買って出た。
喜十郎たちが住まう店の離れ、居間兼寝室、賄いを供される台所、風呂と厠。先に立って歩きながら、いちいち事細かく説明してくれる。やはり鷲尾は、見た目に反して人がいい。
「武士とはいっても、ここではなんら特別扱いはしてくれん。上げ膳据え膳などもってのほか。むしろ商売の邪魔にならぬよう気を遣わなければならん」
そう忠告してくれる鷲尾は、すれ違う店の者に対してもいちいち愛想がよく声を掛けている。
「用心棒など、変わりはいくらでもいるからな」
「なるほど」
しかし、鷲尾が愛想よく振る舞えば振る舞うほど、店の者たちは彼を恐れ避けているように見える。どうやら鷲尾の三国屋に対する気遣いは片思いに終わっているようだった。
「町を案内しよう」
ふたりは店を出て、人馬が行き交う町の通りへ出た。
新港は青海城下から川を下ること三里余り、青海湾の奥懐に位置する天然の良港である。港自体は古の時代からずっとここにあったものだが、藩の筆頭家老、
町を南北に貫く大通りをゆくと、行き交う人馬の喧騒に混じって、あちこちから鑿や槌を振るう音が響いてくる。新しい店や蔵、住居などが普請されているのだ。相当賑わっている新港だが、この町はいまよりもっと膨張しようしているらしい。
「用心棒ははじめてか」
「うむ。貴公はそうではないのか」
「貴公などと、よせ。呼び捨てでよい。わしも喜十郎と呼ぼう。そうだな……この稼業もかれこれ十年になるかな」
「十年!」
浪人とはいえ、武士がこうした用心棒稼業を十年も続けているとは驚いた。
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