第8話 用心棒

 喜十郎が番傘を納めている三國屋みくにやは、商いの規模はそれほどではないものの、小はちり紙から大は大砲までなんでも売ると評判の商人である。その本拠である新港しんみなとだけでなく、城下にもこじんまりとした小間物屋を出している。青海に新港が開かれて以降、城下に新しい商家が増えたが、三國屋もそのひとつである。若い番頭と傘五張りの約束をしてから三日後、喜十郎は五本の傘を抱えて、三國屋を訪れていた。


 小間物屋の店先で訪いを入れると、喜十郎はすぐに奥へ通された。間口の狭い表店と打って変わって奥は大きく立派な住まいだった。お茶に茶受の菓子までついたので、内職の傘を納めに来ただけなのに馬鹿丁寧なことだと訝しんでいると、障子戸を開けてひとりの男が入ってきた。


「お待たせしました。三國屋の主人、幸右衛門でございます」


 三國屋幸右衛門みくにやこうえもんは、喜十郎の見るところ四十手前、恰幅が良く福々しい顔つきの男だ。若くしてこんな大きな店を複数構えるというのは、人の良さそうな見かけに反し、やり手の商人だということなのだろう。柔らかい声音に上方のなまりが混じっていた。


「これは丁寧なことで痛み入る。板野喜十郎いたのきじゅうろうでござる」

「いつもお世話になっていますのに、これといったもてなしもできませんで恐縮でございます」


 腰の低いことだ。傘を引き取りに来る若い番頭とはずいぶん違うではないか。喜十郎は胸の内で苦笑した。所詮自分は仕上げの悪い傘を納めるしか能のない武士でしかない。この厚遇は、なにか裏があるに違いないと思った。


「ところで――」


 なので、ひとしきり世間話をした後に、三國屋がそう切り出した時も、喜十郎は意外に思わなかった。


「先日、板野さまが藩の剣術指南役、斎兵庫いつきひょうごさまの高弟であると伺う機会があったのですが、本当でございますか」

「左様」


 まじめくさって頷いて見せたが、心の中では舌を出していた。ずっと道場へは顔を出していないし、そもそも師である兵庫からは道場への出入りを禁じられている。いったいそんな道場の高弟というものがあるだろうか。


「そうでございますか」


 三國屋は、喜十郎の返事を聞くと肉付きのよい顔に喜色を浮かべて言葉を継いだ。


「じつは、板野さまを見込んでひとつお願いがあるのです。もちろん、それなりのお礼はさせていただこうと考えておりますが」

「伺おう」


 即答するのは武士として軽々しいかとも考えたが、「それなりのお礼」は願ってもない申し出てある。板野家の家計はいよいよ進退に窮しつつあるのだ。


「私ども三國屋では城下の他に、新港にも店を構えておりまして」


 三國屋の語るところによると――。

 神君家康公以来の国是であった鎖国の禁が解かれて以降、西国で諸外国との貿易が盛んになってきている。なかには外国との貿易を当て込んで新しい港を開く藩も現れた。やり手と評判の橘家老の指揮のもと、青海湾にあった旧港を改修整備した新港もそうした貿易港のひとつである。青海藩では、従来から青海で商売をしてこなかった商人に対しても、新港で商売をする門戸を開いたため、新港には領外から大勢押し寄せた商人たちが軒を連ねるようになった。三國屋もそうした新興商人のひとつである。


「おかげさまで商いは順調で、こうして御城下にも店を構えることができるようになりました。ただ――」


 新しい商売をはじめて数年もすれば、商いの上での勝ち負けがはっきり目に見えるようになるものらしい。新興商人のなかでも、とりわけ順調に売り上げを伸ばしている三國屋は、同じ新入りの商人たちからやっかみを受けるようになったのだという。新港の店では、嫌がらせを受けることが増え、その嫌がらせも徐々に過激なものへと変わっているのだという。


「先日も、新港の店裏で小火ぼやがありまして……幸いすぐに消し止めたんでございますが。ええ、まったく火の気のないところから火が出た、不審火でございますよ」

「それは危険だ。いったい何者が?」

「こうした商売をしておりますと、心当たりは数えきれないくらいあるものでございまして……」


 そういって三國屋は涼しい顔をしている。見た目は優し気な顔をしているが、商売の上では悪辣なことも厭わないようだ。ただし、過激ないやがらせには心底困惑しているようであった。


「先日も、数名の男が店に押し寄せまして、あることないこと難癖付けていったのでございますが、このようなことが続くと商売の障りとなります。どなたか腕に覚えのある方にいていただけたら――と考えていたところ、板野さまのお噂を耳にしたのでございます」


 なるほど。


「板野さまにはお勤めもございましょうし、無理なお願いとは承知しているのですが、数日から十日、新港の店にきてはいただけないでしょうか」

「おれを用心棒に雇いたいというのだな」

「有体に言えば、左様でございます。もちろん足を運んでいただく分のお手当はさせていただきます。一日一両でいかがでしょう」

「一両!」


 思わず喜十郎の声が大きくなった。一日一両。十日で十両。傘張の内職で十両得ようと思えば、幾張傘を作らねばならぬか見当もつかない。


 破れたきり放置されている障子戸、擦り切れて毛羽だった畳、蜘蛛の巣の張った米櫃、傘張道具の散乱した座敷――喜十郎の脳裏に、すすぼけたわが家のありさまがありありと浮かんできた。三國屋の申し出を断る理由はない、いや、断ってはいけないだろう。


「三國屋、もう少し詳しい話を聞こう」


 喜十郎は、三國屋へ向ってずいと身体を乗り出した。 

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