第12話 大捕り物

 ばきん! 賊の頭を殴りつけた白木の刀身が音を立てて砕け散った。男は崩れ落ちるようにしてその場に倒れた。鷲尾わしおは、その打ち込みの凄まじさと、真っ二つに折れてしまった刀に目を丸くしている。


「刀が……折れて……!」

「貧乏侍には珍しくもあるまい、竹光たけみつだ! おぬしの小太刀を寄越せ。賊を討ち果たすぞ!」


 喜十郎きじゅうろうが鷲尾から受け取った小太刀をすらりと抜いて駆け出すと、塀から庭へ飛び降りてきた黒ずくめの男たちは一気に浮き足立った。もともとは寝静まった三國屋へ人知れず忍び込む手筈だったのだろう。用心棒の侍たちが待ち受けていたとは意外だったに違いない。


「狼藉者、得物を捨てろ! そうすれば命だけは助けてやるぞ!」


 先程までこの場を逃げ出そうとしていた男とは思えない勢いで鷲尾が声を張り上げると、黒ずくめの男たちは次々と持っていた小刀、匕首あいくちを地面に投げて手を上げた。


 それでも離れの方へ駆けていこうとする賊のひとりに喜十郎が追いすがった。すぐに降伏した連中とは違い。多少は心得のある男なのだろう。小刀の鞘を抜き放つと、風切る音も鋭く喜十郎に切り掛かってきた。


 非常に敏捷な動きだった。右、左。左と思ったら、また右と。見る者を幻惑するような動きから、鋭く小刀を繰り出してくる。何度も修羅場をくぐり抜けてきた者の動きだ。暗闇で戦ったことのない喜十郎は手こずった。相手は真っ暗闇の中の黒装束である。きらりきらりと星明かりに小さな刃がきらめくだけで、賊の実体が掴めない。


 暗闇の中、夢中で戦ううち、喜十郎は庭石の一つを踏み外した。ぐらり。大きく身体が泳いだところに、ここぞとばかり賊に踏み込まれた。賊の小刀が喜十郎の袂を深く切り裂く。切られた――しかし、浅い。


 喜十郎は咄嗟に、繰り出された賊の手首を取り、身体を入れ替えて腋の下に賊の腕を極めた。「いける!」その体勢のまま小さく背を丸めて投げ捨てた。ごきっと音を立てて賊の肩が外れる音がした。賊はそれきり気を失い、小刀は地面に落ちた。


「大丈夫か、喜十郎!」


 鷲尾に声をかけられて我に帰ると、腋から腹にかけて着物が切られ、一部は皮膚も切り裂いていた。間一髪だったようだ。なにもかも。


 良かった。ほんとうに良かった。もう少し、賊が三國屋みくにやへ押し入るのが遅れていれば、鷲尾はここから逃げだしていたかも知れず、そうであればたった一人で喜十郎がこの人数の賊を相手にしなければならなかったはずだからだ。いや、きっとひとりでは賊を押し留めることはできなかっただろう。


 ――やあ、ほんとうに良かった。


 そう喜十郎がため息をついた、その時だった。ぴいいーと甲高い笛の音がしたかと思うと、勝手口の扉が乱暴に叩かれはじめた。大勢の人な足音が、塀の向こうで三國屋を取り囲みはじめた。


「なんだ?」

「新手か!」


 しかし――。


港奉行みなとぶぎょうから御用の筋がある。開門せよ!―― 三國屋へ港奉行の御用である。速やかに開門せよ!」

 

 新港の港奉行の与力とその配下たちだった。すでに勝手口だけではなく、玄関からも「御用」の声が聞こえてきはじめた。


 やがて店の者によって門が開けられると、手に手に提灯や行灯を持った港奉行の配下がどっと三國屋へ雪崩れ込んできた。すでに丸腰で恐れ入っている黒ずくめの男たちを縛り上げて連行してゆく。


 しかし、それだけではない。港奉行の配下は五、六人の押し込みを連行するためにきたのではなかった。ずかずかと店を押し入り、蔵を開けさせると帳簿を運び出し、金子を押収しはじめたのである。


 喜十郎と鷲尾十兵衛わしおじゅうべいが呆気に取られて見る前を、三國屋の手代、番頭、女将のふじまでもが縄を打たれて連行されてゆく。そして、喜十郎たちも。


「おい、人違いじゃないのか!」

「おれたちはなにもしておらん――やめろって」

「話は後できく!」


 結局、二人は港奉行配下の足軽たちに引き立てられるようにして、奉行所の馬小屋のような部屋に放り込まれ、翌朝まで解放されることはなかった。


☆☆☆


 翌朝、藩士の身分が確認された喜十郎は解放された。「この浪人は怪しい者ではない。身元はわたしが保障する」そう喜十郎が請け合うことによって鷲尾も解放された。


 解放されるときに奉行所で聞いた話によると、三國屋はずっと以前から抜け荷について嫌疑をかけられていたようだ。昨晩の「天誅」まがいの押し込みは、奉行所にも投げ文があり、港奉行はこれを三國屋捜索の好機と捉えたらしく、電光石火の手入れとなったのである。


 奉行の目論見は見事に的中し、抜け荷の証拠となる帳簿類は押し込み騒動で動転していた三國屋の番頭、手代によって隠匿される間もなく、奉行所の与力たちによって押収されてしまった。証拠となる帳簿を突きつけられては言い逃れはできない。三國屋の家財は没収、主人の幸右衛門こうえもん、女将の藤は青海あおみを所払いとなるはずだという。


 そこまで黙って聞いていた喜十郎の顔色が変わった。


「じゃあ……おれの給金はだれが払ってくれるんだ?」

「雇い主が牢の中では、如何ともしがたいな」

「そんな! そういう鷲尾、おぬしだって」

「わしは――ひと月分、前金でいただいておるからな」

「……前金」


 先に給金をいただいておくとは、まだ用心棒としては駆け出しの喜十郎には思いつかなかった。さすがに十年浪人。鷲尾十兵衛はやることに抜け目がない。

 

「はあ。傘張りの仕事も三國屋がなくなって、これからどうすればいいんだ――」

「三國屋がなくなったところで、傘の入り用がなくなるわけではあるまい。お主の内職はなくならんよ」


 そう言って鷲尾は笑った。


「雨が降れば傘が要る。傘を欲しがる者がいる限り、傘を商う者は必ず現れる。そこがまたおぬしの傘を買い取ってくれるだろうさ」


 なるほどその通りだ。三國屋がなくなっても、雨は降る。人が傘を欲しがる限り、傘を商う商売は廃れるまい。


 安心すると同時に、ふと思った。今日で慣れない用心棒稼業はお終いだ。おれの腕を買ってくれる三國屋がなくなったから。だが、おれの武士という商売はこれからも続く。しかし、これはいったいだれに、いつまで必要とされるものなのだろう――武士というものは。


 日が高くなり、賑やかさが増してきた新港しんみなとの大通りを並んで歩く喜十郎と鷲尾十兵衛。ふたりのあいだを師走の風が吹き抜けていった。ようやく新港にも厳しい冬がやって来そうだった。


[傘張哀歌篇 終]

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る