第2話 華麗なる剣士
稽古をするといってもすでに夕刻である。道場に人の姿はなかった。
「明日のために、形をさらっておきます」
ひとりで行う剣の
「姉さんが見ていてくれるなら安心だから」
木刀を手にした隼人が、濃い影の落ちる道場の中央に立ち、
藤堂の打ち込みを払って、斬る。
――見事。
道場の隅で隼人の稽古を見守っている絵都は、心の中で呟いた。
――なまなかな剣士では、隼人に太刀打ちはできないでしょう。
いまは道場を留守にしている兄・
たしかに隼人は身体が弱く、剣に力強さはないが、ち密で繊細な剣を遣う。相手の勢いに巻き込まれることなく、斬らせずに斬る刀法だ思っていた。竹刀剣術では力負けしてしまうが、真剣をもってその真価を発揮する。実践の剣だ。
道場に木刀が空気を切り裂く音が響く。
隼人の足さばきは軽く、息遣いはまったく乱れない。
――本来なら、負ける相手ではない。
絵都の兄で、隼人の父である斎兵庫が当主を務める斎家は、代々藩の剣術指南役を務める家柄で、隼人はそのひとり息子だ。幼いころに母親亡くし、以来、叔母である絵都が面倒を見てきた。可愛い甥っ子は実の弟のようなものである。
絵都の見るところ、隼人の技量に不足ない。しかし、この胸を蝕んでゆく不安の大きさときたら、どうだ――。
突然、いままで颯爽としていた隼人の足さばきが乱れた。太刀筋が迷い、身体に不自然な力みがみえた。「あっ」と絵都が腰を浮かせかけたところで、隼人がその場に
「どうしました、姉さん。そんな顔をして」
「隼人。いま体になにかあったのではないですか?」
「いいえ、元気ですよ。姉さんは心配性だなあ」
そういってにこにこしている隼人は、額にうっすらと汗を浮かべている以外、息も切らせていない。
「……ならいいのだけれど」
絵都も胸の内の不安を飲み込んで、そう言わざるを得なかった。ほかにどうすればいいのだ? 行くなと言って、隼人の代わりにだれが明日の戦いに向かうというのか。兄をはじめ、道場の門人である藩士はほぼ全員が公務により出払っているのだ。いったい誰が。
この年の夏、攘夷派の急先鋒である長州藩が兵を率いて上洛し、御所で騒動を起こした――いわゆる禁門の変は、薩摩藩と会津藩が連合したことによって長州藩の敗北に終わる。その後朝廷より「長州を討て」との勅命を受けた幕府は、大軍を長州藩に差し向けた。世にいう「長州征討」である。幕府軍とはいえ、その実体は西国各藩の連合軍であった。絵都たちの
――そうでなければ道場破りなどのさばらなかったものを。
青海領内に複数ある剣術道場に、他流試合を持ち掛ける道場破りが
「姉さん、ありがとうございました。なんとかなりそうです」
「そうね。今日はこれくらいにしておきましょう」
その日、夕餉をとると屋敷の灯をいつもより早くに落とした。
明日という日を、万全の状態で迎えたかったからだ。あたりが暗くなると、澄み渡った空に月が美しい夜になった。
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