(5)
ていうか、こうしている段ではない!
時計を見れば、もうすぐ六時。
高校生になってからというもの、
六時を過ぎてまで学校にいたことは、一度たりともない。
まったく…
ここ最近、あたしの人生のリズムが、未だかつてないほどに、乱れてきている。
絶対に、許さん…!
とりあえず、ママに連絡をしておかなくては。
ということで、カバンを床に置き、その中でスマホをいじることにした。
グリーンメールを開き、「ママ」とのトークルームを選択する。
すると、
[いつ帰ってくるのかな?気をつけて帰っておいでね]
ママからのメッセージが、一時間ほど前に届いていた。
[ごめん!!
ちょっといろいろ用があってね…もうすぐ帰るから、待っててね]
返事を送信した瞬間、すぐに「既読」がついた。
[待ってるよ!帰ってきたら、いろいろ話聞いてね]
相変わらず、ビックリマークが大きいな…。
そう思いながら、「オッケー!」というカボチャのスタンプを送った。
話って、絶対、進真との件だろうな…。
上手く話し合えたのかな…。
急に現実に突き戻されたような気分で、スマホを仕舞い、
カバンを肩に立ち上がると――
「イケヤン」の五人が、みんなで一ヵ所に集まっていた。
…こわ。
一体、何を話しているんだろう。
不安ながらも、
まだ「言わねばならないこと」を伝えられていないので、待つことにする。
すると、間もなく、高橋来登がこちらを振り返った。
「もしや、門限とかある?」
門限自体は、ないのだけど。
「そろそろ帰る」
あたしが言うと、
高橋来登は「じゃあ、もうちょっとだけ!」と叫んだ。
…「もうちょっと」が、多すぎる。
けれど、まあ、どっちみち、今は帰れない。
あたしは、彼らに伝えなければならないのだ。
あたしたちは、もう二度と、関わってはならないのだ、と。
―――その時。
「原口夢果」
高橋敬悟が、あたしの目の前に立った。
…な、何事??
まだトラウマから抜けられていないので、背筋が不自然にピンと伸びた。
すると、高橋敬悟の背後から、高橋来登がヒョコッと顔を出した。
「敬悟が、お前に謝りたいんだって。
昨日のことと、今日、抱きしめちゃったことで」
「黙れ、お前は」
この短い間にも、高橋敬悟と高橋来登は、お互いにひと睨みし合った。
まあ、それは、ともかく…
高橋敬悟を無視するということは、死に直結すると思われる。
自分の話をする前に、死なないために、
とりあえず、彼の話を聞いてみることにした。
「――謝りたいことがあるんだ」
高橋敬悟が、口を開いた。
「昨日…お前が、俺に連絡をくれていなかったら、
来登は、本当に危ないところだった。
感謝するべきだったのに、感情的になっていた俺は、お前に辛く当たった…
自分でも、よく覚えてる」
……えっ。
驚きのあまり、開いた口が塞がらない。
「…ただでさえ、俺は、見た目で怖がられる。
それなのに、さらに威圧的に接したもんだから…
お前は、きっと怯えていただろうと思う。本当に、悪かった。
あと、来登を助けてくれて、感謝だ。ありがとうな」
…これは、夢でしょうか。
…それとも、幻でしょうか。
衝撃のあまり、まだ開いた口が塞がらない――。
「敬悟、どうにかしろよ。
お前が硬いせいで、原口夢果まで固まっちまったぜ~」
横から見ていたらしい、金城亜輝が、見兼ねた様子で助言した。
―――すると。
「あ、握手だ」
いきなり、手を差し出された。
え、えええぇぇぇぇぇ!
「で、出来ません…!
だって、あたしは助けてなんか――一人でジタバタして、何も出来な…」
ようやく口が利けるようになり、すぐさま訴えようとすると、
「…いや。誰だって、急すぎる出来事に遭遇すれば、混乱はする。
お前は、出来る限りのことをしっかりやってくれた」
高橋敬悟は、なんとも感動的なことを口にした。
…なんだか、少し気が抜けてしまった。
だって、昨日から、ずっと、「ああすれば良かった、こうすれば良かった」って、
たくさんの後悔が、胸に溜まっていたんだもの。
もしもウソだとしても、こうして言ってもらえて、気持ちが楽になった……!!
「あ…ありがとうございます。そう言っていただけて、何よりです」
「原口夢果、お前、昭和生まれなの?何なら、江戸生まれ~?」
…人が、お礼を言っている時に。
コイツ(金城亜輝)は、なんてうるさいんだろう…!
「…――握手、しねーのか?」
「…えっ!」
ビックリしすぎて、悲鳴にも似た声を出してしまった。
高橋敬悟は、ずっと、あたしに向かって、手を差し出していたのだ…!
「敬悟、お前しつこい」
遠藤虎男が、代わりに言ってくれた。
「このメガネ女が、そんなすぐ心開くわけねーだろうが」
「そ、そうか」
高橋敬悟は、ゆっくりと手を引っ込めた。
「当たり前だ、バーカ。
ただでさえ抱きしめたくせに、手まで繋げると思ったら大間違いだ。
ざまあみろ、バカ兄貴!」
ここぞとばかりに兄を攻撃する、ナゾの高橋来登。
あたしを見た瞬間、ニヤッと笑った。
「昨日、コイツらが言ったことは、全部忘れて。
みんな、お前に悪かったって、反省してっからさ」
「…反、省?」
かの有名な、「イケヤン」の皆さんが…反省、だと―――!?
有り得ない。
絶対に、有り得ない…はずだ。
確認のために、「イケヤン」の全員を、簡単に観察してみる。
遠藤虎男と、バッチリ目が合った。
「……」
何だ、この時間?
目を合わせたことを後悔していると――
「…お前のこと、もう怪しんではねーよ」
そう言って、ニヤリと笑みを浮かべた。
「じゃあ、恨んでる?」
あたしが聞くと。
「あ?恨む?なんで、俺が、お前を恨むんだよ」
――あたしが、アンタの足を踏んだこと。
もう、すっかり忘れてしまったかのような反応だ。
「お前を恨んでる暇なんて、俺にはねーんだよ。大体、俺がそんな奴に見えるか?」
…見えますね。
みんな、あなたのこと、特に要注意人物だって思っていますよ。
「体裁でも、”いいえ”とは言えねーのか。お前は」
遠藤虎男が呆れたように言ってきた。
「俺らが、特別科だからか。それか、俺らに関するウワサを信じてんだろ」
…ギクッ。
急に何を言いだすのかと思ったら。
「べ、別に、信じてはないけど」
「けど?」
遠藤虎男をはじめ、「イケヤン」の皆さんが、あたしに注目する。
「………」
言葉が出てこない。
「イケヤン」のウワサを、全く信じていなかったかというと、
そういうわけでもない。
特別科の生徒たちに対しても、明らかな嫌悪感があった。
でも、「特別科」だって、元は「普通科」なのだ。
それが、何らかの選別によって、
「特別科」の生徒と、そうでない、「普通科」の生徒とに分けられるのである。
「特別科」とは、「普通科」で学ぶには適さない、上級の不良たちが集まる場所。
そう言われるけど、実際は、どうだろうか?
辺りを見回すと、
うちのクラス(普通科)よりも、ずっとキレイな、三年九組(特別科)の教室。
そして、うちのクラスにいる生徒たち。
中谷美蝶や、桐島麗華や岡本杏奈……
彼女たちの方が、よっぽど、「特別科」にいるべきだ。
今、あたしの目の前にいる彼ら――「イケヤン」――よりも。
……て、何を考えているのだろう。
これじゃあ、まるで、「イケヤン」を信じたみたいじゃないか。
少し謝罪されたくらいで、ちょっとお礼を言われたくらいで、信用しようなんて……
「あたしは、そんなバカじゃない!!」
ハッ…。
考え事をしすぎたあまり、頭がパンクしそうになって、大声を出してしまった。
「イケヤン」は、ただ黙って、あたしを見ている。
「――バカは、バカと認めろ。それが鉄則だ」
遠藤虎男が、偉そうに言ってきた。
「まあ、俺らは、お前を怪しむのをやめたんだから、
お前も、俺らを怪しむのをやめるんだな。分かったか、バカ野郎」
遠藤虎男が、こんなに口うるさい人物だったとは。
他人アレルギーを克服したら、おしゃべりになるのか?
ただ思うのは、この人間が、本当に「人殺し」なのかどうかだ。
…やっぱり、ただのウワサなのかもしれない。
そんな気がする。
「怪しむな」というのは、きっと「ウワサを信じるな」という意味に違いない。
「――お前のこと、見たことないって言ったけどさ」
急に、金城亜輝が言いだした。
「絶対、見たことはあるはずなんだよね。ただ覚えてないってだけで」
「それは、きっと見たことないんですよ」
思わず、ツッコんでしまった。
だって、全くフォローになっていないから。
というか、むしろ、「見たことない」で結構。
金城亜輝は、ニヤニヤと笑っている。
「なあ、原口夢果。自分で分かってる?
最初に比べて、お前、めっちゃ喋るようになってるよ」
……え。
「何か、問題でも?」
焦りを隠すために言ってみると、
「いや、イイ意味で言ってんだよ。マジ、バカだね」
と、金城亜輝。
バカ、バカ、うるさいなあぁぁぁ!!!
あたしの怒りなど、微塵も気にせず、金城亜輝は呑気に言う。
「いや~。地味子の成長ほど、嬉しいものはねーよなぁ」
気持ち悪。
偉そうに、成長なんか感じるな!
…でも。
確かに、今は、
「イケヤン」の皆さんと、会話のラリーを、それなりに出来ているような気が…
しなくもない。
でも、だからといって、「出来ている」と断言できるようなレベルでもない。
当たり前だ。
だって、あたしは、自分のクラスの人たちとも、ろくに話さない人間なのだから。
よくよく考えたら、今の、この状況も、異様でしかない。
誰もが恐れ憧れる、容姿端麗な不良たちと…
ほとんど誰も存在すら知らないであろう、地味で冴えないあたしが…
こんなにたくさん話をしているなんて―――
こんなこと、どんな作家も考えないだろう!
「原口夢果、何考えてんのー?」
ボーッと考えていると、いきなり高橋来登が話しかけてきた。
「考え事、多いな。何考えてるのか、俺にも教えろよ」
「…無理」
「えーっ。絶対、何か面白いこと考えてそうなのに」
「全然、面白くない」
「いや、絶対面白いって。だって、お前、すげー面白いもん」
そう言うと、高橋来登は、こちらに近づいてきた。
あたしの正面に立つと、ポンと両肩に手を置いてくる。
「……」
「もう、ビビらねーんだ?」
言いながら、満足そうに笑う。
そして―――
「帰る前に、ちょっとだけ聞いてほしい」
真剣そうな表情で、そう言った。
「―――今日は、急に押しかけたりして、ごめん。
俺、バカだから、迷惑がかかるとか全然考えてなくてさ。すげー反省してます」
おいおい、高橋来登。
「反省してます」って言う時は、そんなにニヤニヤするもんじゃないぞ!
なんて思いつつ。
「気にしないで。ただヒステリーだっただけだから」
とりあえず、許したことにする。
高橋来登は、ニコッと笑った。
「ありがとさん…!ヒステリーって、パニックみてーな意味?」
「まあ、そんな感じかな」
「女にヒステリーはつきものだぞ~。来登、よく覚えとけ」
金城亜輝め、乱入してくるな!
一体、どんな女たちと付き合ってきたんだろうね?
「まだ謝りたいことがあるんだ」
高橋来登が、話を再開した。
え…まだ、あるの??
「こうやって、放課後、集まることにしたのは、元から俺の計画だったんだ。
昨日のことが引っ掛かってて、お前と話がしたかったし、
コイツらとも話し合ってほしかったから」
高橋来登は、目線で、他の四人を示した。
「敬悟は、すぐ人に威圧を出す癖がある。
純成は、一見、無口で冷たいヤツだし。
亜輝は、女癖が悪りぃし。
虎男は、暴力的で、うるせーし…」
本人たちが聞いていなくて、何よりだ。
今、紹介された四名は、何やら言い合いを繰り広げている。
「お前に何が分かるってんだ!この女狂い!」
「お前の言うことなんか、誰も分かんねーよ!サルめ!」
「お前ら、うるせーぞ。ブン殴られたいか?」
「動物じゃあるまいし、ワーワー喚くな」
エネルギーが吸い取られてしまいそうなので、スルーすることにしよう。
「あんな感じだけど…悪いヤツらじゃねーんだ」
高橋来登は、溜め息を吐きながら言った。
けれど、あたしの方は、
「いつ言おうか、いつ言おうか」ということで、頭がいっぱいだ。
「本当は、もうちょっと、手短にするつもりだったんだけどさ…
お前がいると、なんか楽しくて、つい調子に乗って、こんなにかかっちゃった。
マジごめん」
本当なら、ここで、「あたしも楽しかったよ」と言うべきなのだろうけど。
あたしは、ただ首を横に振った。
「別にいいよ」という意味と、
「あたしといて、楽しいわけないでしょ」という意味だ。
「…マジで、楽しかったよ」
高橋来登は言った。
「お前のこと、めっちゃ振り回したけど…
俺はただ、お前と仲良くなりたかっただけなんだ」
「いやいや、ないでしょ」
「えっ?」
高橋来登が、驚いたような目を向けてくる。
…つい、思ったことを口に出してしまった。
そうだ、今なら……今度こそ、言えるかもしれない。
「――高橋来登、聞いてくれる?」
あたしが言うと、高橋来登は、一瞬、困惑したような表情を浮かべた。
けれど、すぐに、こくんと頷いてくれた。
「いいよ。なに?」
「…ずっと言おうと思ってたんだけど、なかなか言うタイミングがなくて。
その――」
言いかけるも、途中で、言葉を止めてしまった。
なぜなら…
高橋敬悟と新木純成、金城亜輝、遠藤虎男の四人が、
こちらをじっと見つめているのに気付いたからだ。
「あっ、悪りー!ごゆっくりどーぞ!」
金城亜輝が、他の三人を連れて、教室の隅へと移動していく。
…まさか、あたしが告白でもしているように見えた??
いやいや、本当に誤解はやめてほしい。
高橋来登も、いい迷惑だと思っているに違いな…
「…で、何て?」
ウワサをすれば、高橋来登が言ってきた。
「あ、ああ…えっと」
あたしは、懸命に、言葉を選んだ。
「えっと……今日は、ありがとう。いろいろ話せて良かった」
とりあえず、お礼を言って……ここから、どう繋げよう?
「仲良くなりたかったって言ってくれて、それだけで、もう満足。
だから、もう明日からは…」
え……?
あたし、一体、何を言いたいんだろう?
何を言ってるんだろう?
言い方が、思っていたよりも難しくて…
自分でも、何を言っているのか分からなくなってきた…!!
「…原口夢果、大丈夫?」
高橋来登が声を掛けてきた。
その顔を見ることも出来ずに、あたしは話を再開する。
「わ、悪い気もするんだけど…
その~…明日からは、もう、話したりするのはやめようね?」
言った!!
ついに、第一歩!!
「今日を最後に、もう関わらないようにしよう!
まあ、どっちみち科も違うし、あんまり話すこともなかっただろうけど…
そういうわけで、よろし――」
「なんで?」
言いかけた時、突然、高橋来登の声に遮られてしまった。
「な、なんでって…何?」
思わず、質問返し。
今も、高橋来登の顔を見れないでいる。
「明日から、関わらないって…どういうことだよ」
正面から、(控えめに言っても)暗い声が聞こえてきた。
「どういうことなのか、ちゃんと説明してほしい。
俺、バカだから、理解が出来ない」
「説明…説明……。
だから、その……もう関わらないでおこうっていう――」
「その理由を、知りたいんだ」
―――理由?
そんなの……、想像したら―――
「分からない?」
「…分かるわけねーだろ?」
……高橋来登、明らかに怒っている。
「理由を教えてくれなきゃ、分かんねーよ。
何が理由なんだよ?俺が謝ったこと、本当はまだ許してないとか?」
「いや、」
「じゃあ、何?」
―――えっ。
思っていた反応と、全然違う。
なんで、あっさり受け入れないの?
一体、何が問題なわけ―――?
「………」
アンタたちみたいな、注目の的と一緒にいたら、
それだけでもう、あたしみたいな地味子には命がないのよ。
それが、分からないの…?
さては、少女マンガを読んだこと、一度もないな??
「――俺は、今日一日だけのつもりで、お前をここにいさせてるわけじゃねーよ」
沈黙を打ち破るように口を開いたのは、高橋来登の方だ。
「…俺ら、もう友達だろ?
友達って、そんな簡単に切れるもんじゃねーと思うけど」
友達?
友達ねぇ……
えっ、友達???
「……何、言ってるの」
あたしと、高橋来登が、友達だって???
……そんな、バカな!!!!!
「そんなこと、あるわけないでしょ」
あたしが言うと、高橋来登は、「何が?」とトボケてきた。
「だって、この数時間、ずっと一緒にいただろ。
それはもう、友達のうちに入る!絶対、入る!」
高橋来登…あなたの、友達についての基準とは??
「いやいやいやいや……」
あたしは首をブンブン振り回した。
「いい?高橋来登。あたしと、アンタは、友達なんかじゃない」
分からず屋に対しては、きっぱり言うのが一番。
きっと、これで、少しは理解してくれるはず―――
「俺の名前、呼んでくれてるじゃん。俺とお前は、友達なんだよ」
想像以上に、手強いヤツでした。
「いや、俺だけじゃない。アイツらも、お前の友達だ」
今、あたしたちの方をじっと見ている、あの四人のこと…?
「――お前ら、長い。いつまでかかってんだよ?」
案の定、遠藤虎男が文句を言ってきた。
その隣で、
「なーに、告白かと思ったら…。紛らわしいことしないでくれるー?」
と金城亜輝。
この様子からして、どうやら、全て見られていたようだ。
「明日から、もう関わらねーだの、友達じゃねーだの…
来登も勝手だが、お前はとんだ礼儀知らずだ」
そう言ってきたのは、新木純成。
ちょこちょこ突き刺すようなことを言ってくる奴だ。
「――友達なんて、いらないんです」
イライラを抑えながら、あたしは言った。
「イケヤン」と、もう二度と関わりたくない、一番の理由は、
彼らのような目立つ存在と付き合うことで、
周囲の人間からの、妬みや恨みを買いたくはないからだ。
けれど、桐島麗華や岡本杏奈のような女が、どうのこうのとか…
話したところで、伝わらないだろうし、意味が無いに決まっている。
それに、そういうことを説明すること自体、面倒くさい。
というわけで…――
「あたしは、友達なんて必要ないから。せっかくだけど、結構です!」
大きな声で、ハッキリと言った。
「てことで、もう、あたしには関わらないでください。
あたしも、今後、二度と、あなた方には近寄らないので。よろしくお願いしま…」
「ちょ、待て!」
「いや、待てない!」
またまた、高橋来登に遮られたものの、なんとか取り戻す。
「もう、時間がないので!あたしは、さっさと帰りま――」
その時だ。
あたしは思い出した。
三年八組の鍵―――!
制服のポケットから、ジャラジャラと、それを取り出す。
これを職員室まで置きに行って、それから帰らなくちゃいけない。
あんなことがあったばかりなので、岩倉先生と会ったら、嫌だな……。
「――それ、俺に貸せ」
と、突然、高橋敬悟が、こちらに近づいてきた。
あたしのすぐ近くまで来ると、こちらに向かって手を差し出してくる。
「それ、クラスの鍵だろ。
どうせ、ここのも置きに行くから、いっしょに持って行ってやる」
…なに、急に!?
鍵を手でブラブラさせながら、怪しんでいると―――
「…その代わり、考え直してくれねーか。来登と、これからも話してやってほしい」
―――まさかの、交換条件!?
ビックリ仰天していると、高橋敬悟の手が、あたしの方に伸びてきた。
「む、無理です!絶対、無理です!」
高橋敬悟の手が、あたしの手にある鍵を掴んだが、あたしはそれに抵抗する。
「だから、鍵は、自分で持っていきます!何もしてもらわなくて、結構ですから!」
「いや、俺が持っていく。だから離せ!」
十秒ほどの取り合いの末、勝者―高橋敬悟―が、三年八組の鍵を握った。
謎の勝負に負けた敗者―あたし―は、絶望を浮かべた目で勝者を見上げる。
「よし、いいか。これを持っていくのは、俺だ。
ということで、お前は来登と―――」
高橋敬悟が言いかけた、その時だ。
「――敬悟、いいよ。お前に世話焼かれなくても、自分で何とかする」
高橋来登が、口を開いた。
「―――原口夢果」
あたしは、高橋来登の方を見た。
ずっと、あたしの目の前に立っていた彼は、無表情な顔になっていた。
「結局、理由は、よく分かんねーけど…
とにかく、お前は、もう俺らと関わりたくないんだな。
だったら、無理は言わねーよ」
…えっ。
急に、聞き分けが良くなった?
「えぇぇぇぇっ!」
金城亜輝と遠藤虎男も、ビックリの様子だ。
「ワガママなお前が、自分の思いを押し殺して、人の気持ちに寄り添うなんて」
「…奇跡だ」
ここまで言われるほど…
高橋来登が、自分の我を通さないことは、滅多にないようだ。
兄の高橋敬悟の表情からも、それを見て取ることが出来る。
「でも、来登、お前は…」
「いいって言ってんだろ。お前ら、大げさなんだよ。
これは、俺の判断だ」
兄の言葉を遮って、高橋来登は言った。
そして、あたしの方に目を向ける。
「お前に嫌われるようなことは、したくない。
だから、お前がそう言うなら、明日からはもう話さねーよ。
教室にも、二度と押しかけたりしない」
「あ…ありがとう」
と、とりあえず……分かってもらえたのか?
「…約束してね?」
確認のために、言ってみると――
「おっけー」
高橋来登は頷いた。
ああ、良かった…。
これで、とりあえず、解決だ。
今まで通り、静かな学校生活を送ることが出来る――。
「もう、外、暗いな。一人で帰れる?」
高橋来登が言ってきた。
「ああ、全然、大丈夫…です」
もっと明るいうちに帰りたかったけどね。
そんなことを思いながら、カバンを肩に掛け直す。
「あ…」
そういえば。
高橋来登とは、もう話さないのだから、交換条件はナシだ。
鍵は自分で持って行かなくては…
そう思い、高橋敬悟の方を振り向くと。
「俺が持って行く」
そう言ったのは、高橋敬悟ではなく、高橋来登で――
兄の手から、三年八組の鍵を取り上げると、
教壇の横にある段差の部分に腰を下ろし、あたしの方を見上げた。
「…じゃあな」
「あ、じゃあ…さよなら」
ペコリと頭を下げると、あたしは踵を返し、教室のドアを開けた。
次の瞬間、黒いカーテンを避けて、ドアの外に出ようとした時、
教室の中にいる五人の様子が見えた。
高橋来登は、教壇に寄りかかって、どこかを見つめている。
そんな彼を、兄の高橋敬悟や、他の三人が、ただ黙って見つめている…
そんな光景だった。
あたしは、それを遮断するかのように、ドアを閉めた。
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