8・暗闇の中で
(1)
―――暗い校舎を出て、自転車置き場へと向かう。
あたしのお気に入りの自転車は、しっかりと停まって、あたしを待ってくれていた。
「――ああ…ありがとね、ホントに」
そう言って、優しく愛車(=マイ自転車)を撫でていると、
だんだん涙目になってきた。
あ―――――、疲れた。
本当に長い時間だった。
なんとか、生きて戻ってこられた。
疲労感のあまり、その場にしゃがみ込む。
しかし。
早く、一刻も早く、家に帰りたい…!!!
その思いだけを胸に、立ち上がった。
カバンを、自転車のカゴの中に入れ、カチャッと鍵を開ける。
そして、自転車を引きながら、走り出した。
日ノ出学園高校の門を出た瞬間、素早く乗り込んで、さらに走り出した―――。
「……」
外はもう暗いので、自転車の”ライト”がついている。
…ライト?
…らいと?
…来登?
やだ、思い出しちゃったじゃない。
今、一番、思い出したくない人物のことを―――。
「……」
こんなに暗い夜道を、自転車で進んでいくのは、きっと初めてだ。
自転車の”ライト”が照らしている部分だけが、明るい……て。
また、思い出してしまった。
あー、もう!!
イラついて、ペダルを強く踏み込んだ。
「……」
それにしても、今日は、とんでもない一日だった。
昨日から引き続き、大パニック状態だ。
だって…今まで、あの「イケヤン」と一緒にいたんだよ。
パニックじゃない方が、おかしいよねッ!
―――『違うって!お前だよ、お前!』
突然、うちのクラスに押しかけてきた、高橋来登。
柔らかそうなフワフワの茶髪に、キラキラと輝く、綺麗なブラウンの瞳。
見た目は、可愛い系のイケメンって感じだけど――
『早く、こっち来いよ!ちょっと用事があるだけだから!』
良く言えば、元気で、積極的だけど…。
悪く言えば、もの凄く強引で――
『やっと…見つけた』
かと思えば、
『何か、頼みたいこととかない?許してもらえるんだったら、何でもするぜ!』
”恐ろしい不良”というイメージとは裏腹な、
”普通の良い子”っぽい言動をしてきたり…
『えーっ、俺には見せてくんねーの?笑った顔』
時には、意味の分からない言動も…
『”夢を果たす”と書いて、夢果。おっけー、覚えとく』
本当に意味が分からなくて……
『――俺だ!原口夢果と、付き合ってるのはッ!』
本当に、手に負えなかった。
でも……
『当たり前だろ。俺のこと、助けてくれたヤツなんだから』
なんだか…
『いや、絶対面白いって。だって、お前、すげー面白いもん』
”悪い子ではないんじゃないか”なんて、思ったりもした。
『本当はもうちょっと、手短にするつもりだったんだけどさ…
お前がいると、なんか楽しくて、つい調子に乗って、こんなにかかっちゃった。
マジごめん』
…でも、やっぱり。
『お前のこと、めっちゃ振り回したけど…
俺はただ、お前と仲良くなりたかっただけなんだ』
ウソだろう、って。
信じることが出来なくて。
『…俺ら、もう友達だろ?
友達って、そんな簡単に切れるもんじゃねーと思うけど』
迷惑だ、とさえ思って。
『結局、理由は、よく分かんねーけど…
とにかく、お前は、もう俺らと関わりたくないんだな。
だったら、無理は言わねーよ』
……。
『お前に嫌われるようなことは、したくない。
だから、お前がそう言うなら、明日からはもう話さねーよ。
教室にも、二度と押しかけたりしない』
少し可哀想だったような気が、しなくもないけど…他に手段は見当たらなかった。
あたしが、彼ら―「イケヤン」―と親しくするなんて、有り得ない話だ。
あたしが、静かで穏やかな学校生活を送るにあたって、
「イケヤン」という存在は、有害でしかない。
第一、高橋来登に関しては、自業自得である。
彼があんな大胆に、教室に押しかけたりしてこなければ、
全てはもっと平穏になったはずだ。
あたしみたいな地味子にとっては、彼らのような目立つ存在が障がいになる…
そんなことも分からないなんて、バカすぎるだろッ!
女子たちの”恐ろしい嫉妬”も、ろくに知らないなんて。
これだから、男は…本当に使えないッ!
…彼氏はおろか、男友達さえいらないと思う。
男には、女の気持ちなんて、一生分からないんだよ!!
だから…あたしは悪くなんかないぞ!!!
『…じゃあな』
でも。
ひょっとして…、あたしは、高橋来登を傷つけてしまったのだろうか?
――だけど、どうして?
あたしに、「じゃあな」と言った時の、彼の目は、悲しみに沈んでいるようだった。
あれは、明らかに……傷ついていた。
でも、その理由は分からない。
裕福な家に生まれ、外見にも恵まれていて、
学校では、たくさんのファンたちがいて、
頼もしい兄も、あんなに言い合える仲間も、いるっていうのに…
彼には、足りないものなど無いはずだ。
なのに、なぜ、傷つかなければならないのか…――ちょっと引っ掛かっている。
『まさか、お前…恋でもしたんじゃねーの~?』
…げっ。
なぜ、ここで、金城亜輝の言葉を思い出す??
高橋来登自身も言っていたように、
彼が恋をしていようと、していなかろうと、何の関係もない。
金城亜輝にでさえも!
…「アジア一輝く男」だっけ?
前々から、キモいヤツだとは思っていたけど、
まさか、あそこまでのナルシストだったとは…。
よくあれで、常に付き合っている女がいるもんだ!
確かに、顔的には美男子かもしれないけど…ただ、それだけ。
まあ、きっと、〈顔が良い+コミュ力〉で、数々の女を射止めてきたのだろう。
でも、あたしは、絶対、
金城亜輝のような男なんぞに、騙されたりはしない(決心)。
『あ?んなの、名前に決まってんだろーがッ!!考えりゃ分かるだろ!!!』
なぜか、次は、遠藤虎男のことが思い浮かんでしまった。
…トラオって、下の名前だったんだ。
ということ以外にも、いろいろ分かった。
ああ見えて、意外と「体力が無い」とか、「他人アレルギー」を持っているとか…。
荒っぽく、やかましいヤツであることは事実だけど、
決してイメージ通りなことばかりだったわけではない。
『…お前のこと、もう怪しんではねーよ』
もしも、あれが、ウソじゃないのだとしたら。
ひょっとすると、そんなに悪い奴ではないのかも…
なんて思ったり、思わなかったり。
金城亜輝に関しても、同様だ。
『なあ、原口夢果。自分で分かってる?
最初に比べて、お前、めっちゃ喋るようになってるよ』
あの笑顔が、本物なんだとしたら、
それほど嫌な奴ではないんじゃないか、って気が…しなくもない。
あ、だからって、もちろん信じたわけではない。
当たり前だ!
「イケヤン」のせいで患ったトラウマが、消えたわけではないし、
今だって、もの凄い疲労感。
彼らと一緒にいた間、無意識に、全身に力を入れていたようだ。
多分、明日は、筋肉痛に苛まれることになる。
まあ、それは、ともかく…
新木純成は、良くも悪くもイメージ通りだったから、良しとして、
一番驚いたのは、高橋敬悟だ。
『…平気か?』
耳元で聞こえた、恐ろしく低い声。
後ろを見ようと、首を回した瞬間、
目の前に、黄金のような金髪と、鋭くも美しい瞳があって……
まさかの、バックハグ…!!!???
は、は、恥ずかしかった…。
そして、怖すぎた。
あんな近距離に、皆が恐れる男の顔がぁぁぁ…!!!
…しかし。
『気にするな。…どこも、ケガはねーか?』
思わぬことに、その声は、優しく聞こえた。
ただでさえ、動揺しまくりだった矢先…
『――謝りたいことがあるんだ』
昨日のことを謝罪してきた上に、励ましてくれたり、しまいには…――
『…――握手、しねーのか?』
和解の握手まで、求めてくる始末ッ!!!
あなたと握手なんか出来るはずないでしょ…って感じだった。
でも、本人は、至って気にしていない様子だった…キョトンみたいな。
弟の高橋来登の方も、同じような顔をしていた気がする。
あたしが、岩倉先生にとんでもない誤解をされたことで、
ヒステリーを起こしていた時だ。
「アンタのどこが学校のスターなんだ」とか、
「アンタが教室に押しかけてきたことは大迷惑だった」とか言われて、
怒るかと思いきや、まさかのキョトン顔。
あんな顔を見せられたら、一瞬、考えたよね。
”まさか、あなたたち。
自分たちが、全校生徒から注目を浴びているってこと、
自覚ない、とか言わないでしょうね”って。
――まさかね。
さすがに、そこまでのバカじゃないよね。
皆が恐れ憧れる、「イケヤン」に限って、そんなこと…!!
まあ、あの人たちが、
「俺らは”イケヤン”だぜ★」的な感じで威張っているのだとしたら、
それはそれで、反吐が出そうだけど。
やっぱり、大なり小なり、自覚はあるに違いない。
だって、彼らは、
あたしが日ノ出学園高校に入学してきた時点から、
それはそれは、有名な集団だったんだもの…!
―――今から、二年以上前。
新日ノ学生だったあたしは、入学から程なくして、”彼ら”の存在を知った。
今どきの高校生じゃ有り得ないほどの、派手で大胆な不良生徒たち。
聞いたウワサによれば、
彼らはお金持ちだから、どんな校則違反も見逃されるのだとか、なんとか。
登下校の手段はバイクで、髪を派手な色に染めていて、
そんな彼らを、周囲の日ノ学生たちは、こう呼んだ。
―――「イケヤン」(今さらの、復習)。
ただし、当時は、彼らがそう呼ばれ始めたばかりの時期だった。
というのも、金城亜輝と遠藤虎男は、あたしと同い年で、
日ノ出学園高校に入学してきたばかりだったから。
それまで、後の「イケヤン」となるメンバーは、
高橋敬悟と新木純成だけだったのだ。
えっとー…つまり、高橋敬悟と新木純成は、あたしよりも一歳年上なのだ。
なのに、なぜ、現在、あたしと同じ三年生なのか。
それは、「留年」したからのようである。
一年生の頃、あたしも疑問に思ったものだった。
なぜ、あの人たちは、同じ一年生なのに、やたら”先輩”と言われているんだろう?
後に、理由は明らかになった。
『あの金髪と銀髪の先輩、二人とも、去年、留年したんだってね。
だから、学年は同じでも、年齢はうちらより一つ上なんだ!』
誰かの話し声が、あたしの疑問をキレイさっぱり消し去ってくれたのだった。
…なるほど。金持ちだから、留年するのも許されるのか。
新一年生だったあたしは、世の中の現実を目の当たりにした。
「金がありゃ、人生、どうにでもなる」。
「イケヤン」の存在自体と、高橋敬悟&新木純成の留年は、
その事実を学ばせてくれたようなものだった。
バイクで登下校も、髪を染めるなどの校則違反も、
ただでさえ、お金のかかる、私立高校での留年も、
貧乏人では考えられないことのはずだから。
あたしの家は、大黒柱が(実は)国家公務員だし、
きっと、世間一般で言えば、超普通(中の中)くらいの位置にある家庭だろうけど、
高校で留年はありえない。
しかも、私立の不良高校となれば、絶対にない。
一体、あのお二人さん(高橋敬悟と新木純成)は、何をしでかしたんだ??
気になる留年の理由も、
「イケヤン」と命名される前の彼らが、どんなだったかも、
全て、あたしが入学してくる前のことなので、知る由はなかった。
けれど、高橋敬悟と新木純成が、
「イケヤン」ができる以前から、周囲の注目を浴びる人物だったことは確かである。
そこへ、金城亜輝と遠藤虎男という、さらにキャラの強い二名が登場し、
「イケヤン」という通称で呼ばれる一団ができた。
その関係性については、よく知らないけど、
まあ、とにかく、彼らは常に注目の的だった(現在進行中)。
髪色が派手というだけでも目立つのに、
さらに、すらりと背が高く、顔も平均以上なのだから――無理もないけど…
あんなに「キャー!」とか言って、大騒ぎする必要はどこにもない。
あたしの場合、彼らの姿を目にすると、
不愉快な気分になるか、背筋の凍る心地がするかだ。
そう、一年生の頃から、ずっと、あたしは「イケヤン」が嫌いだった。
話したこともなければ、目を合わせたことすらなかったけど、
どうしても彼らの存在が受けつけなかった。
規則を破り放題で、態度が悪くて、なんだか偉そうで、
そのくせ、周囲には一目置かれた存在で…。
彼らを見ていると、正直、自分が”負け組”といわれているような気がした。
いや、実際に、負け組なのだろうけど…。
彼らのように、好き勝手に生きて、華やかな人生を送っている人間がいる中で、
あたしのような、自ら孤独を選んで、寂しく生きている人間もいる。
そういう暗い考えを、抱かずにはいられなかったのだ。
そういうわけで、「イケヤン」が大嫌いなあたしだったけど、
二年生になった時、
ある人物のメンバー加入により、「イケヤン」はますます注目されるようになった。
その新しいメンバーこそが、高橋来登だった。
「あの高橋敬悟の実の弟!」と宣伝され、
たくさんの期待が集まる中、現れた、「イケヤン」の末っ子。
彼は、すぐに学校のスター的存在となった。
その評判は、他の四名以上に高く、良いものだった。
きっと、兄の高橋敬悟ほど威圧的ではないし、
新木純成ほど冷たくもなければ、
金城亜輝ほどの女好きでもなく、
遠藤虎男のような荒っぽさもないからだろう。
高橋来登の登場によって、
「イケヤン」の知名度と人気度は、どんどん上昇していったのだった。
とはいえ、知名度が上がれば、
その分、良いことと等しく(いや、それ以上に)、悪いことも言われるようになる。
これまで、「イケヤン」の五人に関する、たくさんの悪いウワサが流されてきた。
リアルに信じられそうなものもあれば、突拍子もないようなものまで、
本当にさまざまだった。
あたしにとっては、どうでも良い情報だったけど、
中には、十分に信じられそうな内容もあって――
「無関心」ということもあり、半分、信じているようなところがあった。
……けれど、今なら、思う。
相手のことを、ろくに知りもしないのに、
どこから流されたのかも分からないウワサを信じるなんて、
そんなことは非人道的に違いない、と。
アナ・パンクという、
愚かな差別によって命を奪われた人物のことを学んでいながら、
恥ずかしいと思う(反省!)。
さきほどまで、「イケヤン」と一緒にいて、
ほんの少しだけど、実際、考えが変わったところがある。
例えば、遠藤虎男が「人を殺した」というウワサ。
今では、もう信じていない。
最初から信じ難いウワサだとは思っていたけど、
遠藤虎男本人と実際に接してみて、ウソだと確信した。
それから、「特別科」について。
今まで、「特別科=悪い」という組み合わせが、頭の中に存在していた。
しかし、実際には、
教室も生徒も、よっぽど「普通科」の方が悪いという結論に至った。
今となっては、
どういう目的で、どのような基準で、
「特別科」への選別がなされているのか、謎でしかないくらいだ。
あ、でも、もちろん、「イケヤン」や「特別科」を信じたわけではない。
ただ、イメージとは違うこともあるんだなって…気付かされたというだけだ。
遠藤虎男は、きっと、去年、留年したから、今、二年生なのだろうし(今、確信)…
「特別科」にいる生徒たちのメンツを見れば、
悪いイメージを抱かれても、仕方がないと思うだろう。
ただ、あたしは、もう、変なウワサなどを鵜呑みにするのはやめた。
今日のことは、きっと、必ずしも無駄な経験にはならないだろう!(そう信じたい)
…で。
――結局、「イケヤン」に対する心境に変化はあったのか?
――トラウマは抜けられたのか?
あなたは、そう尋ねたいところだろう。
…はい、お答えして差し上げましょう。
今日、しばらくの間、彼らとの時間を過ごした結果……
ま、(イメージが)変わった部分もありはする。
意外と話の出来る連中だなぁ~…とか。
謝ってきてくれたことで、見直したようなところもある。
でも、ぶっちゃけ、そういうことはどうでもいいのだッ!
「イケヤン」とは、あまりにも住む世界が違い過ぎる。
昨日の今日なので、トラウマも消えてはいないし、周囲の目もあるし、
あたしたちが親しくするなんて、絶・対、不可能!!
はい、残念でした~~!!!
というわけで。
「イケヤン」のイメージが変わろうと、変わらんだろうと、
彼らとの縁を切ったあたしにとっては、何の関係もないのだ。
まあ、正直、悪かったような気はするけども…。
途中まで、「イケヤン」の皆さんと、まあそれなりに話せていたのに、
最後には、あたしが空気を悪くさせてしまったから。
…けれど、少なくとも、あたしには、ああするしかなかった。
高橋来登みたいなタイプ(分からず屋)には、
ハッキリと言って伝えるのが一番だし、
「イケヤン」との関係を今すぐ断ち切るという以上は、
彼らにどう思われるとか、そういうことを考える権利は、あたしにはない。
だって、そんなの、ただの自己防衛じゃないか。
前に、ママとパパから言われたことがあった。
『時には、自分が人に悪く思われようと、決断しなくちゃいけない時がある』
そう、まさに、今日の一件は、それだったのだ。
あたしは、自分の平和のために、
彼ら――「イケヤン」――から嫌われることを選んだ。
ただ、それだけのこと。
これで、また明日から、元通りの生活が戻ってくるはずだ―――。
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