(2)
カバンを肩に掛け、
誰もいなくなり、珍しく静かな、三年八組の教室を出ようとした時。
「教室を最後に出る人は、戸締まりをする」というルールを思い出した。
一応、不良校にも予めの決まりはあるのだ。
「うわー、最悪じゃん…」
戸締まりをした後は、教室の鍵を、職員室まで置きに行かなければならない。
きっと、桐島麗華と岡本杏奈は、それをしたくなかったのだろう……
まんまと引っ掛かった。
あの性悪女ども……。
心の中で悪口を呟きながら、三年八組の教室に鍵をかける。
ガチャッ。
鍵は、「イケヤン」と、さっさと話をして、
それから、職員室へ持っていけば良いだろう。
では、いざ、三年九組へ…!
…と思ったけど、やっぱり、簡単には足が進まない。
教室自体は、すぐ隣にあるのだけど…。
いつものように、中はカーテンで閉ざされていて、
一体どんな様子なのか、覗き見ることも出来ない。
無駄に想像力が豊かなあたしは、
このドアの向こうには、とんでもない惨劇が広がっているのではないか…
そんなことが頭に浮かぶ。
…ああ、やっぱり怖いな。
タカハシライトは、なぜ、
よりにもよって、三年九組(特別科の教室)を集合場所にしたのか。
自分も特別科の生徒だから、恐怖心なんて微塵もないのか……。
ああ、人の感覚の違いって、怖いねぇ。
そんなことを思いながら、
真っ黒なカーテンで、中が全く見えない、三年九組の周りを、
ウロウロしていると……――
「――あっ、ハラグチユメカ!」
突然、大きな声が飛んできた。
…え、中じゃなくて、そっち??
想定外の事態に混乱しながら、振り返ると。
階段の方から、すらりと背の高い、鮮やかな髪色の五人が、
ゆっくりと近づいてくるのが目に入った。
…しかも、五人一緒!!!
心の中で絶叫したあたしは、思わず、三年八組の方に後ずさった。
「大丈夫?鍵、開いてるよ」
五人の中心を歩くタカハシライトが、おかしそうに笑った。
「ほら。こっち、こっち!」
三年九組のドアの前に立つなり、こちらに向かって、手招きしてくる。
けれど、あたしに笑顔を向けているのは、彼――タカハシライトだけである。
その後ろに立っている、他の四名…
タカハシケイゴと、アラキ、カネシロ、そして、トラオは、
もろ怪しんでいる目で、あたしを見ている…!
…―え、この感じ。
イイの?
このまま、入っちゃってイイの??
戸惑っていると――
「入っていいよ?」
タカハシライトが、あたしに向かって言った。
――すると。
「ここ、お前の教室じゃねーだろうが。偉そうに仕切ってんじゃねーよ」
「あー?別にいいだろうがよ。固いこと言ってんなよ、バカ兄貴」
タカハシケイゴと、タカハシライトによる…兄弟喧嘩、勃発。
「大体、お前は今ごろ、家で寝ているはずだったんだぞ。
無理をしてまで学校に来るなんて…お前の方が、よっぽどバカだ」
「黙れ、バカ兄貴。
人を病人扱いしやがって…
俺はもう、そんな心配されるような年頃じゃねーんだよ」
「誰がバカ兄貴だ。俺はただ、お前の体を…」
「あーもう、うるせーんだよ!このバーカ!!」
「おい、お前ら。落ち着け」
廊下で言い合う、タカハシ兄弟の間に入ったのは、冷血で女嫌いのアラキだ。
彼の冷たい雰囲気で、頭を冷やされたのか、
タカハシケイゴとタカハシライトは言い合うのをやめた。
一旦、安心していると…
「おい、テメーら!なに見てやがんだ!失せろ!」
いきなり、トラオが怒鳴りだした。
そのギロギロとした目は、あたしの背後の方を見ていて――
振り返って見てみると、四人ほどの女子たちが走り去っていくところだった。
さすがは、トラオ…女子にも容赦ないんですね。
「ったく…」
カネシロが、溜め息をついた。
「そんなんだから、お前は、女子ウケ最悪なんだよ。
もっと柔らかくいこーぜ~」
「あぁ?」
ギロリとカネシロを睨む、トラオ。
「だってよ、あれじゃ見せモンみてーだろ。野次馬なんて求めてねーんだよ」
「だからって、『失せろ』は、ねーだろ。
お前のせいで、俺らの評判はガタ落ちだ。マジでどうしてくれんのー?」
「あぁ!?評判だと!んなモン、どうだっていいんだよ!!」
「ハァ、これだから野蛮人は…」
「誰が野蛮人だ、この女垂らし!」
…こちらでも、喧嘩が勃発。
まあ、どっちの意見も分かるけど…
こちらの戦場にも、頭を冷やさせてくれる存在が必要らしい。
またも、アラキの出番だ。
「お前ら…うるせーぞ。少しは静かにしてられねーのか」
……ああ。
あたしは、一体、何を見ているのだろう。
途方に暮れている時だった。
「またビビらせちまったな…」
そう言って、タカハシライトが、こちらにやって来た。
「ごめん。だから、来て」
…理由になっていない、けど?
タカハシライトの手が、背中を押してくる。
あたしは、それに、さりげなく抵抗しながら、タカハシライトの方を見上げた。
「や、やっぱり…ここで、話しましょうか?」
「え。なんで?」
…おっと。
このタイミングで、タカハシライトの茶色い目を見てしまった。
その目は、キラキラと輝いていて、
言葉の通り、「なんで?」という思いが浮かんでいる。
…こんな目で見られちゃ、何も言えない。
「ああ…えっと」
「大丈夫だよ。そんなにかからないから」
タカハシライトの言うことは、信じられない。
だって、「ちょっとだけ」と言いながら、掃除時間をまるまる奪ったではないか!
そう思っている間にも、あたしの背中は、タカハシライトの力に押され、
ついに、三年九組の目の前まで来てしまった。
原口夢果、オワタ。
そして、生まれて初めて、三年九組の教室に足を踏み入れた―――。
「…」
無意識に、目を閉じていた。
目を開けた瞬間、黒いカーテンに囲まれた空間が、視界に入り込んできた。
一瞬、ここは別世界なんじゃないかと、錯覚を起こしそうになったけど、
教壇や黒板、並べられている机とイスを見て、ここが教室なのだと分かった。
……今日の日記のタイトルは、決まった。
【初めて入った特別科の教室、意外と普通だった】
いや、もしかすると、うちのクラスの方が、散らかっていて汚いかもしれない。
…てっきり、もっと荒んだ感じかと思っていた。
「――八組より、こっちのがマシだろ?意外と」
タカハシライトが、笑いながら言ってきた。
「別に、空いてるなら、八組でも良かったんだけどさ。
こっちの方が、ケイゴとジュンセイとアキもいるし、お前の教室からも近いから。
都合が良かったんだよな」
なるほど。
教壇の上に、クラス名簿らしき物が置いてある。
見てみると…
《〈三年九組〉
・
・
・
・
・
・
・
・
・
一、二、三……クラス全体の人数が、たったの九人?
特別科に選別される生徒が、とても少数だということは知っていたけど、
まさか、ここまで少ないとは…初めて知った。
「知ってるヤツいる?」
タカハシライトが聞いてきた。
…ほぼ全員、知っている。
さすがは、特別科の生徒たち…
あたしのような地味子でも、顔と名前を把握しているほど、知名度は抜群だ。
特に、スズキマリノや、ヤマグチノゾミ、ハシモトアイランは、
あたしのクラスの女子たちの間でも、ちょこちょこ登場する。
スズキマリノは「くそビッチ」、
ヤマグチノゾミは「おとこおんな」、
ハシモトアイランは「ちびデブ」、などなど…
決して良いとはいえない内容で、よく知られているのだ。
けれど、そんなこと、
彼女たちの「仲間」である彼ら(イケヤン)に、言えるわけない。
「俺とトラオは、同じ特別科・二年八組なんだ」
タカハシライトが言った。
そうか、約二年前のあの事件から、
二年生は、三年生よりもクラスが縮小されたんだっけ。
…えっ、でも。
トラオは、あたしと同じ学年じゃなかったっけな?
記憶違い??
「さて、ここで問題です。俺とトラオのフルネームは、どう書くでしょう?」
「えっ?」
…ちょっ、いきなりのクイズですか。
急すぎる出題者は、ニヤニヤしながら、あたしにチョークを差し出してくる。
「書いてみて。ケイゴとジュンセイとアキの名前は、もう分かっただろ?」
そういえば、タカハシケイゴは「
初めて知った。
アラキは「
これも、初めて知った。
まあ、正直、今さらこの人たちのフルネームを知って、
どうするんだって感じだけど…
タカハシライトの出題を無視するわけにもいかないし――
仕方なく、黒板の上でチョークを滑らせた。
[高橋]
…これは分かるけど。
「ライト」って、カタカナじゃないの?
もしも、漢字で書くのだとしたら…
[来人]
苗字の「高橋」の下に、書いてみせると…
「あ~、惜しい」
違うんですね。
惜しいって、どこが惜しいのかな?
一旦、「来人」の字を消す。
「…あ」
ちょっと思い浮かんだかもしれない。
またチョークを走らせた。
[来斗]
絶対、これでしょう。
ドヤ顔でいると―――
「ファイナル・アンサー?」
後ろから、タカハシライトが言ってきた。
何それ。
「ファイナル・アンサー」?「最後の答え」?
…ま、まあ、これでいいでしょう。
「はい」
頷くと、
タカハシライトは、
「ブッブー!!」
と、ナゾの音を発した。
…ハァ?
「残念ながら、不正解!」
ああ、不正解の音だったのね。
ビックリした…。
「じゃあ…これ?」
一か八かで、もう一度、黒板に書いてみた。
[雷人]
――ワンチャン、可能性あり?
少し期待して、待っていると…
「ウソだろー、そうくるか」
タカハシライトは笑いだした。
「確かに、それでも、『らいと』とは読むけどさ。
雷は、ねーわ。
お前、キラキラネームの命名係、向いてると思うよ」
不正解だったらしい。
そして、キラキラネームの命名係とは?
もうワケ分からん!
頭を抱えていると――
「てことで。ハラグチユメカ、脱落ね」
残酷な結果を言い渡された。
そして――
「正解は、トラオの名前を当てたら教えてやるよ」
ますます、意味不明なことを言ってきた。
トラオの名前、だと―――!?
あたしは、タカハシライトの背後――
教室の後ろの方で溜まっている、四人のうちの一人…
赤い髪のトラオを、ひっそりと眺めた。
「トラオ」って、そもそも、名前?苗字?
それすら分かっていないんだけど……
と、その時。
「――なに見てんだよ」
あたしの視線に気が付いたのか、突然、トラオがこちらに近づいてきた。
「――セキグチユメコ。
まだ話は終わってねーんだからな?
いつまで、ライトとイチャイチャしてるつもりだ」
トラオ、キレている。
「もう待ちくたびれた。あの三人だって、もう死にかけだ」
そう言って、トラオが指差した先には―――
不機嫌そうにイスに腰掛けている、高橋敬悟と新木純成、金城亜輝の姿が。
しかし。
「いや、もうちょっとだけ。
トラオ、今、お前のフルネームを考えてるとこなんだ」
タカハシライトは、平気な顔をして言った。
トラオは、「ハァ?」と口をあんぐり開けた。
「何が、”もうちょっと”だ。待ちくたびれたっつってんだろ!」
「マジで、もうちょっとだけって!だから、しばらく黙ってろ」
「あぁ?黙ってろだー?」
トラオは素早く、後ろを振り返った。
「聞いたか、敬悟ッ!
お前、弟のしつけを誤ったんじゃねーのか!!」
ワーワー大騒ぎする、トラオ。
その大声で、高橋敬悟がこちらを向いた。
「ライト、いい加減に…」
「兄貴は黙れ」
…兄、撃沈。
高橋敬悟とは、弟に弱い人物らしい。
今ので、確信に至った。
もはや、「イケヤン」で一番強いのは、タカハシライトなのではないだろうか??
「ライト、お前…昨日から、なんかおかしいぜ」
金城亜輝が口を開いた。
「まさか、お前…恋でもしたんじゃねーの~?」
「は」
金城亜輝の言葉に、高橋敬悟と新木純成、トラオ(本名不詳)の声が重なった。
「だってさ~。昨日から何かと、”心ここに在らず”みたいな感じだしー?
良い子になったかと思ったら、怒りっぽくなったり…
ハッキリ言って、情緒不安定だし!」
金城亜輝以外は、誰も何も言わない。
…へぇ。
タカハシライトが、恋ですか―。
そりゃあ、この学校全体の大ニュースになること、間違いなし。
きっと、多くの女子たちが泣くことになるだろうな。
考えただけで、ゾッとする…。
「――ハラグチユメカ」
その時、タカハシライトが、あたしを呼んできた。
反射的に、チラリと目を上げると――
タカハシライトの、キラキラと輝く茶色の瞳が、あたしを真っ直ぐ見ていた。
その顔は、なんとなく、赤く染まっているようにも見え…――
「なーに、バカなこと言ってんだよ!テメーは!」
…おお。
トラオの大声によって、思考が停止してしまった。
タカハシライトから視線を外して、トラオの赤い頭に注目してみる。
「恋だと!?ふざけんな!
女好きのお前だから考えられるんだよ、んなこと!!」
「現実逃避は良くねーぞ、問題児。
お前みたいな原始人には理解出来なくても、俺には分かるの」
「問題児はテメーも同じだろうが!あと原始人じゃねーぞ、俺は!!
れっきとした平成生まれだっつーの!!!」
えっと…あたしは、何をしていたんだっけ?
金城亜輝とトラオの言い合いのせいで、忘れてしまった。
「ライト、どうしたんだよ。そんなにボーッとしちゃって」
金城亜輝が、タカハシライトを見て、今度はあたしを見てきた。
「セキグチユメコだっけ?」
「ハラグチユメカだ」
金城亜輝の問いかけに対し、あたしよりも先に、タカハシライトが答えた。
その言い方は、少し怒っているようにも聞こえる。
「あー、めんごめんご」
金城亜輝は、あまり思ってなさそうに言った。
「ハラグチユメカか。
いや~、昨日のメガネちゃんと、また再会することになるとはね」
そう言って、こちらに近寄ってきた。
…く、来るな!!(拒否反応)
「なに、今、みんなで自己紹介してんの?だったら、俺も混ぜてほしいな♥」
…う、目眩と吐き気が(一気に、KO)。
「気持ち悪りぃな」
トラオとタカハシライトが、同時に言った。
いくら同じ「イケヤン」でも、金城亜輝の気持ち悪さは格別のようだ。
気分が悪くてフラフラしていると、トラオがこっちを見た。
「ほら、お前のキモさのせいで、セキグチユメコが逝っちまいそうだ」
そう言うと、ニヤリと怪しげな笑みを浮かべる。
「まあ、早かれ遅かれ、俺に殺られるはずだったんだしな――
先に仕留められて、残念だぜ」
…コイツは、悪魔だ。
きっと、まだ、昨日あたしに足を踏まれたことを、根に持っていたのだろう。
赤いのに殺られるか、ピンクいのに殺られるか、
その二つしか選択肢はなかったのか…。
「頑張れ、ハラグチユメカ!」
突然、タカハシライトが大きな声を出した。
「頑張って、トラオのフルネームを当ててみろ!」
タカハシライトの意味不明な声援に、トラオが「は?」と声を出す。
「まだ答え分かってねーのかよ?
この俺様の名を知らねーとは、とんだ時代遅れだ!」
トラオの大声を顔面で受ける、あたし。
…地獄だ。
「トラオって…、名前ですか?それとも、苗字ですか?」
死にかけ状態で、尋ねてみると。
「あ?んなの、名前に決まってんだろーがッ!!考えりゃ分かるだろ!!!」
思い切り、怒鳴られた。
そんなに怒鳴らなくたって…。
だって、トラオって名前、聞いたことがないんだもの!
「いちいち怒鳴るなよ、トラオ」
タカハシライトが、怒ったように言った。
「お前のせいで、今まで、どんだけ鼓膜が破れてきたと思ってんだよ?
お前みたいなのがいるから、こっちは冷静に話し合えないんだ」
「破れてはねーだろ」
少しだけ言い返すと、トラオは「ハァ~」と溜め息をついた。
「…あーあー、悪かったよ。
そろそろ、冷静に話し合おうじゃねーか。今日は、そのために集まったんだろ」
「お前が言うな」
金城亜輝とタカハシライトも、溜め息をつく。
けれど、回復の早いタカハシライトは、
「じゃあ、ヒントをやるよ」
と言いだした。
「トラオの苗字は、エンドウです。さあ、どう書くでしょう~?」
…ヒントが遅い。
内心、あたしも溜め息をついたけど、
それでも、思いつくままにチョークを動かした。
[遠藤 虎男]
トラオの苗字って、「エンドウ」なんだ。
へぇ~。
とか思いながら書いたのは、これ。
「虎男」だったら、面白いな~…なんて思いつつ。
間違っていたら、殴られるかも…と不安も抱きながら。
さあ、どうか……。
「ピンポーン!」
不安に胸を高鳴らせていると、タカハシライトがまたナゾの音を発した。
だけど、これは意味の分かる音だ。
「大正解~!!」
タカハシライトが笑って言った。
「すげぇ~~!!一発で正解してもらえて良かったな、虎男!!」
「別に良くはねーわ!」
「てことで、最後に俺の自己紹介といくか~♪」
「無視すんじゃねーよ!」
タカハシライトが、黒板に自分の名前を書いていく。
その背中がいなくなった瞬間、新たに黒板に書かれた文字が目に入った。
[高橋 来登]
「これが、正解!」
そう言って、ニヤリと笑った。
彼―
だって…今日が、最後だっていうのに。
彼らの名前を知っても、何の意味もない。
この時間は、ただの無駄でしかないのだ!
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