(2)
休み時間終了の時刻が迫っているのに、
あたしは、まだトイレの裏側に座り込んでいる。
「……ああ」
一気に、体力が奪われた。
精神的に疲れた、という方が正解かもしれない。
中谷王我という奴は、一体、何なんだ。
人を虐げて苦しめるのが、そんなに楽しいか。
……楽しいんだろうな。
あのサイコパス。
異常者という意味では、中谷美蝶と瓜二つだ。
中谷美蝶は、どの程度、自分の弟の蛮行を知っているのだろうか。
そんなことを考えながら、立ち上がり、
ポケットからそっとスマホを取り出して、カメラで撮った内容を確認してみる。
―――すると。
「……あ…れ??」
スマホにどれだけ顔を近づけても、何の音も聞こえない。
よーく見てみると、
おさめられている映像の時間が、「二秒」だけと表示されている。
「………」
ウソでしょ。
設定を間違ってた!?
ちゃんとカメラを回したはずだったのに…
さっき、わざわざ止めなくても、最初から何も撮れていなかったってこと??
えっ、そんなことある?!!?
前方から、一人の男子生徒が歩いてきたので、
人目を気にして、叫び声を上げはしないけども、あたしの心は悲鳴を上げた。
「ウソ――――!!!
これじゃあ、何の証拠もナシじゃん!!あたしの今日の苦労は何だったの!?」
(※心の声)
絶望のあまり、意識が朦朧となってきた。
今までの時間は、一体、何だったの?
今日得た証拠を、ママに見せるつもりだったのに。
何の意味もないじゃ――ん!!!
あたしって、昔から、こういうところがある。
肝心なところで、とんでもないミスを犯したり、ひどい思い込みや勘違いをしたり。
なぜ、もっと、きちんと確認しなかったのだろう。
悔やんでも、悔やみきれない。
こうなると、証拠集めは振り出しに戻るしかないけど、でももう無理だ。
今回は運良くバレなかったけど、
次こそは見つかって、ひどい目に遭うかもしれない。
そして、何より、あたしの精神が耐えられない。
もう一度、あんな現場を目の当たりにしなくちゃいけないのかと思うと――。
ああ、どうしよう!
いつになくパニック状態のあたしの耳に、
突然、トイレの方から、騒がしい音が聞こえてきた。
ガタ、ガタ!
バターン!!
驚いたあたしは、後ろを振り返り、さきほどの男子トイレの方を見た。
…まさか、またイジメ?
もはや挙動不審なあたしは、恐る恐る、トイレの方へと近づいていった。
…入り口まで来たものの、よりによって場所は男子トイレだし、
一旦、ピタッと足を止めた。
中から微かに、バタバタという、叩くような音が聞こえる。
「…だ、大丈夫ですかー?」
意を決して、声を掛けてみる。
「あのー…」
何も返事はない。
人、いないのかな?
でも、明らかに音が聞こえているんだけど……。
辺りを見回してみるも、
そろそろ休み時間が終わる時刻だからか、近くには誰も見当たらない。
どうしよう…。
このまま、急いで教室に戻りたいけど――
もしも、このトイレの中で、誰かが倒れたりしていたら……?
なんだか嫌な予感がして、あたしは思い切って、トイレの中へと足を踏み入れた。
「…はっ!!」
入った瞬間、あたしは、目の前の光景に小さな悲鳴を上げてしまった。
なんと、あたしの目の前に飛び込んできたのは、
一人の男子生徒が、床の上で苦しそうにもがいている姿だった。
「…はっ…はぁ、はぁ……」
身体の中から吐き出される、苦しげな呼吸音。
こんなに苦しんでいる人を、目の前で見るのは初めてで、
あたしはつい、その場に突っ立ってしまった。
けれど、すぐに我に返って、その男子生徒の方に駆け寄った。
「だ、だ、だ、大丈夫ですか?」
我ながら、動揺しすぎである。
こんなこと言ったって、反応してくれるわけないじゃないか。
ほんと、あたしってバカね!
自分にムカつきながら、サッとポケットからスマホを取り出す。
とりあえず、救急車を呼ばなくちゃ!
救急の番号……〈110〉と〈119〉、どっちだったっけ?
あーもう!
このバカ!あたしのバカ!
もはや脳内パニック状態のあたしは、スマホを手にオタオタ、
泣き出しそうになりながら、男子生徒に向かって必死に呼びかけた。
「お願い、死なないで!頑張って!生きなくちゃダメだよ!」
その時、あたしの手は、ギュッと何かに掴まれた。
驚いて見ると、
あたしの手を掴んでいたのは、彼――男子生徒の手だった。
それから、
「……して」
苦しげにひそめられた顔で、細く小さな声が発された。
…しゃべった!!
興奮したあたしは、
男子生徒の顔を食い入るように見つめ、その声に耳を澄ませた。
男子生徒は、再び口を開きかけた。
しかし、その瞬間、
この男子生徒の、柔らかそうな茶色の髪が目に入った。
「……ん?」
あたしが間抜けな声を出した瞬間、
「ケイゴに……連絡、して」
男子生徒が、弱々しい声で言った。
「ケイゴ」というのが誰のことか、そして、この男子生徒が誰なのか。
今のあたしには分かる。
なぜ、今この瞬間まで、気が付かなかったのだろう。
彼(彼ら)を知らない人なんて、この学校にはいないのに―――。
この男子生徒の名は、タカハシライト。
前に紹介した、この学校で最も有名な一団――
「イケヤン」の一人として知られる人物だ。
今の状況を、サクッと説明しよう。
高校の男子トイレの中で、
校内で知らない者はいない有名な不良と、
ただの地味で冴えない真面目女子のあたしが、
手を握り合って、二人きり。
なんで、こんなことに!?
という、大きな疑問は置いておいて……
「ケイゴって、タカハシケイゴのこと?ダメだよ、救急車を呼ばなくちゃ!」
半ばパニックどころか、全パニックのあたしが言うと、
男子生徒―タカハシライト―は、首を横に振った。
どうやら、耳は聞こえているらしく、少しなら反応も出来るようだ。
しかし、やはり、とても苦しそうで、あたしは、また必死に声を掛けた。
「ダメ、ダメ!しっかりして、タカハシライト!」
焦りのあまり、話したこともないのに、フルネームを言ってしまった。
「君が死んじゃったら、他の『イケヤン』が悲しむよ!
君、一番年下でしょ?一番若いのが先に死ぬなんて、そんな不幸はない!」
もはや、自分でも何を言っているのか分からない。
その時、タカハシライトが言葉を発した。
「…薬」
そして、ついに、目を閉じてしまった。
「…えっ!あ、ちょっと待って!死なないで、お願い!」
あたしの判断のせいで、「イケヤン」の一人が死んだかもしれない!
ひどい精神状態で、
タカハシライトのポケットから、彼のスマホを取り出す。
そして、指紋認証などなくホーム画面へいけたことを、神に感謝しながら、
すぐさまグリーンメールを開いた。
タカハシライトのスマホを耳の近くにあて、しばらく待つ。
タカハシライトのグリーンメール友だちは多く、見つけるのに少し苦労したけど、
なんとか「Keigo」というアカウントを見つけて、
電話を掛けてみたところだ。
友達のいないあたしは、グリーンメールの友だちは家族だけだし、
電話なんて普段全くしないから、不安しかないけど、この際、仕方ない。
――すると。
「……なんだ、弟」
電話の向こうの人物―タカハシケイゴ―が、わりと早めに出てくれた。
「…あ、すみません、突然。
あの、今、二階のトイレにいるんですけど、ライトくんが倒れてて……
今すぐ、薬を持って来てください!お願いします!」
「……は?」
明らかに困惑している声が聞こえた後、少しして突然、電話は切れた。
……うわ、切られた。
絶対、不審者だと思われただろう。
ど、どうしよう…。
「……」
絶望しかない。
タカハシライトは、相変わらず、目を閉じたっきり……
本当に死んでしまったのかもしれない。
あたしは、イジメを告発するための証拠を逃しただけでなく、
ついには人の命を助ける手段さえ逃してしまった。
……いろいろな人に謝罪したい気分だ。
でも、もしかしたら、もう手遅れなのかも。
タカハシライトは死んだし、
イジメを告発できるものも見つからないのかもしれない。
あたしって、一体……――
と、その時だ。
バタバタという、素早い足音が、こちらに迫ってきた。
――次の瞬間。
「ライト!どこだ!」
いきなり、四人の男たちが、このトイレに駆け込んできた。
あたしは驚きのあまり、呆然として、彼らを見つめた。
彼らの方も、何が起きたのか分からないという表情で、じっとこちらを見つめる。
けれど、その時間は、ほんの一瞬で、
すぐに男たちの中の一人――金髪の男が、飛び出してきた。
目を閉じて倒れているタカハシライトを腕に抱き、必死な様子で声を掛ける。
「ライト!しっかりしろ!おい!」
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