(2)




『……』





俺は、母さんから何か質問されることを想定し、心の準備をしていた。




けど、母さんの口から出てきた言葉は、予想外のものだった。





『――大体のことは知ってるよ、進くん。


辛かったね。可哀想に』




『…え?』





疑問だった。




――母さんは、一体、何を知っているんだ?




――俺は何も話していないのに、どうして知っているんだ?




その後、俺は驚くべきことを聞かされた。





『…夢ちゃんから、教えてもらったのよ。


進くんが、理不尽なイジメに遭っていたってこと』





俺は一瞬、何も反応することが出来なかった。





『…なんで、夢ちゃんが?』





ようやく発することができたのは、それだけだった。




動揺を隠せない俺に、母さんは言った。





『夢ちゃんは、進くんのことが心配で、いろいろ調べていたの。


それで分かったことを、ママに話してくれたんだ。


だから、ごめんね。夢ちゃんもママも、大まかなことは知ってる』





夢ちゃんが、イジメに関する調査をしたって?




…スパイかよ。




ドジで不器用な夢ちゃんに、そんなことが出来るなんて…





『まあ、証拠は取り損ねたみたいだけどね』





やっぱりな。




だけど、夢ちゃんがそんなことをしたのは、俺が何も話さなかったからだ。




驚きや困惑と同時に、申し訳ないという気持ちが広がってきた。





『進くん』





母さんの手が、俺の頬を撫でた。





『今までも、いろいろなことがあったけど…


ママたちは、進くんの苦しみに向き合ってこなかった部分があった。


進くんが可愛いからって、


もっと苦しめたくないばかりに、重要な話し合いをしてこなかったと思う。


でも、今回、夢ちゃんとも話して、今まで間違ってたって気付いたの』





母さんは、真剣な様子で言った。





『…大切に思っているからこそ、ちゃんと向き合わないといけないのよね。


愛情の形って、それぞれだけど、


これだけは言える――甘やかすことだけが優しさじゃない。


時には、少し相手を苦しめることになってでも、話し合わなくちゃいけないんだわ』





…家族のみんなが、俺に気を使っているのは分かっていた。




その気遣いは、俺を思ってくれているからだとも。




だけど、ここしばらくの間、俺と家族の間には距離があったように思う。




その距離を感じると、尚更、真実を話す気になれなかった。





『本当にごめんね、進くん。ママたち、愛情が空回りしてたみたい』




『…母さん。もう謝らないで、頼むから』





俺の、この状態が、




母さんや夢ちゃんを如何に追い詰めていたか……改めて痛感した。





『謝らなきゃいけないのは、俺の方だよ…。


母さん、ごめんなさい。本当にごめん……』





俺が頭を下げると、母さんは首を振った。





『ううん、進くんは悪くない。


進くんを苦しめた奴らが悪いんだよ……中谷王我、だっけ。


そいつ、今すぐにでも呪い殺してやりたい…』





ドクン、と心臓が揺れた。




中谷王我……思い出すのも恐ろしい。




中学の頃、俺をイジメたアイツよりも、もっと狂気的で残酷で凶暴な人間だ。




いや、あれは、人間というのも信じ難いレベル……





『進くん、大丈夫?…顔が真っ青よ』





母さんが、心配そうに俺を見つめた。




…吐き気のようなものを感じ、どうしようもなく気分が悪い。




精神的なものだろうということは、明らかだった。




けど、ちゃんと話さなくちゃいけない、と思った。




何か少しでも状況を変えたい……そういう思いもあったのだ。





『母さん……』





そして、俺は、少しずつ話し始めた。




母さんも夢ちゃんも知らない真実…――イジメの真相と、俺がこうなった理由を。




ここまで長くなってしまったけど、どうか聞いてほしい。




これは、俺が母さんに打ち明けた事実だ。








―――今年、四月。




ついに、高校生活が始まった。




高校入学にあたって、俺はある目標を立てていた。




それは、「できるだけ積極的に生活し、良い友達を作ること」。




中学生の頃までは、いつも受け身で、内気なタイプだったんだけど…




結果として、ああいう経験をすることになった。




おとなしく生きていて、ああなるんだったら、静かに生きるなんて無意味だ。




そう思ったこともあり、自分を変えるべく、自ら学級長に立候補した。




そして、見事、俺はクラスの学級長になった。




俺のクラスは、一年二組。




担任は、五十代の真面目な教師・田代たしろ先生だ。




田代先生は、俺に対し、学級長ということもあって期待を寄せているようだった。





『原口、お前はクラスのリーダーだ。


より良い学級を作るために、担任である私に協力すること。


基本的に、クラスをまとめるのは、お前の責任だ。いいな?』





俺は、期待を裏切らないようにしようと思った。




けど、学級長という立場は、初めてだったし、難しくも思えた。




そんな俺をサポートしてくれたのは、もう一人の学級長―松木こうめだった。




俺は、夢ちゃんに軽くウソをついた……




松木こうめのことは、なんとなくどころか、とてもよく覚えている。




いや、学級長という立場上、クラスメートの全員を把握していたけど――




その中でも、松木は、特に存在感が強かった。





『原口くん。いろいろ大変だけど、一緒に頑張ろうねっ!』





根っから積極的そうだな…というのが、第一印象だった。




この子に比べると、俺なんか、ただの積極性を演じている役者だ。




そう卑屈になる一方で、一緒に頑張っていけそうだという期待もあった。





『原口くんって、どこ中?あたしは光河ひかりかわ中なんだけど』




『俺は星野ヶ丘第一ほしのがおかだいいち中だよ。知ってるかな?』




『ああ、聞いたことある!中学、楽しかった?』




『全然』




『え~っ、意外!楽しんでそうなのに』




『そっちこそ』




『あたし?あたしも、そんなに楽しくなかったよ。


やったことといえば、お姉ちゃんをイジメてた奴らに喧嘩売ったくらい』




『お姉ちゃん、いるんだ?』




『うん、この学校の三年生なの。お姉ちゃんは普通科。


うちのお姉ちゃん、ほんっと気が弱くてね。


あたしがいないとダメだから、同じ高校に入ってあげようって思ったんだけど、


普通科はやめといた方がいいよって言われて、


結果、特進科を受験することにしたっていうわけ!』




『おー、それは奇遇だな!


俺の姉も、普通科の三年なんだ。


でも、普通科と特進科じゃ、会う機会とかほとんどないよね?』




『うっわ、スゴい偶然!!なんか、仲間ができた気分♪


あたしたち、仲良くしようね。


学級長が仲良くしてれば、きっとクラスも自然とまとまってくるよ』





俺たち学級長同士の仲は、良いものだった。




当初、俺たちは、前向きな姿勢でクラスを見ていた。




ところが、日が経つにつれ、だんだんと気になる点が出てきた。




それは――





『おい、副島。嫌がってるだろ、やめろって』




『あー?』





うっせーなカス、と言わんばかりの様子で、こちらを睨みつけてくる男。




コイツの名は、副島陸斗そえじまりくと…クラス一の問題児だ。





『何だよ、学級長。文句あんのか?』





…無い方がおかしい。




副島の高圧的な視線の先には、佐藤光喜さとうこうきの怯えた目があった。




光喜は仲の良い友人の一人で、




友達としても、学級長としても、俺は文句を言わないわけにはいかなかった。





『宿題なんか、自分でやったらいいだろ。たった一枚のプリントじゃないか。


毎回、人にさせるようなことじゃないよ』





キレられることを覚悟で、言うと。





『…ったく、ウゼぇなぁ。学級長だからって、偉ぶってんじゃねーぞ!』





想像通り、キレられた。





『先公に気に入られるためか知らねーけど、優等生を演じてんだろ。


くそウゼぇし、マジでキモいから、やめろよな!


いちいち偉そうに絡んできやがって…調子乗ってんじゃねーよ!!』





その怒鳴り声に、賑やかだった教室が一瞬で静まった。




すでに副島は、クラスでダントツの不良として恐れられていた。




俺も松木も、この問題児には手を焼いてばかりだったけど、




俺に限っては、妙に敵対視されていた。




その理由は…――





『そんなに文句あるなら、テメーがしろや。


困ってるクラスメートがいたら、助けるのが学級長だろ。あぁ?』





俺が学級長ということにあったらしい。




実は、学級長に立候補したのは、俺だけではなかった。




立候補者への投票が行われた時、俺と副島は僅差だったけど、




最終的に決まったのは俺だった。




そのことがきっかけで、副島は俺を敵視するようになったのだ。




どうやら、中学校の三年間、




副島は学級長として、クラスを自らの支配下に置いていたらしく……




高校においても、その計画を続行する気だったようだ。




それが、自分よりも実力のない奴に壊されてしまった…そう思ったのだろう。




学級長としての素質は抜きにして、俺は身分不相応なところに入ってしまったのだ。




いくら自分を変えたいからって、変に行動しすぎた…




そう後悔したこともあったけど、一方で、手応えを感じていたところもあった。




なぜなら、俺には、未だかつてないほど仲の良い友人ができたし、




クラスメートの大半は信頼を寄せてくれているようだったから。





『副島。お前、いい加減にしろよ』





クラスのムードメーカーである小野翔弥おのしょうやが進み出てきた。





『うちの学級長が、何か間違ってること言ったかよ?


不満なら、俺からも言わせていただくぜ――


自分の宿題も出来ないなら、小学校に戻りなちゃいッ!』





翔弥のふざけた調子に、周囲がクスクスと笑い出す。




副島の顔は、怒りのせいか赤くなった。




すると、さらに――





『手伝ってほしいって言うなら構わないけど、


まるまるやらせるのはどうかと思うよ。一回だけならまだしも…』





クラスで一番の優等生、吉川礼司よしかわれいじまで出てきた。




翔弥も礼司も、特に仲が良かった友人で――




発言のわりに強張った表情をしていることから見て、




問題児への恐怖に耐えながら意見してくれたことが分かった。




副島は、そんな二人を血走った目で見つめ…――




教室中の誰もが、その様子に”無”となった。





『…二人とも、ありがとう。でも、もういいよ。俺が話すから』





緊張感で溢れた沈黙を、なんとか打ち破る。




そして、言った。





『副島。みんなで攻撃するみたいになって…ごめん。


でも、光喜や、反発できない相手にいろいろ押し付けるのはやめてほしいんだ。


手伝ってほしいことがあったら、俺で良ければ、もちろん手を貸すよ。


だから、その時は言って。協力するからさ』





自分なりに、伝えたつもりだった。




けど、副島には通じなかったようだ。





『ごめんっつって、許されるなら…警察はいらねーだろうが!このクソ野郎!』





次の瞬間、視界が一気にぼやけた。




そして、腹部に激しい痛みが走る…――副島は、俺の腹を殴ったのだ。





『…う、…うぅ』





あまりの痛みに、息苦しささえ感じながら、その場にうずくまる。




周囲からは、悲鳴が聞こえていて――




すっかり静かになっていた教室は、パニック状態と化した。





『…進真、大丈夫か!?』





光喜や翔弥や礼司など数人が、慌てふためきながら駆け寄ってきた。




痛みで返事も出来ない俺を見て、翔弥が勢いよく立ち上がった。





『お前…何してくれてんだよっ!?殴るなんて最悪…』





と、その時だった。





『どけ、カス!邪魔なんだよ!!』





副島が、今度は翔弥に暴力を振るった。




鋭い蹴りを入れられた翔弥は、宙へと飛んでいき…




ガシャーン!!!




思い切り、机とイスの上に叩きつけられた。





『きゃああああっ!!!』





もちろん、クラスの女子たちは絶叫。




その中から、松木が飛び出してきた。





『ちょっと、副島!暴力なんて最低、やめなさいよ!!』



『うっせぇ、ブス!黙っとけや!!』



『ハァ!?おとなしく見てろって?ふざけんな、クソ男!!』



『あぁ!?クソアマが、ぶっ殺すぞ!!!』





飛び出さんばかりの目をした副島が、松木の方へと近寄っていく。




コイツだったら、女にも手を出しかねない…




何としてでも、阻止しなければ!




ということで、俺は素早く、松木の目の前へと移動した。




ちょうど、その瞬間、副島が手を出したところで……




ボコーン!!




松木に向けられた拳が、俺の頭部へと直撃。





『…きゃっ!』





松木のものらしき、小さな悲鳴が聞こえた後、




俺はバタリと床の上に倒れ込んだ。




…ぼんやりとした意識の中、クラスメートたちの悲鳴や叫び声が聞こえた。





『…きゃああああ――っ!!!』




『ちょっ、誰か、助け呼ばないと…!!』




『原口が死んじゃった!』




『おい、進真!しっかりしろ…』





声を出したくても、出なかった。




立ち上がることも、出来なかった。




けど、視界は完全に消えてはおらず……




その後も、副島が暴れ続けている光景が目に入った。




光喜や礼司など、副島の近くにいた生徒たちは次々と倒されていった。




学級長の俺は、情けないことに、何も出来なかった。




――”俺、強くなりたいんだ”。




入学式の日、そう言ったのにな…。




悔しくて、恥ずかしくて、消えてしまいたい気分だった。




…その時。





『あなたたち、何してるの!?』





暴力でグチャグチャになった一年二組に、救いの手が差し伸べられた。




隣の超特進科・一年一組の担任である若い女教師、清水しみず先生だった。





『…何これ、喧嘩?


後で話は聞くから、とりあえず片付けましょう』





清純な雰囲気と爽やかな印象から、生徒たちからの人気も高い清水先生の一声で、




とりあえず現場は静かになった。




間もなく、騒ぎを聞きつけた田代先生もやって来て、




副島は生徒指導室へと連行されていった。




一方、俺や、その他暴力を受けた生徒たちは、保健室へと連れて行かれた。




日ノ学の保健室の先生は、森山もりやま先生といって、




ヤンキー漫画などに出てくるキャラそのものだ。




長いクルクルの髪に、厚化粧で、いわゆるセクシー系…




大体いつも胸の谷間を見せた格好をしていて、この俺でもちょっとドキッとした。




けど、一般的には、清水先生の方がウケがいいようだった。





『森山先生もイイけど、清水先生に手当てしてもらいたいな~』





小野翔弥などが言うと、森山先生は少し笑った…




けど、目は笑っていなかった。




そして、少し乱暴に俺たちの手当てをしながら言った。





『男の子って、ホントに分かってないわね~。


清水先生みたいなタイプは、わりと要注意なのよ。気を付けなさい』





それを聞いて、ふと母さんと夢ちゃんの会話を思い出した。




確か、あの二人も、「清純なタイプには気を付けるべし」と言っていたな。




でも、もちろん、深い考えには及ばなかった。




とにかく、学級長の俺が抱えた第一の問題は、副島陸斗という問題児だった。





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