9・真相―弟―〈1部〉

(1)




……―――しばらく前から、俺は不登校だ。




原因は、イジメとか…いろいろ。




だけど、不登校になるのは、これが初めてではない。




中学生の時も、俺は不登校になった。




その原因も、イジメ。




どうやら、俺はイジメっ子に好まれやすい人間らしい…




なんて、皮肉を言ってみたりもするけど、本当は全然そういう気分じゃない。




不登校になってからというもの、俺は自分が嫌で嫌で仕方ない。




――どうして、俺はこんな奴なんだろう?




自分を消したい、と何度も思った。




消えたい、消えたい、消えたい、消えたい…。




その思いは、俗に言う”自殺願望”に通ずるものだ。




ロープで首を吊ろうか…、ベランダから飛び降りようか…――




定番の方法をいくつも考えてみた。




けど、ロープで首を吊ったとして、そのロープが切れたらどうするんだ?




仮に成功したとしても、きっと後始末が大変だ。




首吊り自殺をすると、身体中の穴という穴から、いろいろなものが…




なんていう、恐ろしいことを聞いた覚えがあったから。




俺のそんな死体を見たら、家族は一生のトラウマを患うことになるだろう。




咄嗟に、そんなことが思い浮かんだ。




ということで、首吊りはやめることにした。




それじゃあ、ベランダから飛び降りるのは?




飛び降り自殺も、現場はかなり悲惨らしい。




人間が硬い地面に叩きつけられると、ありとあらゆる内臓が……




まあ、相当なグロさのようだ。




家族にも、警察など駆けつけてきた人たちにも迷惑を掛けることになる。




第一、飛び降りたからといって、絶対に死ぬとは言い切れない。




変に全身を骨折なんかしたら、それこそ地獄だ。




そう思うと、飛び降り自殺は賢明じゃないという考えに達した。




何か効率的な死に方はないだろうか…――考えてみれば、いろいろ思いついた。




なるべく苦しみたくない。




痛みが強いのも嫌だ。




自殺の方法を厳選していくうち、




俺は自分がとても矛盾しているということに気が付いた。




…自殺が、楽なわけないじゃないか。




きっと、自殺を考える時点で、もの凄く辛い経験をしたんだろうに、




それ以上に辛いことが、その先に待っている。




”自殺なんかしたら、地獄へ逝くことになる”。




そういう話はきっと、人々に自殺させないようにするために存在するのだろうけど。




その話自体は、間違ってはいないと思う。




世の中には、




例えばアナ・パンクみたいに、生きたくても生きられなかった人がいるから。




アナ・パンクっていうのは、俺の姉が死ぬほど大好きな人なんだけど…




弟の俺は、嫌でもその話をたくさん聞かされてきた。




俺の知る限りでは、アナ・パンクは歴史上の偉人の一人で、




戦争中に日記を書き綴った少女だ。




とある国の首相と政党によって、ある民族としての迫害を受け、




結果として地獄の強制収容所で十五歳にして命を落とした(結構知っている)。




だから、”戦争と差別に命を奪われた悲劇の少女”といわれている。




十五歳といえば、今の俺と全く同じ年齢だ。




なぜ姉があんなに会ったこともない人間を好きなのか分からないけど、




どんなに短くて悲劇的な人生だったかということは分かる。




そういうことを考えたら、自殺なんてくだらないと思う。




だけど、実際、死ぬ以外に何か方法があるかという話だ。




俺は、常にイジメのターゲットにされる弱虫。




いつもみんなに攻撃され、見捨てられる嫌われ者。




――こんな俺が、生きていて何になるんだ?




そう思って、あれこれ自殺の方法を考えた。




…けど。




どんな方法も、ケチをつけて、結局は実行に移せなかった。




それは、勇気がなかったからだ。




苦しみから解放されるために、さらなる苦しみを味わう勇気。




家族と永遠に離れるということへの勇気。




俺の中身は、こんなに矛盾だらけだったんだって…改めて知った。




俺は、結論、死にたくなんかないのだ。




暗い部屋のベッドで横たわっていると、




ちょくちょくリビングの方から明るい声が聞こえてくる。




母と姉の声だ。




母さんは、いつも俺に優しく声を掛けてくれる。




中学生の頃も、今も…「学校に行け」などと無理を言われたことはない。




だから、息子がこんな有り様なんだろ…と、誰もが思うはずだ。




だけど、母さんは、”母親の鏡”というのに近い存在だと思う。




子どもは、親に対して、優しさや愛情を求める。




それによって、安心感を抱きたいのだ……少なくとも、俺の場合は。




俺にとって、母さんは、世界一素晴らしい母親だ。




多少感情的だったり、泣き虫なところはあるけど、それも含めて世界一!




……え、マザコン?




そんなこと言ったって、仕方ないじゃないか。




男なんて、全員、根はマザコンなのさ!




…と、俺はいつも姉の夢ちゃんに言い返している。




夢ちゃんの正式な名前は「夢果」だけど、




母さんも父さんも、みんな「夢ちゃん」と呼ぶので、俺もそれに従っている。




夢ちゃんと俺の年の差は、たったの二つ。




なのに、夢ちゃんは、それをやたらとアピールしてくるところがある。




例えば、俺と喧嘩になった時だ。





『アンタね、あたしの方が二年も先に生まれたんだからねッ!


ちゃんと敬いなさいよ!分かった?このガラスボーイ!!』





…ひどい言われようだ。




夢ちゃんは、俺にたくさんあだ名を付けてくる。




その中の一つが、この「ガラスボーイ」。




俺の心がガラスのように繊細だというのが由来らしいけど…もちろん、不本意だ。




確かに俺は、いつもちゃんと何かで傷つくし、プラスチックや鉄とは無縁だと思う。




でも…それを夢ちゃんに言われると、なんだかムカつくのだ。




もちろん、夢ちゃんのことは好きだけど…姉として。




それでも、言い合いや喧嘩は避けられない。




きょうだいって、そういうものなのかな?




ところで、俺たち姉弟は、同じ高校に在籍している。




私立日ノ出学園高等学校――略して、日ノ学。




我が家からそう遠くはない場所にあるけど、昔から不良校として有名な学校だ。




夢ちゃんが、日ノ学に関して、ろくなことを言わないのは知っていた。




「うるさい」、「臭い」、「汚い」……今となっては、よく理解できる。




だけど、俺は日ノ学に入学することを決めた。




理由は、主に二つ。




一つは、




中学の頃の不登校で出席日数が足りなかったから、行ける高校が限られていたこと。




二つ目は、姉の夢ちゃんも通っている学校だから。




高校受験を控えていた当時の俺には、いくつか選択肢があった。




不登校の生徒を数多く受け入れてきた私立花園はなぞの高等学校か、




偏差値は高いが不良の多い私立青空あおぞら学園高等学校か、




偏差値が低く不良の多い私立日ノ出学園高等学校。




この三つの高校は、世間での評判が悪いという意味では、いいとこ勝負だった。




ならば、俺は、「夢ちゃんもいる日ノ学へ行こう」と決めた。




夢ちゃんは、これまで孤独な学校生活を送ってきていた。




とっくの昔に死んでしまった人物(アナ・パンク)を大好きだとか、




いろいろと変わった趣味嗜好を持っているので、心を許せる友達がいないのだ。




だけど、それは俺も同じようなものだ。




こんな俺なんかが支えになれるとは思えないけど、




弟が同じ学校にいれば、少しはマシかもしれない。




休み時間にでも、会って話したり…。




家に帰ってから、共通の学校の文句を言ったり…。




夢ちゃんに、”独りなんかじゃない”ということを伝えたかった。




けど、それは浅はかな考えだった。




俺はなんだかんだで特進科クラスに入ることになり、




普通科三年の夢ちゃんとはほとんど会うこともなかった。




しかも、間もなく、俺は不登校になってしまったのだから。




…夢ちゃんは、文句を言いながらも、今まで俺を可愛がってきてくれた。




もしかすると、




”同じ学校の中にいながら、守ってやれなかった”って、




落ち込んでいる部分があるかもしれない。




だけど、本当に、夢ちゃんは何も悪くないんだ。




イジメられていることを相談しなかったのは俺で、




夢ちゃんはそんな俺を心配してくれていた。




母さんだって、俺をいつも気にかけてくれていた。




それなのに、俺は……。




中学での不登校によって、家族の心配の種になり…




強くなりたいと思うばかりで、何も変えることが出来ず…




結局、高校でも、同じことを繰り返した。




…――息が、苦しくなってくる。




生きるのが辛い。




死にたくないけど、生きたくもない。




目の前に何も見えない。




どこを見ても、真っ暗な景色ばかり。




けど、俺が死んだら、母さんと夢ちゃんは悲しむだろう。




父さんについては、よく分からないけど。




”恥ずかしい息子がいなくなって良かった”って、思うだけかもしれないな。




父さんは、俺の状態をどう思っているんだろうか。




さっぱり分からない。




父さんは今、県外に単身赴任中で、正直言って、あまり掴めない人だ。




ただ、俺は、夢ちゃんほど父さんを嫌ってはいない。




父さんは特にだけど、男って、そんなに愛情表現とかが得意じゃないはずだから。




女からすると冷たく見えても、男にとってはわりと普通だったりすると思うんだ。




つまり、なんというか、父さんばかりが悪いとは思わないってことだ。




母さんと父さんは、近頃、仲が良いとはいえない状態なんだけど…




俺は、夢ちゃんみたいに、母さん側に徹底したりはしない。




そりゃあ、俺だって母さんの味方をしたいけど……




俺まで母さん側についたら、父さんが完全に孤独になってしまうじゃないか。




そうしたら、きっと、父さんはますます俺たちから離れていくと思う。




俺はただ、家族みんなで穏やかに暮らしたいんだ。




…そんなことを思いながら、”こういう段じゃないだろ”と自分を責める。




不登校で引きこもりの俺は、人の心配をしていられるような立場じゃない。




それに、俺の不登校問題が、両親の夫婦関係を悪化させているような気もする。




こうして自分を責めながら、またいろいろなことを心配する。




今日この頃の俺は、こういった有り様だ。




またこうやって暗い日々を繰り返し過ごしていくのか…




と、思っていた時だった。





『――進くん、ちょっといい?』





ドアの向こうから、母さんの声が聞こえてきた。




いつもの陽気さがない、沈んだようなハスキーボイスだった。





『話したいことがあるの。…入ってもいい?』





俺は、一旦、





『ちょっと、無理』





と答えた。




特に何かしていたわけでもなかったけど、誰とも話したくない気分だった。





『…分かった』





母さんの悲しげな声を聞いて、胸の奥がチクリと痛んだ。




いつも、心の中で謝っていた。




母さん、何も話さなくてごめんね。




母さん、たくさん悩ませてごめんね。




母さん、作ってくれた料理を食べなくてごめんね。




家族のみんなに、どれだけ心配をかけているか…




分かっていたけど、顔を合わせて話すことも出来ないままだった。




そんな自分が不快で、血が出るほど肌を掻きむしったり、壁や机を蹴ったりした。




けど、そんなことをしたって、もちろん何も解決しない。




ただ、自分への憐れみと情けなさに襲われるだけだった。




…――それから、しばらくして。





『進くん、ちょっとだけ話さない?お願い』





再び、母さんの声がドア越しに聞こえた。




俺は迷った。




誰とも顔を合わせたくない…、合わせられない。




何があったのか話すように言われても、出来る気がしなかった。




だけど。





『進くん。


ママは、無理に話を聞こうとか思ってないんだよ。


ただ…進くんの顔を見たい。ちょっとだけでいいから、話そうよ』





母さんは言った。





『進くんの顔を見なきゃ、ママ、元気が出ない。


ねえ、進くん…』





母さんにこう言われちゃ、断ることが出来なかった。




…マザコンとでも、何とでも言ってください。




母さんの弱々しい声に負けた俺は、部屋のドアが開けられるのを許してしまった。




これが、アウトだった。




部屋に入ってきた母さんは、ベッドの上の俺を強く抱きしめた。




気が付くと、俺の顔は、母さんの胸元に押しつけられていた。





『…辛かったね、進くん。


今も、ずっと苦しんでるんだよね……ごめんね、進くん』





母さんの声は、本当に苦しそうだった。




こういう言葉を聞きたくないから、何も話したくなかったんだ…。





『…離して』





俺は言った。




母さんの腕の中は温かかったけど、それが逆に辛かった。




だけど、母さんは、離すどころか、ますます強く俺を抱きしめた。





『こんなに痩せて……。


お腹空いたら、いつでも言うのよ。何か作るから』




『うん…』




『のど渇いてない?飲み物持ってこようか?』




『いや、大丈夫。あ…、ありがとう』





こんなに迷惑を掛けているのに、母さんはいつも変わらず俺を心配してくれる。




俺なんか、ただの情けない弱虫なのに…――。





『……ッ』





なんだか、とても辛くなった。




悔しいとか、苦しいとか、いろいろな感情が入り混じった気持ちだった。




無意識のうちに、俺も母さんを抱きしめていて…――




溢れてくる涙を堪えることが出来なかった。





『…うっ……、ううっ…』





母さんの腕の中で、俺は泣いた。




そのうち、母さんも泣きだした。




恥ずかしさも、情けなさも忘れたように……暗闇の中で、俺たちは泣いた。




一緒に泣いたことで、母さんと俺は、以前のように打ち解けたようだった。




いや、俺が一方的に作っていた壁のようなものが、柔らかくなったのかもしれない。




明確には分からないけど、俺はもう家族を避けるのはやめようと思った。





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