(4)




「――進真、聞いてる?」





あたしが話しかけると、進真はのっそりとこちらを向いた。




…この目。




やっぱ、病んでる。





「言っとくけど、アンタは”腰抜け”なんかじゃないよ。


”こんなん”っていうほど弱っちくもない。


あたし、大体のことは全部、知ってるんだからね!」





そう、あたしは知っている。





「クラスメートの松木こうめから聞いたんだけど…


アンタ、中谷王我からイジメを受けていた竹田悠太をかばったんでしょ?


一年生の誰もが、それを黙認している中で。


スゴいことだよ。本当に」





正直、今でも驚いている。




てっきり、気弱な泣き虫のままかと思っていたのに。




姉のあたしが知らないところで、




苦しんでいる人を、周囲に構わず、かばうような人間になっていたなんて。




改めて、感動と尊敬の眼差しを向けていると―――





「……スゴくなんか、ないよ」





深い井戸の中にいるかのような、暗い声。




あれ、想定外…。





「…松木こうめの、勘違いだと思うよ」




「えっ…そんなわけないよ。松木こうめから、しっかり聞いたんだから。


…同じクラスだけど、知らないとか?」





思っていた反応と、だいぶ違って、あたしの方が慌てる。




新学期が始まって早い段階で、不登校になったから、




もしかすると、クラスメートを全員は把握できていないのかも?




あたしなんて、毎日学校へ行っているのに、




クラスメートの半数以上は、顔と名前が一致していないんだから…。





「いや、知ってるよ」





進真が答えた。





「あの、二つ結びの子だろ。なんとなく覚えてる」




「そうそう。ああ、良かった!」





進真は、あたしほどの、ぼんやり陰キャじゃなかった。





「その松木こうめから、教えてもらったんだ。


うちのクラスに、松木こうめのお姉ちゃんがいてね。


お姉ちゃんの話に、あたしの名前が出て、


あたしとアンタが姉弟だって、姉妹で辿り着いたらしいの。


それで、アンタが理不尽なイジメに遭っていたってことを、


あたしに教えてくれたらしい」





松木さくら……急に思い出した。




桐島麗華と岡本杏奈の話によれば、彼女は中学時代にイジメを受けていた。




もしかすると、そういう過去を持っているからこそ、




進真の件を放置できなかったのかもしれない。





「…うん、知ってる」





進真は、少しぼんやりした様子で言った。





「母さんから、ちゃんと聞いたから」





あたしは、目を真っ赤にしているママを見た。





「そうだった。今日、どの辺まで、進真と話したの?」




「とりあえず、夢ちゃんがママに教えてくれたことを、ママから進くんに伝えたよ」





ママは答えた。





「進くんがイジメに遭っていたこと。


そのイジメの主犯は、中谷王我っていう問題児で、


進くんは、そいつにイジメられていた竹田悠太っていう子をかばって、


イジメのターゲットにされてしまった。


夢ちゃんは、それをクラスメートの女の子とその妹ちゃんから聞いて、


中谷王我の犯行の現場を、


証拠としておさめることは出来なかったけど、きちんと確認した」





ママ、ご名答です。





「このこと全部、進くんに伝えたよ」





ママは続けた。





「そしたら、進くん、


夢ちゃんが中谷王我に目をつけられたんじゃないかって。


すごく心配しだしちゃったの。


ママは分かってたけどね。大丈夫だって」





まあ、実際に大丈夫だったけど…一体、どこからの自信!?




でも、今は、ママにツッコんでいる段じゃないよね。




うん、分かってる。





「あとは…」





ママは言った。





「進くんから、ちゃんと話してもらったよ。


どんなことがあって、学校へ行けなくなったのか。


…聞いてるだけで辛くて、ママ、途中で取り乱しちゃったんだけど。


進くん、良かったら、この後、夢ちゃんにも話していいかな?」




「…!」





あたしは、少し驚いた。




だって…。




これまで、ママは、




息子を想いすぎるあまり、息子を苦しめるような質問は避けてきた。




けれど、今回こそは、きちんと向き合い、話をすると言っていた。




その言葉の通り、ママは進真と話をしたのだ。




それは、ここ数年、あたしたち家族が出来なかったこと。




もしも、ママが出来なかったなら、




あたしが進真の話を聞こうと思っていたけど…その必要はないらしい。




あたしたちは、一歩、前進したのだ…!





「……うん、いいよ」





進真は頷いた。




そして…





「でも、なんか眠くなってきた…。


母さん、ごちそうさま。もう寝てもいい?」





そう言って、辛そうに目をこすった。




本当に眠いようだ。




ママは、真っ赤な目で、そんな進真を見た。





「いいけど、進くん…全然、食べてないじゃない。これじゃ、体力もつかないよ」




「でも、食欲ないんだ」





確かに、進真の前にある皿は、全て空になっていない。




このままじゃ…





「もう、眠いんだ」





本当に、早かれ遅かれ、死ぬかもしれない。




あの有名な悲劇、「犬と少年」に登場する、主人公の少年のように…!




貧しい家で、祖父と犬と共に暮らしていた少年。




物語の途中で、祖父は死に、幼い少年独りでは生活が出来なくなってしまう。




しかし、村の人々は、少年に手を差し伸べるどころか、




ある事件の犯人を、その少年だとして、濡れ衣を着せ、




ただでさえ祖父を亡くして悲しみに暮れる少年を、さらに追い詰めることとなった。




ついに、少年は希望を失ってしまう。




孤独、悲しみ、飢え…その全てが、少年の生命を吹き消すことになった。




少年は、ある吹雪の夜、忽然と姿を消し、




愛犬と共に、教会の中で息絶えているところを発見される。




その寸前の、少年のセリフが、「なんだか、眠くなってきたよ」なのだ。




こうして何も進まないままでは、病んだ心が、さらに落ち込んでいき、




最終的には死を招くことになりかねない。




絶望は人を殺すのだ。




アナ・パンクだって、




目の前で姉が死んでしまったから、収容所を生き延びることが出来なかった。




完全に絶望してしまう前に、




少しでも、解決の方向へ、ことを運ぶことが出来たら…!





「進真、ちょっ…」





あたしが言いかけた、次の瞬間。





「分かった、進くん。


食欲がないなら、無理して食べなくていい。眠たいなら、寝ていいよ」





ママが言った。





「ただ、今から、ママは夢ちゃんと話すからね」





進真は、こくんと頷いた。





「分かった。おやすみ」




「明日は、なるべく、ちゃんと食べるのよ」




「はい。おやすみ」




「おやすみ」





進真が自分の部屋へと消えていった後、




あたしとママは、たくさん残っているポテトに視線を移した。




進真が大好きなポテトを残すなんて…緊急事態だ。





「…ハァ」





あたしも、マーボー豆腐を食べる気が失せてしまった。




すぐ隣で、あんなにダークネスなオーラが放たれていたら、




さすがのあたしでも食欲がなくなってしまう。





「…夢ちゃん、分かってあげてね」





ママが言った。





「進くんは、あたしたちの想像を絶するほど、辛い思いをしたんだから」





そう言ったママの表情も、辛そうだ。




胸の中が不安でいっぱいになる。





「――とりあえず、これからどうするのかは置いといて…。


進くんから聞いた話を、今から話すね」





ママの言葉に対して、あたしは大きく頷いた。





「うん、全部話して」





(※ここから、イジメの真相に入っていきます。一旦、進真目線になります)





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