(3)




副島による暴力事件の後、俺は保健室から職員室へと移動した。




まだ頭がクラクラしていたし、腹痛もあったけど、




少なくとも見て分かるような負傷はなかった。




小さい頃は、ちょっと転んだりしただけで大泣きして、





『もう、進くん。泣かないの』





よく夢ちゃんに注意されたりしていたけど…――もう、あの頃とは違う。




これくらい平気だ、何ともない、と自分に言い聞かせた。




そして、無駄に心配をかけたくないので、




母さんや夢ちゃんには黙っておこうと考えた。





『――おお、原口』





田代先生が、しかめっ面で声を掛けてきた。




俺が職員室に行ったわけは、この田代先生に呼ばれたからだった。





『先生、すみません。いろいろ大変なことになってしまって…』





俺が言うと、田代先生は首を振った。





『あれ以上、大事にならなくて良かったさ。机とイスが壊れなかったから安心だ』





…え。




と思ったのは、俺だけだろうか。




てっきり、先生は、俺たち生徒を心配しているのかと思っていた。




過保護に育てられた俺だから、そんなことを思ったのだろうか。





『そう…ですね。学級長として、情けないです』




『まったくだな。お前には、期待していたつもりだったのに』




『…え?』





驚いて見ると、目の前に無表情な顔があった。





『これで、一年二組は、暴力的な生徒の寄せ集まりだと認識された。


そして、この私は、ろくに教育も出来ない教師だと思われたんだ』





先生の言葉を聞いて、俺はすぐにフォローしようとした。





『そんなことないですよ…!俺たちは、先生を頼りにしてます。


それに、クラスのみんなが暴力的なわけでは…』





ところが、次の瞬間――





『うるさい…、偉そうな口を利くな!』





思わぬことに、怒鳴られてしまった。




俺は驚いて、何も言い返すことが出来なかった。





『…クラスをまとめるのは、お前の責任だと言っただろう?』





先生の口を、黙って見つめることしか出来なかった。





『お前は、学級長なんだからな』





…松木だって、俺と同じ学級長だ。




そう思わずにはいられなかったけど、すでに分かっていた……




俺と松木とでは、状況が違うのだということを。





『松木は、女子だ。お前は、男として、責任を持たなくちゃならん。


第一、女子は何も騒動を起こさない。だが、男はどうだ?


クラスメートの男のことは、お前が面倒を見るしかないだろう』





田代先生の中で、俺と松木は、同じ学級長といえども全く違う存在だった。




まずは、性別の問題…――松木は女で、俺は男だから。




前々から、田代先生は、俺たち男子生徒にだけ厳しいようなところがあった。




そのせいで、密かに「差別教師」だの「女好き」だのと言われていたのだけど……




俺と松木の扱いが違う理由は、他にもあった。




先生は、松木のことをお気に入りだったのだ。




いつも、松木のことだけを褒めて、俺にはあれこれ注意してくるので、




そんな予感はしていたけど……これで、ほぼ確信した。




田代先生は、俺に、期待していたのではなく、単に圧をかけていたのだ。





『…副島を、どうにかしろ。アイツは問題児だ、まるで手に負えない。


これ以上、騒ぎが起こらないよう、お前が面倒を見るんだ。分かったな?』





この時から、だろうか。




俺は、田代先生に対して、「リスペクト(敬意)」というものを失った。




それでも、担任に歯向かうことは出来ず…――




俺は、生徒指導室にいる副島を、度々見張りに行くことになった。




指導室を脱け出したりしないか、課題をきちんとやっているか、




確認するためということだった。




そうして、その良くない一日は過ぎ去り、




副島のいない教室には穏やかな風景が広がっていた。




けど、その平穏は完全なものではなかった。




副島陸斗の他に、もう一人、多少問題視されている生徒がいたのだ。




その名は――、竹田悠太。




いつも独りで静かに座っていて、正直、周囲に馴染めていない。




話しかけてみても、一言二言くらいしか返答してこないし、




まるで固く心を閉ざしているかのよう…




そんなクラスメートの姿が、俺は初めから気になっていた。




なぜなら…、中学の頃の自分自身と、どこか重なる部分があったから。




あの頃の俺は、もはや疑心暗鬼のような状態で、




同じ教室の中にいる生徒たちが自分の敵のように見えていた気がする。




それと同じような状況なのかは分からないけど、




学級長ということは抜きに、少しでも力になれるんじゃないかと思った。




それに、一人でも孤独感を抱くようなクラスにいるのは嫌だった。




孤独というものは、気持ちが孤立していることによって出来上がる。




そして、その理由は、




周囲からの理解が得られていなかったり、




仲間外れにされているなどと感じるせいだ。




そういうことは、結果、「イジメ」というものに繋がるのだと思う。




「イジメ」……もう、絶対に関わりたくなかった。




そこで、俺は、この自分と似たクラスメートに話しかける努力をした。




けど…




毎日話しているのに、一向に心を開いてくれる気配が見られなかった。





『竹田、おはよう』




『…お、おはよう』





いつも同じだった。




俺が声を掛けると、緊張感で固まったような肩がビクッと揺れる。




俺が笑いを取ろうとしても、その引きつったような表情は変わらない。




一体、どうすれば、彼と仲良くなれるんだろうか……




そう思っていた、ある日のこと。





『…あ…、あの。学級長』





初めて、あっちから声を掛けられた。




興奮した俺は、





『どうしたんだい、竹田!』





ちょっと気持ち悪いテンションで反応してしまった。




――あーあ、やらかした。




そう思っていると、





『ちょっと…言いたいことがあって』





意外にも、全く気にしていない様子。




それに安心しつつ、普通の顔をして――





『あ、いいよ。何だい?』





俺は言った。




すると、いきなり切り出された。





『学級長。もう…、俺には関わらないでほしいんだ』





しばらくの間、沈黙が流れた。




俺は、どう返事をすれば良いのか分からず、




ようやく短い言葉を発した。





『迷惑だったかな?』





すると、





『…周りを見てみたら、きっと分かるよ』





呆れているような、暗い声。





『俺は…、クラスの中で浮いてる。分かってるんだろ、学級長。


同情して近寄ってくるのだけは、やめてほしいんだ』




『ち、ちがっ…俺は――』





なんとか言葉を探して、返答しようとした瞬間。





『もういいよ、原口。そんな奴、ほっとけって』





数人のクラスメートたちが、俺の周りに集まってきた……




まるで、ボディーガードかのように。




けど…、それはこっちだけで、あっち側には誰もいなかった。





『なぁ、お前。気遣ってもらってる立場で、なに偉そうなこと言ってんだよ』




『…そ、そんなつもりは』




『お前に声掛ける奴なんて、原口しかいねぇだろ。恩を仇で返してんじゃねーよ』





誰かが、竹田悠太の胸を強く押した。




それによって、その体は、床へバタンと倒れた。





『おい、やめろよ…!』





俺は声を上げた。




コイツら、副島には何も出来ないのに…。




まさに、弱い者イジメだと、そう思った。





『何だよ、原口』




『お前、優しすぎんだよ。コイツが悪いんだから、いいんだって』





俺は首を振った。





『まだ、話し終わってないから。余計なことしないでほしい』




『は?余計なこと?何言ってんの、お前』




『お前をかばってやってるのにさ―』




『いい人ぶるなよ。マジでイラつく』





今度は、やはり俺への非難だった。




けど、この時は、傷つくとかではなく、頑なな気持ちの方が強かった。




――”俺は、いい人ぶってなんかいない”。



――”ただ、自分が正しいと思うことをしているだけだ”。




すると、そんな俺の側に、本当の味方が来てくれた。





『はいはい、もう終わったぁ!!』





小野翔弥と吉川礼司、佐藤光喜の三人だった。





『お前ら、それじゃ、副島と同類だぜ。いいのかよ?』





翔弥の言葉に、ボディーガードたちは唖然とした。





『あんな奴と一緒にすんなよ。俺たちは違う』




『当たり前だ。あんな野良犬と同類扱いされてたまるか』





一年二組において、最も不本意なことは、副島と一緒にされることのようだった。




想像通りの反応だ、とでも言うように、翔弥はニヤついた。





『だろ。じゃあ、やめろよな。気持ちは分かるけどさ』





すると、その横から、礼司が言った。





『また騒ぎなんか起こしたら、学級長の進真に負担がかかるんだよ。


そのことを考えてやらないと』





それを聞いて、教室中のみんなが、『あー』と頷いた。




クラスメートたちは、学級長である俺の立場を理解してくれていたのだ。




ボディーガードたちも、最終的には分かってくれた。




ただ、問題は……





『竹田!』





呼び止めようとしたけど、もう教室を出ていってしまった後だった。





『アイツ、いつも独りだよな。あれで楽しいのかね』





翔弥が言い、





『心の底から孤独が好きな人なんて、いないと思うよ』





礼司も溜め息交じりに言った。





『でも、心を開いてもらえないんじゃ、どうしようもない』





本当にそうだ。




きっと、孤独を幸せに思う人なんていない。




それなのに、独りで生きている人は……




もしかすると、何かから逃げている部分があるのかもしれない。




姉の夢ちゃんは、




他人からの心無い言葉や、自分の強い個性が突きつけられることを恐れて、




孤独でいることを選んでしまった。




竹田は、一体、何から逃げているんだろう?





『なんか…、怖がってそうだよね』





突然、光喜が口を開いた。





『多分、進真のことは嫌いとかじゃないと思うんだ。


でも、何か不安なこととか、恐れているようなことがあるから…


あんな風に言ったんだと思う』





不安なこと、恐れていること…――一体、どんなことなんだろうか。




モヤモヤした気持ちだった俺は、




気分転換に、三年生のフロアへと向かった。




普通科、三年八組―――夢ちゃんのクラスだ。




威圧感たっぷりの三年生たちが行き交う廊下に、




ただ一人、気弱そうな一年生が佇んでいる。




きっと、謎の光景だろうけど、




別に悪いことをしているわけでもないのだし、堂々としていよう。




そんなことを思いながら、三年八組の教室を眺めた。




すると……すぐに、夢ちゃんの姿を見つけた。




ポツンと独りで座っていて、机の上で何かを見ているようだ。




多分、いや、絶対、「アナの日記」を読んでいるんだろうな。




自称、”アナ・パンク依存症”の夢ちゃんは、




部屋の本棚にいくつも「アナの日記」をコレクションしている。




だから、もちろん、家でも読めるはずなんだけど…。





『……』





誰とも話さないで、一体、何をしているんだろう。




夢ちゃんが学校で孤独なのは知っていたけど、




実際に現場を目の当たりにすると、なんだか複雑だった。




――夢ちゃん!何してるんだよ!




そう言ってやろうと思ったけど、邪魔をするのも悪いし、なんだか気が引けた。




ということで、何もせず、引き返そうとした。




――けど。





『…しーんま!』




『うわっ!!』





いつの間にか、教室にいたはずの夢ちゃんが背後に来ていた。




おかげで、俺は変な大声を出してしまった。





『”うわっ”て、何よ。まったく、ビビりなんだから』





腕を組みながら、そう言う夢ちゃん。




俺は言い返した。





『そっちが急に近寄ってくるから。黙って帰ろうと思ったのに』




『なんで黙って帰るの。何か用があって来たんじゃないの?』




『ないよ、特には。


「アナの日記」を熱心に読んでそうだったから、


邪魔しないでおこうと思ったんだ』




『アンタも読む?』




『遠慮しておきます』




『まったくー、勉強しなきゃダメよ。


ていうか、学校で会うの初めてじゃない?もっとマメに会いに来てよね』




『あ。もしかして、寂しいの?』




『なわけ。独りには慣れてるもん』




『好ましくない慣れだね。なんか可愛くない』




『ブスで結構。で、新しい学校生活はどんな感じ?』




『ブスとは言ってないよ。学校は、まあまあかな』





この時、俺たち姉弟は、初めて学校の中で会った。




毎朝、俺の方が早く家を出ていたし、




学年も科も違うから、校舎の中では滅多に会うことがなかったのだ。




おまけに、下校のタイミングまでバラバラだったので、




本当に会う機会がなかったのだけど…――




夢ちゃんといつも通りに言い合っていたら、いくらか気分が軽くなった。




きっと、ほとんど気を使うことなく話せるからだろう。




俺は、これからはもう少し、夢ちゃんに会いに行くようにしようと思った。




そして、一年生のフロアに戻った俺は、




間もなく生徒指導室へと向かった。




すでに、生徒指導室へは何度か足を運んでいたので、




中の状態は大体予想がついていた。





『また、お前か』





俺が入った途端、中にいた男(副島陸斗)が舌打ちをした。




だけど、正直、もう慣れたも同然だった。





『課題、ちゃんとした?』




『するわけねーだろ。さっさと消えやがれ、この偽善者』




『ちゃんとしなかったら、ここでの時間が増え…』




『消えろっつってんだろ!俺は警察の息子なんだから、どうにでもなるんだよ!』





副島は相変わらず、敵意剥き出し状態だった。




それでも、担任の命令を受けた以上、見張りの業務を怠るわけにはいかない。




俺は度々、生徒指導室へと顔を出した。





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