(2)




それからすぐに、ある悪い話が流れだした。





『…なあ、知ってるか?一組のボスの話』




『ああ。相当、ヤバいよな』




『一組の奴ら、全員、ボスに服従してるらしい。


逆らったら、殺されるんだってよ』




『一組だけじゃない、三組も支配されてるって…。


間に挟まってるんだよ、二組は』




『一年まるごと、奴の…中谷王我の支配下にされるかもな』




『…中谷王我って、ヤンキー?』




『ヤンキーってもんじゃない。あれは…、半グレ』




『…半グレとは?』




『暴力団には属してない、凶暴な犯罪者のこと』




『…そこまでいく?』




『だって、暴言に暴力、パシリ、窃盗、恐喝、…この全てをやるんだよ』




『先生たち、知らないのかな…?』




『絶対知ってんだろ。特に、担任の清水とか』




『そういえば、中谷王我って…、


ちょこちょこ竹田くんと一緒にいるよね?』




『そうそう。どういう関係なんだか』




『唯一の友達なのかな?中谷王我なんかが』




『ほんと変わってるよねぇ、竹田くんって』





竹田が一緒にいた、あの人物の名は……、中谷王我といった。




中谷…――どこかで、聞いた覚えがあった。





『原口くん、ちょっと聞いて!』





考えていたところへ、松木が飛び込んできた。





『中谷王我って奴が、一組にいるでしょ。


そいつ、中谷美蝶っていう姉がいるらしくて。


お姉ちゃんから聞いたんだけど…すごくヤバい女なんだって』




『…ああ!』





どこで聞いたことがあったのか、思い出した。




そうだ、夢ちゃんが言っていたんだ――





『マジ、ムカつく!中谷美蝶め~!


あれは、アゲハではなく、ただの蛾だ!!』





中谷美蝶とは…、夢ちゃんが大嫌いな女だ。




なぜそんなに嫌いなのか、具体的な理由はよく知らない。




もしかすると、俺に気を使って、悩みを打ち明けなかったのかもしれない……




夢ちゃんが日ノ学に入ってから間もなく、俺は不登校になってしまったから。




だけど、それは、今は置いておこう。




問題の中谷王我が、夢ちゃんの大嫌いな中谷美蝶の弟だって?




そんな偶然って、あるのか…!





『でね、その中谷美蝶ってね!』





松木は、鬼気迫る表情で続けた。





『唯一の長所は顔が可愛いところで、それ以外はホントに…


マジで、とんでもない女なんだって。


喜怒哀楽が激しくて、感じが悪くて、男好きで、すぐ人をパシリにして…―』





で、弟はサディストというわけか。




…事実だとしたら、末恐ろしい。




だけど、松木がウソを言うような人間じゃないことは分かっている。




姉がそんなにヤバい奴なら、




弟の方もそれ相応の「ヤバい奴」だと覚悟しておかなければ。




そりゃあ、きょうだいでも多少の性格の差はあるだろう。




けど、同じ親の元に生まれ育った者同士なのだから、似ている点も多いと思うのだ。




そういうわけで、俺はかなりの警戒心を抱いた。




いや、もうすでに警戒はしていたけど…、




竹田と問題の彼(中谷王我)が友達だという可能性は、




さらに低くなったと思われた。




常識的に考えて、半グレとまでいわれる不良生徒が、竹田の友達なわけがない。




これって、ひょっとすると偏見というやつなんだろうか、




なんて思ったりもしたけど。




陸斗から聞いた話と、周囲で囁かれている悪評とを照らし合わせると、




もうほぼ確実だった。




――竹田悠太と中谷王我の関係には、裏がある。



――副島陸斗は、事実を隠している。




こうなったら…。





『ところで、原口くんのお姉ちゃんって……あれ?


ねえ、原口くん!』





松木の呼ぶ声も無視して、俺は教室を飛び出した。




廊下を走っていく俺の目には、周りのものが何も見えていなかった。




そして、着いた先は――、職員室だった。





『どうした、原口』





田代先生は、忙しいと言わんばかりの様子だった。




きっと、本当は、俺の話なんか聞きたくなかったのだろう。




だけど、担任以外、誰に言えばいいのか分からなかった。





『忙しいところ、すみません。…相談があって、来たんですけど』




『何だね?』




『えっと…その』





先生の無表情な顔を目の前にすると、なんだか上手く口が動かなかった。




そんな俺に、先生は苛立ったようだった。





『今、ちょうど忙しくしていたんだ。バタバタしていてね。


相談の内容が思いつかないようなら、また改めて聞こうじゃないか』





…俺は、何に萎縮しているんだろう。




松木と比べて、明らかに差別されているから?




自分が嫌われていると、感じているから?




そういうことをいちいち気にしてしまう自分を変えたくて、




学級長になったんじゃないか。





『いや…、すみません。今すぐ言いますから』




『ならば、聞こう。言いなさい』





学級長という立場の俺が、出来ることをしよう。




そう思って、言った。





『実は、最近、気になっていることがあって…


生徒同士の嫌がらせとか、イジメとか、そういうことなんですけど。


悩んでいる生徒が、きっといると思うので、


アンケートなどを作ってみたらどうかと考えているんです』





そう、俺が考えたこととは――




イジメやそれに繋がる行為に関するアンケートを作成し、




生徒たちに配布するというものだった。




アンケートの配布自体は、ほとんどの学校で実施されてきたけど、




ほぼ生徒たちを野放し状態の日ノ学では、未だ行われていないことだった。




陸斗や竹田のように、事実を打ち明けることを恐れているような状態でも、




紙に書くという形であれば、もしかすると――




人に直接話すよりも、紙に書く方が楽そうだし――という思いもあった。




…けど。





『…原口。もう一度、言ってくれないか』





田代先生は、聞こえなかったようだった。




俺は、仕方なく、もう一度…





『嫌がらせやイジメについてのアンケートを作りたいと思っています。


最近、そういう話を耳にすることがあって、


きっと悩んでいる生徒がいると思うんです。


自分なりに考えて、アンケートというものが思いついたんですけど……


先生、ぜひ手伝ってもらえませんか?』





すると。





『……イジメ?』





田代先生は、俺の目をじっと見た。




俺も、先生の目を見つめ返した。




そこには、困惑や焦りのようなものが浮かんでいるように見えた。





『現場を、見たのか?勝手な予想だけで言っているんじゃないだろうな』




『いいえ…、確信があって言っています。


それに、早めに動いて、損は無いんじゃないでしょうか。


もしも、それで、問題が早めに解決すれば、一番理想だと思っています』




『理想…。お前は本当に偉いな、原口』




『…生意気ですよね。すみません』





つい熱くなり、言い方が強くなってしまった。




頭を上げると、腕を組んでいる田代先生の姿が映った。





『お前の言っていることは、間違っていない。


だがな、口では偉そうなことを言って、実際には何も出来ないだろう?』




『……はい?』





思わず、聞き返してしまった。




田代先生の顔は、憎しみに満ちていた。





『副島のことも…、あれだけ言って任せたのに、何だあの有り様は。


課題もろくにやらないで、指導期間が延びただけでなく、


副島の父親からクレームまであったんだぞ。


それで、急遽、教室に戻してやることになったんだ』




『そんな…』





聞いて、驚いた。




俺は知らなかった。




父親からのクレームで、陸斗が教室に戻ってくることになったなんて…。




陸斗は、追い込みで課題をやり終えたのだと、そう言っていたのに。





『先生、すみません。俺、知らなくて…』




『お前は、何も分かっちゃいない。こんな役立たずは初めてだ。


私の足を引っ張りおって…!』




『本当にすみません。でも…―』




『お前の話は聞けん!イジメなんて、くだらない!!』




『えっ…!?』




『何だ、その顔は。さあ、早く教室に戻れ!


授業に遅れでもしたら、成績を下げてやるからな!』





田代先生に追い払われ、俺は教室に戻ることを余儀なくされた。




凄いショックだった。




先生から、「役立たず」と言われてしまった。




しかも、陸斗がウソをついたのだと分かった。




俺は、先生にも、陸斗にとっても、何一つ役に立ってなんかいなかったのだ。




そして…――





『イジメなんて、くだらない!!』





あんなことを、教師が言うなんて。




俺は、すっかり打ちのめされてしまった。




けど……。




教室に戻った瞬間、竹田悠太とすれ違った。




俺を目の前にして、ビクッと肩を揺らした彼は、




暗い表情を浮かべたまま通り過ぎていき……




制服の襟から覗くその首に濃いアザがあるのを、俺は見てしまった。





『…竹田!!』





咄嗟に、大声で呼んだ。




竹田は、またもやビクッとして、こちらを振り返った。




その顔は、引きつって、青ざめていた。





『……』





いざ決定的な状況になると、言葉が出てこなかった。




――そのアザ。一体、どうしたんだ?



――誰かに、やられたのか?




心の中の言葉を口にしようとした、その時。





『――悠太ク~ン』





背後から、聞き慣れない声がした。




と同時に、正面に立つ竹田の顔が、一瞬で凍りついたのが分かった。




その目は、俺の背後の方に向けられていて……




振り向いてみると、そこには。





『…!!』





長めの黒髪に、とろんとした二重の黒い目。




制服を着崩したその姿は、すらりと細長く…。




…――中谷王我だ!!!




思わず、絶叫する寸前だった。





『どこ行くんだよ?』





突然の登場に仰天している俺のことなど構わず、




思わぬタイミングで姿を現した当人は、俺の正面に立つ人物に向かって尋ねた。





『…トイレ』





尋ねられた人物―竹田は、静かに答えた。




けど、俺たちのいる廊下は(不自然に)静まりかえっていたので、




その声もハッキリと聞き取れた。





『……』





いつになく静かな廊下に、




竹田悠太と中谷王我に挟まれるようにして、俺がいた。




…いきなりの、板挟み状態。




動揺する俺を、ちらりと中谷王我の黒い目が捉えた。





『あれ。もしかして、話し中だったか?』





何を考えているのか、ニヤリと笑みを浮かべながら言ってきた。




焦った俺は、竹田の方に目を移した。




竹田の顔は青白く、




ついこの前、ニッコリ笑っていた時とは、まるで別人のようだった。




そして…。




――何だ?この空気。




かつて感じたことのある特殊な雰囲気に、俺の心は揺れ動いた。





『…いや』





竹田は、首を横に振った。




俺の頭の中では、中谷王我に対する疑問が飛び交っていた。




――お前と竹田悠太は、一体、どういう関係なんだ?



――お前が、竹田悠太に暴力を振るったのか?




けど、なぜか、その言葉は喉の奥で引っ掛かったままだった。




もう、確信していたのに…――




竹田が、中谷王我を恐れているということを。





『ふーん。じゃ、行くぞ』




『え?』




『便所まで、ついて行ってやるんだよ』




『…でも』




『いいじゃねぇか。俺ら、ダチだろ?』





目の前で、二人のやり取りを聞いた。




竹田は嫌がっているようだったけど、中谷王我はそんなのお構いなしだった。




親しげな様子で竹田の肩を抱くと、颯爽と歩き出す。





『…あっ、あの!』





ついに、声が出た。




歩いていた中谷王我は、ゆっくりと立ち止まり、竹田ごとこちらを振り返った。





『…なに?』





二重瞼のとろんとした目に反し、鋭い視線が、俺を突き刺した。




先入観からかもしれないけど、何となくアイツ(阿部奏志)を思い出した。





『消えろ、クソ野郎!汚ねぇ豚が、キモいんだよ!』





もう乗り越えたと思っていたのに…、中二の頃の記憶はまだ鮮明に残っていた。




フラッシュバックというやつだろうか。




何も言わず、ぼんやりと突っ立っていた俺に対し、





『お前、悠太と同じ二組の奴か?』





中谷王我が、いきなり話しかけてきた。




俺は、不安ながらも頷いた。





『名前は?』




『…原口進真』




『へぇ、よろしく。俺は中谷王我だ』





…いつの間にか、お互い自己紹介をしてしまっていた。




「よろしく」が、「夜露死苦」に聞こえたのは、気のせいだったろうか?




しかし、そのことを除けば、普通に感じが良いように思えた。





『悠太、コイツと仲いいの?紹介してくれよ』





中谷王我は、竹田を見下ろしながら言った。




…しょ、紹介??




固まる俺の方をチラッと見てから、竹田は懸命な様子で首を振った。





『べ、別に、仲がいいわけじゃ…』




『まあ、適当に紹介しろよ。どんな奴なんだ?』




『え、えっと……』





一旦、口ごもり、ビクビクしながら答えた。





『クラスの、学級長なんだ』





中谷王我の目が、再びこちらに向けられた。





『へぇ、学級長』





急に殴りでもしてくるんじゃないか、そう思えるような雰囲気だったけど、




結局、何もしてこなかった。





『学級長のシンマな、覚えとくよ。じゃあな』





そうして、竹田を連れて、また颯爽と歩き出した。




俺は、何も言えず、ただ二人の後ろ姿を見送った。




その時、急に、後ろから誰かが掴んできた。





『…テメー!』





大きな怒鳴り声と共に現れた、腫れぼったい目。




副島陸斗だった。




俺を無理やり教室の中に引きずり込むと、





『俺の警告を無視しやがって、何やってんだ!このクソ野郎!』





と、激しい罵声を浴びせてきた。




中谷王我との初対面で、頭がいっぱいだったものの、




俺は言い返すという手段を選んだ。





『離せよ!陸斗、お前だって、ウソをついたくせに!』





陸斗は、一瞬、動きを止めた。




俺の言おうとすることが思い当たったのか、




いつになく感情的な俺の様子に驚いたのか。




俺自身、これほど、人に対して怒りを露わにしたことはなかった。




おそらく、陸斗にウソをつかれたということへのショックと、




中谷王我を引き止められなかった自分への憤りからだったのだろう。





『ウソって、何のことだ』





俺はその問いに答えた。





『指導室から戻ってこられた理由のことだよ。


課題を追い込みでやったんだって、言ってたよな?


でも、本当は、父親からクレームがあったからだった…そうなんだろ?』





すると、陸斗は――





『…使えるコネは、使わなきゃもったいねぇだろ』





否定しようともせずに、開き直ってきた…!





『俺の親父は、俺のためなら何だってする男なんだよ。


それぐらい、俺に期待を寄せてんだ』




『それはそうと、なんでウソをついたんだ?


本当のことを言ってくれてたら、先生にもあんな風に…』





言いかけて、ハッとした。




――俺は、田代先生とのことも全て、




陸斗のウソのせいにしようとしているのかもしれない。




先生にあんな言い方をされて、ショックだったとはいえ、




人のせいにしても良いということにはならないだろう。




なんとか冷静になった俺は、落ち着いて話をしようと試みた。





『父親のコネで戻れることになったなんて、言う気になれなかったんだろ?


気持ちは分かるけど、ウソは言ってほしくなかった』




『うっせーよ、ボケ。いつまで優等生を演じる気だ?


あの老いぼれの担任にああだこうだ言われて、全部聞き入れてんだろ。


そんなんだから、テメーは…』




『竹田と中谷王我の関係についても、ウソを言ったんじゃないか?』




『…あぁ?』





教室の中も、とても静かだった。




クラスメートたちが沈黙して見守る中、俺たちは睨み合った。





『”ヤバい奴”って、中谷王我のことだったんだな。


今さっき、竹田と一緒に行ってしまったよ』




『見てたわ。お前が奴に自己紹介してるところもな』




『竹田の首にアザがあるの、知ってたか?』




『関わるなって言った意味が、分からねぇのか?』





話が通じ合っていないようだったので、俺は一度、溜め息を吐いた。




それから、また再開させた。





『関わるなって言われても…そんなの、無理に決まってるだろ。


竹田は縁あって同じクラスになった仲間だし、放置なんて出来ないよ』




『何が仲間だ、アニメの主人公気取りかよ。バカのナルシめ!』




『人を罵るより先に、本当のことを教えてくれないか。


竹田悠太と中谷王我は、仲良くなんかないんだろ。どうして、ウソを言ったんだ?』




『うっせー、クソが!』




『陸斗!!』




『仕方なかったんだよ!あんな奴、どうも出来ねぇだろ!』





陸斗の口から吐き出された言葉に、




一年二組のクラスメート全員が恐怖を覚えた。




”あんな奴”というのが、中谷王我を指していることは明らかだった。




クラス一の問題児という位置づけの副島陸斗ですら手に負えないなんて、




中谷王我とは一体どれほどの人物なのだろうか、




そう不安を抱かずにはいられなかったのである。





『俺は、知らねぇからな』





陸斗が言った。





『警告もしてやったし…、やれるだけのことはやった。


お前がどんな目に遭おうと、俺には関係ねぇんだからな。


覚悟しといた方がいいぞ…これが、最後の助言だ』





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