10・真相―弟―〈2部〉
(1)
『竹田とは、もう付き合わねぇ方がいいぞ』
副島の言っていたことを、信じたわけではなかった。
俺は元々、物事を自分の目で見てから判断するタイプだ。
つまり、事実なのか分からないウワサなどは信じてこなかったということ。
けど、一方で、いろいろなことに感情を振り回されるようなところがある。
この母さん譲りの気質は、なかなか直るものではない。
『竹田は、あるヤベぇ奴とつるんでんだよ。
だから、クラスの誰とも一緒にいねーし、あんなに浮いてんだ』
そんなわけない。
…けど。
もしも、それが、事実だとしたら…?
『…うーん』
頭と心が、不安でいっぱいだった。
副島の言う、”つるむ”とは、友達ということを指しているのだろうか?
友達……あの竹田が、そんな「ヤバい奴」と?
普通に考えて、有り得ないと思った。
けど、副島がウソを言ったとも思えなかった。
生徒指導室へ顔を出すようになってから、しばらく経ち……
俺たちの関係は、少しずつ良くなってきていた。
『うんうん、唸るな。クソ学級長』
『課題、しなよ。教室に戻りたいんだろ?』
『偉そうに命令すんな、俺は警察の息子だっつってんだろ!
しかも、戻りたいとは一言も言ってねぇ。
どいつもこいつも、俺を邪魔者扱いするからな』
『そんなことないよ。みんな、密かに待ってる』
『そんなことあるんだよ。俺は…、俺は嫌われてる』
『そんなことないって。大丈夫だよ』
俺たちのやり取りは、いくらか穏やかになっていた。
言葉を交わせば交わすほど、
副島は心の中に寂しさを抱えているのだと感じた。
おそらく、クラスメートに横柄な態度を取っていたのも、そのせいだろう。
…なんて、いつの間にか、理解を示すようにまでなっていた。
そんな俺に、副島は、
『原口。お前って、変な奴だな……気持ち悪りぃ』
『気持ち悪いは余計だよ。とにかく、ちゃんと戻ってこいよな』
それから、間もなく。
ついに、副島…いや、陸斗が、一年二組の教室へ帰ってきた。
クラスメートの大半は怯えていたけど、俺は素直に嬉しかった。
『……前は、悪かったな』
すぐに、誰もが気付いたはずだ。
――問題児の様子が、おかしい。
陸斗は、これまでの自分が行った暴力などについて、みんなに謝罪したのだ。
俺は何も言っていない。
本人の気持ちでしたことだった。
もちろん、クラスメートたちは、彼を許したし、再び仲間として受け入れた。
このクラスで良かったと、俺は思った。
こうして、一年二組は、
全ての生徒が揃った状態で、また新たなスタートを切ったのだった。
陸斗は、以前のように問題を起こすこともなく、すっかり真面目になりつつあった。
人は変われるのだと、俺は感動したものだ。
けど、何やら思い悩んでいるように見えることもあり、心配な時もあった。
とはいえ、陸斗のことだから、心配なんかされるとキレるに決まっている。
そう思って、下手に声を掛けたりはしなかった。
それに、一番の心配は他にあった……そう、竹田悠太のことだ。
さすがは、腰抜けの俺――
陸斗のしていた話が本当なのか確かめたい気持ちはあったものの、
やっぱり余計なお世話なんじゃないかという考えも浮かんで、
なかなか言い出せずにいた。
…――そんなある日のこと。
『…竹田?』
遅刻して来た彼の様子が、どこかおかしいのに気が付いた。
いつも竹田は、独特の悲しげな雰囲気を醸し出していたけど、
その日に関しては…いつにも増して、暗く悲しいオーラを放っていたのだ。
とうとう我慢が出来ず、俺は声を掛けてみた。
『急にごめん。でも、遅刻なんて珍しいよね?
何かあったら、いつでも言ってよ』
『……』
『竹田?…大丈夫?』
軽く腕に触れた瞬間、
『うわっ!や、やめろよ!』
初めて聞く大声を出したかと思うと、何かを隠すように縮こまってしまった。
…今のが、痛かったのか?
異常を感じた瞬間、背後にもう一人の遅刻者が現れた。
『陸斗』
『…おう』
竹田の席の前に立つ俺を見て、その目が見開かれた。
まるで、威嚇するかのような目だ。
次の瞬間、陸斗は低い声で言った。
『コイツ(竹田悠太)に近寄るんじゃねぇ。バカじゃねぇなら理解しろ』
『…どういうことだよ』
『まんまの意味だ。さっさとどきやがれ』
副島陸斗がまた何か騒動を起こすんじゃないか、
周囲のクラスメートがそう不安に思っているのが分かった。
けど、陸斗は俺に対して威嚇しただけで、それ以上は何もしなかった。
『二人揃って、遅刻なんて。一緒に来たのか?』
俺が尋ねると、
『なわけあるか。こんな奴』
陸斗は素早く答えた。
『そんな言い方、ないだろ?』
俺はカチンときて言った。
『竹田に謝れよ』
『あぁ?相変わらず偉そうだな、お前は』
『いいから、謝れって』
『黙れ、このトンマが』
『はいはい!お前ら、二人とも落ち着けよ』
睨み合う俺たちの間に、
小野翔弥と吉川礼司と佐藤光喜、松木こうめが割って入ってきた。
俺は沈んだ気持ちだった。
竹田悠太は未だに心を開いてくれないし、
副島陸斗とは結局こうして揉めてしまう…
二人の考えていることが、よく分からなかった。
『あたしは、まだ副島のことを信用してはない』
松木が言った。
『原口くんは、ヤツが変わったって信じてるみたいだけど…
人間って、そんな簡単に変わらないからね?
原口くんの優しさで、ちょっとは態度を改めたのかもしれないけど、
所詮はただの問題児。
アイツ、あたしのことクソアマって言ったんだよ。絶対、忘れてやらない!』
『やっぱり、まだ恨んでたんだね』
『そりゃあ、そうよ。女は根に持つ生き物なんだから』
『でもさ、本当に、陸斗が竹田をイジメてると思う?』
俺が確認すると、松木は探偵みたく顎の下に手を当てた。
『だって、普段は話しもしないのに、全く同じタイミングで遅刻してきたでしょ。
あんなにバッチリ重なることってある?ないない、絶対、黒よ。
原口くんに竹田くんと関わらないように言ったのは、
自分のしていることがバレないようにするため。そうとしか思えない』
『でも、陸斗は、竹田が「ヤバい奴」とつるんでるって…。
もしかすると、その「ヤバい奴」からイジメられてるのかもしれない』
『どっちにしろ、竹田くんはイジメを受けてるってわけね』
認めたくないような気持ちもあったけど、そういうことになった。
俺たち学級長の考えには異なる部分もあったけど、
一つ、竹田がイジメを受けているらしいということは合致した。
実は、少し前から、二人とも不安だった。
――もしかすると、竹田はイジメを受けているのかもしれない。
それは、俺が最も恐れていたこと。
けど、もしもそれが事実だとしたら、
自分がなぜ彼のことをやたら気にするのか理由は明確だった。
俺は、イジメを受けていた中学の頃の自分と、竹田の姿を重ねていたのだ。
とはいえ、まだ完全には納得できない状況だった。
『…陸斗に、直接、聞いてみるよ。多分、詳しいことを知ってるだろうから』
俺は言った。
陸斗自身がイジメに関わっているのかは分からないけど、
おそらく事実を知っているだろうからだ。
何しろ、
『奴はサディストだ』
例の「ヤバい奴」がどんな性質かということまで知っているのだから。
松木の言うように、イジメそのものに加担しているか、
もしくは黙認しているかの二択だろう。
陸斗のことを信じたい気持ちは山々だけど、
だからこそ本当のことを知らなければ、そう思った。
『でも』
やる気みなぎる俺に、松木が言った。
『また殴られるかもよ。いっそ、竹田くんに聞いちゃえば?』
『竹田は話してくれないと思う。それに、話したくないんじゃないかな』
…イジメは、経験しないと分からない。
心と体がもの凄く痛くて、死にたいほど辛いんだ。
だけど、それを誰かに打ち明けることには、大きな勇気が必要で……
もしかすると、竹田も、独りで抱え込んでしまっているのかもしれなかった。
『まずは、陸斗と話してみる。それから、また考えよう』
俺が言うと、松木は心配そうに頷いた。
『分かった。あたしが必要な時は、いつでも呼んでね』
頼りになる相方を持った、と改めて感じた。
けど、結局、俺は一人で突っ走っていくことになる。
そのせいで、あんなことになったのかもしれないけど、後悔はしていない。
もしも、あの時、あの場に、
女子がいたら……もっと最悪なことになっていただろうから。
松木を巻き込まなくて、本当に良かったと思う。
『――何だよ、話って』
今にも噛みついてきそうな様子で、陸斗が口を開いた。
俺は彼を廊下に呼び出し、話をすることにしたのだ。
俺から呼び出されること自体、陸斗としては不満のようだったけど。
『前に言ってただろ、竹田が「ヤバい奴」とつるんでるって。
その話、もうちょっと詳しく聞かせてくれないか?』
俺は単刀直入に言った。
『竹田は、その「ヤバい奴」と友達ってことか?
そもそも、「ヤバい奴」って、一体、誰のことをいってるんだ?』
俺たちの間に、緊張感があったせいだろうか。
そばを歩いていく周囲の生徒たちのことなど、全く気にならなかった。
陸斗は、面倒だというように頭を掻いた。
『…なんで、今さら。そんなこと聞いて、どうすんだよ』
『初めに聞いた時は、ビックリしたんだ。
でも、今、竹田に関して気になることがあって、
それを知るために改めて話を聞きたい。…正直に話してくれないか?』
『気になることって何だよ』
『それは…』
一瞬、言って良いものか、迷ったけど。
『竹田が、イジメを受けているのか』
こちらも、正直に言うことにした。
陸斗の方にも、きちんと本当のことを話してほしかったからだ。
『…イジメ、だと?』
陸斗は、とても低い声で呟いた。
かと思えば、顔を上げ、ギロッと俺の方を睨みつけてきた。
『勝手なこと言いやがって…、殴り殺されてぇのか?あぁ?』
『質問に答えてほしい』
『テメー、聞こえてんのか?』
『落ち着けよ。冷静に話し合おう』
とは言いつつも、俺も内心、全く落ち着いてなんかいなかった。
陸斗から事実を聞き出すというのは勇気のいることだったし、
もしもその口から悪い情報が出てきたら、どうしようという不安もあったのだ。
その不安は、感情的になった陸斗の様子から、さらに大きくなっていた。
『そんなにキレなくてもいいだろ?
何か知ってることがあるなら、話してほしいだけなんだ』
俺が言うと、陸斗は血走った目を見開いた。
『俺は、何も知らねぇよ。
ただ、竹田とは付き合わねぇ方がいいってアドバイスしただけだ。
俺は、お前の身の為に言ったんだよ』
『身の為?何がそんなに危険だっていうんだよ。竹田はごく普通の生徒なのに』
『だから、サドとつるんでるからっつっただろ。学級長のくせして、頭悪りぃな』
『そのサディストっていうのが、誰なのか聞いてるんだ。
あと、つるんでるっていうのが、友達という意味なのか。
頼むから答えてよ、陸斗』
『そんな風にキモく頼まれたって、何も言いやしねぇ…』
そこで一旦、言葉を止めると、陸斗は俺の目をじっと見てきた。
何かを探ろうとしているような、そんな感じだった。
俺はただ、こちらを凝視する赤みの強い目を見つめ返した。
『まずは、こっちの質問に答えろや』
急に、陸斗が言った。
『どういう考えで、竹田がイジメられてるなんてことを思いついたんだ?
あのクソウゼぇ女学級長に、吹き込まれでもしたのか。
アイツは俺を嫌ってるからな…どうせ、俺が全て悪いと思ってやがんだろ』
松木が陸斗を嫌っているというのは否定できないけど、
それにしても被害妄想が激しいんじゃないだろうか。
そんなことを思いながら、俺は自分なりの言葉を探して答えた。
『陸斗と竹田が同じタイミングで遅刻した時があっただろ…、
その時、俺が軽く腕を触っただけで過敏に反応したんだ、竹田が。
その様子を見て、もの凄く痛かったんだろうなって分かった。
もしかすると、腕にアザなんかがあるのかもしれない…
そう不安になったんだ。
俺の考え過ぎかもしれないんだけど』
俺はそのまま続けた。
『竹田って、なんだか、人間を怖がってるというか…
かなり挙動不審に見えるんだ。
陸斗も言ってた通り、クラスじゃ誰ともつるまないし…―
個人的に、ずっと心配してきたんだよ。
そんな時、陸斗から、あの話を聞いて……なんか、漠然と不安になったんだ』
陸斗は、考え込むように黙っていた。
――俺の見解は、正しいのだろうか?
この様子だと、事情を全て分かっているんじゃないか、そんな気がした。
『陸斗が悪いとか、陸斗のせいだとか、そんなこと思ってないよ。
ただ、竹田のことを俺よりも知ってるみたいだからさ。
竹田がつるんでるっていう「ヤバい奴」が、
誰で、どんな奴なのか、教えてほしいと思ったんだ』
『……』
陸斗は、黙ったまま、こちらに背を向けた。
そして、歩き出そうとした瞬間、
『おい、話は終わってないぞ!』
俺は、大声で呼び止めた。
さすがに異様だと思った。
『どうして、逃げるんだ?
俺が言ったこと、全部、当たってるのか?』
すると、陸斗は、俺の目の前まで迫ってきた。
『うっせーなぁ!お前に話すことなんて、ねーんだよ!』
一瞬、耳の鼓膜が破裂したかと思った。
けど、ここで後に引けない。
『俺はちゃんと話した。正直に言っただろ。
俺の質問にも答えてもらわなきゃ、話が合わないじゃないか!』
『うっせーっつってんだろ!この世は不公平で溢れてんだよ!』
『なに正論みたいなことでまとめてるんだよ!
そんなに話したがらないってことは、何かやましいことがあるんだな?
そう思われても、仕方ないよ』
『やましいことなんか…テメー、やっぱ俺を疑ってんだな?』
『いや、むしろ信じてる。だから、聞いてるんだよ。
竹田がイジメられてるって分かってて、それを黙認したりしてないよな?
陸斗、お前はそんなことしないだろ』
副島陸斗は、口が悪くて、多少粗暴だけど、勇気があるヤツ。
俺は勝手に、そう思っていた。
松木は、ヤツがイジメに加担しているなどと予想していたけど、
俺にはそう思えなかった。
そうだ…、俺は陸斗を信じていたんだ。
『……信じてる、だぁ?』
いつの間にか、陸斗の手が俺の襟元を掴んでいた。
周囲の生徒たちが、何事かという様子でこちらを見ている。
俺は、陸斗の赤っぽい目を見つめた。
陸斗は、俺を憎らしそうに睨みつけていたけど、
やがて力が抜けたように首を垂れた。
『…陸斗?大丈夫か?』
俺が声を掛けると、
陸斗は顔を上げ、掴んでいた手を離した。
そして、突然、
『竹田と、その「ヤベぇ奴」は仲良くやってるよ』
さらりと言ってきた。
『ほら、見ろよ。あんなに仲良さそうじゃねーか』
『…え?』
陸斗が示した方を振り返ってみると、
そこには、竹田と、もう一人の男が一緒に歩いている姿があった。
竹田は、隣にいるその男の方を見ながら、
ニコニコ笑っていて……
これまで見たことのない光景を前に、俺は驚きを隠せなかった。
『竹田の隣にいるのが、例の奴だ』
背後から、陸斗が言った。
『一組の奴なんだけど…、まあ、アイツのことはじきに分かるだろ。
お前が、これからも竹田の世話を焼く気ならな』
そして、いきなり、俺の尻を蹴ってきた。
『痛ッ!!』
『分かったら、さっさと教室に戻れ!この、バカが!』
何をそんなに慌てているのだろう。
そう思いながらも、
もうすぐ授業が始まるということもあり、そのまま教室に戻った。
『進真、大丈夫だったか?』
教室に入った瞬間、クラスメートたちが俺の周りに集まってきた。
『副島に詰め寄られてたな。何て言われたんだ?』
『副島に蹴られただろ。相変わらず凶暴だな、アイツ』
心配してくれているのはありがたいけど、正直、それほど嬉しくなかった。
翔弥や礼司以外、
陸斗に面と向かって文句を言える人物は一人もいないと分かっていたけど、
やっぱり本人のいないところで陰口を叩いたりするのは気分が悪かったし、
過ぎたことや終わったことを後から言われるのも嫌な気がした。
今思えば、
この時から、すでに周囲には傍観者がほとんどなのだと分かっていた。
『大丈夫だよ。ありがとう』
それだけ言うと、俺は自分の席に着いた。
そして、ぼんやりと考えた。
…結局、聞きたかったことを全ては答えてもらえなかった。
けど、例の「ヤバい奴」がどんな人物なのか、見ることは出来た。
遠目ではあったけど、大体の容姿は分かった――
制服をかなり着崩していて、少し長めの黒髪の、
俺に負けず劣らずの二重瞼を持った、あまり高校生らしくない男子高生。
あれが、サディストだなんて、想像がつかなかった。
しかも、竹田の表情を見た限り、彼はあの人物を好いているようだ。
竹田が楽しそうに笑っている姿を、俺は初めて見た。
頭が混乱した。
――全て、俺の勘違いだったのだろうか?
イジメなんか初めから存在せず、
竹田とあの人物は紛れもない友達だったのか…。
だけど、陸斗は何かを隠しているように見えた。
――イジメは、存在するのか。
――竹田とあの人物は、どういう関係なのか。
――陸斗は、何を隠しているのか。
これらの疑問が分かるのに、さほど時間はかからなかった。
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