(7)




『何日か前、お母さんがこの高校に来たでしょう?』





ドクン。





『進真くんが、中谷王我からイジメを受けたって。


そして、それを、わたしたち教師が悪化させたって。


そういう話だったそうね』





ドクン、ドクン…。





『お母さんは、結局、何がしたかったのかな。


王我を退学に追いやりたかったか、田代先生やわたしをクビにさせたかったか。


でも、校長がどんな話を勧めても頷かなかったそうね。


わたしもいろいろ考えてはみたんだけど、さっぱり分からなかった』





清水先生は、笑っていた。




あたしは…自分の見ているものが本当だとは、信じられなかった。




いや、信じたくなかった。




ママが何をしたかったのか、なんて…。




そんなこと、どうしてアンタに言われなきゃいけないの?




というか、よく言えたもんだ。




相当頭がおかしいだろうとは思っていたけど、




想像以上のアタオカ(※頭おかしいの略)だった。




進真たちは当初、この女を良い先生だと思っていたようだけど……




あたしにはどう勘違いしてもそうは思えない。




恐らく、あたしには良く思われなくても良いと思っているのだろう。




もしかすると、あたしが女だからかもしれない。




だって、進真の話でも、




保健室の森山先生(女)だけが清水先生の本性を怪しんでいたらしいし。




男に接する時の態度と、女に接する時の態度が、




だいぶ違うのかもしれない…と見た。




あたしは女である上、問題の原口進真の姉でもあるから……





『一体、何を知ってるの?…正直に言いなさい』





こんな態度を取られたんだろう。





『お母さんが、話し合いの時、


イジメの件を”この学校にいる娘も知ってる”とか言ってたって聞いた。


どうやって知ったの?お母さんに何を話したの?』





…あの話し合いの内容について、何もかも知っているようだ。




あの場にいた教師たちの誰かから、全て聞いたのだろう。




で、あの話し合いによって自分の身も危うかったからか、




こうしてあたしを脅そうとしている。




冷静に分析するあたしだったけど、清水先生から詰め寄られている最中だった。





『”娘”って、誰のことだろうと思ってた』





清水先生は、あたしのすぐ耳元で言った。





『見つけたら、話を聞き出そうと思ってね。


ほら、知ってることを言いなさいよ、早く』





清水先生の目には、狂気が浮かんでいるように見えた。




自分の立場が崩されるところだったから、あたしたちを恨んでいるのだろうか。




圧が凄くて、あたしは一瞬、このまま沈黙を貫こうかと思った。




けれど、何か言ってやりたいという気持ちがあった。




進真は、この先生に裏切られて、どれほどショックだっただろう……




そう思うと、居ても立ってもいられなかった。





『…全部、知ってます』





あたしの発言に、清水先生の表情が変わった。




心臓がバクバク鳴るのを感じつつ、あたしは続けた。





『中谷王我が、あたしの弟にどんなことをしたか。


清水先生が、なぜ弟たちより中谷王我を優先したのかも。


全て知ってるんです』




『……言ってみなさい。きっと単なる勘違いだろうけど』




『勘違いじゃありません。先生と中谷王我は…』





イラッとして、言いかけたけど。




口に出すのもおぞましくて、途中で止めてしまった。




あー、気持ち悪い!





『先生と中谷王我が、何?』





清水先生は、さらに詰め寄ってきた。





『もしや、何も知らないくせに、嘘をついたの?』




『いいえ!』





あたしは首を横に振り回した。




よく考えると、この状況って相当ヤバいよね??




あたし、初めて話した先生から嘘つき呼ばわりされてるんですけど…!





『何を知ってるのか分からないけど――』





清水先生は、溜め息を吐きながら言った。





『変なこと暴露したりしたら、許さないからね。


王我は良い生徒だから、彼を貶めるような真似は絶対しないで…いい?』





愕然とするあたしに、清水先生はさらに言った。





『さあ、約束して――王我の人生を狂わせるようなことはしないって。


まあ、校長も教頭もあなたのお母さんの言い分を受け入れなかったから、


これ以上はどうもならないと思うけど』





……あ?




まず、ツッコんでもよろしいでしょうか?




「暴露したりしたら」って、テメェ負い目があるってことじゃねーか!!




「王我は良い生徒だから」って、百パーの嘘つくんじゃねー!!




そう言うことで、禁断の恋愛関係を誤魔化そうとしてるだけだろ!!




「王我の人生を狂わせる」だと!!??




中谷王我は、あたしの弟の人生を狂わせたんだよ!!!!!





『……』





はらわたが煮えくり返った。




怒りが大きすぎて、手足が震えだしているのを感じた。




…するもんか。




約束なんか、してたまるか!!




そう誓った、その時だった。





『あのー。お取り込み中、すみません』





清水先生の背後から、声がした。




聞き覚えがあるような無いような、女子の声。




直後、その声の主の姿が、清水先生の向こう側から現れた。




…あ。




と、見た瞬間、思った。





『やっぱりー!』





クルクルの茶髪の、少しギャルっぽさのある女子生徒。




彼女は、あたしを指差して叫んだ。





『わたしのワッフルを盗んだ女、アンタでしょ!!』





その隣から、ぬっと、すらりとした男が現れた。





『ヒナ、この女で間違いないんだな?』




『うん!赤メガネ、一つ結び、低身長、間違いない!』





クルクル茶髪女の言葉の後、男がこちらに近づいてきた。




清水先生のことが見えていないのか、お構いなしにこちらへ手を伸ばしてくる。




あたしの肩を掴もうとしたようだったけど、





『……』





その手がピタッと止められた。




あたしは男の顔をじっと見上げていたのだけど、




その怒りに満ちたような表情が崩れていくのが分かった。




険しかったのが、だんだんと困ったようになっていき…




ついに男は口を開いた。





『…大丈夫か?顔色がだいぶ悪いように見えるけど』





どうやら、あたしは壮絶な表情を浮かべていたらしかった。




実際、心の中も、ショックと怒りとでグチャグチャに掻き乱されていた。




”ワッフル”と聞いて、大体のことは理解できたけど……




全くそれどころではなかった。




この憎らしい女教師を、一体どうするべきか?




そのことで、頭がいっぱいだった。





『スグル!さっさとその女を捕まえてよ!』





クルクル茶髪女が言い、





『分かってる。でも…』





男はためらいがちに答えた。




そうしている間に、清水先生はあたしから距離を取りはじめた。




他の生徒がいる前では、あたしを責められなかったからだろう。




正直、一瞬、安心しはした。




しかし…、一連の出来事を思い出すと、怒りを抑えられなかった。





『――スグル、ヒナ!!』





頭に血が上っているあたしの耳にも、突然飛んできたその声は入ってきた。




けれど、冷静さを失っていたので、その声が誰のものかなんて気にも留めなかった。




その場を去ろうとする清水先生の後ろ姿を睨みながら、




あたしは言葉にならない叫び声を上げた。





『あ゛――――!!!』





叫ぶくらいしなければ、気が済まなかった。




今ここで、「清水先生と中谷王我、交際中ー!」と暴露すべき?




おぞましいなんて言ってないで、事実を言うべきなんじゃないの?




でも、清水先生には味方がたくさんいそうだけど、あたしにはいないから……




結局、真偽がどうかの時点で負けてしまうんじゃ?




絶対、この学校は、イジメ関連のことは捻じ伏せるに決まってるんだから!




ぐるぐるぐるぐる、目が回りそうだった。





『……』





周りの状況に気が付いた時には、もう遅かった。




クルクル茶髪女と男、そしてピンク色の髪をした男が、




手前の方でこちらを凝視していた。




あたしは驚いて、後ずさった勢いで壁にぶつかった。




…か、金城亜輝!




なぜ、そんなところに……てか、いつの間に?




結論から言うと、




さきほど「スグル!ヒナ!」と言って突然現れたのが金城亜輝だった。




けど、あたしはもういろいろとパニック状態で、全く状況が理解できなかった。




廊下中が騒がしくなっていて、同じクラスの生徒たちをはじめ、




多くの三年生たちがこちらの様子を見に来ていた。




あたしの叫び声は特別科(三年九組)の方にも届いたらしく、




高橋敬悟と新木純成、その他もろもろの生徒たちまでもが廊下に出てきていた。




しまいには、どこからか岩倉先生まで登場し、




あたしに向かって声を掛けてくる始末。





『原口、大丈夫か!?』





あたしは、わけも分からず、清水先生の方を見た。




あたしの様子に驚いたのか、階段近くの場所に立ってこちらを眺めていた。




岩倉先生が、そんな清水先生に尋ねた。





『清水先生!何かありました?』





すると、清水先生は、驚いたような表情で首を横に振った。





『いいえ。なんだか具合が悪そうで、心配で見てました』





…演技がお上手だこと。




違った意味で感心していると、清水先生は踵を返した。




かと思えば、振り返り、こんなことを言い残していった。





『原口さん、くれぐれも気を付けて。お大事にね』





どっと疲れが襲ってきて、壁にもたれかかったまま座り込んだ。




岩倉先生が、そんなあたしを支えてくれた。





『原口、大丈夫か?歩けるか?』





手足に力が入らない。




もう一生、この場所から立ち上がれないんじゃないか……そんな気がした。





『えっ!いちごワッフル事件の犯人と、噂の女が同一人物!?』





クルクル茶髪女の大声が、ぼんやりと聞こえた。




さらに、その後、金城亜輝の声も聞こえてきた。





『そうそう。


俺らはあの女と絶縁したからさ、お前らもあんま関わらない方がいいんじゃね?


ワッフルなんて頑張れば買えるだろ、


でもあの女との間に問題起こしたら頑張ってもどうもならねーんだよ』





…好き放題言ってくれるねぇ、金城くん。




憎たらしいピンク髪を睨んでいるうち、あたしはハッとした。




そういえば、このクルクル茶髪女とすらり男……




揃って美男美女と評される、ナガシマ兄妹じゃないか?




兄妹共に特別科で、高橋敬悟と高橋来登に続く著名な兄妹であるから、




このあたしでも気付かざるを得なかった。




同じ特別科ということは、イコール、イケヤンの仲間。




金城亜輝はきっと、恨めしい原口夢果と大切な仲間たちを関わらせたくないのだ。




原口夢果と関わると、仲間が汚れるとでも思っているのかな??





『いやー…ここ数日、ずっと兄妹で調査してたんだけどさ。


まさか、ヒナのワッフルを奪った犯人が、


敬悟と来登との噂で騒がれている原口夢果だったとは、気が付かなかったよ』





ナガシマ兄が言い、金城亜輝はうんざりした様子で頷いた。





『そうそう、そうなの。兄妹揃って同じことを繰り返すなよ』





すると、次はナガシマ妹が言った。





『いやー、ホント、まさかのまさかだよ!


あんな頭おかしい女と噂されるとか、敬悟と来登どうしちゃったんだろ?


あの女、わたしが買おうとしたワッフルを強引に奪って、


”あたしには身の危険が”とか言って去ってったんだから。


ナガシマスグルの妹に向かって、ヤバいよ、あの態度は』





あの時は、知らなかった……




いちごワッフルを取り合った相手が、特別科の妹とも言うべき人物だったなんて。




中谷美蝶から下された命令を遂行することに精いっぱいで、




かなり強引で無礼な行動を取ってしまった。




ああ…なぜ、よりにもよって!




イケヤンと関わってしまったことで、




他の特別科の生徒たちとも関わらねばならない運命に切り替わったのか?




もう、嫌だ。




思わず頭を抱えた瞬間、また金城亜輝の声が聞こえた。





『ヒナの言う通り、あの女はクレイジーなんだ。


だからさ、どうしようもない相手だと諦めて、


許してやった方が得策なんじゃねぇかなー?』





クレイジー…。




確かに、今のあたしは、本来のあたしじゃないみたい。




いろいろなことが、一気にありすぎたせいだ。




でも、まだ、これじゃ終わらない気がする。




あたしはきっと、このまま奈落の底に落っこちていくんだ…。





『……そうだな』





そう答えたのは、ナガシマ兄だった。




優しげな様子で、妹の肩に手を置く。





『ヒナ。いちごワッフルは、俺が買ってやるから…


広い心を持って、許してあげるんだ』




『…う――ん』




『きっと、あの女は疲れが溜まってるんだよ。


だからお前にもひどい態度を取ったんだろう、理解しておやり』




『……分かったよー。許せばいいんでしょ』





あたしは、両手で顔を覆い隠している状態で、




彼らの様子をしっかりと見ることは出来なかった。




けれど、ナガシマ妹が、こちらを指差している姿は見た。





『もう二度と、わたしのワッフルを横取りしないでよ!


また同じことやられたら、次こそ復讐してやるから!!』





何も言えなかったけど、心の中では謝った。




もう二度と、いちごワッフルなんか手にしません。




どうか、許してください…。





『…原口』





立ち上がれないあたしを支えてしゃがんでいた岩倉先生が、




いきなり立ち上がった。




一体、何をする気かと思えば……





『敬悟!


そんな風に陰から見ている暇があったら、こっちを手伝ったらどうなんだ?』





はい、また何か言い出しました――!





『原口が立てないんだよ!紳士なら、迷わず手を貸すはずだけどな!』





まったく、何を言っているのやら。




さすがは勘違い大将のトラブルメーカー、余計なことしか言ってくれない。




つくづく教師にはウンザリだ!




そんなことを考えていると――





『断る』





九組の教室のドアのところに立っていた高橋敬悟が、きっぱりと答えた。




完全に、切り捨てたような言い方だった。




しかし、それ以外は何も言うことなく、黒いカーテンの奥へと消えていった。





『……』





未だかつてないほど、沈み込んだ気分だった。




恐らく、ジイの死を悲しんでいた、あの頃の次くらいに。




ぼんやりとした意識の中、岩倉先生の声だけが聞こえた。





『原口。保健室に連れて行くから、つかまれ』





そして、自分がこう答えたことだけは確かだ。





『いえ…、教室に戻ります』





先生たちの力など、借りたくもなかった。




岩倉先生の手を振りほどくようにして、あたしは教室へと戻っていった。




その後は、周囲の視線から逃避したいがために、心を無にするよう努めた。




普通の精神状態だと、とても耐えられそうになかったから…。




帰りのホームルームが終了すると、真っ先に教室を脱け出た。




靴箱でローファーを履き、ちょうど三年八組の真下にあたる周辺を探し回った。




間もなく、二つの塊が見つかった。




ボロボロで、もう到底使えそうにない上靴。




あたしは、それを、カバンの中に詰め込んだ。




そして、自転車を取り、逃げるように校門を出て行った。





『……』





向かった先は、家ではなかった。




一心不乱に自転車を漕ぎ、辿り着いたのは……近くの川だった。




いろいろなゴミが浮かび、濁って底が全く見えないその川に、




不安と恐怖を覚えた。




もしも、あたしが、この川に身を投げたとしたら…どのくらいで死ぬんだろう?




そんなことが、頭をよぎったけれど。




あたしの目的は、自殺なんかじゃなかった。




カバンの中に詰め込んだ、グチャグチャの上靴を取り出すと……




あたしはそれを、川の中に落とした。




バシャン、と音がした。




けれど、グチャグチャの塊は、水上に浮かび上がってきた。




暗い底に沈むことなく…、水面に浮かんでいた。




それを確認すると、あたしは自転車に乗り、その場を後にした。





『……』





上靴を川に捨てるなんて、きっとどうかしている。




けれど、魔女たちの手で汚された上靴なんか、




もう使えない上靴なんか、要らなかった。




普通じゃないことをしてみたいという気分で、川に捨てることにした。





『……あ』





家に向かって走り続けていると、あるものが目に入ってきた。




それは…




火曜日、帰り道に初めて見かけた、あのオシャレな建物だった。




相変わらず、オレンジ色の明るい雰囲気で。




前とは違い、今度は掲げられている看板が見えた。




――【願いを叶える叶子の店】。




”願いを叶える”?




もしや、占い系か?




大体、いつからここにあったかも不明だし…。




怪しい、と思った。




けど、得体の知れない魅力のようなものが、そのお店には漂っていた。




少なくとも、あたしにとっては――。





『行ってくる』





金曜日の朝、いつも通りに家を出た。




結局、あのお店には入らなかった。




雰囲気に引っ張られるところだったけど、なんとか理性でしのいだのだ。




…さーて、今日は何があるだろう?




自転車に乗ろうとした瞬間、急な立ちくらみに襲われた。




一瞬、世界が逆さまになったかと思った(意味不明)。




そんなこんなで高校に辿り着くと、さっそく嫌な知らせが入ってきた。




とうとう、応援団員の集会が開かれるというのだ。




ちなみに、うちのクラスは「白組」に決まった。




あたしは、魔女たちと松木さくらと共に、白組の集会へ行かねばならなかった。




これぞ、地獄というものだ。




応援団員になったこと自体、不本意な上…




自分をイジメてくる奴らと一緒に行動しなきゃいけないなんて。




こんなことって、ある!?




ただでさえ、悲嘆に暮れていたというのに…――





『それじゃあ…副組長は、原口さんね』





こんなことにまでなってしまうなんて、この世の終わりだ――!!!





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る