(4)
数日後、朝のホームルームで。
『急だが、今から多目的ホールへ行くことになっている。
学級長の指示に従って、ちゃんと行くように』
田代先生の言葉を聞いて、クラスメートたちが少しザワつきはじめた。
先生がドンと机を叩いても、おさまる気配はない。
それを見兼ねた松木こうめが、
『多目的ホールで、何があるんですか?』
と質問した。
…すると。
『この学年で起きている問題について、先生たちから話があるんだよ』
それだけ答えると、田代先生は教壇から離れた。
その手がドアにかけられた瞬間、睨まれたような気がして、
嫌な気分が胸中に広がる感覚がした。
けど、実のところ、田代先生と接する時はいつもそうだった。
先生がいなくなった後の教室では、生徒たちのさまざまな声が飛び交った。
『問題って、何のこと?』
『何かあったっけ?』
『…もしや、あのことか』
『怒られんのかなぁ、だりー』
まさかと思い、俺は友人たちの方を見た。
翔弥も礼司も光喜も不安げな顔をしていて、
その様子から見て俺と同じことを考えているようだった。
――まさか、俺たちが言ったことを集会で?
いやいや、と自分に言い聞かせた。
清水先生は俺たちのプライバシーを守ると言ってくれたのだし、
そんな大胆なことをするはずがない。
…だけど。
ここ数日の流れからしても、
この学年で起きている問題といえば、”中谷王我問題”しか考えられなかった。
実はこの数日間、周囲から聞こえてくる話が急展開していたのだ。
『竹田くんって、中谷王我と友達じゃなかったみたい』
『え、なんで?』
『見ちゃったんだよね。竹田くんが、中谷王我にお金渡してるところ。
たぶん脅されたんじゃないかな』
『あ、わたしも見た。竹田くん、殴られてたよ』
『お前らも見たの?俺が見た時は、蹴られて暴言吐かれてたぜ』
『完全に、イジメじゃん』
『中谷王我の目、マジでイッてた。ガチでヤベェよ、アイツ』
『でもあんた、助けなかったんでしょ?』
『助けるかよ。竹田とは友達じゃねーし、第一、中谷王我って怖いじゃん』
『それなー!』
『うわ、最悪~』
そう…。
クラスメートの何人かが、
竹田悠太が中谷王我にイジメられている現場を見たというのだ。
予想はしていたけど、実際にそうとなると信じられない思いだった。
イジメを目の当たりにしたという話題で盛り上がっている生徒たちを、
俺や松木、翔弥や礼司や光喜など多くは呆気にとられて眺めていた。
――そんな風に話し合うよりも、もっと出来ることがあるんじゃないのか?
そう苛立つ一方で、
やっぱり先生に相談しておいて良かったと、そっと胸を撫で下ろした自分がいた。
イジメの存在が明らかになった今、俺たちの行動が正しかったのだと証明されたし、
きっと先生たちも動きやすくなっただろう。
だけど、やっぱり悲しい気分は拭い去ることが出来なかった……
これまで、竹田が辛く苦しいイジメに耐えていたのだと分かったから。
『つーか、なんでイジメなんてあるんだろうな?』
ある一人の発言が、俺の耳に入ってきた。
竹田がいないのを良いことに、好き放題の話し合いが再開した。
『俺も経験したことないから分かんねーよ』
『実際、そうだよね。漫画や小説の世界での話でしょって感じ』
『酷くなる前に、”嫌だ”って言えばいいのにねぇ』
『ていうか、イジメられる側にも原因があるでしょ』
『よく知らねーけど、竹田ってなんか…
暗いっていうか、イジメられそうなオーラだもんなぁ』
パン、と誰かが手を叩いた。
『いい加減にしなよ、あんたたち』
松木こうめだった。
俺と同様に、ブチッときたらしい。
いや、俺の様子を見て、止めようとしてくれたのだ。
『…進真、大丈夫?』
光喜の手が、肩の上に乗った。
ふと見上げると、友人たちが俺を囲んで心配そうな表情を浮かべていた。
そこで俺は、やっと自分の異変に気が付いた。
身体中に大量の汗が滲んでいて、息苦しい…。
イジメという言葉を聞いただけで胸糞悪くなる俺のことだから、
おそらく拒絶反応の一種だったのだろう。
高校に入学してきて初めて、このクラスから出たいと思った。
『…ちょっと、出てくるよ』
フラフラと立ち上がった瞬間、
竹田の席ともう一つ、空いている席が目に入った。
…副島陸斗の席だ。
二人がいないタイミングは、ほとんどいつも一緒だった。
イジメを受けているクラスメートと、学年で知らない者がいない不良、
そして、事実を話そうとしない問題児…。
彼らのことを考えただけで、クタクタに疲れてしまった。
早く、一刻も早く、この問題が解決できたらいいのに…――
そう思っていた矢先のことだった。
『大丈夫だと思うけどな。話すとしても、チラッと触れるくらいだろうし』
礼司が思ったよりも楽観的な様子で言ったので、
俺と翔弥と光喜は少しだけ安心できた。
――一体、多目的ホールで何が話されるのだろう?
――どういう言い方をされるのだろう?
不安を抱きながらも、俺は松木と二人でクラスの列の先頭に立った。
すると、松木が、
これから多目的ホールに行かされるのは超特進科と特進科だけらしいと言った。
『やっぱり、中谷王我のことを話されるのかな?』
松木の言葉を聞いて、俺は不安を抑えきれず言った。
『実は俺…、清水先生に相談したんだ。中谷王我のこと』
『えっ!?』
『ごめんよ、勝手に行動して。でも、どうしようもなくて…』
『いや、別にいいけど…あたしも一緒に相談行きたかった!』
『えっ!?』
『でも、まあ…清水先生に言ったんなら、きっと間違いないよ。
あの先生、美人で賢いって評判だしね』
『そうかな?』
いつも何かしら文句をつける松木ですらこう言うんだから、やっぱり大丈夫だろう。
そう思えてきていると、松木が言ってくれた。
『原口くんって、ホント正義感強いね。あたしでも敵わないわー。
正義はいつでも勝つんだから、前向きにいこう!ねっ!』
正義感が強いというか、ただ単にイジメ恐怖症なだけなんだけど…。
そう思いつつ、俺は松木に向かって微笑みかけた。
すると、急に、松木はプイッとあっちを向いてしまった。
いきなりの無視に傷つきながら、俺はクラスを率いて進みだした。
そして、着いた、多目的ホール。
松木の言った通り、集められたのは一組、二組、三組だけだった。
集まった生徒たちの前方には、田代先生、清水先生、
そして、三組の担任である
市川先生は、品の良さそうな見た目の男性教師で、
『はい、みんな、ちゃんと並んで座ってねー』
と、いつも通り穏やかな調子で声を掛けていた。
ウワサによれば、三組は中谷王我の支配下になったらしいけど…
見たところ、そのような気配は感じられなかった。
三組の方でも男女一名ずつの学級長がいて、先頭でクラスの列を整えていた。
その横に、俺たち二組も並んで腰を下ろした。
さらに、その横には一組が座っており、
一瞬だけ中谷王我らしき人物の姿が見えた気がした。
俺は少しドキドキしながら、先生たちの話が始められるのを待った。
まだ周囲はザワザワしていたけど、市川先生が話しだした。
『今、こうして、一組と二組と三組だけを集めて話をしている理由が分かるかな?』
まずは、生徒たちに向けて問いかけた。
けど、ほとんどの生徒たちは知らん顔だった。
市川先生は微笑み、話を進めていった。
『この日ノ出学園高校において、
君たち超特進科と特進科の生徒たちは頼みの綱状態だ。
看護科は別物として、普通科や特別科はすぐに何か問題を起こしかねないからね。
この高校の未来は、君たちに懸かっているわけだ。
しかし、そんな君たちの中で、ある問題が起きてしまったんだよ』
いつの間にか、辺りが静かになっていた。
俺は心の中で、ブツブツと呟いていた。
普通科を悪く言っておきながら、
結局、超特進科と特進科で問題が起きたんじゃないか。
夢ちゃんが聞いたら、ブーブー言うだろうな。
すると、次の瞬間、市川先生の口から驚くべきことが発された。
『少し前、とある生徒たちから相談があった。
君たちの中に有名な問題児がいて、そいつがイジメを行っているとね!』
心臓を撃ち抜かれたような衝撃が、胸の中に走った。
それは、まさに恐れていた事態だった。
市川先生は続けた。
『イジメ…許されない行為だ。先生たちは絶対に許さない。
イジメを行ったと見られる生徒には個人的に指導して、
現段階では様子を見ているが…これでおさまるとは限らない。
何かイジメに繋がるような言動を見聞きしたら、すぐに相談すること。いいね?』
市川先生のいつになく感情的な口ぶりに、生徒たちは無言で聞き入っていた。
俺は呆然としていた。
俺たちの訴えたことが、こんな風に表で言われることになるなんて…!
こんなの、話に無かったじゃないか。
その思いを込めて、じっと清水先生の方を見つめた。
俺たちは清水先生にしか相談していないのだから、
清水先生が市川先生に俺たちのことを言ったとしか考えられない。
俺たちは、そんな大事にしたくなかったのに…。
後ろで、翔弥や礼司や光喜も衝撃を受けていることだろう。
そう心では思いながらも、体が固まって動かず…、
清水先生から目を離せなかった。
俺の強い視線を感じたのか、清水先生が一瞬、こちらを見た。
けど、気まずそうな表情を浮かべて、すぐに目を背けてしまった。
すると、横から田代先生が視界に入ってきた。
”まったく、余計なことをしてくれたもんだな”。
田代先生の目は、そう言っていた。
…―結果、多目的ホールで話されたのは、
想像通り中谷王我を巡るイジメ問題だったということだ。
おまけに俺と友人たちが相談したことまで言われ、
超特進科と特進科の間では「誰が相談したりしたのか」ということが話題になった。
有名な問題児というのが誰なのかは、
今では一年生全員が知っていたので、わざわざ聞き出す者もいなかった。
相談なんかして、イジメの問題を大きくしたのは誰なのか…
それを生徒たちは知りたがった。
もしもバレたら、中谷王我がタダじゃおかないだろうな。
誰もが、そう囁いていた。
『なんか、大事になっちゃったね…』
そう言った光喜も、翔弥も礼司も、俺も、みんな青ざめていた。
クラスの中で、俺たちだけが孤立したような気分だった。
そのうち、礼司が言いだした。
『今から、清水先生に事情を聞きに行こう。
どうして、あんな風に集会で言うことになったのか…』
確かに、聞きに行くのが一番早いだろう。
俺と翔弥と光喜は、礼司の後について行こうとした。
…けど。
『原口。来るんだ』
大事なところで田代先生に呼び出されてしまい、
不本意ながら、翔弥と礼司と光喜だけが清水先生に事情を聞きに行くことになった。
三人は俺を待とうとしてくれたのだけど、田代先生がそれを許さなかった。
田代先生は、俺を廊下へ連れて行った。
第一声は、こうだった。
『お前だな?清水先生に相談なんかしたのは』
友人たちのことを言う気にはならず、俺は正直に頷いた。
ウソを言うと、かえって面倒なことになると両親から教わったからだ。
けど、どちらにしろ、責められることは分かっていた。
『なぜだ?なぜ、担任の私ではなく清水先生に相談した?』
思わず、気が抜けそうになった。
この人は、担任としてのプライドを俺に傷つけられたと思っているのか?
『答えろ!私に恥をかかせおって…!』
とうとう、俺は我慢できなくなった。
これまで、先生(目上の人)には反抗してはいけないと思っていたけど…
そろそろ限界だった。
『…話を聞いてくれなかったのは、先生の方じゃないですか』
俺は言った。
『それどころか、”イジメなんてくだらない”と…そう言いましたよね?』
すると、もの凄い力で襟元を掴まれた。
すぐ目の前に、田代先生の顔が迫ってきた。
一瞬、唾を吐きかけてやろうかと思った。
『…くだらない、くだらない、くだらない』
田代先生は呟くように言った。
まるで、壊れた機械のようだった。
『全部、お前のウソだ。このウソつきめ。
お前なんか、消えればいい。消えてしまえ…!』
俺は何も言い返さなかった。
そうすること自体、無駄だと感じたから。
ただ、心の中で言っていた。
――あんたがもう少しでも話を聞いてくれていたら、
清水先生に相談することも、そして、こうなることもなかったのに。
――最低だよ、あんたは。
だんだんと、心が蝕まれていっている気がした。
いろいろなことに疲れも感じ始めていた。
それをなんとか振り払おうとしながら、教室で一人待っていると――
友人たちが戻ってきた。
その姿は、俺以上に疲れ切っているようで……
どうしたのかと尋ねると、三人は口々に答えた。
『あの先生、頭おかしいよ…話にならなかった!』
『あんな奴に相談するなんて、大間違いだったんだ!』
『取り返しがつかないことになったかもしれない!』
もはや三人ともパニック状態で、どういうことか分からなかった。
少しして改めて聞いてみると、三人は信じられない話を語りだした。
三人は職員室まで行って清水先生を呼び出し、事情を聞こうとしたという。
すると、清水先生は…
『ごめんね、思ってたように上手くいかなくて』
『王我に自分なりに言ってみたんだけど…めっちゃ怒っちゃって。
ついつい恐怖に負けて言っちゃったんだ、あなたたちのこと。
でも大丈夫、あなたたちは何も悪くないって言ってるから』
『王我と話してるところを、市川先生に見られちゃって。
それで、ある程度のことを話したら、
”超特進科と特進科だけの集会を開こう”ってことになって…』
『いろいろとごめんね、ホントに!
でも、集会であなたたちの名前は出さなかったし、許してくれる?』
…次々と、頭のおかしい発言をしたらしい。
俺はしばらく、口が利けなかった。
友人たちも、改めて驚愕している様子だった。
――市川先生に話して、
集会が開かれることになっただけでなく、
中谷王我に俺たちのことを言っただって!?
驚きすぎて、三人とも”責めることも出来なかった”と白状した。
しばらくの間、俺たち四人は衝撃から抜け出せなかった。
『……ウソだろ』
やがて押し寄せてきたのは、絶望だった。
中谷王我はもう、俺たちのことを知っているというわけだ。
こう言っちゃなんだけど、”ろくな教師がいない”と思った。
教師を信用したのが間違いだったのだ。
だけど、教師以外、生徒たちは何を信じれば良いのだろう?
途方に暮れた。
何か良い方法はないかと考えを巡らせ、悩んだ日々が馬鹿らしく思えた。
全部、無駄だったのだ…。
と、その時。
『チクショー…こうなったら、受けて立つしかねぇな!
おい、お前ら、元気出せ!』
そう言って、翔弥が立ち上がった。
『中谷王我なんか、ぶっ殺…』
言いかけた彼を、俺と礼司と光喜が押さえつけた。
今や、中谷王我という名前自体、大きな声では言えない。
まるで、それが呪いの言葉ででもあるかのように、翔弥を黙らせた。
けれども、俺たち四人は約束した。
中谷王我から襲撃されたとしても、四人で戦うのだと。
最悪の状況で、さらに最悪なことを覚悟したのだった。
そして、実際に、それはすぐにやって来た。
その日の放課後のことだ。
『…学級長』
突然、声を掛けられ、振り向くと……
そこには、竹田悠太がいた。
…さっそく、始まったか。
目の前の酷くやつれた顔を見つめながら、そう思った。
『今から…時間ある?』
竹田が言った。
『会いたがってる人がいるんだ』
なるほど、竹田を使っての召集か。
どこか麻痺したような気分で、俺は三人の友人を見た。
三人は頷いた。
『俺らも一緒に行っていいか?』
竹田は一瞬、ためらうような表情を浮かべたと思うと、こくりと頷いた。
竹田の顔は、以前よりも暗く、表情を失ったようだった。
『…大丈夫?』
心配で尋ねてみたけど、聞こえなかったのか、無反応だった。
俺たち四人は、そんな竹田の後ろをついて行った。
逃げるという手もあったし、この時こそ先生に言うべきだったのかもしれない。
けど、もう教師に対して信用を失っていたし、
ここまで来て逃げるわけにはいかないと全員が思っていた。
四人で立ち向かえば、何とかなるかもしれない。
心のどこかで、そう期待してもいた。
竹田が向かった先は、もう使われていないはずの武道場だった。
立ち入り禁止とされているその場所に、竹田はするりと入っていった。
俺たちも、戸惑いながら足を踏み入れた。
武道場の中は想像していたよりも広く、まだ使えそうな雰囲気だった。
と、竹田が入口の扉をバタンと閉めた。
そして、誰かに向かって声を掛けた。
『連れて来たよ』
奥の方から、数人の人物が姿を現した。
全て、見たことのある顔だった。
特にその中の一人は、顔見知り程度では済まない人物…
『陸斗』
思わず、呼んでしまった。
かなり予想は出来ていたのだけど、実際に見るとショックだった。
陸斗は、俺たちの方を睨むように見た。
そうやって見つめ合っていると、遅れてもう一人、現れた。
俺も翔弥も礼司も光喜も、息を呑んだ。
『――お待たせして、悪りぃな』
中谷王我が目の前にやって来て、俺たちの顔を覗き込むように見た。
俺と目が合った瞬間、その口元に笑みが浮かんだ。
『…また会ったな。進真』
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