(5)
『殴れって言ってんの!』
魔女一号が怒鳴り、松木さくらの肩がビクッと跳ねた。
…いや、やっぱ勘違いかな?
好きな友達に対して、こんな風に怒鳴れるもん?
友達なんてしばらくいないから、分かんないや。
『…証明一つも出来ないなら、友達解消しかないわね』
魔女一号が、本物の魔女の如く言った。
いや、やはり、これはマトモな友人関係ではない。
そう確信したところで、魔女一号が続きを言いだした。
『言ったわよね。麗華と杏奈がいなくなったら、さくらは…
前の、イジメられていた頃に逆戻りだって。
それでもいいの?
嫌なんだったら、原口さんを殴ればいいのよ』
…コイツ、悪魔だ。
松木さくらは、顔面蒼白になっていた。
今すぐにでも倒れそうなほど…具合が悪そうに見えた。
こんな状況で、イジメられていた過去(トラウマ)を持ち出されて……
PTSDを起こしているんじゃないだろうか。
イジメによって受けた傷は、きっと一生消えることはない。
進真と同じように、松木さくらも…限界なんじゃないだろうか。
自分の中にあった、正義感のようなものが、ザワザワと揺れ動く…。
その時だった。
『もう…、やめてっ!!』
松木さくらが、悲鳴にも似た声で叫んだ。
かと思えば、勢いよく踵を返し、自分の席へと猛ダッシュ。
その後は…
泣いているのか、机に突っ伏したきり顔を上げようともしなかった。
『……』
言わんこっちゃない。
やはり、彼女も限界だったのだ。
きっと、あたしの知らないところで、
もっとたくさんのひどい言葉を浴びせられてきたことだろう。
同情心が生まれるのと同時に、ハッと気が付いた。
…松木さくらは、結局、あたしを殴らなかった。
パニックの中だったけど、魔女一号の脅しを無視したということだ。
『……何なのよ』
魔女一号は、あからさまに悔しそうだった。
サングラスのせいで、おちゃらけて見えるけど。
『ムカつく…。死ねばいいのに』
魔女一号は、プルプルと震えた。
その隣で、魔女二号が言った。
『麗華、もういいんじゃない。あんなの友達っていえないよ。
原口さんとまとめて、イジメてやったらいいじゃん』
…さらに上の悪魔がいた。
魔女一号は、残酷な相方の方に顔を向けた。
『…本気で言ってるの?てか、イジメなんかしてないったら!』
『あ、そうだったね。でも、さくらのことムカつくんでしょ?』
無自覚なイジメっ子と、確信犯のイジメっ子…どっちも無理です。
本当に、どうしようもない女たち。
ザワザワしていた気持ちが、だんだん怒りへと変わっていった。
松木さくらにイラつくことは多々あったけど、
それでもイジメられていた過去をあんな風に言うなんて、友達としてどうなんだ。
一応、形だけでも友達なら、もう少しそれらしくしたらどうなの。
人を傷つけて、人の傷口を
あたしは、進真みたいに忍耐強くない。
イコール、黙ってイジメられ続けるなんて有り得ない。
も――、許せない!!
ボン、と怒りスイッチが作動しはじめた。
『あたしの上靴をどこかにやったの、アンタたちでしょ?』
突然入ってきたあたしに驚いたのか、魔女たちは同時にバッと顔を向けてきた。
もう何も言えないようにしてやる、なんて言ってたけど……
あたしはそう簡単に黙るほど、おとなしくもないんだよ!
小中学生の頃は、相手の言葉に腹が立っても、傷ついても、
ほとんど何も言い返さなかった。
けれど、あの頃と今とでは、状況がだいぶ違うと思うのだ。
今、あたしは、完全に悪のターゲットにされているわけで――
こうなると、黙っているだけというわけにはいかない。
進真を陥れたイジメに、あたしまで押し潰されるわけにはいかないんだ。
『だったら?』
互いに顔を見合わせて、魔女二号の方が言ってきた。
『迷惑な存在のあんたに、上靴なんか必要?
独りだけ靴下で、汚いから、あっちに行ってよ』
魔女二号は、愉快そうに笑みさえ浮かべた。
本当に性格が悪い、悪すぎる。
こんなのと関わっていたら、自分まで悪くなってしまう気がした。
…いや、もう、なっていたよね。
あたしはもう半分ほど、ヤケクソな気分だった。
『汚いのは、アンタたちの方でしょ』
あたしが言うと、
『はぁ?』
と、魔女たち。
何か言われるより先に、言ってやった。
『今現在、人をイジメている上に、
イジメられていた過去を持つ友達のトラウマを利用して脅すとか…。
アンタたちには、嫉妬心以外の心が無いんだろうね。
謝りなさいよ、松木さくらに!』
これは、その時のあたしの本心だった。
が、魔女たちは、あたしがそんなことを言うとは想像もしていなかったらしい。
その証拠に、二人とも目をパチクリさせていた。
『…バッカじゃないの!?』
急に魔女一号が大声を出し、
おまけにあたしの(靴下の)足を思い切り踏みつけてきた。
『…ッ!!』
突然の激痛に、声が出なかった。
驚きと痛みを同時に受けるのは、衝撃的で……
魔女一号は、動揺したあたしが面白かったらしい。
あたしの足を踏みつけたまま、さらにグリグリと捻るような動きをしてきた。
『原口さん、あなたって哀れね。
さくらはあなたの友達でもないのに、
自分のことをそっちのけで怒ってあげるなんて…。
感動するわ、馬鹿すぎて』
痛みと怒りに耐えられなくなったあたしは、
『やめてよっ!!』
魔女一号を突き放し…、咄嗟にサングラスを奪ってやった。
その瞬間、魔女一号の隠されていた目が露わになり……
あたしは一瞬、驚いた。
なぜかというと、魔女一号の目は、想像よりも酷く腫れていたからだった。
前日に泣いたせいとはいっても、異常な腫れ具合に見えた。
この目、もしや…。
と、その時だ。
『やっぱり、整形してたんだ』
教室のやや後方で、誰かが言った。
…整形。
その禁句ワードを口にした人物は、中谷美蝶だった。
『……』
シ―――ン。
教室中の誰もが、空気を読んで黙ってしまった。
『…なっ』
魔女一号の動揺した声が響いた。
『何言ってるの?…頭、おかしいんじゃない?』
すると、中谷美蝶は立ち上がった。
まるでモデルか何かのような足取りで、こちらに近づいてくる。
…おいおい、どうしたよ?
お前だけは来んなって!
二人の魔女とサイコパスビッチに囲まれることほど、
恐ろしいものはないんだから!!
あたしの心の叫びなど知りもせず、
恐るべきサイコパスビッチ――中谷美蝶は目の前までやって来た。
そして、魔女一号の顔を、これでもかというほど覗き込む。
『な、何!そんなに見ないでよ!』
魔女一号は叫び、手で自分の顔を覆い隠した。
中谷美蝶の口元に、フッと笑みが浮かんだ。
『なんでそんなに隠すの?
何か負い目があるのか、自分の顔によっぽどコンプレックスでもあるのかなぁ。
まあ、そりゃそうだよね、整形してるんだから』
魔女一号は、とうとう何も言わなくなった。
しかし、中谷美蝶は、それでも言い続けた。
『二重線が、違和感あるなーって思ってたんだよね~。
そんなに腫れてるってことは、今どき珍しい失敗なんじゃなーい?』
『……』
『何も言い返してこないのは、全て事実だから?
まあ、多分、ある程度の女子たちは分かってたと思うけどー。
ね、原口さん!』
『…え?』
ちょ、またいきなり…!
何も言えず固まっているあたしに、中谷美蝶は言った。
『原口さんも、この女が整形してるって分かってたんじゃない?
…あ、でも原口さん、美容とか興味なさそうだもんね。
やっぱり分からないか』
ただディスりたかっただけかい。
ひとまず、どっか行ってください。
出来れば、目の前から消えてください。
『原口さんのこと、ブスとか散々言ってるけど……
整形してる自分はどうなの?
それと、あんた(魔女二号)も…何その前髪、幼稚園児?』
中谷美蝶は、笑いながら言った。
『整形女(桐島麗華)に、幼稚園児(岡本杏奈)に、気弱なデブ(松木さくら)。
地味で冴えない原口さんのこと、言える立場じゃないんじゃないの?
それと、あたしのこともね――
桐島麗華と岡本杏奈、去年からあんたたち、
あたしが整形してるとかいろんな噂流してたでしょ。
もっとちゃんと鏡見てから、行動したら?』
…シ――――ン。
魔女たちも、松木さくらも、あたしも、
クラス中の全員が絶句している状態だった。
…さすがはラスボス、皆を凍りつかせるのがお得意のようで。
一瞬、あたしのことをかばったのかとも思ったけど、
やはりそれはただの”ついで”だったらしい。
魔女たちの奴…
中谷美蝶が整形してるとか、そんな噂を流していたのか。
前々から、敵視しているのは分かっていたけど……
怒らせる相手を、完全に間違ったね。
中谷美蝶は、魔女一号に向かって、憐れむように言った。
『ということで、あんたは偽物だけど、あたしは本物だから。
偽物が、本物に、つべこべ言うなって話。
分かった?整形女』
あたしの位置から見ても、魔女一号の口がガタガタ震えているのが分かった。
”ざまぁ”と思わなかったと言ったら嘘になるけど、
そこまで言わなくても…とは思ったよね。
魔女一号は、本当に、整形してるっぽいけど……
だからって、こんなところでこんな風に言わなくても、ね?
『陰で悪口とか文句言う奴が、一番ムカつくんだー』
そう言いながら、中谷美蝶は何事もなかったように戻っていった。
『みんな、あたしをクソビッチとか言ってさ。
なに、何が悪いわけ?
ただのモテない女の
あたしは、散々女子たちに嫌われて、ちゃんと代償だって払ってんだろうが』
…中谷さん、本音だだ
怖いので、声と口調変えるの、やめてもらっていいですか。
これだけ空気を悪くしといて、普通に座れるところが凄いと思う。
そんなだから、相手にできないと思って諦めてしまうんだ。
本当は、正々堂々と、弟たちの問題を話し合いたいのに…。
『……麗華』
魔女二号が口を開いた。
『本当なの?…嘘だよね?』
『……るさい』
『なに?』
『うるさい!って言ってんの!!』
魔女一号の罵声が、教室中に響き渡った。
『してたら、何なのよ!?あんたまで麗華を責め込む気?』
『そ、そんなんじゃないけど…』
『何よ!?』
『…杏奈、何も知らなかった。
それに、杏奈まで、あのクソ女(中谷美蝶)からディスられて…』
『……は?それが何だって言うのよ、一番恥かいたのは麗華よ!』
魔女同士の言い争い…、なんて醜いんだろう。
心の中で溜め息を吐いていると、魔女一号の目がこちらに向けられて……
『この、デブメガネ!!』
悪口を言われた上に、勢いよく足のスネを蹴られてしまった。
ちょ…、そこは!
あの伝説の大男(誰)でも泣いたといわれる、最大の弱点!!
痛みのあまり、しゃがみ込んで、涙を堪えることしか出来なかった。
どうして、あたしがこんな目に…?
魔女一号の整形問題を暴露したのは、あのサイコパスビッチなのに!
『痛くて、声も出ない?』
頭上から、魔女一号の声が降ってきた。
『もっと痛めつけてあげる。――杏奈、やって』
今度は、魔女二号が、あたしのスネ目掛けて足を出してきた。
言い争いをしていても、あたしは攻撃すべき共通の敵ってわけだ。
あたしにとっても、この二人は……許せない存在。
許しちゃいけないし、屈するわけにもいかない。
あたしは、負けないんだ!
『やってみたらいい』
と、あたしは言ってやった。
そして、制服のポケットから、靴箱に入れられていたメモ紙を取り出す。
[消え失せろ、クソ地味根暗メガネデブス!!]
怒りと悔しさを込めて、床に投げ捨てた。
『あたし、消え失せたりしないから』
そう言い残し、自分の席へ戻った途端、
一時間目担当の教師がやって来た。
授業中、あたしは自分の手元と黒板だけに集中していたのだけど、
ところどころから視線は感じた。
魔女たちからは憎しみを感じたし、松木さくらの方からは…
何というか、「凄いなぁ」と思っていそうな気配を感じた。
そりゃあ、気を使いっぱなしの彼女から見れば、あたしはとんだ問題児だろう。
でも、やられてばっかなんて、堪らないじゃない!
本当は、進真の件があって、毎日学校へ行く自信も無くなっているのに…
あんな大口を叩いてしまった。
けれど、後悔しても、もう遅かった。
高校生にして整形を施している魔女一号と、
高校生にして幼稚園児の前髪をした魔女二号は、
余計にあたしへの攻撃を強めた。
教室の窓から、あたしの教科書やノートを放り投げたり。
あたしの机の上に、飲み物をかけたり。
あたしの昼食のピザパンを奪って、ゴミ箱に捨てたり。
このようなことが全て、同じ水曜日に行われたのだ。
まあ、あたしだって、魔女一号のサングラスをへし折ってやったけれど。
バキッと、サングラスが真っ二つになった瞬間、
魔女一号が絶望的な悲鳴を上げたのは、非常に面白かった。
ゲラゲラポーと笑うあたしに向かって、魔女たちが言った。
『自分の状況、分かってる!?この悪魔!!』
あたしは、こう返した。
『魔女たちにだけは、言われたくないねぇ!』
言われっぱなしなのは、やられっぱなしなのは、嫌だった。
だから、喧嘩する勢いで、言い返してやることにした。
…多分、あたしは、
イジメを受けはじめてから、日増しに強くなっていた。
相手側が自分を痛めつけようとするなら、自分も相手を痛めつけてやる。
世の中は、弱肉強食だ――
進真のような優しい人間は、最終的に悪から食い尽くされてしまう。
やられたら、やり返す…目には目を、歯には歯を。
それくらいでないと、この厳しい世の中を渡り歩いてはいけないのだ。
そして、今、あたしは、
卒業を目前にした状況で、それを学ばされているのだろう。
三年八組の生徒たちも、クラス一の地味子の豹変ぶりに気が付いたようだった。
『…原口さん、壊れたんじゃね?』
誰かがそう言ったのが、あたしの耳にも入ってきた。
(※次は特別エピソードです。このエピソードは、再び来登目線となっています)
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