オープニング

~きっかけ~




小学四年生の頃、





あたしの心は、ある人物に奪われた。





なぜ、そんなに魅了されてしまったのか、自分でもよく分からない。





けれど、あの時から確かに、あたしはその人物に夢中になった。





その人物の名は―――アナ・パンク。





世界的ベストセラー「アナの日記」の筆者として知られる人物だ。





彼女が戦争中に書いた日記は、戦後に出版され、世界中の人々の胸を打った。





今でも、「アナの日記」は、多くの人々に感動を与え続けている。





しかし、その光景を、アナ本人が自分の目で見ることはなかった。





アナ自身は、戦争中、若くして強制収容所で亡くなってしまったからだ。





アナは日記の中で、





「死んでしまっても、生き続けたい」という言葉を残している。





その想いは、





戦後、日記が出版されたことで、





ある意味では叶ったといえるのかもしれない。





しかし、アナの命自体は、七十年以上前に消えてなくなってしまった。





あたしは、どんなに願っても、アナには会えないのだ。





そんな切ない事実を知りながらも、





あたしの中のアナに対する愛は燃え続けてきた。





薄まることを知らず、どんどんそれは濃くなっていった。





しかし、そんな頃、あたしは心に打撃を与えられる出来事に遭遇した。






『アナ・パンクの何が、そんなにスゴイの?



ただ日記を書いただけじゃん。



それって、偉人っていうのかな』






ある時、とある同級生に言われた言葉。





その言葉は、まるで、あたしの胸を突き刺す刃物のようだった。






『そんなこと学ぶくらいだったら、もっと他のことをした方がいいと思うよ。



だって、もう死んだ人のことなんだよ?



知っても意味ないじゃん、そんなの』






本当は怒鳴り散らしてやりたいとこだったけど、





アナが望んだ「平和」のためにも、極力争いは避けたかったあたしは、





どんなに刃物が食い込んできても、震えながら耐えた。





いや、おそらく、もう抵抗する気力もなかったのだろう。





よく知りもしない相手から、大好きな人をけなされ、打ちひしがれていたのだと思う。





実際、その瞬間から、





あたしはもう、他人の誰かにアナ・パンクの話をするのはやめた。





元から、アナの写真(白黒)を見せるたびに、





「怖い」とか「お化けみたい」とか言われて、胸が痛むのを感じていた。





無駄に傷つくくらいだったら、もういっそ話さなければいい。





見せなければいい。





あたしがアナを好きだってことを、知られなければいい。





そう思ったのだった。





アイドルでもいいし、対象は何でもいいのだけど、何か大好きなものがあるとして、





それを酷く言われたりすれば、きっと誰でも傷つくものだろう。





少なくとも、あたしは、もの凄く傷ついた。





あの時、本当であれば、





冗談として受け取って、笑い飛ばすべきだったのかもしれないけど、





あたしにはそう出来なかった。





人間にはそれぞれ性格があって、ひとりひとり物事の受け取り方も違う。





みんながそれを理解していけば、きっと傷つく人も減るんだろうけど…





意外と、それに気が付けない人は多い。





そういうことを考えると、だんだん嫌になってきて、





人と接するのが億劫おっくうになっていった。





そんな中、さらなる打撃が、あたしを襲った。






『えっ、こういう音楽が好きなのー?



怖いんだけど。



しかも、うるさいし!』






大好きな人の次は、大好きな音楽。





父の影響で、あたしは幼い頃から、メタル音楽と共に育ってきたようなものだった。





それで、いろいろなメタル系バンドの曲を聞く中で、





特に「サハラ」というバンドの曲を気に入ったのだけど――





聞かせてみたところ、みんながあたしを笑った。





その笑いは、あたしを「変わった人」として、





その集団から除け者にしているようなものだった。





人と違うことは、こんなにも息苦しいものなのか。





それを思い知った瞬間だった。





そして、それから間もなく、決定的な出来事が起きた。





ある授業中のことだった。





当時友人だった人物が、あたしに向かって言った。






『なんで、こんなに出来ないの~?



ほんと頭悪いよね。ていうか、絶対サボってるでしょ。



努力しないから、こうなんだよ』






あたしは、勉強(特に数学)が大の苦手だ。





きっと、ここまで出来ない人は珍しいほどだろう。





そして、誰もが、その理由を「サボっているから」だと考える。





でも、本当は、違う理由がある。





けれど、それを知る人は少ないし、自分から言う勇気もない。





だから、あたしは、表面だけの笑顔を浮かべ、





ただ静かに心が沈んでいくのを感じていた。





そんな中で、あたしはこう思った。






「友達なんかいらない。独りでいる方が、ずっといい」






それが、あたしを、今のあたしにさせたきっかけだった。






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